0日目「好きです、付き合って下さい」
夕暮れに染まりつつある空を背景に春日小夏は歩いている。艶やかな黒髪のおかっぱ頭で背丈は高くもなく低くもなく自分とあまり大差がない、目鼻立ちはくっきりとしていて整っている。性格も明るく勉強はあまりできないが運動神経が良くていつでもクラスでも人気者であった。
そんな春日小夏は上原清次郎の幼馴染みだった。
そして清次郎は小夏に昔から恋心を抱いていた。
そしてこの日清次郎は小夏に想いを告げることを決心している。後押ししてくれたのは彼の親友である大森誉だった。なかなか幼馴染みという枠から出ようとしない清次郎の背中をとある一言で押したのだった。
清次郎は誉に誓った。今日小夏に告白することを、そう告げると誉は人の良い笑顔で思いっきり背中を叩いたのだった。
「もうすぐ秋になるね」
よく通る高く澄んだ声で小夏が言った。
「そうだな」
それきり会話は途切れてしまう。自分の緊張が相手にも伝わってしまったのだろうか。
伝えるのならば今なのか。
「あのさ、小夏」
「んー?」
振り返らずに小夏が返事をする。
緊張と迷いで情けなく震える声で自分の想いを告げた。
「小夏が好きです、付き合ってください」
ついに言った、清次郎は長年言いたくても言えなかった一言を告げただけで満足していた。もし振られても悔いはないだろう。
一拍遅れて小夏が清次郎の方を振り返る、大きな目はさらに大きく見開かれ口は驚きから半開きになっている、正直に言えば間抜けな顔だった。
「えっあっ、嘘……」
「嘘じゃないよ」
「……本当?嬉しい!」
表裏の無さそうな顔で小夏は笑った。その笑顔はいつもの元気な笑顔ではなく穏やかな優しい微笑みだった。
嬉しいと言われたことで自分の頬がほんのりと熱を帯びていくのが分かる。それはだんだんと全身へと広がっていく。
「私も清ちゃんが好きだよ。こんな私でよかったら付き合ってください」
「……ああ、はい」
こういう時の返事の仕方が分からずつい歯切れの悪い返事になってしまった。
返事を聞いて小夏はいたずらっ子のような笑顔を浮かべる。
「じゃあもう私たちは幼馴染みじゃないよね、恋人だねえ」
「幼馴染みは幼馴染みだろ」
「清ちゃんたら照れちゃって……」
「うるさいな」
「嘘だよー怒んないでよー」
「別に怒ってないから」
清次郎はいつも恥ずかしさから小夏に対してつっけんどんな態度をとってしまう、流石にもう恋人になったのだからそんな幼稚な態度をとるのはやめようと思うのだがどうしても癖というものは直りそうにない。しかしそんな清次郎の態度も小夏はあまり気にしていないように見えた、昔からのことなので慣れているのだろう。
言葉にするのはまだ恥ずかしいので行動で表すことにした。清次郎は小夏の手を取った。自分とは違った柔らかい小さな手は少し冷たかった。
「おおっ清ちゃんが私の手を……!幼稚園ぶりくらいだね」
「ああ、そうだな」
「うふふふ」
「何だよその笑い方、気味悪いな」
「しょうがないでしょ?だって嬉しいんだもん」
清次郎だって嬉しかったが天の邪鬼なので当然自分も嬉しいなどとは口が裂けても言えない。
でもいつかは素直に伝えられるようになりたい。小夏の手をぎゅっと強く握りしめた。
「痛いよ!」
「あ、ごめんな」
「んふ、今日のところは許してやろう」
「誰だよお前は」
「君の恋人の春日小夏様ですよ」
「はいはい」
「何だよ!馬鹿にしてるよね?」
「いや馬鹿だろ?」
「もう、口が悪いなあ」
これからはこんな日々が続くのだと何の根拠もなく信じていた。そしてこれからもずっと小夏と一緒にいれることを疑わなかった。
でもそれは間違いだったのだ。
この世に絶対などない。
大事な人との別れは突然にやって来るのかもしれない。
「明日、一緒に登校しないか?」
小夏の家の前まで来たときに思いきって清次郎は小夏に尋ねた。
「本当に?行く行く!」
「じゃあまた明日な」
「うん、バイバイ」
本当に幸せそうに笑う小夏、これが清次郎が小夏を見た最後の姿になってしまったのだった。
悲劇は次の日の朝に起こってしまうことをこの時清次郎も小夏も知る由もなかった。