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乞食王国の姫君  作者: Sana
1章
17/20

第一部「3歳の誕生日」 16


ぱか、と瞼を開ける。

眼前に憤怒の表情をした緑色の鬼がいた。


「ひいっ!?」


陽光のような髪を総毛立たせて、ローゼリアは年代物のくたくた毛布を抱き締めた。

ブルブルと震える小動物のような姿に、鬼の目と口がクワッと開く。


「何がひいっですか!?あれほど粗相をしてはならないと申しましたのに!眠ってしまわれるなんて••••前代未聞ですわ!」


「えっ、えっ、ねて••••?あれ、どうしてお部屋にいるのです•••?」


よく見ると鬼はマリアンヌだった。

ドレスを着てホールにいたはずなのに、突然いつものワンピースを着て自室のベッドの中にいる状況に戸惑う。

慌てて辺りを見まわすローゼリアに、マリアンヌの後ろに控えていたキャロルが笑いながら声を掛けた。


「ローゼリアさまは、演奏が終わると同時に眠ってしまわれたのですわ。昨夜は中々寝つかれなかったようでしたから、きっと演奏が終わって安心なさったのでしょう」


「え、え、そ、そうなの………?」


眸を閉じていたのは、ほんの少しの間だったと思うけれど、気絶するように眠ってしまっていたらしい。


大事な宴の、他国の皇子もいる前で、気絶爆睡。

マリアンヌが怒るのも道理だ。

恐る恐る毛布から頭を出して、ローゼリアは「ごめ…なさい……」とマリアンヌを見上げた。

仁王立ちしたままのマリアンヌがふぅとため息をつく。


「……まぁ、もう終わってしまったことは、仕方がありませんわ。今日は儀式がありますから、夕餉をこちらに運んであります。さぁ、早く食事をすまされて、お支度をしてくださいませ。もう少ししたら6の鐘が鳴ります」

夢見宴(レーヴレゼ)は、いつあるの?」

「7の鐘からですわ。それまでに体を清めて、宿り木の前にいなくてはなりません」

「ええっ!?いそがなくちゃ」


平らな世界フロンティアでは、1日は0から12の時に分けられている。

それぞれの国によって数える方法が違うため、多少の誤差はあるが、だいたい同じ時間を差していると考えて問題ない。


ルミエール王国では、朝と夜は知らせがなくとも分かる。

早朝、宿り木が眠りから目覚め、虹色の光の柱を天に放つ。それが5の鐘の刻。

ルミエール王国はやわらかな光に包まれ、明るく照らされる。

そして、7の鐘の刻になると、宿り木は眠りにつき、ルミエール王国は闇に包まれる。


けれども、それだけでは不便なので、時の塔が水時計を元に朝5の刻、朝7の刻、朝10の刻、12の刻、昼3の刻、昼5の刻、夜7の刻に鐘を鳴らして国民に時を知らせている。

ちなみに、夜7の刻から朝5の刻までは、鐘がならない。


儀式が7の鐘からという事は、暗くなるまでに浮島まで渡っておくようにということだろう。


ローゼリアは、慌ててギシギシと音を立てる古い木造りのベッドからぴょんと飛び降りた。

途端に、マリアンヌがギギギギと怖い笑いを浮かべる。


「優雅さも…お忘れのようですわね…」


-----ああう•••マリアンヌが眉間に青筋が•••。足の付かない高さから降りる場合は、側仕えの手を借りないといけないのでした…。


ローゼリアはごまかすように引きつった笑顔を浮かべた。足早に窓際に置かれた石づくりのティーテーブルに近づき、その上を覗きこむ。


「わ、わぁ、美味しそう~」

「……誤魔化し方もまだまだですわ」


マリアンヌは呆れたように首を横に振ってテーブルに近づくと、水差しの水をクリスタルのグラスに注いだ。

眉を下げたキャロルが椅子に座らせてくれる。


「朝から何も召し上がっていませんもの。さぞやお腹が空かれたでしょう?スープがすっかり冷えてしまったのですけれど…、塩パンのかわりに宴の料理をお持ちしておりますわ」

「ごはんの時間に寝ていたのだから、いいの。とっておいてくれて、うれしいわ」


自分ひとり分の温めなおしのために、貴重な燃料を使うなどとんでもない。

ローゼリアは、申し訳なさそうなキャロルに向かって首をふるふると横に振り、スプーンで冷え切っているスープを掬った。


「あ。おいしい!」


一口飲んで、ほわあっと顔をほころばせる。


「宴で残った前菜をスープにしたそうですわ。少しですけれど、お肉も入っているのですよ」


うふふ、と嬉しそうにキャロルが笑う。


前菜には味がついていたのだろう。いつものお湯のようなスープと違い、少し色のついたスープには肉の脂も溶け出していてビックリするほど美味しい。具はみじん切りにされていて、スプーンですくうと必ず数切れ野菜が入っている。茶色っぽいのは肉片だろうか。

めったに味わえない肉片をゆっくりと舌で味わう。

こんなご馳走スープが飲めるなんて、みんな今日はお祭り騒ぎだったに違いない。

ローゼリアが大満足してスープを平らげると、キャロルがスープ皿を下げ小さな皿を前に置いてくれた。


「これはなぁに?」


ローゼリアは見た事のない料理に首を傾げた。

ふわふわした白い物と赤い実が盛り付けられた皿からは、甘い、魅惑的なニオイがする。

赤い実は果物?だったらお菓子だろうか?


「お誕生日のケーキですわ。本当は切り分ける前を見ていただきたかったのですけれど…、それはもう美しくて豪華でしたわ。2段重ねだったのですよ」


ケーキ皿の横に小さなフォークとナイフを並べながら、キャロルがうっとりと眸を潤ませる。


「切り分けた後もとってもきれい。赤いのは、何かしら?」


ダンに連れられて入った厨房で見た赤い実に似ているが、あの時はこんなに光っていなかった。


「リーの実というそうですよ。ルミエール王国では見た事がありませんから、シエルの果物なのかもしれませんわね。甘酸っぱくてとても美味しいのだそうですわ」

「宝石みたいにキレイな赤い色…ピカピカしてて、魔法みたい」


ローゼリアは目を丸くして皿の上を見つめた。

ルミエール王国では果物は希少だ。

稀に留学している貴族がお土産としてドライフルーツを持ち帰ることがあるというが、今留学している貴族はフルールリアンだけなので、ローゼリアはまだ見た事がない。

噂では、昔持ち帰られたドライフルーツが、今も宝物庫に残っているらしい。

もしも噂が本当だとすれば、見る事ができるのはフルールリアンの即位式ぐらいだろう。


10㎝四方のスクエア型ケーキを存分に眺めてから、ローゼリアは上に乗ったリーの実を崩さないようにナイフを入れた。一口サイズに切り分けて、そのやわらかさにドギマギしながら、ぱくり、と口に入れる。

瞬間、ローゼリアはほっぺたを両手で包み込んだ。


「え、え、え、とけちゃった!!!?なに、これ!?」

「ローゼリアさま、カトラリーを持ったまま、頬に手をあてるなどお行儀が悪いです」

「ご、ごめんなさい…でも、これ、ものすごくふわっとしてて、甘くって、シュッととけちゃうの!」


興奮してしゃべると、キャロルがクスクスと笑った。

ローゼリアは恐る恐るケーキをもう一口ほお張った。


「ん、ん、ん~~ッ!!」


口中に広がる美味しさに、我慢できなくてジタバタと手足を動かす。

白い物はミルクのような味だが、ミルクよりもっと濃くて美味しい。

黄色の生地はパンケーキよりもふわっふわだ。

リーの実の仄かな酸味が、その二つにぴったりと合っている。

そして、生クリームもスポンジも、口に入れるとふわっと消えてしまうほどやわらかい。

これは人間の食べ物ではなくて、霞を食べても生きていけるという妖精の食べ物ではないだろうか。


「ね、ね。キャロルとマリアンヌも少し食べてみて?」


ローゼリアは頬を上気させて、側仕えの二人にケーキを皿ごと差し出した。

興奮で空を写した若葉の色の眸が、キラキラと輝いている。


「……ローゼリアさま…お行儀が…」


こめかみを押さえるマリアンヌを横目に、ローゼリアは戸惑っているキャロルにお皿をぐいぐいと押し付ける。


「キャロルも食べて感想をきかせて?」

「いっ、いえ、いけませんわ!これはローゼリアさまの分ですから」


キャロルはぶんぶんと顔を横に振った。


「ケーキは子ども達だけで分けたのでしょう?キャロルもマリアンヌも食べていないのよね?」

「大人はケーキの代わりにふわふわパンというのをいただきました。ですから、気になされなくともよいのです」

「ちがうの、二人の感想がききたいの。美味しい物は、一緒に食べて、“おいしいね”って、お話したいでしょう?わたしは12歳になったらシエルの王立学院に行くから、ふわふわパンもケーキも食べることがあると思うの。だから、いま、ふたりにも食べてみてほしいの。いくら美味しくても、感想も言い合えないのは悲しいもの」

「でも……」


おろおろとキャロルはマリアンヌの方を見た。


「ね?だめ?マリアンヌ……こういうのを下げ渡しというのでしょう?わたしのお誕生日の特別メニューをみんなに下げ渡ししたいの」

「………普通は主人に給仕して、残ったものを下げ渡しというのです。お皿に食べ残したものをいうのではありませんわ」


マリアンヌは大きくため息をつくと、キャロルにケーキ皿を下げるように促した。


「ダニエルにも下げ渡されますか?」

「うん!」


ローゼリアは、ぱあっと顔を輝かせた。


「“うん”などというお返事はありませんわよ?」

「はい。ダニエルにも感想を聞かせて欲しいの。わたしのお誕生日ですもの。いいでしょう?」

「………特別にいただきましょう。キャロル、ローゼリアさまが儀式に向かわれたら、お皿に分けてくださいませ。今宵はダニエルも護衛の必要がありませんから、一緒にいただきましょう」

「ほ、本当によろしいのですか?」

「かまいませんわ。ローゼリアさまの誕生日のお願いは、“側近と初めてのケーキの感動を分かち合うこと”なのでしょうから」

「!!ありがとう!マリアンヌ!」


ローゼリアは椅子から飛び降りると、マリアンヌに抱きついた。


「ローゼリアさま、お行儀が………もう、仕方ありませんわね」


マリアンヌはため息をつくと、ローゼリアをやさしく抱きとめた。



---------ルミエールが美味しい物をお腹いっぱい食べられる国になった時には、もうみんなには会えないから、うれしい顔をしっかり覚えておくの。



それがあれば、シエルでもきっと頑張れると思う。

ローゼリアは、マリアンヌの暖かい温もりに甘えるようにスカートに顔をうずめた。

ふんわりとハーブの香りがするのは、マリアンヌが儀式服を用意するために王族の衣装庫に篭っていたせいだろう。防虫剤がわりの香草は貴重な衣服を駄目にしないため、物の少ないルミエール王国でもたっぷり使われている。


「それでは、お下げいたしますね。ありがとうございます、ローゼリアさま」


キャロルは不思議そうに首を傾げつつ、皿を続き部屋に持って行った。

ローゼリアの部屋は真ん中にベッドがあり、右側が石壁を繰り抜いた書架になっていて、左側に扉のない3つの部屋と用を足すための小部屋がある。

部屋のひとつは普段着や小物をしまう衣装部屋で、もうひとつは茶器や水壷が置かれた水屋、最後のひとつは側仕えの部屋だ。

側仕えの部屋には、キャロルとマリアンヌが交代で夜番をするための簡素なベッドと小物入れ、そして側仕えの仕事道具や食事を取るためのテーブルなどが置かれている。キャロルはそちらにケーキ皿を置いておくのだろう。


ローゼリアはマリアンヌのスカートから顔を上げて、戻って来たキャロルににっこりと笑顔を向けた。


「あとで、感想をきかせてね?」

「はい。ダニエルにもしっかり聞いておきます。ローゼリアさまはご覧になるどころではなかったでしょうから、宴の様子やどのようなお料理があったかもお話しいたしますわ」

「宴で残ったお料理は、ほかにもたくさんあったの?」

「ええ、ローゼリアさまが倒れられた後、皇子が早々に退出されたので、料理は丸々残っております。パンとケーキは本日中に食べた方がよいとのことでしたので、皆でわけていただきました。残りは傷みやすいものからスープにして、少しずついただくことになるでしょう。しばらくの間とても豪華なスープが続くと使用人達も喜んでおりました。平民たちも同じでしょうね」

「ふわふわパンも美味しかった?」

「それはもう。……もう少しお腹にたまれば言う事なしでした」


キャロルの言葉に、ローゼリアは小さく吹き出した。


「ケーキもとっても美味しいけれど、お腹はいっぱいにならないの」

「まぁ、シエルの方々はきっととてもお腹が小さいのですね」


ふたりで顔を見合わせてクスクス笑っていると、マリアンヌがコホンと咳払いをした。


「話は明日でもできますわ。今は急いでくださいませ」

「そうだったわ、ごめんなさい!」


ローゼリアは飛び上がった。

6の鐘が鳴ってしまう前に湯殿に行っておかないと間に合わない。

ローゼリアの部屋から湯殿は遠い。不安そうな色にマリアンヌは「大丈夫ですわ」と満面の笑顔を浮かべた。


「湯殿まで行く時間はありませんから、お部屋でお体をお清めいたします。キャロル、用意をお願いいたしますわ」

「はい、マリアンヌさま」

「時間がありませんわ。ローゼリアさまは、こちらへ入ってくださいませ」


キャロルは慌てて水屋へ向かった。

寒い湯殿に行かずに済むと聞いて、ローゼリアはパッと顔を輝かせた。

マリアンヌに招かれるまま、用を足すための部屋の前に置かれた衝立の中へ入る。

そこには水が半分入った大きなたらいが置かれていた。石けん代わりのベダ草が水を薄い紫色に変えて、数本ふわふわと浮かんでいる。


ルミエール王国では石けんは輸入品であり、数が少ない。しかも冷水に溶けにくいため、泡立てるのも、流すのも一苦労だ。

そのため平民から貴族まで一般的に使われているのが、香りがよく、殺菌効果もあるベダ草である。寒さに強く、ルミエール王国でもよく採れるため、乾燥させたものを水や湯に入れて、衣服の香りづけや体を清める時に使う。

同じく、防虫・殺菌に使われるのが、黄色のマウリ草で、こちらはベダ草よりももっと丈夫で繁殖力が強いため、衣服をしまう場所には必ずといっていいほど大量に入れられている。


「体を清めるだけなのに、こんなに大きなたらいが必要なの?」

「今夜は儀式の日ですから」

「そうなの…?」


不思議に思いながら、マリアンヌの手で服を脱がしてもらう。

石造りの部屋は湯殿ほどではないにしても寒く、ローゼリアの体にブルッと震えが走る。


「お、お待たせいたしました…」


大きな水瓶を重そうに持ったキャロルが、よろよろと危ない足つきで衝立の中に入ってきた。


「では、ローゼリアさま、たらいの中央に座ってくださいませ」

「えっ?えええっ!?体を清めるって…布で拭くのではないの!?」

「何を仰っているのですか。夢見宴レーヴレゼなのですから、ベダ草を入れた清めの水にお体を浸し、お体もお(ぐし)も清めなくてはなりません。さぁ、お早くなさってくださいませ」

「で、では、時間があっても、たらいだったのではないですか~」


広い湯殿ではベダ草が大量に必要になるため、最初からたらいで体を清める事になっていたに違いない。

恨めしげに見上げると、マリアンヌは流麗な笑顔をにっこりと返してきた。


「きちんとお勉強なさっていれば、わかっておられるはずのことですわ」


そういえばマリウスが教えてくれたのは、儀式の仕方だけだった。

本来の夢見宴レーヴレゼは、まだ先に行われる事であったため、マーガレットも教えてくれておらず、予習もしていなかったのだ。


「うう…」

「何事も、きちんとお勉強なさらなくてはなりませんわ」

「はい…」


ローゼリアは涙目になりながら、たらいの中に足をつけた。

つま先から叫び出しそうなほどの冷たさが全身に走る。

悲鳴を上げないよう口を片手で押さえ、ローゼリアはそうっとたらいの中に座った。縁を震える手でぎゅうっと握る。

水瓶を抱えたキャロルがローゼリアの前に跪いて、すうっと息を吸い込んだ。


「では、参ります…。息を止めてくださいませ」

「は……うぷうっ…!」


息を止めるより早く、頭の上から冷水が落ちてきた。

げほげほとむせるローゼリアに容赦なく冷水が浴びせられる。鼻の中にも入ってしまって、姫君らしくない醜態をさらしてしまう。



----------は、鼻が痛い!つ、つ、つ、つめたいっ!



湯殿で体を清める時でさえ、このように頭から水を浴びせられることはない。

あまりの仕打ちに鼻水と涙を浮かべていると、マリアンヌがキャロルの手を止めさせた。


「そろそろよろしいでしょう。わたくしがお体をお清めしますから、キャロルはお(ぐし)を洗って差し上げてくださいませ」

「はい。ローゼリアさま、もう少し我慢してくださいませね」


ぐしゃぐしゃになったローゼリアを気の毒そうに見下ろしながら、キャロルが水瓶を下ろす。

マリアンヌはたらいの中に布を浸して、ローゼリアの体を手際よく清め始めた。

キャロルからも粗い櫛で細い金糸のような髪を梳かれる。

マリアンヌがローゼリアの体を確認してから、キャロルにもう一度冷たい水を頭の上から掛けさせた。今夜は本当に容赦がない。


涙目でチラリと見上げると、キャロルが申し分けなさそうに眉を八の字にしていた。


「さぁさぁ、泣いている暇はありませんわよ。体を拭いて、衣をつけなければ」


乾いた大きな布で包まれ、抱きかかえるようにして鏡台の前に移動させられる。

キャロルが体と髪を拭いてくれている間に、マリアンヌが儀式用のワンピースと貫頭衣を持って来た。

見た事のない織り方で織られた純白の生地でできていて、裾と襟、袖口に緑と金の糸で複雑な刺繍が施されている。白地の帯にも、緑と金の糸で全体に刺繍がされていた。


「ずっと昔から使っていたのでしょう?…どうしてこんなに新しいの?」


ローゼリアは美しい生地に眸を輝かせながら尋ねた。

何代にも渡って使われていたのにもかかわらず、黄ばみもなく、新品のような滑らかな触り地がする。


「昔、妖精が織った布に妖精の言葉----古代文字を刺繍したのだと言われていますわ。風のように軽く、全ての外敵を寄せ付けぬ強さ。この衣を纏えば寒さも熱さも感じないのだとか」

「ほんとう、とっても、あったかいわ」


長袖の白いワンピースの上から貫頭衣を着せられ、ローゼリアはほうっとため息をついた。

何時の間に習得したのか、マリアンヌが儀式用の特殊な結び方で帯を結んでくれる。

姿を点検するふたりの前でくるりと回って見せると、キャロルがうっとりとした声を漏らした。


「とてもお似合いですわ。わたくしは初めて拝見しましたけれど、儀式服とはとても清らかで美しいのですね」

「それに、ほんとうに軽いの。こんなに薄い衣ははじめて···」


ルミエール王国は寒いため、衣は厚いものが主流だ。

着ているうちに生地が薄くなるため、修繕して裏側に雑巾一歩手前の布を縫い付けたり、重ね着したりする。

フルールリアンが贈ってくれたドレスも軽やかだったけれど、着ている事を感じないほど薄い服は初めてだった。


前、後ろ、斜め、とローゼリアの姿を存分に検分したマリアンヌが、満足したように頷いた。


「よろしいでしょう。キャロル、ドアの外にいるフレイを呼んでくださいませ」

「えっ、フレイがドアの外にいるのですか!?」

「今から外で儀式を受けるのですから、濡れた髪のままでというわけにはまいりませんわ。フレイに乾かしてもらえるよう、頼んでいたのです」


当たり前のように告げられて、ローゼリアは鏡台前の椅子に座らされた。

顔にこってりとしたクリームをたっぷり塗りつけられる。


「冷えますから、クリームをつけておきましょう。昨夜は、戻られた時にお顔が赤くなっておりましたもの」


あの妖精が目許は癒してくれたけれど、頬が真っ赤になっていて、マリアンヌとキャロルを青ざめさせたのだ。

貴重なクリームを塗ってもらった上に、早朝すぐにマーガレットに癒しをかけてもらってなんとかなったけれど、ルミエール王国の夜の寒さをなめてはいけない。



---------そういえば、シエルのおうじさま、あの妖精にそっくりだった。



美しい貌を思い出して頬を赤らめたローゼリアは、次に自分の失態を思い出して顔を青ざめさせた。



------------あのキレイな人の前で、寝ちゃった···。ダンスも踊ってない…。



どれほどお行儀がなっていないと思われたことだろう。

それとも、まだまだ子どもだと呆れられただろうか。

実際、まだ3歳だけれど……毎日、マーガレットに鍛えられて少しは姫君らしくなれていると思っていたのに。

ダンスだって、せっかく及第点をもらえるくらい練習していたのに……と泣きそうになる。


「姫さま。失礼致します…姫さま?」


背後から訝しそうなフレイの声が聞こえて、ローゼリアは慌てて鼻をすすった。


「は…はい、よろしくお願いします」

「……どうかなさったのですか?」

「さ、寒くて…鼻が…」

「それは大変です。風邪を召される前に乾かしてしまいましょう」


ローゼリアの言葉を信じたフレイが急いで髪を乾かしてくれる。

少し熱めの温風が首筋にも当たって気持ちいい。

風邪をひかないようにとの配慮からか、髪だけでなく体にも温風を吹きかけられて、ローゼリアは肩の力を抜いた。

終わってしまったことよりも、今は儀式のことに集中しないとダメだ。


すっかり乾いた髪は、キャロルによってゆるく編まれてハーフアップにされた。


「ありがとう。フレイ」

「いいえ、いつなりとお申し付けください。姫君が風邪を召されては大変ですから」


フレイは人の良い笑顔で一礼すると部屋を出て行った。

髪を結っている間に6の鐘が鳴っていたので、ローゼリアも早く部屋を出なくてはならない。


「わたしくしたちは、儀式の間は宿り木の近くにまいることはできません。レイモンドさまが護衛として浮島までお連れ致します。その後は、マリウスさまとローゼリアさまを残し、護衛も中庭まで戻ります。……心して儀式をまっとうなされませ」


跪いたマリアンヌに真正面から見つめられ、ローゼリアはギュッと唇を噛み締め、眸を閉じてゆっくりと深呼吸した。



----------だいじょうぶ。昨日、もう、お別れはすませたもの。



「はい。いってきます」


幼い顔でにっこりと笑う。

ローゼリアは迎えに来たレイモンドに小さな手を預けて宿り木へと向かった。



*********




7の鐘が鳴る前に浮島へ辿り着くと、既に神官服姿のマリウスが宿り木の下にいた。

全身に金と緑の刺繍が施された白の神官服が、光を反射して美しく煌めいている。

手に持っている背よりも高い杖は、1本の枝のような形で、先端が分かれて数枚の宿り木の葉が付いていた。宝石も魔石も付いていないのに、それ自体が淡く発光している。


ローゼリアが宿り木の根元まで歩いていく間に、火が消えるように、すうっと辺りが真の闇に包まれた。

暗い静寂の中で、7の鐘が鳴り響く。

その瞬間、ふわぁっと生命が満たされるように宿り木が白光に包まれた。

眩い光の中で夜色に染まる宿り木の葉に、白光の中から生まれた金色の煌めきが縫い取られていく。

それはさながら、夜に瞬く星のようだ。

やがて霧散するように白光は消え、月光のような幹に星空の葉を茂らせた宿り木が残った。


目の前で起こった神秘的な光景をローゼリアは息をのんで見つめていた。

宿り木が変化する様を見るのは始めてだった。

昨日も神聖だと思った宿り木が、さらに神々しく、気高く感じる。


「ローゼリア、こちらへ」


マリウスの声が、いつもの父とは違うもののように聞こえた。

気がつくと、護衛騎士達がいない。

中庭側の岸に戻ったのだろう。


「ローゼリア」


再び名を呼ばれ、ローゼリアは覚束ない足取りで前へ進んだ。

闇の中で、発光する宿り木と杖と、白と金と緑に浮かび上がるマリウス。

まるで夢の中にいるようなふわふわとした心地で、招かれるままマリウスの足元に膝をつく。


「-------------------」


よく通る、マリウスの低い声が古代の祝詞を紡ぐ。


フルールリアンならば意味がわかるかもしれないが、ローゼリアには何を言っているのかまったくわからない。

ただ、祝詞には魔法が宿るのか、言葉が音になるごとに杖に色が灯り、先端の葉が徐々に虹彩を放ち始めているのが見える。

そして、それに伴って、ローゼリアの内側から何かが湧き出るように、胸が熱く、苦しくなってきた。


「祈りを」


ローゼリアは熱くなる体を必死で堪え、小さな手を胸の前で交差させ、頭を垂れて目を閉じた。

ここで自分なりの祈り、願いを捧げればいいということは事前にマリウスから聞いていた。


ローゼリアの願いはもう決まっている。


ルミエール王国が、あの回廊に描かれた国のように、美しくて、豊かな、みんながお腹いっぱいご飯を食べられる国になることだ。



---------おねがい、宿り木。力を貸して。そのためになら、二度とここに帰れなくても、がんばるから。



風の音が一層激しくなった。


雨も降っていないのに、霧のような水しぶきが降り注ぐ。

渦巻く風はとても強く、髪も衣装も風に巻き上げられている。けれど不思議なことに、マリウスもローゼリアも吹き飛ばされるような事はない。


「-----夢を---------------------------」


マリウスが紡ぐ、夢、という言葉だけが聞き取れた。

古代の言葉と共に、ふわりと重力を感じない動きでマリウスの手が、杖で空中に古代文字を描く。

空中に描かれた文字は金と銀の光の帯となって、闇夜に広がった。

光の帯の上を風が走ると、この世の物とは思えない不思議なメロディが流れる。

フルールリアンの歌にも似た、どこか懐かしい旋律。

その音色を聞いた途端、体の熱が膨れ上がり、ローゼリアは体を二つに折った。


「はぁ……うッ」


体が、熱い。

胸が、苦しい。



-------------こ、れ…夢見レーヴレゼではふつうのこと、なの…?



声が漏れないよう、必死で衣装を握りしめる。

光のメロディが弾ける度、自分の中でも光が弾け、体を引き割くような痛みと共に熱が増す。

額に浮かんだ汗が眸に染みた。

寒いと思っていたのが嘘のように、ローゼリアは体が熱かった。

降ってくる霧の冷たさが恋しい。

けれどもローゼリアが熱すぎるせいか、霧は肌にふれると、ぽうっと白く光って消えてしまう。


「---力を-------------------」


「……ッ」


マリウスの声と共に、大地が震え、熱が出口を求めて体の中で荒々しくのたうち始めた。

ローゼリアは歯をぎりぎりと噛みしめて、地面に縋った。

涙目で見上げれば、杖が闇夜を貫くように高々と上げられている。

ローゼリアの髪も、宿り木の葉も、空へと巻き上げて、風が激しい勢いで渦巻く。


杖が突いた天の闇が割け、目の眩むような光がローゼリアに降り注いだ。


「あぁぁぁぁ……ッ!」


ローゼリアの唇から堪え切れない声が漏れた。

堪えていた熱が、光の柱の中で体を食い破るように膨れ上がる。

熱と痛みで、眦から涙が流れ落ちた。

小さな手が固い地面を削り、やわらかな指の皮が破れて血が滲む。



---------だれか…っ!!



意識を失いそうな痛みの中で、ローゼリアの眸に宿り木が映った。

身の内で暴れる熱とは裏腹に、宿り木は美しく静かな光を称えている。



----------も…し、これ…が、宿り木の力なら…。こんなの…ちが…はず。わたし…は、願いをかなえ…るの。------------ね、つ…でてい…って…ッ!!



宿り木の姿を、光を、胸に思い描き、願いを叶える力を強く願う。

ローゼリアの中で渦巻く力が出口を見つけて咆哮を上げた。


「------------熱…ッ!」


焼けるような痛みを感じてローゼリアが額を抑えようとした時、白い額から天へと虹の光の柱が迸った。


「な…………!?」


マリウスの驚愕したような声が遠くに聞こえる。

身の焼けるような痛みは一瞬で、ローゼリアの中から膨れ上がった熱がすうっと消えていく。

それはローゼリア自身の温もりも奪い去ったようで、幼い体はドサッと地面にくずおれた。


「ローゼリア!?」



慌てたマリウスが掛け寄ってくる。

温かな手に抱き起こされながら、ローゼリアは涙目で額を抑えた。

もう熱くも痛くもないが、妙な違和感が残っている。


「な、なに…、なにがおこったの?」


頭上では、先ほどの地獄のような苦しみが嘘のように、光と風が美しく乱舞していた。

虹の柱は空で弾けた後、光の花びらとなったのだろうか。

闇を照らすように金と銀の花びらが、ひらひらと地上に降り注いでいて、幻想的なまでに美しい。


「わたし…また…夢をみているの…?」


手の平を差し出すと、金色の花びらはローゼリアの肌に溶けるようにすうっと消えてしまった。


まるで、誕生の時の夢のようだ。


「夢ではない。宿り木と其方そなたが共鳴したのだ」

「きょうめい…」


ローゼリアはぼんやりと辺りを見まわした。

体がぐったりと疲れ果てていて、儀式中とは別の意味でふわふわとした心地がする。

早く部屋に戻って休みたい…そう考えて、暗闇の中に橙、青、緑、白、4つの光の花が咲いているのに気づいた。どれも1輪だけで、宝石のようにキラキラと輝いている。


「ととさま、あの光の花もきょうめいが作ったのですか…?」


ローゼリアの指が示す方を見て、マリウスはゆっくりと貌を横に振った。

儀式で力を使ったせいか、疲れの浮かぶ顔でローゼリアに微笑みかける。


「あれは花ではない。子どもだ」

「子ども…?」


ローゼリアはマリウスの言葉に首を傾げた。

子どもが花を持って立っているのだろうか?



-------------でも、王族の夢見宴レーヴレゼは神官と本人しか宿り木の側にいられないのよね?



儀式が終わったと見て、騎士達が戻ってきたのだろうか?

それにしても子どもがいる理由がわからない。

マリウスはローゼリアが自分の足で立てる事を確認すると、光の花達を招くように手を差し出した。

本当に子どもがいるらしいと知って、ローゼリアは儀式服についた汚れを手で払い落とした。

大切な儀式服をこんなに泥だらけにしてしまうなんて、マリアンヌにこってり叱られてしまうかもしれない。


「ローゼリア、彼らを紹介しよう」


マリウスの声に子ども達へと視線を向ける。

ローゼリアと同じ儀式服を着た子どもが4人。

年齢はローゼリアと同じか、少し大きいくらいだろう。

舞い落ちる光の花々の下で、明るく照らされた姿に、ローゼリアは目を見開いた。


「額に花が…!?それは…飾り……?」


子ども達の額には、それぞれ光でできた花がくっついていた。

装飾とは思えない……ちょうど天から舞い落ちて来ている光の花びらと同じような----花が。


彼らは問いに答えることなくローゼリアに近づくと、足元に跪いた。

その肩に、髪に、ひらひらと光の花びらが舞い落ちる。


「紹介しよう-------------------------彼らは其方そなたの本当の側近たちだ」


マリウスの声をどこか遠くに聞きながら、ローゼリアは子ども達を見下ろした。


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