四日目「いつもの日常」
さすがに2日連続でずる休みはできない。出席日数もあるし、何よりも授業についていけなくなってしまう。
一応清次郎は大学進学を希望しているのでその辺は結構重要事項であった。
いつまでも自分が学校に行かなかったら両親もそして小夏も心配するだろう。まだ少しだけ湿り気を帯びている自分の心を引きずりながら学校へと向かっていた。
学校に着くとそこにはいつもの日常が広がっていた。騒ぐ生徒、友人と楽しげに会話する生徒、静かに読書をしている生徒、皆様々でそれぞれの日常を繰り広げている。1人人が死んだとしても世界は止まったりしないし、日常が崩れ去ることもない。
それは自分にも当てはまってしまうことだった。もしきっとこの中の特別仲の良くない生徒が死んでも清次郎はきっとこんなには悲しまないだろう、ただそういうことなのだ。
ただ一部の人の日常に春日小夏という存在が欠けてしまっただけなのだ。この広い世界の中でほとんどの人に知られることもなく。
清次郎は自分の席につくとすぐさま机に突っ伏した。何も見たくない気分だった。自分の殻にまだ閉じ籠っていたい気分だった。
「よう、清次郎」
そう声をかけてきたのは友人である大森誉だった。いつもよりも心なしか声のトーンが低く元気がない、それは小夏のことを知っているからだろう。
顔をあげた清次郎は何も言わなかった。誉もそんな清次郎に何も言わずにただ空いている前の席の椅子に腰掛けた。
「よっこらしょっと」
「おっさんかよ」
「朝に弱いんだよ」
「知ってる」
誉は小夏のことには触れなかった、清次郎にはそれが本当にありがたかった。下手に何かを言われるよりかはいつものように変わらずに接してくれる方が気が楽に思えた。
さすがは長年の友人といったところである。
「1日休んだら学校怠いな」
「そうだろうな、俺も休んじゃおうかな」
「休め休め、たまには休息も大事だしな」
「良いこと言うねー」
「だろ?」
冗談めかしてそう言うと誉が豪快に笑った。その笑い声で清次郎のどんよりとした気分は少しだけ晴れた。
帰り際、小夏のクラスの3組の教室を見てみると小夏の席の机の上に1本の黄色い菊が花瓶に入って置かれていた。放課後の喧騒の中でその菊の花だけが馴染めずに浮いているように見える。
そんな小夏の机の上に置かれた花瓶を手に取った人物がいた。
小夏の親友である西園寺雅だった。
雅は清次郎に気づくと軽く会釈をした。清次郎も返した。
どうやら花の水を変えるらしい、廊下に出て手洗い場の方へ歩いて行った。
清次郎は雅とは交流はなかったのでそのまま靴箱へと歩いていった。
やはり彼女もそうとうに落ち込んでいたのがわかった。仲が良く親友であることは小夏からよく聞いていた。少し引っ込み思案なこと優しいこと、よく二人で遊ぶこと、色んな話を聞かせてもらっている。
雅の眼鏡の下の目は赤くなっていた。
家に帰ると玄関の前に小夏が体育座りで清次郎を待っていた。清次郎が帰ってきたことに気づくと花がほころぶような笑顔を向けた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
「うふふ」
「今度は何だよ」
何が楽しいのか小夏はニヤニヤと笑いながら言った。
「だって今のやり取り夫婦みたいだったんだもん」
「……何言ってんだ、こいつ」
「口に出てるよ清ちゃん」
「あ、ごめんな。うっかりしてたぜ」
「わざとらしい!」
ふと視界に清次郎のことを不思議そうに見ている通行人がいた。しまった、小夏は幽霊で他人には見えないということを忘れていた。これでは清次郎はただの頭のおかしい人である。羞恥心から小夏の体をすり抜けて家の中へと入った。
「人に見られてた……恥ずかしい!」
「どんまーい」
にこやかに、けれども少し嫌味な笑顔で小夏は言った。
「お前な……」
「おかえり、清次郎」
母親が清次郎の帰宅に気づいて玄関まで来ていた。その顔は不安に満ちている。不味い、ここでも小夏と普通に会話をしてしまっていた。
「あんた今誰としゃべってたの?」
「い、いや……その」
誰もいない空中に向かって悪態を吐いていた我が息子を心配そうに様子を伺っている母、お願いだからそんな目で見ないでほしい。
「独り言だよ、今日ちょっと腹の立つことがあって」
「……そう、そんなことより早く中に入りなさい」
「はい……」
そんな清次郎と母親のやり取りを小夏は黙って見ていた。
小夏の無表情からは何を考えているのか読み取ることはできなかった。
部屋に入ると清次郎は小夏に向き直った。小夏がびくりと体を後退らした。
「小夏、俺は今から小夏が外で話してかけても必要最低限は返事をしないことにする」
「ええー!そんな、殺生な……」
残念そうに俯く小夏、その姿にほんの少し罪悪感が湧いたが清次郎の意志は固かった。もっと早くに言っておけばよかったと後悔すらするほどだ。誰しも人前で恥をかきたくはないだろう。
小夏、悪く思わないでくれ。
「別に絶対に話さないとは言ってない、最低限は返事をするから」
「あ、良いこと思いついたよ!」
何故か勢いよく挙手をしながら小夏が言った。あまり期待はできないが一応聞いておくことにする。
「良いことって?」
「あのね筆談すればいいんだよ」
「筆談?」
「うん、メモとかに返事を書いたりするの」
「なるほど……」
意外にも参考になりそうな意見だった。
しかし、いちいち紙に書くのは面倒くさい。それにネズミーランドは人も多く皆自分が楽しむことで一所懸命だろう、だからそんなに気にすることではないのかもしれない。
「いや、明日は筆談はしない。普通に返事する」
「いいの?」
「うん、そこまで誰も俺のことなんて見ないだろうしな」
「やったー!明日すごく楽しみだなあ!」
「そうだな」
明日は天気予報によると上天気らしい。天気の心配はなさそうだ。
しかし、清次郎には1つ心の中にもやもやとした不安があった。それは本当に一番怖いジェットコースターに乗らなければならないのかというものだった。
死にはしないだろうがやはり不安だった。
小夏の様子を見ていると子どもに戻ったように無邪気に笑っている。そんな小夏を見ていると不安は霧のように消えてしまった。