3(毒)
*
余りものはタッパーに移し、冷蔵庫へ。
美紗子は後片付けも手伝ったあと、離れに戻っていった。
庭の方から、ちょうど父が帰ってきた気配があった。
あの子はもう一度晩ご飯を食べるのだ。
あの人と。あの人たちと。
母屋は静かだ。明かりも必要分しか点けていない。
予習も復習も、宿題もせずにコタツに入ってぼーっとしてると、黒尽くめがやって来た。
「退屈そうだねぇ」
目だけを相手に向けた。
「面白くないって顔してる」
また断わりもなくコタツに入って来た。
「面倒事背負い込んで猫背になってる」
ひひっと笑った。
嫌なヤツだと思った。
「八重子さんは?」と訊ねれば、「さて?」と、はぐらかした。
やっぱり嫌なヤツだ。
八重子さんの家族なら悪く思いたくなかった。
八重子さんの家族だから悪く思いたくなかった。
亜希子はますます背中を丸めて、顎を天板にくっつけた。「九郎さんって、何しに来たの?」
「姉さんを連れ戻しに」
黒尽くめはにこっと笑った。
「そうなんだ」何となく、分かっていた気がした。
顔を横にし、コタツに片頬をくっつけた。
「わたし、子供はキャベツ畑で拾って来るって知ってるよ。コウノトリがせっせと運んでくるでしょ」
「それは知らなかったなぁ」
「大人ってズルいよね」
「いやいや」黒尽くめは軽薄に首を横に振った。「いやいやいや。狡いんじゃないくて、大人はそう云うものなの」
それを含めてズルだと思ったが、亜希子は口をつぐんでいた。
「君たちは大人を買いかぶっている」黒尽くめは云った。「大人なんてちっとも立派なものじゃない。ただ図体がでっかくなっただけ。自然となるものじゃない。周りや環境に強要されてなっただけ。そのうち馴染んじゃって、なんとなくそれで普通になっただけ。結果、出来上がるのは歪んだ子供みたいなもの。大人を狡っ辛いと感じるのなら、それは間違いじゃなぁない。力もある。お金もある。勝手も出来るし、デタラメだしズルもする。気に入らなけりゃ放り投げるし、都合が悪けりゃ頬っ被りを決め込む。最悪だ」
話の流れが見えなくて、やはり亜希子は黙っていた。
「子供はね、逃げられない、と大人に云い包められているんだよ」
この黒尽くめは何を云いたいのだろう。
「残酷さなら子供が上だね。しがらみがない分、純粋で、無邪気で。大人は一応体面ってのがある。損得勘定。損益分岐。たいていは、それで踏み止まる。なのに子供は、境界をあっさり越えてくる。どちらが得かと云うのに意味はないだろうね。体裁上、子供は大人の責任の下で守られていることになっている。早熟な子供からしたらバカらしいだろうね。子供が産めるなら大人なのか。子供だって子供は産める。図体のでかい子供が子供を育てたりする一方で、大人であっても子供を産めないことがある」
「……何の話?」
「一つ、面白い提案をしよう」
黒尽くめはにこっと笑った。「昔からよくあるだろう? 意地悪な継母をとっちめる子供の話。手、出して」
云われるがまま、亜希子は手を差し出していた。
黒尽くめは手のひらの上に小さな、赤い種のようなものを落とした。
「僕は姉さんを連れ帰る。代わりにそれを君にあげる。バーターだよ」
「つまり?」
顔を上げて八重子さんの弟を見る。
「お流れ」
屈託ない笑顔だった。
「潰して中の汁をお茶にでも混ぜればいいよ。色とか味を誤魔化すならコーヒーがおすすめ」
手のひらの赤いそれは、クコの実を思わせた。
「これを使うとどうなるの?」亜希子の疑問に、「お岩さんって知ってる?」と、黒尽くめ。
「一枚、二枚?」
「それはお菊さん」
「四谷怪談でしょ」
「どんな話か憶えてる?」
「えっと」どうだったかな。「旦那さんに裏切られて?」
「四ツ谷の駅を下りて、少し歩くとお岩さんの神社がある」
「祀ってるの?」
「そりゃ、もちろん」
そうなんだ。「お岩さんとこれ、関係あるの?」
すると八重子さんの弟は。んふー、と鼻から気味の悪い息を吐いた。「駄目になる。運が悪いと、母親は助かるけどね」
「運が良いと?」
「死ねる」
「逆じゃないの?」
どうかなぁ、と黒尽め。「毒が効いて生きてられたら、倖せとは云えないんじゃないかなぁ」
「……例えば?」
「四六時中、痛みで全身がこわばり、肌はボロボロ、粘膜は爛れて、顔は二目と見られたもんじゃなくなる」
「……お岩さんなんだ?」
にこっと九郎は笑った。
「ふうん──、」亜希子は手のひらの赤い実を見る。そしてふと、この黒尽くめが効果を断定したのに気が付いた。
「子供にはね、大人にない特権がある」
握った拳を口元に宛て、くくくっと咽喉の奥で笑う。「なにしろ子供だからねぇ。子供のしたことだからねぇ。仕方ないよねぇ」
手のひらの上で赤い実が震えている。
或いは、毒の実。