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赤い実  作者: 夏瓜 竹海
4/8

4(帰ってきて)


   *


 変なカレンダーの所為で、終業式は週明けに繰り越された。

 二学期最後の休日、亜希子は、昼過ぎに父たちが出かけたのを窓越しに見た。


 古くて広い家の中を、何と無しにうろうろしていたら、「どうされました?」八重子さんに捕まった。「九郎が──弟が何かしましたか」


「ううん」首を横に振った。「何も」何もされてはいない。


 ならよいのですが、と彼女は渋い顔をした。

「お嬢さま」八重子さんは云った。「軽はずみな真似はしないでください。良くないことは、往々にして跳ね返るもので、」


「ねぇ、八重子さん」


「はい?」


うちから出て行くの?」


 すると彼女は、アア、とばかりに嘆息した。「九郎ですね」


 嘘をつく事でもない。首肯した。


「決めあぐねております」


 否定してくれなかったことに、落胆した。


 八重子さんは続けた。「もちろん私が決めることではありませんが、先代さまがお亡くなりになり、お嬢さまも中学生になりましたので──、」


「美紗子は小学生だよ」


「お嬢さまは、お姉ちゃんですから」


 にこっと八重子さんは笑った。

 変な理屈だと思った。「ずっと居てくれないの?」


「お嬢さま」

 八重子さんは姿勢が良くて、背が高くて、所作が綺麗で、かっこいいと亜希子は常々思っている。

「申し訳ありません」頭を下げた。


「うん」亜希子は云った。「うん、無理を云ってごめんなさい」いたたまれなくなった。「あっち行って来る」


「はい」


 見送られて母屋を出た。


   *


 離れには妹がひとりでいた。

 リビングのソファーに浅く腰掛け、録り溜めていたアニメを見ていた。


「クラブは?」ダイニングテーブルの椅子を引きながら訊ねた。


「お休み」妹はリモコンの一時停止ボタンを押した。「どうかしたの?」


「冬休みの課題を整理してたら、こっちに置きっぱなし分も必要みたいだった」


 えー、と妹は顔をしかめた。「中学校、大変」やだなー。宿題やだなー。


「そうね」


 自分の家だった筈なのに、忍び込んだみたいで、椅子に降ろした腰が落ち着かない。

 壁に掛かった時計がとうるさい。キッチンの冷蔵庫がうるさい。テレビ台の録画機器がうるさい。


 姉と妹は息を殺し、何かを待つかのようだった。

 先に動いたのは妹だった。


「ねぇ、お姉ちゃん」妹は座り直し、揃えた膝の上に手を置いた。「もう、終わりにしない?」


「何のこと?」


「全部」ぜんぶ。「帰ってきてよ」


 亜希子は視線をテレビに向けた。画面の中でアニメの女の子が手を振り上げたまま止っていた。


 背もたれに身体を預け、「そうね」亜希子は云う。「あんたは別に良いんだよね」


「そんなんじゃないよ」妹は両足を胸に引き寄せると、両手で抱えて卵のみたいに身体を丸めた。「良いとか悪いじゃなくて、そうしなきゃいけないんだよ」


「なんでさ? 良い子でいたいから? そりゃ、わたしが悪い子ならあんたは良い子でいられるよね。だったら問題ないじゃん」

 思いの他、嫌らしい物云いになって、自分でも驚いた。


「違うよ」妹はすん、と鼻を啜った。「悪いのは、お姉ちゃんじゃない。悪いのは、あたしの方」


 なんで、と云いかけて、口をつぐんだ。妹は今にも泣きそうで、でも一所懸命堪えているようで、痛々しかった。

 こんな小さかったっけ、この子。

 男子にまぎれてボールを追っかけ、砂ぼこりの中、駆けずり廻って、ぐんぐん背が伸び、追い抜かれたとばかり思っていたのに。

 みるみる目に涙が溜まり、ぽろりと、頬を伝い落ちた。

「お母さん、身体強くなかったんでしょ?」震え声。「あたしを産んで死んじゃったって事は、そう云うことでしょ?」

 決壊した。

 わぁっと、美紗子は声を上げて泣き出した。「あたしが、あたしの所為だから」

 顔を覆う両手の隙間から、涙と共に切れ切れの言葉がとめどなく溢れてこぼれた。

「あたしの所為なんだ、姉ちゃんが小枝子さんを許さないのも、」


「違うよ」否定し、安心させるつもりが、声はひどく弱く聞こえた。「そんなことないよ」


「じゃあ、なんで小枝子さんに意地悪するの?」

 妹は顔を上げ、真っ直ぐ視線をぶつけてきた。涙と洟でぐしゃぐしゃだった。


 酷い。本当に酷い。

 亜希子はティッシュを箱から立て続けに引き抜き、ソファの隣に座って妹に渡した。「美紗子は関係ないよ」


「本当?」


 洟をかみ、しゃくりあげる妹に、亜希子は頷いて見せた。

 なんて小さい子。

「あんたがそんな風に思ってたなんて、」亜希子は妹の肩に触れた。「かわいそうだよ」


「かわいそうだなんて思われたくない」妹は僅かに身体を離した。


「ねぇ、美紗子。わたしだってお母さんのこと、憶えてるわけじゃないよ」


「そうなの?」


「一歳ちょいだよ? 大差ないよ」


 すると美紗子は、少し考え、小さく「うん」小さく頷く。「うん、そうだね。なら、かわいそうなのはお姉ちゃんだよ」


「なんで?」


「小枝子さん、認めてあげてよ。お父さんも……赤ちゃんも、」


 父の苦労は知っている。分かっている。けれどもそれが免罪符になるわけがない。

 だから、「関係ない」


 今はそんな話をしたくなかった。しかし妹は「ううん」首を横に振り、「お姉ちゃんが、かわいそう」

 妹の手が姉に触れた。「分かってるんでしょ? 八重子さんなんて、いないんだよ?」


 知ってる。

 でも、見えないことと存在しないことは違う。

 分かってる。

 でも、それとこれとは別だ。


「お姉ちゃんが……かわいそうだよ」

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