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フランケンシュタインの怪物

作者: つぐみ

フランケンシュタインの怪物


それは、徒に造られた命だった。

彼は、幾多の生命と同じように、望んで生まれて来たわけではない。

けれど彼は、幾多の生命と同じように、望まれてこの世に生を受けた。

生まれ落ちた、その瞬間までは。


ーーなんと醜い。


彼を見て、誰かが言った。


ーーなんと恐ろしいものを造ってしまったのだ。

ーーこれは神に背いた罰なのではないか。

ーー醜い。

ーー恐ろしい。

ーーまるで怪物ではないか。

ーーあぁ、そうだ。まるで


「ーーまるで、フランケンシュタインじゃないか。そう、言っていたな」

「よく、覚えているわね」

「記憶、という作業は得意なんだ」


そう言って、仮面の男はコーヒーを飲む。

仮面からわずかに覗く口唇から顎にかけて、醜いケロイドが見えた。

白衣の女は呆れを含んだ目を彼に向けた。

本が所狭しと積み上げられ、パソコンが肩身を狭くして床に置かれている。

そんな、どこかレトロな空間に漂う、コーヒーと古い本の匂い。


「お前に苦手な作業はがあるとは思えないけど」

「あるさ。沢山」

「へぇ」


女は、気の無い返事を返す。


「俺はお前より上手く、コーヒーを淹れられない」

「あっそ」


その世辞こそ、「できる」者の言葉ではないだろうか。


「そういえば、フランツ」

「なんだ?」

「フランケンシュタインの怪物をこの前読んだのだけれどね」

「あぁ。メアリー・シェリーか」

「そうそう。フランケンシュタインの怪物って、本当は名前が無いのね」

「あぁ。フランケンシュタインという男が造った怪物。作中に名は出てこなかったな」


この男は、女が最近手に入れた知識を、すでに得ていた。まぁ、よくあることだ。


「なんか、笑っちゃうわ」

「何がだ」

「私のお祖父様。お前の創造主たちの1人。あんなにも天才と言われた人も、そんな簡単なミスを犯すのね」

「私の名の話か」

「そう」


フランケンシュタインーーそれが仮面の男の名。

数十年前、彼は禁忌の実験によって造られ、そして捨てられた。

あまりの醜さに、彼はその名を与えられた。

創造主達から与えられた唯一のものである。


「フランケンシュタイン。そう呼ばれるべきは自分たちだったというのに」

「そう、差異はない。今では怪物をフランケンシュタインと呼んでいる書物はよくある」


名、という記号に、彼はそう興味を持ってはいないようだった。


「フランツ、というあだ名もあるしな」

「あっそ」


彼は物語の怪物のように、強靭な肉体を持ち、高い知能を持っていた。

それゆえ、彼を破棄しようとした創造主達の願いは叶わず、創造主達が天寿を全うした後も、彼は平穏に時を生きていた。


「私の名を呼んでくれたのは、お前の祖父と、お前だけだ」


彼女の祖父は、長い年月の後、彼を引き取った。贖罪のつもりだったのだろう。

そうして、彼女は彼と出会い、長いという理由で彼に新たな名をつける。


「名すらつけてもらえなかったフランケンシュタインの怪物からすれば、私は幸せ者だな」


二つも名がある。そう言って、彼は冷めたコーヒーをすする。


「本当はね、フランツ」


女は目を伏せる。


「もう一つ、贈り物をしたかったのだけれど」

「あぁ」

「間に合いそうにないの」


物語の中の怪物は、生みの親に一つ、願ったことがあった。

それは決して叶えられることはなかった。

この現実のにおいても。


「あぁ」


怪物は、孤独な己に、伴侶を願った。

その醜さゆえ迫害され、強靭な身体ゆえに死ぬことも許されない。

ならば、生涯を共にする伴侶が欲しい。


「私が死ねば、お前は1人になってしまう」

「そうだな」

「だから、せめて伴侶を、と…思ったのだけれど」


かつて祖父達の行なった実験の踏襲。それが女の選択だった。

けれど。


「間に合わなくて、ごめんね」


完成を前に、時間が来てしまった。

彼女の、時間が。


「いいんだ」


男はゆるく首を振る。


「いいんだ」


カップを近くの本の上に置いた。

中身はもうない。

これで飲み納めだろう彼女の淹れたコーヒー。


そして


「代わりに、名前を呼んでくれないか」


聞納めになる、自らの名。

彼女以外、誰も呼ばない。


「…フランケンシュタイン。…フランツ」

「あぁ」


苦手なことがある。

こんなにも悲しいのに、彼の目は、雫をこぼさない。

ーーいっそ、泣いてしまえたら。

逝くなと、泣きわめくことができたなら。


「ねぇ、フランツ…ーー」


そうして、彼女は目を閉じた。もう、開くことはない。


苦手なことがある。


ーー私のこと、忘れてね


最後に彼女は言った。


「苦手なことが、あると言っただろう…」


声を覚えている。彼を呼ぶ声。

コーヒーの味も匂いも。

飄々とした彼女はの表情。

似合わない白衣姿。


忘れられるわけがない。


長い時の間、彼女を、彼女の祖父を、失った悲しみを抱えて生きねばならないのならーー




ーーフランケンシュタインの怪物は、北の地で自らを燃やすと言って、姿を消した。

彼の消息を知るものはいないーー

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