何一つ変わらない
リビングに広げられた敷布に、これでもかと詰まれた皮や骨や牙に角、鞣し革に干し肉等の食糧……ユニスは顔をひきつらせた。
「こ、これまた……山の獣を絶滅させたような量で……」
「大げさね。流石にそこまで分別なくはないわ。まだ山に命はある」
キリィは椅子に腰掛け、悠然と足を組む。長い足をゆらゆらと揺らし、後ろに控えめに立つライラに目配せをした。ライラは逡巡しながらも一礼をして退室した。
ユニスはそれを見ると眉を寄せ、ため息をついた。
「喧嘩でもしているわけ? いつも一緒にいさせてたじゃないの」
「馬鹿言わないで、ユニス。喧嘩は対等な者でしか起きないものなのでしょ。奴隷と主の間には起こらないわ」
「……子供みたいなこと言ってんじゃないよ、姐さん」
「あらそう。それで、大人なあなたはここに何しに来たの? 説教? 仕事?」
キリィが目を細めてユニスを見据えれば、彼は盛大なため息を吐いた。
「……それで、この大量の商品を売ってこいってか。こりゃいつも以上に店を回らんと売り切らんよ。……しかも見たこともねぇのもありやがるな。こりゃなんだよ」
ユニスは詰まれた革を大雑把に選別しながら触っていく。品定めに手がせわしなく動いていたが、その手がぴたりと止まった。記憶にない滑らかさをユニスの指はしっかりと感じた。感触の正体である革を何度も触れて確かめていると、キリィが事も無げに答えた。
「普段踏み入れないとこまで登って狩ってきたの。ぼあぼあボアなんかよりもずっと強靭でしなやかな革よ。下手な金属よりも硬いんじゃない? もっと良い鞣し方もあるかも知れないから、一部は下処理だけにしといたわ」
「……こりゃ質が段違いだ、姐さん。鞣さん方がいい。職人に預けた方がよさそうだ。すごいな。なんて獣だ?」
初めて卸すことになるその皮と革から目を離さずユニスはキリィに尋ねた。キリィは肩をすくめた。
「知らないわよ。そいつの名前は『おじいちゃん』から教わらなかったわ。あの人も狩ったことないんじゃない?」
「……初めてのもんか。売るのに時間かかるのか、それとも希少価値からさっさと売れるのかも検討つかないぜ」
苦言を呈するように、口に拳を当ててしかめっ面を浮かべてみたユニスであったが、口許が緩むのが隠しきれない。キリィは立ち上がりユニスの背後に近付いた。
「出来る限り高く売って。でも早く売って。とにかくお金が欲しいの。少し安くなっても、必要ならいくらでもそれを狩るわ」
キリィの投げやりな言葉に、ユニスは眉を寄せて彼女に振り返った。
二人は真っ直ぐに相対した。
「……随分乱暴じゃないか。まぁ、金が必要なのはわかるよ。世の中金だもんな。ようやく金の大切さをようやくわかってくれて嬉しいよ。でも牛メイドに何も言わずにこんなことしてどうするんだ。俺が言うことじゃないけど、姐さんたちは一度話し合った方がいい」
「本当にあなたが言うことじゃないわね。仕事をしてちょうだい。あなたの仕事は何? 私と奴隷の仲を説教することなの?」
キリィが冷たい怒気に満ちた声でそう告げ、ユニスとキリィは睨み合った。張り詰めた沈黙に時折、部屋を照らす燭台から獣脂が焼ける小さな音が混ざった。
しばらく二人は剣呑な雰囲気で向かい合っていたが、とうとうユニスは目を閉じてため息をついた。結局のところ、こうしてキリィに睨まれて負けてしまうことは、随分昔から彼の身体に染み付いてしまっていた。
せめて少しでも負けを減らすために、ユニスは大人ぶって呆れてみせた。
「……そうだな。俺の仕事じゃないな。勝手にしてろ。じゃあ仕事として話してやるがな。いきなりこんな量を渡してきて、高く売れ、すぐ売れ、自分とこのメイドの子供も探してこい、……無理に決まってんだろ。俺は本当にしがない行商人なんだよ。他にも回るところはある。姐さんだけの専属商人じゃない。過重労働を強いて且つ通常業務外の仕事を依頼するならしっかり前金を払うんだな。その支払いは出来るのか、姐さんよ」
「か、かじゅろ……」
ユニスが聞きかじっただけの小難しい言葉を畳み掛けるように使えば、キリィは僅かに臆し、そしてムッとした。
「……そう言われたってすぐに大した額払えないわよ」
キリィは困惑で目を泳がせた。ユニスは月に二回、この山に足を運ぶ。キリィが山で狩った獣を受け取り、それを街で売り、そこで得た金銭で生活に必要なものを購入して持っていく。余った金はもちろんキリィに渡すが、大した額ではない。山にいる限り使いはしないので貯まってはいるだろうが、きっと彼女がライラを買った時にかなりの金は使っただ。人探しや情報収集にどれほどの金が必要なのか、キリィにはまるでわからないのだ。
「金のために、金が必要になるってなんなのよ……」
「それが世の理だ、姐さん」
今日キリィがいくら獣を狩ったとて、それどころか今日渡したこの商品が金となりキリィの手元にやってくるのは暫く先の話なのだ。流石のキリィもそれはわかったようだ。
キリィは歯噛みした。
「狩った獣の数でどうにかなるのなら良いのに……」
ユニスは肩をすくめた。
「姐さんは付き合い長いからね。俺だって前金貰わなきゃ一切やらんよ、とは言わないよ。やれる限りのことはやる。けど、やれる限りさ。俺一人で無理なもんは無理だ。おまけに姐さんが牛メイドと揉めている様子見てりゃ、どうにも俺のやる気だって起きない。金が払えねぇって言うなら、せめて俺のやる気だけでも起こしてもらいたいもんだね」
ユニスは斜に構えてみせて、ちらりとキリィを伺った。どうにもこのままライラの子供の話を進めるのは彼にとっては居心地が悪かった。ユニスにとってライラはただのミノタウロス奴隷であるが、キリィにとっては大きな存在だと思っていた。キリィがライラとわだかまりがあるまま過ごせばキリィにとって良くないのは、月に二回だけ会うユニスにはよくわかった。
暗に仲直りせよと伝えたユニスであったが、キリィは視線をそらしたまま、どういうわけか妙に冷静な表情を見せた。
しばらく思案にしたと思えば、キリィは再びユニスを真正面から見据えた。
「……確かにお金は払えないわ。でも私にしかあなたにあげられないものもあるわね」
「は?」
言うや否や、唐突にキリィは自身が着用している服のボタンを外しだした。
ユニスは固まった。何が起きたのかまるでわからない。思考が飛び、戸惑いさえも表せずに止まっていれば、キリィの上着は当たり前のように剥がれていった。
白い肌が露わになる。
透けるようなとは、まさにこのことと言うようだ。日がな山に出て狩りをしている女性とは思えないほど、滑らかで透き通った白い肌だった。普段剥き出しになっているほんのり焼けた腕とは、全く違う色を見せるキリィの肌。くっきりと色分ける肌は、不思議と色気を通り越し芸術品のようであった。意外なほどに大きさも形も良すぎる乳房には、薄桃色の乳首が控えめに主張されており、それがまた彼女を完成された作り物のように見せている。しかし、その乳房に浮いた青く薄っすら浮き出ている血管は、彼女が生きているという艶めかしさを出していた。その曲線をなぞるように視線を下に向ければ、染みひとつない腹部がある。へそ周りは実にほっそりとしており、筋肉を感じさせないようだった。首筋から胸部、腹部への華奢で柔らかな線は、キリィをただの『極上以上の女』としてみせるには十分すぎるほど、整っている。
キリィは唖然としたままのユニスを顎を突き出して見下ろした。
「ユニス。あんた、私のこと好きでしょ。いくらでも私を好きにしていいわ」
ユニスが驚くほどにキリィは落ち着いていた。ユニスに構わず言葉を繋げていく。
「獣たちの交尾は見たわ。人もつがいを作るんでしょ。あなたのそれになってあげる。どんなことでも出来るわ。体力にだって自信はある」
「……」
そこまで言われ、ようやくユニスは開いた口をようやく僅かに閉じて、そして盛大すぎるため息を吐いた。キリィの眉が不愉快そうに寄るが、ユニスは意に介さずに大股でキリィに近付いた。
キリィがはだけさせている服の襟を引ったくるように奪いその胸元を隠して、ユニスはボタンを止めた。子供の服でも整えている気分になるとユニスは密かに思った。
「姐さん」
「なによ」
「俺が姐さんに憧れていたのは十代の頃だよ。それから何年経ったと思う? 三十年だ」
「だから何よ。たかが三十年じゃない。大した数じゃないわ。商人やってるのに三十も数えられないの?」
無理矢理に服を引っ張られボタンをかけ直されたことが不愉快だったのか、キリィは煩わしそうにユニスの手を払い、自らの手で服を整えながらぼやいた。
何一つわかっていないのか、この人は。ユニスは払われた手を静かに下ろした。
「姐さん、三十年はたかがじゃない。俺はその三十年で親父の仕事を引き継いで、嫁さんもらって、子供もいる。知らないかも知れないが、親父はもうとっくに亡くなってる。大往生だったよ」
本当に子供を相手するようだ。
ユニスは諭すように、ゆっくりとキリィに言い聞かせた。
キリィがひどく驚いているように、ユニスには見えた。驚きと困惑を顔からこれでもかと言うほど溢れさせた。弱々しささえも感じる。ユニスはキリィを哀れんだが、それでも言葉を選らんで、しかし畳み掛けるように投げ掛けた。
「姐さんは昔と変わらずに綺麗だよ。初めて会ったときよりちょっとは大人っぽくはなったけど、それでも相変わらずキラキラしてて、俺はもう見慣れたけど相変わらず街に降りたら皆が振り向くだろうよ。憧れていた若かりしあの頃の気持ちに嘘はないよ。姐さんはあの頃から『何一つ変わらない』よ」
「…………」
「でも俺たちは違うんだよ。俺の顔の皺に気付く? これからもっと皺が増えて衰えていくんだ。姐さんは気付かなかったかも知れないけど、リーオさんは昔『おじいちゃん』じゃなかったんだよ。姐さんと四十年も一緒に暮らしていたんだ」
ユニスは初めてこの家に訪れた時を思い出した。この山小屋に住んでいる二人が父と娘なのか、それとも祖父と孫なのかわからなかった。しかし、ユニスが父親と共に訪れるようになって十年も経つと、見た目だけは祖父と孫のようになっていった。
そしてユニス一人で訪れるようになって暫くし、彼女一人になった。
今は雌ミノタウロスが共にいるが、またキリィは一人になるだろう。その頃、自分はもうここには来なくなっているだろう。ユニスは少し先の未来を思った。
「そのうち息子を連れて来て、姐さんに紹介するかもしれない。俺の親父が俺にしたように、仕事を教えて息子が大きくなったら任せて、俺も親父のように引退してそして静かに死ぬんだ……まぁそれはわからんけど」
「やめてよ……」
いつもの威勢の良さがないキリィの拒絶に、ユニスは今度こそ口を閉じた。
暖炉の火が少し弱まってきたのか。冬の冷たさが毛皮が敷かれた床から足へと忍び寄ってくるようだった。
「……それじゃあ、誰が私と一緒にいてくれるのよ」
キリィの掠れた小さな呟きをユニスは聞こえなかったふりをして、荷物の運び出しに取りかかったのだった。
「すっげぇ美人だった……あんなの街でも見たことないよ、親父」
「そうだな。俺も見たことない」
「これからずっとここに通うって、なんだか俺ドキドキする」
「……ユニス」
「なんだよ、親父」
「彼女は街では生きられない。お前はいずれ俺の仕事を引き継ぐだろう。お前がこの仕事をする限り、彼女のためにもここに足を運んでやってくれ」
「よくわかんないけど、もちろんだよ。仕事だろ」
「……仕事じゃないな、こんなの。付き合いだ」
「……よくわかんねぇなぁ」