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◎All Quiet on the girl front◎
私、青実ユイは、生まれた頃からの軍人だ。
軍人の家庭に生まれ、何れクオリア皇国の主たる軍人としての地位を期待されている人間、というわけです。
……柄では無いのですが、新米のキャリア指揮官という肩書きを持っているのは確かです。つまり、エリート。
だが、自分がそのような大層な肩書を背負っているという実感が湧いたことはない。むしろ、その肩書は自分にとって重苦しいくらいで、今までそのプレッシャーを疎ましく感じたことは何度も。
そして、そのエリートたる私はこの度研修の一環としてクオリア皇国から同盟国のここアシェンプテル支部、通称少女戦線砦に配属されることになったのですが……。
「うぅ……」
これから部下になる人たちの視線がとても痛い……。目の前の配属された部隊の構成員四名がどう見方を変えても友好な視線とはとることが出来ないような目でこちらを見ている。
レンガ造りのお城の様なこの砦を見て浮き足立っている内地でぬくぬくと暮らしてきた将校めという視線を感じる。
石の床が返す堅い感触が軍靴越しに伝わってきて足が痛くなる。
ここの砦の軍服は茶色のもので統一されていて、私もそれを着ているのだが、襟が少し固くて、違和感を覚える。
「よ、よろしくお願いしますっ! クオリア皇国からこの国の実地研修として配属された青実ユイです。ここでは暫定的に少尉として皆さんの指揮官として働かせていただくことになりました!」
プレッシャーに負けじと生まれもった自慢の大声を目の前の四人の少女(とはいっても私と同じくらいの年なのですが)に向けて張り上げる。
私の喉がこの国に来て始めて気持ちよく大きく震えた。
「アん?」しかし、鋭い視線とドスの効いた声がいきなり私を襲った。
目の前に座っていた赤髪の女の子がいきなり立ち上がって私の胸ぐらを掴む。
緋色の瞳が私を覗く。
彼女のストレートの赤髪は所々が僅かに痛んでいるようにボサボサだった。しかし、そうでない部分は燃えるように艶々しく輝いていたせいで私は少しだけ目を奪われた。
少し煤で汚れてはいるが整った顔立ちだ。綺麗にすれば、小国のお姫様と言われても信じてしまうほど、細い鼻をしていた。
軍服の胸元を大胆に開けていて、そこからは大きな胸が伺えた。やたらと扇情的だが、色気は無く、暑いからそうしているように見えた。
ふと、彼女から風雨に幾度も晒されて疲労した鉄錆の臭いと、微かな____緊張して五感が敏感になっていないと気づかないような、本当に微かな柑橘系の香水の匂いが私の鼻を刺激してきた。
しかし、ギロリとした鋭い目が鋭すぎる。……怖すぎる、誰だ? お姫様とか言った奴。というかなぜ私は初日から部下になるはずの人間に胸ぐらを掴まれているのだろうか。
「てめえが新しい将校か?」
「は、……はい」
「チッ、どこの国だかわかんねえ、内地のボンボンがアタシ達の上司かよ。畜生が」
「よ、よろしくお願いいたします……」
胸ぐらを掴まれて狭まっている小さい首の稼働域をフルに利用して頭を下げる。
しかし、赤い髪の女の子は眉一つ動かさなかった。
それから不意に、掴んでいた私の胸ぐらを放した。
「かーっ! マージで頼り無さそうなこんな生娘が今度の私の上官かよ! やってらんねえ! 全く。こんな奴が何日持つんだか! おい、てめえ! お前が私の上官だあ?」
大きな声を張り上げた後に、舌打ちをされた。
「は、はい? そうですが」
ずい、と彼女が更に私に体を寄せる。
「いいか? 最近はなりをひそめちまったが一度起こっちまえばギイマが初めて発見された、古い巣のあるここいらでの戦闘は内地の比じゃねえ。人の命は、消耗品だ。そこの所分かってて来たんだろうなあ!? ボンボン様よお? てめえの命はてめえで守れ。私はアズィリア・アンジュ。私はやることあるから、もう出てくぜ? じゃあな、くっく。いつまで持つか楽しみだぜ」
そういってアンジュと名乗った彼女は呆然とする私に構わないで出口から出ていこうとした。どうやら上官である私を脅すためだけにこの場に居たようだった。
彼女は部屋から出ていこうとして、ふと立ち止まった。
そしてドアの隣に置いてあった、縁に雑巾がかけられていた水の入っていたバケツを蹴り飛ばした。
バケツは力なく倒れ石の床は水浸しになる。
それから、こちらをじろりと睨んだ。視線は私ではなく私の前に座っている残り三人のうちの一人に向けられていた。視線の先に居た茶髪の少女がビクリ! と体を跳ねさせた。
「おいカレハ! てめえ、またバケツを出しっぱなしじゃねえか、掃除すらロクなスピードで終わらせれねえのか、この無能が、ノロマが! 役に立たねえゴミはさっさと死んじまえ!」
「はいぃ……!」
目の前の茶髪の女の子が脅えるようにブルブルと震えていた。彼女は俯いていて、すいません、すいません、と呟きながら何回も何回も頭を下げていた。
少女を見て、怯えたずぶ濡れの溝鼠のイメージが私の脳裡に浮かんだ。
焦げた茶色の髪が肩まで垂れ下がっている。
前髪も少し目にかかっていて、見えにくそうだ。落ち着いた赤色の簪が頭の左端につけられていて、彼女が震える度にそれが揺れる。
「ったく、てめえみてえなグズのノロマはとっととやめちまえよ。ギイマ達にそのきしゃな体喰われねえ内に故郷に帰るか、さっさとギイマに食われちまえよカスが! てめえなんざ顔も見たくねえ!」
「ひいっ!」
銅鑼を思いっきり叩いたような大声の罵声が飛んできて、目の前の少女は身を小さくしてまたぶるぶると震えた。
アンジュさんは扉を手荒く閉めて怒ってどこかに出ていってしまった。私は手元の資料に目をやった。経歴、服装、写真、いずれをとっても目の前の茶髪の少女がオルバウム・カレハであることを指し示していた。私は何時までも震えているカレハさんが気の毒に思えた。
「カレハさん」
私が声をかけるとカレハさんは何かに怯えたようにまたビクッと体を震わせて、そして私の姿を確認すると深いため息とともに安堵の色をその顔に浮かべた。しかし、すぐ表情を曇らせた。
「は、はわわ。すいません。ごめんなさい、ごめんなさい。今すぐ掃除にとりかかります。ごめんなさい、すぐやりますから!」
「いや、今すぐでなくても構いません、それよりも……これから、よろしくおねがいしますね」
「……あの……、すいませんっ!」
カレハさんは私の言葉が聞こえないのか、またさっと立って今ぶちまけられたバケツの方へと行ってしまった。
私は既に、これはとんでもないことになってしまった……という気持ちを出来る限り思わないようにという方向で、ため息を漏らさないようにしていた。
アンジュさんも、カレハさんも目の前から居なくなってしまった。着任の自己紹介だけで二人出ていくとは私の中で前代未聞だ。まあ、しかし、まだ二人も目の前に座っているではないかと、そう思うことにした。この二人からまずは自分を認めてもらおう。手元の資料に目をやった。金髪の女の子の写真が目に入った。
「えーと、貴女がイリスさんですか」
目の前の二人から該当するほうに目をやった。大理石を思わせる真白の肌に星のようにキラキラ光る金髪だ。太ももがすらりとしているにも関わらず肉付きが良く一種の彫刻作品のようにスタイルのバランスが良い。
先程から二番目に行儀よく座っていたので、この人は大丈夫そうだ。
「あの、イリスさん……?」
……という気持ちは私が呼び掛けても全く何の反応も示さない行為によって打ち砕かれていた。返事がない。
「あのー、イリスさん? 貴女がイリスさんですよね? この度この戦線、アシェンプテル砦に配属されることになった青実ユイです。よろしくお願いいたします」
私は出来る限りの笑顔を作ってイリスさんに話しかけた。
そう言って初めてイリスさんはこちらを向いた。でも何故か凄い怒っているように見えた。
「イリス・マリーゴルドですわ。ユイさん。あまり上から目線で言葉を話さないでくださります? 不愉快ですわ」
「え? あの」
「物理的に上からだとしても最悪だと言っているのですわ! ……そんなことも分からないのならばわたくしに話しかけないでくださります?」
イリスさんはそっぽを向いた。
私のあらんかぎりの笑顔は凍った。
次。
イリスさんの隣で静かに座っている最後の女の子の方を見る。私と同じ黒髪だ。顔立ちも私と同じ人種の匂いがした。だから私と同じクオリア皇国の出身かと思ったが資料を見るとどうもそうではないらしい。レミリア連邦出身か。
ハーフか、親が移住したのか。それは分からない。
資料の名前の欄に目を通す。
ツバキ・リオナ。名前はクオリア皇国っぽいのだが。やはりクオリアからのレミリア連邦への移民だろうか。
私はダメ元でリオナさんに話しかけた。
「あ、あのー」
リオナさんはよくよく考えれば私がここに立ってからずっと目を瞑っていた。
窓から入った風が黒髪がたなびいた。たなびくのはいいが、おーい答えてくれー返事をくれー。……どうやら瞑想しているらしい。
「あのーすいませんー。私、クオリア皇国の方から来たー、青実ユイと言うものなんですけどー……へぶぼっ!」
近くに寄ったら目を瞑ったまま殴られた。顎にクリーンヒット。それほど痛くは無いと強がりたいところである。しかし痛い。
そしてリオナさんの指がゆっくりと動いて出口を指した。どうやら私が瞑想の邪魔だから出ていけと言われているらしい。
……前途多難である。そして、意味不明だ。