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狐夜話  作者: 行待文哉
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立待夜

 かつん、かつん。ていん、ていん。

 鉄を打つ音が聞こえる。目には見えないが、真っ赤に熱された鉄が形を変えていく様は想像できる。この里では、春夏秋冬朝昼晩を問わず、鉄の音が響いていた。鋳物を作る小屋からは絶えず細い煙が上がり、どこの作業場でも鍛治の職人が忙しく働いている。

「おおい、できそこない。ほら、ちゃんと尻尾出してみろ」

「こんなこともできないのかよ」

 里の広場に子供の声が響く。五、六人の童姿の男児が一人の童を囲んではやし立てていた。囲まれた童も男児だが、他に比べると手足が細く、背も低く見えた。

 ぽーん、と、子供たちが宙へと跳ね上がってまわる。途端にその姿は子狐になり、また人の子の姿になり、着地の度に笑い声が上がった。ただ一人、小さなシロガネだけが跳ね上がりもせずに下唇を噛んで地面を睨んでいた。他の子供らに囲まれてできた影の中に、一人だけ取り残されていた。

「出てけよ、狐じゃないくせに」

「どうせ人の中でもできそこないなんだ」

 ずっと下を向いて黙っていたシロガネが、その言葉を言った子狐に向かって突然力任せにぶつかっていく。わあ、と叫び声が重なって、子供たちはみんなたちまち喧嘩の塊になった。人一倍小さなシロガネはすぐにのされてしまい、砂まみれになって擦り傷をあちこちに作っている。土ぼこりが舞い止んで、気がすんだ子狐たちはめいめいの家に帰っていった。

(ここにいたくて、いるんじゃない)

 ぐっと言葉をしまいこんだ口の中が血の味でいっぱいになる。鼻の奥がつうんと潮っぽくなり、シロガネの小さな胸は悔しさと悲しさで冷たく痛んだ。

 (かあさまに会いたい)

 痛む手足を大の字にしてその場にころりと仰向けになる。地面と同じ高さから見上げた空は、雲ひとつない水色一面だった。それは母と暮らしていた頃に見た青空と同じ色で、とうとうシロガネは大きな涙の雫をこぼした。

 違うのは、ぶれることなく響いている鍛治の音と、一人取り残されたシロガネだけだった。

 

 明け方、目を覚ましたシロガネは自分のまなじりをつたう涙の痕を拭った。

 (……枕が替わったからかな)

 昔の夢を見たのは久しぶりだった。

金の里に来たばかりの頃の夢。同じ年頃の子狐たちにはあまり快く迎えてはもらえなかった。タガネは金の里の長であり、毎日二十四時間シロガネのそばにいるわけにはいかない。従者の狐たちや世話をしてくれる女房狐たちは皆忙しく、どうしてもシロガネがぽつんと一人になってしまうことも多かった。

外に遊びに出ても「やあい、できそこなぁい」とはやし立てられ、喧嘩になる。女房狐やタガネの従者が見つければすぐに庇ってくれるが、そうでない時は泣くまでからかわれるのだ。突然、母のいない狐の里での生活を強いられることに、子供ながら理不尽さで胸がいっぱいだった。

今はフウエンの家の天井が薄暗くシロガネを見下ろしている。タガネも従者も女房もいない屋根の下で眠ることなど、初めてだ。その、なんとなくふわふわした不安が、古い夢を見せたのかもしれない。体を転がし体勢を変えて布団をかぶり直す。火鉢もないのに、何故か部屋の中は寒くなかった。疲れていたのか、またすぐに眠気がやってきた。


「さて、まずはお前の霊力の程度を見ようか」

フウエンとシロガネは西の森の中にぽかんと出来た広場にいた。朝餉を軽く済ませて、互いに水干姿である。フウエンは紅葉色の水干に身を包み、右手の人差し指をすうと立てた。

「火を、灯してごらん」

 彼女の白く長い指先に、ぽう、と蝋燭二本分ほどの炎が灯った。ゆらりゆらりと橙色の輪郭を持ったそれを見ながら、シロガネは自分の両手を大きく開いて体の前に出して心の中で念じた。

 (火、火、火……)

 次の瞬間。

 ぼうっ、と鈍い音がして、竜巻のような火の柱がシロガネの両手から放たれた。ちょうど大人が一抱えできるほど大きなそれに巻き込まれそうになったフウエンは、ひらりと脇の宙へ逃げている。シロガネの炎は一瞬で消え去り、後にはもうもうと煙だけが立ち込めていた。

 少し咳き込んだシロガネは、苦々しい顔をしていた。これは、ともした(・・・・)とは言えない。

「……一応、火は出せる」

 拗ねたように呟いた本人にも分かっているらしい。フウエンはふわふわと着地しながら頭を掻いた。

「シロガネ、あんた、考えて霊力使えてるか?」

「ちゃんと頭の中で考えた」

「どういうふうに」

「火、火、って。何回も唱えたんだ」

 霊力の使い方の師は、主にタガネであった。シロガネが自らの出生を知らされ、自分にも人とは違う力があると分かってから、何度もこうした簡単な霊力を使う練習はしたのだ。

 が、辛うじて、このように源素を形にするだけで精一杯。タガネは「とにかく熱心に念じてみろ」と繰り返すし、里の子狐たちはもっと器用に形を使いこなせていた。

 フウエンと二人きりの森の中なのに、幻聴が聞こえる気がする。自分を馬鹿にする子狐たちの笑い声や、人の子を良く思わない狐たちの陰口。シロガネの心の中にこびりついたじくじくとした痛みが、顔を出していた。

 どうせ、フウエンも俺を馬鹿にするんだろう。そう思ってシロガネはじっと足元を見て黙っていた。

「唱えた、か……うーん……よし、ちょっと顔上げて、こっち見な」

 拗ねた唇のまま顔を上げると、笑いもせず、真剣な表情をしたフウエンと目が合う。意外で、思わず息を小さく呑んだ。フウエンは真剣な顔をしているといつもより少しだけシロガネに近い歳に見えた。

「シロガネ、目、閉じて。今からうちの言う通りのことして」

 シロガネが言われるままに瞼を下ろすと、フウエンはその額に触れるか触れないかの箇所に自分の左手をかざした。そして、小さな子に物語を読み聞かすように言葉を発していく。

「……頭ん中、夜みたいに真っ暗にして」

 目を閉じている上に額に大人の手をかざされているのだから、視界は当然真っ暗である。だが、言われるままに、シロガネは真っ暗な森の夜を想像した。

「灯りが無いと危ないなあ。提灯ひとつ、持ってみよか」

 頭の中の真っ暗な森の中に、いつも使っている桔梗の紋の提灯を思い出す。よくタガネが夜警に行くときに使う、和紙の張られた提灯。遠くから見ても近くに寄っても、その光は丈夫な紙に遮られてぼんやりとしている。

「その提灯、そっと上から覗いてごらん」

 中は、知っている。蝋燭が一本立っているのだ。何度か上から見たこともあるし、台所で火をもらって自分で灯したこともある。真っ白な蝋燭の芯の、小さな炎の円錐…―――

「それを、手でつかんで」

フウエンのその言葉に少したじろぐ。小さいとは言っても、これは、火だ。直接触れれば熱いに決まっている。大体、今までのことは全てシロガネの頭の中のことである。どういうつもりなのかと言おうとしたその時、フウエンの声が続いた。

「ええから。頭の中で、その火を手の中につかんでみ」

 頭の中で、右手をその小さな蝋燭の火に伸ばす。熱い、と咄嗟に現実の自分の右手をぱっと見た。いつの間にかフウエンはその左手をどかしており、目を開くだけで右手は見えた。

 そこには、想像したのと同じぐらいの小さな火がゆらゆら揺れていた。

 シロガネの手の平からほんの葉っぱ二枚分くらい浮いている。今まで、シロガネが見たことのないほど静かで確実な、シロガネ自分自身の霊力の形だ。

「これ、俺の……?」

「そや。お前の灯した、火」

 少し右手を持ち上げても、軽く揺すってみても、消えることはなかった。左手を近づけるとほんのり暖かい。本当に、提灯の中の蝋燭ほどの火だ。

「これが、一歩目かなあ」

 フウエンは、手の平の炎に見入っているシロガネを眺めながら自分の左手をひらひら振った。そして、足元に積もっていた枯葉を一枚拾い上げて、シロガネの炎の中に落とす。枯葉はぱちぱちと悲鳴をあげて灰になっていった。

「燃えるやろ」

「うん」

「これが、火や」

「うん。でも、俺、なんで今までできなかったんだろう……」

「考えてなかったから、やろうなあ」

 シロガネがフウエンを見上げると、いつものようなおちゃらけた雰囲気は一切なかった。

「火は、耳を澄まして感じるもんなんよ」

「そういうこと、教わるものなのか」

 大きな目をもっと大きくして、シロガネは自分の灯した小さな火とフウエンの顔を交互に見た。今までは、ただ、ひたすら、がむしゃらに心で熱心に唱えていた。

 タガネはどうしてこのやり方を教えてくれなかったのだろう。やはり、自分が厄介者だったのだろうか。出来損ないだから、教えても無駄だと思っていたのだろうか。初めて自分で霊力を扱えそうだったシロガネの上向きかけた心が急にしゅんと萎んだ。

 それと同時に手の中にあった火はふっと消える。それを見て、フウエンが微かに笑いながら言った。

「産まれた時から里におる狐は、息をするんと同じように、源素を感じれるもんなんよ」

 そう言って、シロガネの左手を、自分の両手でそっと包んだ。その動きに一瞬びくっと跳ねたシロガネだが、その手がかなり冷たいことにも驚いていた。

「……特に、タガネは、ちょっと想像力が足りんから。ほんで、口も達者やないし」

 少し困った顔をして、フウエンは溜息を一つつく。

「多分、なんでシロガネができひんのか、分からんかっただけやと思う」

 自分の心の内を読んだかのような言葉に、シロガネは無意識に目を逸らした。フウエンが言うことは、多少飲み込めた。

 タガネは、いつも言葉よりも態度で周りから大きな信頼を集める。義に厚く、嘘やごまかしを許さない。が、その分かなり不器用なところもあって、シロガネが思わぬ誤解をしたことも多々あったのだ。

「あいつがシロガネを邪険に思うとか、わざと教えんかったとか、そうは思うてやらんといて」

「……タガネは、最初から、自分たちはできてたから分からなかった?」

「そや。お前かて、息の仕方を魚に教えてくれ言われたら、ちょいと困るやろ?」

「でも、」

 次の言葉を言う前に、シロガネの左手はぽっと熱くなった。見ると、フウエンの手に包まれた自分の左手の中にさっき右手にあったものよりも一回り大きな火が灯っている。

「うちは、一回死んどるから、感覚を取り戻すとこからやり直したことがあるんよ」

 その台詞に特別熱はこもっていなかった。ただ、シロガネの左手に灯った炎だけがちろちろと揺れる。フウエンがそっとその両手を離しても、火は消えなかった。

「それって」

「もう一回目ぇ閉じて、たき火ぐらいにしてみ」

 聞きたいことは、沢山あった。が、シロガネが頭の中で里の夜祭で見たたき火を思い描いた瞬間に、左手の火は炎になり、たちまち大きなたき火となる。普通ならば大火傷を負いそうな距離にいるのに、シロガネの髪も服も燃えてはいなかった。

「フウエン!」

「大丈夫や。それはあんたの中から出た火や。あんたを害することはないから」

 フウエンはもういつものようにゆるゆると笑っていて、シロガネに次々と課題を出してきた。おかげで、精一杯なシロガネはフウエンに対する疑問をいくつか忘れてしまった。

 炎を細い杖のようにしたり、傘のように広げたり。初めのうちこそ苦戦したが、その度に目を閉じろと言われる。目を閉じて、耳と頭で火を形づくる。ちろちろ、めらめら、ぱちぱち。火の音を聞く。そのコツを掴みかけていた頃には、周りはとっぷり暮れていた。



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