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陽の丘歯科で会いましょう  作者: 斉川由伊
1/1

受付 東 南

「えーと、…じゃあ最初に身分証明書、確認させてもらって良いかな?」

外は雨が降っていた。私が休みの日は雨の日が多い。池袋の西口近くにある純喫茶は、丁度昼時とあってか、サラリーマン風の男性客や雨宿りに入ったであろう女性、世間話をする老人達などで賑わっていた。私は入口からほど近い禁煙席で、スーツを緩く着こなした男性と対面して座っていた。事前に指定されていた身分証明書を財布から取り出し渡すと、男はそれを周りからは見えないように机の下で眺めた。

東南あずまみなみさん?へえ、面白い名前だって言われない?」

「はあ…まあよく言われます」

だよねー、と笑うと、男は携帯を取り出して立ち上がった。

「身分証明書確認できたから、ちょっとお店の方に面接始めますって連絡してくるね。あ、飲み物頼んどいてくれる?俺メロンソーダ」

男はそう言って店の外へと出て行った。私はウェイターを呼び止めてメロンソーダと生クリームの乗ったカフェオレを注文し、何とも言えない緊張感からやっと少し解き放たれた気がした。

東南(あずまみなみ)。好きな物は猫と甘い物。初対面の人にはだいたい「トウナンさん?」と言われ続けて早24年が経った。東北に生まれ、家の周りには山と川と田んぼしかない、最寄りのコンビニまでは車で20分も掛かるような筋金入りのど田舎で育った。小さな頃は祖母と山へ入ってきのこを採ったり、3歳上の兄(ちなみに兄は東海(あずまかい)と言う)と川でびしょ濡れになるまで遊んだ。夏は私の背丈よりも大きな向日葵(ひまわり)が咲いた。冬はこれでもかと言うほど雪が降った。不便と言えば不便な所だが、私は生まれ育ったこの場所が好きだった。しかし、高校に入ると同時にすぐさまこれからの進路選択を迫られ、いざお前は何になりたいんだと問いかけられると、はっきりと何をしたいのかも分からず、ただ淡々と毎日を過ごしていた。かと言って焦りを覚える訳でもなく、漠然と「私は何か持っている気がする」と根拠のない自信だけがあるお気楽者だった。そんなこんなで、結局担任の勧めで上京し、それなりに名の知れたホテルへ就職した(のち)現在(いま)は歯科助手として働いている。

そして今日、わざわざ雨の中、池袋まで何をしに来たのかと言うと、

ガールズバーの面接を受けに来ていたのだった。

「お待たせ。じゃあ始めようか。俺は担当の島崎(しまざき)です、宜しくね」

島崎が席に着くと、飲み物が運ばれてきた。島崎はウェイターに軽く礼をすると、大きく欠伸をした。会った時からそうだが、酷く眠そうだった。見た所、歳は30代後半位だろうか。でも、目の下に薄ら入った隈のせいで、それより上にも見えた。

「ごめん。昨日あんまり寝てなくてさ。でも俺、コーヒー飲めなくて。おっさんなのにガキみたいでしょ」

「いえ、美味しいですよね、メロンソーダ」

「分かる〜?あ、そうだ、俺いかにも面接って感じの面接好きじゃないから。早く仲良くなりたいし、世間話も挟んでくからね」

そう言って、島崎はメロンソーダを(すす)った。つられて私もカフェオレに口を付ける。生クリームの甘さがふわりと広がった。

歯科助手と言うと給料が高いイメージがあるかもしれないが、それは大きな歯科医院に限ったことだ。私が働いているような個人院では、コンビニでバイトするよりはちょっと時給がいい程度のもので、給料のほとんどは生活費に充てられていた。遊ぶ金欲しさ、とまでは行かないが、服を買ったり友達と旅行に行ったり、とにかくもう少し余裕が欲しかった。私には同棲して4年になる彼氏がいる。生活費もだいたい半分ずつ支払っているが、私にあまり余裕が無いことを知っており、たまにお小遣いといって幾らかくれたり、外食の時の支払いや日用品などは彼がまとめて買ってくれていた。正直、まだ結婚している訳でもないのに必要以上の援助を求めるのは気が引けた。そこで、試行錯誤の上に行き着いたのが、『高時給、シフト自由、昼のみ歓迎!』という謳い文句の、昼から営業しているガールズバーだった。歯科医院の休みはだいたい木曜日と日曜日だ。水商売には抵抗もあるが、木曜日だけ、かつ昼だけどあれば、彼にばれることも無いだろうと踏んでのことだった。

「まず、お店のことなんだけど。希望はハニーガーデンで良いんだよね?」

「はい、大丈夫です」

「じゃあ、気になるお給料のことから行こうか。うちは本指名が入れば4000円。フロア指名なら3600円ね。求人広告には時給3000円って書いてあったと思うんだけど、ビギナー制度っていうのがあって、入って3週間までは3500円になります。この時給と、指名があった場合の金額を比べて、高い方が君に支払われるって訳。ここまで分かる?」

「なるほど。大丈夫です」

「君頭良いね〜!馬鹿な子だとこの時点で進まないから」

島崎はけらけらと笑って、メロンソーダのさくらんぼを一口嚙(かじ)った。

「さて、ここで問題。…なんか気付かない?」

「時給が…高いですね」

一般的に、ガールズバーの時給は良くて1800円程らしい。それは、来る前にさんざんインターネットで調べて分かっていた。それと同時に、質問をするとそれに対して不特定多数の人が回答してくれるサイトで、ガールズバーの面接についての質問を見つける限り全て読んできていた。『時給が必要以上に高い場合、その店はガールズバーではないことがある』という回答がふと頭を過ぎった。

「えっと、ガールズバーなんですよね?」

「うーん、それなんだよね〜」

島崎は言いにくそうにその先を濁すと、さくらんぼの軸をくるくると指に巻きつけた。怪しい。

「もしかして…ピンサロとかですか?」

「おお!鋭いね〜!なんで分かったの?」

話が早いとばかりに島崎は手を叩いた。そして隣の席に座っていた老人と目が合うと、気まずそうにへへっと笑った。私はと言うと、それまで浮かべていた笑顔が引きつったのが自分でも分かった。風俗店の面接だったと分かった以上、いかに上手く断るか思考回路を巡らせていた。

「来る前に調べて来てて。そういう場合もあるって。正にそれだったんですね」

「そうなんだよ。いや、ガールズバーも本当にやってるんだよ?でもさ、今、大学生が春休みでしょ?応募が多くて飽和状態なんだよね。それで、良かったらこっちはどう?って提案してる訳」

「ああ、なるほど…」

「南ちゃん可愛いしさ、絶対良いお客さん着くと思うんだよな〜!やっぱり風俗は興味ない?ちょっと真顔になったもんね」

島崎はまたけらけらと笑いながらメロンソーダを啜った。しかし良く笑う男だ。

「でもうちの店はお客さんを選ぶから、想像してるよりずっと(らく)で楽しいと思うよ。」

「でもピンサロって要はあれですよね、本番は無いけど、っていう」

「本番は絶対無いよ。男性スタッフが巡回してるから、無理矢理されそうになったらすぐ助けられるし」

「はあ…」

「ぶっちゃけ、南ちゃんみたいに可愛い子だったら、最初は接客させないんだよね。場に慣れさせるってのもあるけど、可愛い子は大切にしたいからさ。あと、暫くは出し惜しみするの」

「そういうものなんですか」

「可愛い子には、このお客さんなら!って人を厳選して、一回だけ接客してもらうんだよ。それで楽しいと思えば続けられるでしょ?嫌だったらすぐ辞められるし」

まあ、辞められると悲しいけどね、と島崎は肩をすくめて見せた。うーん、と言い続ける私をもう一押ししようと、島崎は次々に提案をする。

「じゃあ分かった!最初は研修が必要なんだけど、それも俺が付くよ!だからそこでも何もしなくていいし!あ、本当はダメなんだけど。…これは秘密ね。最初の3日間は絶対接客させないから、出勤するだけで5時間なら1万7500円持って帰れる。これって美味しいと思わない?」

「接客は一人につき30分なんだけど、実際アレ触ってるのは10分位だから。最初の10分お喋りして、10分お手伝いして、後の10分は名刺書いてくるねとか言って部屋から出ちゃえばいいんだからさ」

島崎に熱弁され、知りたくもない裏事情を沢山知ってしまった。世の男性客が知ったら傷付くんだろうなと思った。喋り続けて疲れたのか、島崎は一息ついて残りのメロンソーダを流し込んだ。

「え〜…ところで南ちゃんは休みの日何してんの?」

場を和ませようと思ったのか、島崎は話題を変えた。普段から女の子との接し方に慣れているんだな、と思った。

「そうですね…猫を飼っていて、その子と遊んでることが多いです」

「えっ!猫いるの?俺も猫大好き!」

私が猫、と言った所で、今までの眠そうな表情が一変し、島崎は目を輝かせて言った。

「猫って良いよね〜。俺も飼っててさ。どんなに遅くて疲れて帰っても遊んじゃうよ、俺」

「あ〜分かります!」

私は今まで微塵も興味が無かったこの島崎と言う男に、俄然興味が湧いてきた。正確には島崎が飼っている猫にだが。

私は猫が好きだ。実家では、物心付いた時から猫を飼っていた。家を出る際、愛猫との別れが辛すぎて、ギリギリまで連れて行こうと考えていた程だった。上京してからも、道端で野良猫を見掛けるとことごとく話しかけ、なんとか触れないものかとじりじり差を詰めては大体逃げられるといった生活を送っていた。そして最近、やっと念願叶って猫を飼い始めた所だったのだ。

「そうか、南ちゃんも猫好きなんだ。親近感湧いちゃうな〜」

「島崎さんは猫ちゃん飼って長いんですか?」

「いや、1年半くらいかな。でもね、最近子猫も飼い始めたんだよね〜」

そう言って島崎は嬉しそうに携帯の画面を差し出した。そこには、黒ぶちの凛々しい顔をした猫と、それに寄り添うようにして眠る小さな白猫が写っていた。

「うわあ、可愛い!大きい子の半分もないですね」

「そうなんだよ、だから心配でさ。昨日も、夜中にこいつが鳴くから寝れなくて」

猫の話をし出してから、島崎はすごく優しい顔をしていた。今まで風俗店の人、と言う見方をしてしまっていたことを少し恥ずかしく思った。仕事は人それぞれで、抱えていることも多種多様なのだ。きっと島崎にも何かあるのだろうなと思った。

「猫ちゃんの名前なんていうんですか?」

「ギンヤだよ。オスだからね。小さいのはコハク」

「へえ、いい名前ですね」

「あ、そうそう、俺バツイチなんだけど、子供が3人いてさ。」

「え?」

「それがみんな男で。上から空也(くうや)涼也(りょうや)夕也(ゆうや)って言うんだけど」

「はあ」

「その続きでギンヤにしたんだけど、コハクは今の彼女が付けたんだよね。石シリーズにしたいって」

「へ、へえ…」

抱えていることは人それぞれなのだ。

「ところで、どうする?体験入店してみる?」

「あ、持ち帰らせて下さい」

私はもう溶けきってバターになってしまった生クリームのカフェオレを流し込んだ。


会計をしようと財布を取り出すと、島崎がそれを制した。慣れた様子で領収書を受け取り、私達は喫茶店を後にした。

「南ちゃんさあ、優しいんだね」

「え?」

「持ち帰らせてくれって。来る気無いのに、気を使ってくれたんでしょ。あと、財布出したの君が初めてだからね」

島崎はふふっと笑うと、地上へ上がる階段をゆっくり登り始めた。

「もし他の店も受けようとしてるなら、気をつけなよ。無理矢理連れてかれることもあるんだから」

「島崎さんも、良い人ですよね」

「何でそう思うの?」

「何も強要しなかったし。…それに、猫好きな人に悪い人はいないので」

驚いたような顔を見せた後、島崎はまた少し笑って伸びをしながら言った。

「あ〜、早く帰って猫に会いてえな〜」

「あ、そうだ。」

私はずっと言いたくて仕方なかったことを思い出した。

「最後にうちの猫の写真も見てもらって良いですか?」



雨は小降りになっていた。駅に向かいながら、私は未遂とはいえ、家族や彼が、決して良い気分にはならないであろうことをしようとしていた事を少し反省した。正直、一度やってみても良いかもしれない、と心が揺らいだが、今回のことは社会勉強だったと思うことにしよう。何より、陽の丘歯科に来るような、一癖も二癖もある人達が来たら、絶対相手ができないだろう。そう考えると、働く女の子達は凄いなと思った。副業は、また別の仕事を探すことにしよう。まあ何とかなるだろう。きっと部屋では、猫がお腹を空かせて私の帰りを待っているはずだ。

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