まほうつかいをたおせ
ここは、おとなのひとによんでもらってね。
この物語は子供達に直接読んでもらえるよう、童話風に修正した物です。
大人の方には、《ミツルの守護者ハル》オリジナル版の方から読む事をお勧めします。
みんなが楽しめる物語になる様に努めます。
1999ねん、12がつ24にち。
よいこのみんながゆめのなかで、サンタさんがプレゼントをもってきてくれるのをたのしみにしている、クリスマス・イヴのよるのおはなし。
あるきょうかいのおへやで、おとなのかいわをしているふたりがいました。
「……ほんとうにだいしょうぶなのか? こんなものので?」
おとこのひとは、“えたいのしれないなぞのそうち„をゆびさしながら、おんなのひとにたずねます。
「わたしをうたがっているのか?」
おんなのひとのへんじはこれだけでした。
「あたりまえだろ。こんなオカルトまがいなじっけんなんか、まともなおとなだったらだれもしんじないぜ?」
「そうだな。だがこれがなければけいかいのつよい“あいつ„にはちかずくことさえできないぞ。たとえちかずけたとしても、“まほう„をしらないおまえではてもあしもだせずにおわるぞ。そのことはビデオをみせながらせつめいしたよな?」
「……」
おんなのひとのいうとおり、おとこのひとはビデオをみていました。
「たしかにそうだ。なんどもみたぜ」
そのビデオにうつっていたのは、もりのなかでぶきをもったたくさんのひとにかこまれたしゅうどうしのおじいさんでした。
そのおじいさんがじゅもんをとなえると、まわりのきやくさががとつぜんかれはじめ、ぶきをもったひとびとももりのどうぶつたちもそのばにたおれてうごかなくなったのです。
そのえいぞうをみて、なにがおこったのかわからなかったおとこのひとに、おんなのひとがそれを“まほう„であるとおしえてあげたことで、おとこのひとはまほうがあることをしりました。
「ま、ちゃんとわかってるよ。いまのはたんなるおれにまだ“じょうしき„があるかのかくにんだ。しごとがら、げんじつとひげんじつ、しごととプライベートはしっかりわけないといけないからな。それはおれのせんばいとっきょだ」
このせかいは“じょうしき„だけではかたれない、かれはそのことをおおくけいけんしているのでした。
「なら、はじめるぞ」
こんかいのかれのにんむも、みなさんがしるじょうしきだけではかたられません。
「おう、こういうことはべつにはじめてじゃねえんだ。じゃねえとおれはなんどもしんでることになるからな——」
こうしておとこの、すべてをだますいのちがけのたたかいがまくをあけます。
“きみたち„も、だまされないようにきをつけてください——。
《みつるのしゅごしゃ ハル》
みなさん、どうでしたか?
まだまだつづきますが、いつになるかはわかりません。
もしかしたらそのときにはもうおとなになってるかもしれないので、そのときはおとなむけをぜひよんでみてください。
おとなだからわかるよさがみつかるとおもいます。