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赤い実  作者: 夏瓜 竹海
6/8

6(悪いってなに?)

 中からどろりとしたものが溢れ出た。それは生暖かく、苦味があって──、

「げはッ」嘔吐いた。


 毒。飲み込めず、吐き出せず、舌の上からこぼれ、口の端からぬるりと出た。袖で拭った。鮮かな紅赤は、直ぐに赤銅色の染みになった。


「亜希子さん!?」不意に名を呼ばれ驚いた。ジャグが手から離れて床に転がっていた。


 黒い水たまりは、強くむせ返るような熱気と匂いを撒き散らしていた。


「大丈夫ですか!?」小枝子が駆け寄ってきた。


「やめてよ!」

 差し出された手を反射的に払っていた。「触らないで!」口から赤い汁が飛び散った。


「でも、火傷──、」


「問題ない!」


「お姉ちゃん、」


 美紗子の声に父の声が被った。「亜希子!」


「怪我してないよ! どこも痛くないよ!」


「そうですか」安堵したように小枝子は静かに下がった。「良かった、無事で」


「あたし、タオル取ってくる」美紗子がリビングを出ていった。


「亜希子、」父が云った。「その態度はどうなんだ」


「ちょっと、今は」


 小枝子の言葉は聞こえてないようだった。父は云い募った。「親切にされて当り前だと思うんじゃない」


「そんなこと、分かってる」亜希子は父親を睨んだ。


「分かっているなら、尚悪い」


「悪い? 悪いってなに? わたしが悪いって?」


「亜希子さん──、」


 膨らむ腹に手を当てる女が、ひどく気に障った。「どっちが悪いのさ? 何が悪いのさ?」


「亜希子さ──、」


「何度も何度も名前を呼ぶな!」亜希子は怒鳴った。「気持ち悪いよ、お腹にエイリアン飼ってさ!」


 父が怒鳴った。「亜希子!」


「お父さんも、なんで我慢できないの? 説教出来る立場か、パンツぐらい履いとけ! 鼻の下伸ばしてホイホイ脱ぐな!」


 さっと小枝子が手を上げた。

 流れるように頬を張った。

 パンッと音がした。

 カッと頬が熱くなった。

 世界が止ったようだった。


「ごめんなさい」

 小枝子は静かに口を開いた。「私が浅慮で浅薄なのは事実です。認めます。学もありませんし、結婚も一度、失敗してます。でも、私も人間です」


「だから何よ!」憤怒に駆られ、亜希子は続けた。「赤の他人に云われたくない!」


「赤の他人なら云わない!」


 間髪入れずに小枝子が返す。その気迫に気押されかけたが、ぐっと踏みしめ、「偉そうに!」吐き捨てた。


 亜希子は女の肩をぐいと押した。

 あ、と小枝子がよろめいた。

 父が駆け寄る前に、タオルを持った妹が彼女を支えた。


「亜希子」父が相当我慢してるのが分かった。「部屋に戻ってなさい」


「言われなくても!」


「まだ終わってません!」


「小枝子──」


「黙っててください!」父の言葉を遮り、小枝子が叫ぶ。「ちょっと! 待ちなさい!」


 知るか! ここはわたしの家で、追い出したのは他ならぬ、お前だ!

 二階に駆け登って(待ちなさい!)、自室に飛び込み(直ぐ背後から声がする)、明かりも点けずにドアを押さえた。


「開けなさい!」


 ドンドンとドアが叩かれる。ガチャガチャとノブが廻される。

 亜希子は力の限りノブを引っ張る。

 何故、ドアに鍵がない!


「開けなさい! ──開けなさい!」


「いーやーだ!」


   *


「騒がしいですね」

 八重子さんが云った。「人間は、無視されるか、図星を指された時に怒るそうですよ」


「わたしが!?」


 ドアの向うが叩かれる。

 ガンガンと絶え間なく叩かれる。


「誰がとは云いません」いつもと変わらず、八重子さんは静かに続ける。「が、お嬢さまが図星なのは分かりますね」


「そうだよ! ああそうですよ!」


「そうです」


 八重子さんは少し笑った。「無視されたのは、あの人の方ですから」


   *


 ドアがはじけた。木っ端が散った。ドアノブはだらりと死んだ犬の舌のように垂れ下がっている。


「マジで後妻の鬼ババアじゃん!」


 勢いに押され、亜希子は尻餅をついた。

 廊下の反対に背をつけた小枝子がドアを蹴り壊した。

 右足はまだ高くあり、丈の長いワンピースの裾が膝で突っ張っていた。


「あなたも相当な継子ですよ!」


 見上げた小枝子は幾倍にも大きく見えた。


「どうせお金目当てでしょ!」


「ええ、そうですよ!」小枝子が、ずかすかと部屋に入ってきた。「満足ですかッ!」


「認めた!? 信じらんない!」


「本当にお金に困った事のない小娘風情に何が分かる!」

 立ち上がれないでいる亜希子に掴みかかってきた。躱し損ねて襟ぐりを取られた。


「分かりたくもないよ!」


 亜希子もまた、小枝子の襟を掴んだ。ぐいと身体が引っ張られた。顔と顔がぶつかるほど近づく。


「当り前でしょうが!」小枝子が怒鳴る。「親なら子供にお金の心配なんかして欲しくないに決まってる! 子供を思って何が悪い!?」


「だったらあたしはどうなのさ、あたしの気持ちはどうなるのさ!」


「自己憐憫なんて毒でしかない!」


 ぐ、と亜希子は言葉に詰る。

「決めつけないでよ!」怒りが爆発した。

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