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狐夜話  作者: 行待文哉
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半月夜

「元気か、シロガネ」

 次の朝早く、フウエンの家にタガネがやって来た。フウエンが触れないでは決して開かない玄関の不思議な障子が開いた時、シロガネは朝飯の麦飯と味噌汁を胃に収めている最中だった。茶をすすっていた家主のフウエンではなく、シロガネに真っ先に声をかけたタガネは、今日は白の直衣に鼠色の袴を身につけている。眉をひそめながら、フウエンがタガネに言った。

「タガネ、うちに挨拶はないのん?」

「お、おお。すまん。フウエン」

 慌ててフウエンに軽く頭を下げるタガネに、シロガネは驚くやら久しぶりで何と言っていいのか分からないやらで、とりあえず朝の挨拶をした。

「タガネ……おはよう」

「うん。体調は、良いようだな」

 タガネはシロガネを見てほっと小さく息を吐き出した。たった数日見なかっただけなのに、随分と久しぶりに会った気がして、シロガネは箸を置いて立ち上がった。土間に立ったままのタガネと、目が合う。

「うまく、いっているか」

「……なんとか、なってる」

「辛くは、ないか」

「別に、大丈夫」

「……」

「……」

 互いに元々口数の多いほうではないため、久しぶりの会話もどこかぎこちない。そんな二人の間に、フウエンがするりと割って入った。

「タガネ、何ぞ用事あったんと違う?」

 フウエンの赤茶色の髪にはっとしたようにタガネが背筋を伸ばす。一呼吸大きく吸ってはいて、慎重な声を出した。

「……お前に、ひとつ調べてほしいことができた」

「とりあえず、座りや。あ、シロガネ、悪いけど食器は土間に運んどいて」

 シロガネが残りの朝飯を急いでかきこんで、茶碗をまとめて持って土間へと降りる。水を張ったたらいに食器をつけておくと、夜には何故かきちんときれいになっているのだ。シロガネは二人分の食事の痕をたらいへと沈めた。

 小さな卓袱台と一間を越す身長のタガネを見比べ、更に自分とシロガネを見て、フウエンはぱちんと指を一つ鳴らす。途端に卓袱台はするりと姿を消して、あとには手の平ほどの紙が一枚残っただけだった。フウエンはそれを懐にしまうと部屋の隅から円座を引き摺って出し、居間には円座がぐるりと円になるように三つ置かれているだけになった。

 無言でそこに座ったタガネの前にフウエンが湯飲みを出し、後から座ったシロガネの前にも同じものが置かれる。出された湯飲みに口を付けようとして、タガネがふっとフウエンを呼び止めた。

「フウエン、土産を持ってきたのを忘れていた。これだ」

「おお……おおきに。金の里の酒は、この時期燗にすると美味いんよなあ」

 とぷん、という水音と共にタガネがどこからか取り出したのは、大きな酒瓶だった。それを受け取って、フウエンはにっこりと笑う。

 狐の里の中では各々独自に食料は調達されるものだが、鉄狐は特に食料を加工することに長けていた。酒や調味料は、どの狐よりも上手に作ることが出来る。その質は、人が口にしても十人中十人が美味いと答えるほどのものだ。

「で、酒はありがたくいただくとして……まさか、これ受け取ったから頼みごと断れんとかやないやろな」

「そういうことではない。それは…シロガネのことに対する礼だと思ってくれ」

 タガネは、少し、ほんの少しだけ笑った。フウエンはそれに同じく笑って返したが、シロガネは目を見開いてその様子を眺めている。シロガネはタガネの笑った顔など随分見ていなかったのだ。タガネはいつも厳しい武人然としていて、滅多に感情を表に出して表情を変えることがない。特に、笑顔などは一年に一度あるかないかのことだ。

 驚いているシロガネをよそに、大人二人は話を続けた。

「フウエン、ここ最近の、子浚いの件は知っているか」

「まあ、小耳に挟む程度には」

「先月は、火の里から合わせて四人、水の里から合わせて二人……そして、一昨日、木の里から一気に三人が浚われた」

「三人も」

「これで、俺たち里の長が把握している限り、今までに合計十二人浚われたことになる」

 そこまで言って、タガネは一度湯飲みに口を付けた。中は、薄いほうじ茶であった。

「……帰っては、きてないんか」

 フウエンが、ぼそりと聞いた。その問いに、タガネはゆっくりと時間をもって答える。

「十二人のうち、四人は自力で里に戻ってきた。その子らはもう自分である程度霊力も使えたのでな。たいそう疲労はしていたが、命に別状はなかった」

「あとの九人は?」

「三人は昨夜いなくなって、まだ何の手がかりもない。残り六人は……帰ってきていない」

 ぐっと茶を飲み干し、タガネは低く唸るように言った。フウエンは視線を膝に落として、漏らした嘆息に淡い悲痛の色を見せた。シロガネは様子をうかがうようにタガネの顔を見ていたが、そっと口を開いた。

「……今まで、そういうこと、無かったのか」

 口を開いたシロガネに、タガネが神妙そうに頷く。フウエンも短く「そやな」とだけ呟いた。

「我らは、里の中を年長者が守り、里の間は長が守り、五つの里が平穏に保たれるようにやってきた……」

 タガネの口調には、明らかな悔しさが滲んでいる。自分も長として、またその前には年長者の一人として、里の安寧に務めてきたのだ。それが何者かによって害されることがどれだけ心の痛いことか、シロガネにだってよく分かるつもりだ。

「西の国や、東の五つの里の間で、小競り合いが一切なかったとは言えん。だが……」

 フウエンもシロガネも黙っている。タガネは、怒りを含んだ声音で言う。

「子に危害が及ぶことはないようにと、みな心を砕いていた」

 狐の東の国と西の国、それぞれの五つの里、里の中の血族同士…狐の中にも、確かに、人間のような争いごとや軋轢はあった。しかし、少なくとも直近の何百年かはタガネの言う通り、大人が争っていても子供らには危険のないように配慮がなされていた。どんな生き物でも大人が子を守るというのには、さして詳しい説明は要らないだろう。

「帰ってきていない子の親は今も泣き暮らしているし、帰ってきた子らも長い静養が要る……おびえて、家の外に出られない子もいる。どういう理由があったにせよ、子が無差別にこんな目にあっていいはずはない」

 タガネが本当に痛ましそうに言うものだから、聞いていたシロガネも思わず眉を寄せていた。帰ってきていない子らが元気で機嫌よく生きている可能性があまり高くないと、誰にだって分かることだった。

「……で、うちに何を調べろと?」

 いつもの落ち着いた低い声でフウエンが言う。タガネは改めて息を大きく吸って答えた。

「今回の子浚い、犯人を調べてみてほしいのだ」



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