第一部「3歳の誕生日」 10
他と文言を統一するため修正しました。
后付側使え→王妃付き
よろしくお願いします。
フルールリアンが発ってからの日々はあっという間だった。
部屋を抜け出したことで、ダンやダニエルに迷惑をかけたかもしれない。反省の気持ちが、ローゼリアに作法や演奏の練習へ真面目に取り組ませた。
明日はもう誕生日だ。
「はい。大変よろしいですよ。誕生日の宴で恥をかくことはないでしょう」
マーガレットが、ティーカップを音もなくソーサーに戻して微笑んだ。華やかに結い上げた金赤の髪と茶色の眸が愛らしい。2児の子持ちとは思えない、ローゼリアの作法の先生でもある王妃付きの上級側仕えである。
「ほんとうに!?よかった~」
「ローゼリアさま、お言葉が乱れておいでですよ?」
「アッ、ええと、ありがとう存じます、マーガレット」
慌てて言葉を直すローゼリア。
マーガレットは可笑しそうに口元を扇子で隠した。
「ふふふ、では、頑張られたローゼリアさまにご褒美ですわ。本日のレッスンで合格点が取れましたら、帝国シエル風にお昼の正餐を取っていただく予定でした。それを、食堂ではなく、エレンディーネさまのお部屋で、ジュリアーノさまもご一緒に召し上がっていただきますわ」
「わぁ、かかさまと、ジュリアーノと!?」
ローゼリアは勢いよくテーブルに手を付いて、身を乗り出した。
マーガレットの眸が細くなり、隠した口から低い声が響く。
「ローゼリアさま?」
ローゼリアはしゅびっと座り直した。
「.....お母さまとジュリアーノと正餐を共にできること、うれしく思います」
何事もなかったかのように、カップを優雅に持ち上げて、コクリと嚥下する。
カップの中身は水だ。
ルミエール王国に、作法の練習のためにお茶を入れる余裕はない。お湯でなく、水なのも節約である。
「·····まぁ、よろしいでしょう。では、着替えを-------キャロル、ローゼリアさまのドレスをお持ちしてくださいませ」
マーガレットは扇子を閉じて、扉の内側に控えているキャロルに声を掛けた。
一礼したキャロルが、衣装部屋へと消える。
「にいさまからのドレスを着るの····着ていくのですか?」
ローゼリアは紅い唇を尖らせた。
あどけない顔いっぱいに嫌だという表情が浮かぶ。
兄のフルールリアンが贈ってくれたドレスは、見たこともないようなキレイな布で出来ていて、観賞するだけならば幸せだが、着るのは心臓がドキドキしてとっても怖いのだ。
「ローゼリアさま、気持ちを顔に出してはなりません·····慣れねば宴で美しく振舞えませんわ。エレンディーネさまにも、宴で問題なく振舞えるか見ていただけますし。試験だと思って、頑張ってくださいませ』
「このような美しい衣装を着られるなんて、お幸せですわ~」
キャロルがうっとりとしながら、ドレスをマーガレットに手渡す。
ローゼリアはマーガレットの手によって手早く着替えさせられた。陽の光のような髪もハーフアップに結い直される。
「わたくしがローゼリアさまをエレンディーネさまのお部屋にお連れします。そのまま正餐の間はわたくしがローゼリアさまのお側につきますわ。キャロルはその間に昼食を済ませて、ローゼリアさまがお帰りになる頃にエレンディーネさまのお部屋の前で控えていて下さいませ」
「わかりました。近衛騎士のダニエルは、どうしましょう?」
「わたくしが連れて来た近衛がいますから、キャロルと共に移動してもらいましょう」
「助かります」
キャロルは安堵の息を付いた。
ローゼリアの側近は少ない。側仕えのキャロルと近衛騎士のダニエル、乳母のマリアンヌだけだ。
今までは、キャロルとマリアンヌが交代で食事を取っていたし、ダニエルが離れる場合は手の空いた騎士に護衛を頼んでいた。
しかし、宴の支度で皆が忙しくしており、マリアンヌもそちらの用意にかかりきりのいま、手の空いたものは王族付きの側近くらいである。
しかし他の王族付きの側近は、貴族出身の中級ないし上級なので、平民出の下級であるキャロルやダニエルからは頼みにくい。
もっとも、同じ下級であってもマリアンヌならば堂々と頼みに行くであろうが。
「近衛騎士が外れていても、この国で何かが起こるとも思えないのですけど、マリアンヌさまに叱られますから」
「当たり前ではありませんか。キャロル、そのような心構えで王族に仕えているのですか?」
「いっ、いえ、そのようなことは....」
要らぬ無駄口を叩いて冷たい視線を受けることになったキャロルは、わたわたと首を振った。
ローゼリアもドキドキして、マーガレットを見る。
キャロルはいい人だけれど、不器用で、暢気過ぎるのだ。
「····よろしいわ、わたくしからエレンディーネさまに宴が終わるまで近衛騎士を1人増やしていただけるよう、お願いしておきます」
「ありがとう存じます、マーガレット」
ため息を落とすマーガレットに、ホッとしたローゼリアからも礼を言う。
「あら、お上手に返せましてよ。参りましょう、ローゼリアさま」
昼間の回廊は、ステンドグラスから入る光に照らされて美しい。
ドーナツ状の城は、東西南北に外から中庭に入る道があり、4つの棟にわかれている。
后の部屋があるのは、本棟の3階だ。
ローゼリアが暮らす西棟は隣だが、1つ1つの棟が広いので、回廊も長い。ドレスの裾を踏まないように歩くには、辛い距離だ。
「ローゼリアさま、裾を上げ過ぎないように気をつけて下さいませ。靴が見えてしまいます」
「あう····」
「お返事は優雅に、ですわよ」
「こ、こうですか?」
ドレスの下はいつもの履き古した革靴なので、作法云々の前に見せるわけにはいかない。
ローゼリアはひきつった笑みを返して、ドレスの裾を持ち上げる位置を調整した。
后の部屋に着く頃には、手がぷるぷると震えていた。
------------フォークがきちんと持てないかも····。
心の中では半べそだ。
「ローゼリア、まぁ、美しいこと。こちらに来て、よく見せてくださいませ」
「はい。かかさま、今日のお具合はいかがですか?」
ローゼリアはエレンディーネに近づいて、目の前でくるりと回って見せた。
ここ数日、エレンディーネは気分が優れないと自室に籠っていた。食堂にも現れず、忙しい父王のマリウスやまだ幼いジュリアーノも共に食事を取ることはなく、広い食堂で独りで食べるスープはいつもより飲み込みにくかった。
「大したことはありません。ただ、明日は宴でしょう?大事を取っていたのです」
そう話すエレンディーネの顔色は青白い。
繊細な顔立ちに落ちる長い睫毛の影までも、透き通ってしまいそうで、ローゼリアはぎゅっと母のスカートに抱きついた。
「ほんとう?かかさま、ほんとに大丈夫?」
「あらあら、甘えん坊さんね。心配には及びません。·····ほら、ドレスにシワが寄ってしまうわ」
「あっ!」
慌てて身を離すローゼリア。
エレンディーネは微笑んで正餐が用意されている部屋へ招いた。
そこでは既に、ジュリアーノが子供用の椅子にちょこんと腰かけていた。皆を待つことなく、大きな実にかぶりついている。
「まぁ、ジュリアーノ、お行儀が悪いのではなくて?」
エレンディーネの言葉を気にせず、ジュリアーノは赤い実をゴクンと飲み込んだ。ガブッ、と続けて実を齧る。
「ローゼねえも、かかさまも遅いよ!明日からラヴィヴィを食べられなくなるんだから、今日は好きに食べたいんだ!」
「ジュリアーノは普通のご飯を食べ始めたの?」
ローゼリアは、マーガレットが引いた椅子に座りながら尋ねた。
子供用の椅子ではなく、大人用の椅子だ。高さを調節するため、ボロボロのクッションが置かれている。子供用椅子には、膨らんだドレスのスカートが収まりきらないからだろう。
「ええ。本当は遅いくらいですもの。この宴から、皆と一緒に食事をすることになるでしょう。今日の正餐は、ジュリアーノの試験も兼ねているのです」
「ボクは、ず~っとラヴィヴィを食べていたかった!」
ぶすっとした表情を隠しもせず、ジュリアーノがフォークを振り回す。
ジュリアーノがずっとラヴィヴィを食べたいと思う気持ちはよくわかる。おそらくルミエール王国の子ども達全員の願いだろう。
ほんのり甘くて、とろけるように美味しい、ぷるぷるとした虹色の実。それが宿り木に生るラヴィヴィである。
ルミエール王国では、母乳の時期が終わった子に、離乳食の代わりにラヴィヴィを食べさせる。種もなく、水分が多く、乳幼児に必要な栄養がたっぷり詰まっているという。
そして、不思議なことにラヴィヴィは、実を必要とする子の数だけ生る。朝昼晩と、1つずつ。なぜか1つで十分お腹が満ち足りるのだ。
そして、1歳半から2歳くらいになると、徐々にその子の分の実がならなくなり、子は普通の食事をとり始める。
ジュリアーノはもうすぐ2歳になるので、随分長い間実が生り続けたものだ。
「前菜でございます」
給仕の声がして、ワゴンがテーブルの側で止まった。
銀器の上には、何も載っていない。
マーガレットが流れるような動きで、空の銀器をローゼリアの前に置いた。
全員の皿が置かれたのを見届けてから、エレンディーネがカトラリーを手に取る。美しい仕草で、何も刺さっていないフォークを口に運び、にっこりと微笑んだ。
ローゼリアもカトラリーを手に取って、空の皿の上で、音を立てないように動かす。ぱくり、と霞を食べた。
ジュリアーノはラヴィヴィを食べ終わり、おざなりにフォークで銀器を突いている。
「スープでございます」
次の銀器に入ったスープは、本物だ。
テーブルの真ん中に出されたパンの入ったバゲットは空なので、塩パンで味をつけることはできない。
スプーンを使って、音を立てずにいただく。
続けて霞の魚料理。口直しの霞のシャーベット。
肉料理の皿は料理が載っていた。
今朝届けられた1辺5センチほどの焼きたて塩パン。ステーキがわりだ。
「か、固いですね····」
ルミエール王国の塩パンは、焼きたてはなんとか切り分けられるくらいの固さだ。ただし、テーブルナイフとフォークで簡単に切れる固さではない。
銀器を傷付けず、音を立てず....ローゼリアはナイフを押さえている指が痛くなってきた。
「もうこのままでいい!·····うわ!?なんだコレ!み、水っ!?」
いち早く切ることを諦めたジュリアーノがパンを一口で食べようとして、悲鳴をあげた。側仕えが持ってきた水を一息に飲み干してお代わりを要求している。
-------------だって、塩パンだもん。
ルミエール王国の塩パンは、そのまま食べるには塩辛すぎる。あくまで、スープにふやかして美味しいパンなのだ。
「デザートの前にチーズをお持ちいたしましょうか?」
「今日は結構ですわ」
エレンディーネが断ると、給仕は一礼してデザートのワゴンを運んで来た。
もちろん、チーズもデザートも、霞である。
ただし、ローゼリアの部屋とちがい本物のハーブティーが出た。色も出ないほど薄いハーブティーだったが、ローゼリアが今まで飲んだ中で一番美味しい飲み物だった。
大満足でにこにこしていると、ジュリアーノがブラブラさせていた足で、テーブルを蹴った。
「なんでローゼねえは、笑ってるの?こんなの、バカみたいだよ」
「ジュリアーノ、お行儀が悪いですよ」
「だって、こんなの、おかしい!」
ジュリアーノはナプキンをテーブルに投げつけると、椅子から飛び降りて部屋の外へ走って行ってしまった。慌てた近衛騎士が後を追いかける。
「ごめんなさいね。せっかくの正餐がだいなしになってしまったわ」
ため息をつくエレンディーネ。
ローゼリアはふるふると、顔を横に振った。
「帝国シエルの人は、毎日こんなご馳走を食べているの?」
「ええ、王族や貴族····裕福な平民は食べているでしょう。帝国シエルは、ルミエール王国と違い豊かな国ですから」
エレンディーネは、帝国とルミエールの食事の違いについて話し始めた。
ルミエール王家(城仕えの者)の食事は、ローゼリアもよく知っている。
朝餉はスープのみ。
昼餉はスープと塩パン。
晩餐はスープと塩パン。
晩餐が正餐なので、月に1回、晩餐にチーズか牛乳、卵が付く。
肉も手に入れば、晩餐に出る。
スープは味なし。豆か野菜が2~3切れ入っている。
対して帝国シエルの食事は多く、平均的に1日5回だ。
朝餉が2回。
昼餉が正餐。
午後のティータイム。
軽めの晩餐。
となっているらしい。
「そして、王族や貴族の女性は食事の度に服を着替えます。ローゼリアも、そのような慣習を身につけなくてはなりませんわ」
「そんなに着替えたら、お洗濯が大変ではないですか?生地が傷んでしまって、早くダメになってしまいませんか?」
そもそも繕った服を、同じような繕った服に着替えるだけだ。なんの意味があるのか、ローゼリアには、さっぱりわからなかった。
「ジュリアーノの言うとおり、なんだかおかしな気がします」
「帝国とルミエール王国の違いを理解するには、ローゼリアはまだ小さすぎるのかもしれませんね」
エレンディーネは困ったように微笑んだ。「ずっと小さなわたくしのローゼリアでいさせてあげたかった····」と呟く。
「かかさま?」
「いいえ、·····ローゼリアに見せたいものがあるのです」
エレンディーネはハーブティーを一口啜ると、側仕えを呼んだ。
予め申し付けてあったのか、すぐに金細工の箱を捧げ持った側仕えが現れる。
「かかさま、これは?」
美しい箱に眸を輝かせていると、エレンディーネの指示で蓋がゆっくりと開けられた。
中にはキラキラと輝くサークレットが入っていた。細い金と銀の枝が絡み合い、虹色の宝石が房の様に垂れ下がっている。宿り木とラヴィヴィを模しているのかもしれない。
「これは太古の昔、妖精が作ったといわれるサークレット。王家の宝として、わたくしが受け継いだものです。·······3歳の誕生日のお祝いに、ローゼリアに譲ります」
「えっっ!ど、どうして?」
ローゼリアは目を見開いた。
美しいものは大好きだが、このサークレットは高いものなのではないだろうか?宴で着けるのも震えそうなのに、自分のものになるとか、怖すぎる。
「今回の宴には帝国シエルの方が来られるでしょう?昼食を正餐として宴を行うのもそのため。全てシエル風にするのです。ローゼリアもこのサークレットをつけて、美しく装うとよいわ」
「あの、終わったら、かかさまに返します!」
「これはいずれローゼリアの物になるもの。よい機会です。早めに譲りましょう」
ローゼリアはうるうると眸を潤ませた。
欲しくないけれど、もらうしかない。
「ありがとう存じます······」
「まぁ、涙が出るほど感激されたのですね。そのような時は、扇で顔を隠すのです。感情を見られないようになさいませ」
「はい····」
マーガレットに促され、扇子を開いて顔を隠す。
できることなら、このまま宴に出ずに隠れていたい、と思いながら....。
やっと誕生日に近づいてきました···