1.オペレーター「アイ」
面接の日の翌日、早速とばかりに荷物をまとめてアクーの事務所に訪れた俺を待っていたのは、先日の試験官だった。
アクーは社員寮まで完備しているらしく、下宿を引き払ってこうしてやってきたのだ。
元より私物は然して多くはないし、肩に担いだ荷物も、自分にとっては軽いものだった。
「改めまして、オペレーターを務めさせていただいております。コードネーム、アイと申します」
「はぁ。本名じゃ、ないんですね」
思わず、そんな間の抜けた声を返してしまう。
正義のヒーローを気取っていた自分が言えた様ではないが、小っ恥ずかしいとは思わないのだろうか。
軽く髪を茶色に染めて、落ち着いた雰囲気を醸し出す彼女はもういい大人だろう。
しかし、それに対しては何ら思う所はないらしく、彼女は言を重ねた。
「本名だといろいろと不都合がありますから。そうですね、あなたも何か決めていただけると。あっ、後で変えることもできますので!」
いきなりそう言われても困る。という事はその実なかった。
かつて対峙したアクーの幹部らは珍妙なコードネームを持っていたし、部外秘の資料にはその一覧もあった。
「では、ダークで」
「ダークさん、ですね。畏まりました。後ほど登録しておきます」
別にダークヒーローを名乗るつもりはない。
適当に悪の秘密結社と言えば暗い、というイメージからつけただけだ。
ついでに言えば、スコットランド人の用いた鍔無しの短剣にダークというものがある。
「お荷物、こちらでお預かりしますね。イエスマン!」
「イェス!」
彼女、アイが声を上げると、何処からともなく全身黒タイツにしゃれこうべを模した仮面を付けた者が現れた。
調子外れの声はとても正気とは思えないもので、その姿も幾度か見た覚えのあるものだ。
彼……彼女? は俺の荷物を持って、後ろに付いてきた。
「我らアクーが誇る戦闘員、イエスマンです……って、ダークさんはご存知ですよね」
「何度か見たことはある。しかし……」
俺に恨みでも持っていないだろうか。アクーの幹部級を討ち取ったことはないが、戦闘員は何人か片付けた覚えがある。
毎回、回収されて見つからないから詳しくは解らなかったが、彼らも改造人間であると思われていた。
「ああ、彼らは人造人間ですから。感情にはリミッターがかかっています」
「イェス」
さらっとアイが言うが、それはどうなのか。しかし、道徳いかんの事はいまさらの話なので、忘れることにした。
「とはいえ、生き物ですから、優しくしてくださいね? ね、千三百一号?」
「イェス……」
「あ、ああ。何と言うか、すまなかったな?」
釈然としない気持ちだがさておき、事務所の裏にあるダストシュート……風の滑り台に飛び乗る。
本棚を少し弄ったと思えば、機械音と共に開いた隠し扉に、不覚にも心が少し躍った。
ダストシュートのトンネルを抜けると、そこは雑草の生えたグラウンドだった。
「廃校……?」
「を、元にした本部です」
後ろを振り返ればビルの裏手に窓はなく、そんな建物に四方を囲まれて日が差さないそこは、忘れられて久しい廃校だった。
こっちです、という声に従ってついていけば、校舎棟の脇に建てられた、アパート風の建物、見方によっては部室棟に見えるそれに辿り着く。
「ここが社員寮です。幹部には個室が与えられますので、ダークさんも個室ですね」
その廊下は綺麗、とは口を滑らせても言えない様子だが、さりとて汚いというほどではない。
「イェス!」
そう言って敬礼して見せた、後ろに従ったのとは別の戦闘員は、片手に箒と塵取りを持っていた。
「こちらの部屋なのですが……えーっと、がっかりしないでくださいね?」
開けられた扉の向こうにあったのは、四畳一間の部屋だった。
畳敷きで、ちょっと古ぼけた電球が天井からつりさげられている。
「いや、十分だ。個室と言うだけでも悪くない」
「そうですか? それは良かった」
ほっとアイは胸をなでおろしたように見えた。
実際、防衛隊の頃は相部屋であったし、その前、教育隊のころなど六人部屋で、私的なスペースはベッドとロッカーだけだった。
それと比べれば、ずっと待遇は良い。それに、どうやら外出制限などというものもないようだし。
「お風呂トイレは共同で、掃除とかはイエスマン達がやっているので、幹部は気にせず使ってくださいね」
「幹部、幹部か」
前線で主に直接戦闘をしていた曹士であった自身からすると、不思議な気分になる。
雑事は兵卒に任せて、下士官として指揮を行っていたのも確かではあるが。
「イエスマン以外にも、幹部ではない隊員……構成員はいるのか?」
「はい。例えば私はオペレーターを務めさせていただいておりますが、平社員ということになります」
正確には無線オペレーターと言うらしい。
指示や状況を伝えるだけであって、彼女には戦闘員を指揮する権限はないらしい。
「えーっと、軍隊的に言うと、伍長? くらいに当たるらしくって、私の下にはイエスマン達がいますね」
「イエス」
私室に荷物を置いて、寮の設備の説明を受ける。
洗濯室、乾燥室、シャワー室にトイレ。実に一般的な施設がそろっている。何れもひと昔のものなのが気になったが。
娯楽室、と紹介されたところでは、畳の上でイエスマン達が寝転がって雑誌を読んだりなどしており、急に入ってきた上司に飛び上がるように敬礼をした。
黒タイツで骸骨仮面をつけた戦闘員の人間臭い態度に凄まじい違和感を感じる。何と言うか、ヒーローショーの舞台裏というか。
「ご期待に沿えましたでしょうか。少々古いですけれど、どうしても装備とかにお金がかかってしまって寮まで回らないのですよね」
恥じ入るように目を下に向けてアイは言う。
「そういえば、資金は何処から調達しているんだ?」
「勿論、アクーの活動で資金を調達することもありますが、メインはあのビルに入っている会社からの収益ですね」
「フロント企業みたいなものか?」
「あー、まぁ、そんな感じなのですけれど、どちらかと言うとそっちの方が本業というか……」
聞けば、アクーは数ある悪の秘密結社の中でも「クリーン」な組織だという。
悪の秘密結社に綺麗も汚いもあるのか、とは思うのだが。
さておき、そのような組織である以上、表立って収入を得るような活動ができるはずもなく、また、スポンサーも付きにくい。
当然だ。誰が好き好んで、犯罪者集団を支援するだろうか。結果、収益は公然とした仕事から得るものになる。
いわゆる「ダーティー」な組織であれば、企業や個人に雇われて、雇用主の利益のために他者を害する、という事もする。
利用するものが居るせいで悪の秘密結社はなくならない。というのは防衛隊の頃にも感じていたことだ。
どうして、と隊に居た頃は思ったものだが、暫く市井で暮らしてみてわかった。何処までも人間は汚いものだ。
こうしてそんな組織に進んで身を置く者に言えたことではないが。
「あら、昨日の新入りじゃない」
「あっ、バタフライさん、お疲れ様です」
「アイもお疲れ。新人のご案内? えーっと」
「ダーク、と名乗らせてもらっている」
寮の一室から出てきたのは、昨日も事務所で会った黒ボンテージの女性だ。
バタフライ、というのが彼女の通称……コードネームなのだろう。
見れば、顔の半分しか隠れていないような仮面は蝶をかたどっているように見えなくもなかった。
緩やかにウェーブを描いた髪は黒く、唇には真っ赤なルージュ。仮面から覗く目元にはアイシャドウがくっきりと。
何と言うか、いつ頃流行った化粧だろうか。というか、平時からその格好なのか。突っ込んだら負けだろうか。
「ダーク、ね。アクー幹部のバタフライよ。ブレインから指導するように言われているから、暫くよろしく」
「ブレイン……?」
「あ、ダークさんはまだ首領には会ってないです」
「そうなの? ま、そのうちわかるわ」
また後でね、と去っていくバタフライだったが、やはりあの格好で普通にしゃべられると違和感がある。
「ダークさんの衣装も、そのうちスミスさんに作ってもらいますから期待していてくださいね」
「お、おう……」
バタフライの背中を追っていた視線に何を思ったのか、アイが見当違いなことを言ってくる。
スミス、間違いなく職工の意味合いだろう。俺もあんな格好をしなければいけないのだろうか。
「戦闘服は特殊繊維で作られていて、防刃、防弾性能と快適性を両立させた我が社の誇る装備ですよ」
「……その割に守っている面積が狭かった気がするのだけれど」
「個人の趣味です」
「は?」
「個人の趣味です」
「そうか……」
バタフライのそれは目のやり場に困るようなセクシー系だったのだが、個人の趣味と言うのだから仕方あるまい。
疑問符と共に傾いでいく自身の首を無理やり抑えつつ、何とか納得しようとする。
深く考えていたら多分、この先やっていけない。
そのあとは、兵器保管庫などの場所の案内を受けつつ、アクーの施設を巡るちょっとしたツアーである。
兵器とはいえ、個人携行の火器が精々であり、作戦指揮所と銘打った場所は、古式ゆかしい紙の地図の置かれた事務室だ。
正面戦争を意図した軍隊ではないとはいえ、少々寂しさを感じる。
「さて、荷物も置いて、施設もざっと説明したところで、早速ですが、我らが首領にお目通り願いましょう」
「先ほども言っていたが、首領とは何者なんだ?」
「首領は……いえ、百聞は一見に如かず、といったところでしょうか」
学校の廊下を歩きながら言葉を交わす。
窓には木板が打ち付けられており、外の様子を眺めることは能わない。まさに廃校のそれである。
「ここです」
という彼女が手を当てたのは廊下の半ばにある壁であり、切れ目一つ見えないそこは音もなく左右に割れ、大穴が開いた。
一体、どこに予算を使っているのだか。そう言いたくもなる仕掛けである。
どこまで続いているものか、その穴からは長い階段が覗いていた。
「足元に気を付けてくださいねー?」
「ああ、問題ない」
幸い、夜目は効く。効くようになっている。
ひんやりと薄暗い階段は、おそらく、地下まで続いているだろう。
これほどまでに深く作るというのは、爆撃を恐れたものか、それとも電波を隔離するためか。
ようやく階段も終わった。と思えば、ご丁寧に方向感覚を狂わせるための迷宮構造が待っている。
入り口と出口で識別カードと静脈認証まである。こんなものを見たのは、情報部に顔を出した時以来だろうか。
さらに地下を歩いてしばらく。ようやく目当ての部屋についたようで、アイは立ち止まって鉄扉の横のインターホンに声をかける。
「アイです。ブレイン、新任のダークさんをお連れしました」
一つではない、開錠の重々しい音が幾つも響いて、ようやく扉が開かれる。
「これは……」
そこで俺を迎えたのは、白いシーツに包まるようにして眠る一人の少女と、無機質にこちらを見る巨大なカメラ。
そして、幾つかの、機械のアームに保持された軽機関銃の銃口だった。




