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狐夜話  作者: 行待文哉
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小望月

ごおぉう……

 砂糖か塩の山を勢いよく団扇で扇いだら、こういうことになるだろう。龍の頭は、真っ白な砂粒となってシロガネの刀の逆の方向へ崩れて流れた。夜の中に霧散していく。まるで最初からそれが灰か何かであったようだ。

 シロガネが刀を振りきったのを、フウエンが唖然とした顔で見ていた。

「シロ……ガネ?」

 その声にはっとして、シロガネは赤茶色の髪に跳び寄った。シロガネが左手で掴んだ肩は薄っぺらな頼りない厚みだったが、その顔や体には何の傷もないようだ。フウエンは、見たことのないほど大きく目を見開いて、口をぽかんと開けている。大丈夫だ。そう思ったら、思わず安堵の声が出た。

「良かった……フウエン、生きてる……」

「え、なにが、どうなったんや?」

「タガネは?」

 フウエンの疑問をそのままに、シロガネはすぐに地上を見る。タガネも、フウエンと同じ表情でこちらを見上げていた。

「タガネ!」

 そのタガネの背後に、龍の尾が忍び寄っている。シロガネは、咄嗟に右手の刀をそちらへ向けて振っていた。

 びゅん

 ざざぁあ……

 タガネを取り囲むように迫っていた龍の胴も、粉になって消えていく。シロガネは、宙を蹴ってタガネに向かって飛び降りていた。

 ぼすん、どたり

 タガネの胸にぶつかるようにして着地したシロガネを、タガネはまだぽかんと見ている。二人揃って、地面に倒れこんでいた。シロガネの見たタガネの顔は、目を丸くして口を大きくあけたまま。タガネのそんな顔を見たことがなくて、シロガネは、思わずくしゃっと笑う。

「なんて間抜けな顔してんだよ……」

「ま、間抜けとはなんだ!それよりシロガネ、お前どうやって……」

「とうさまが、助けてくれた」

 シロガネのその言葉に、タガネの目はますます大きく見開かれた。タガネの顔は一瞬ぐっと歪んで、泣き笑いのような表情になった。

「……そうか……クロガネに、会ったか……」

 タガネがシロガネの頭を乱暴に撫でた。タガネの右頬の古い刀傷が、一筋の涙で濡れていた。直視するのは悪い気がして、シロガネはぷいっとそっぽを向く。その先には、

「クヌギ……」

 戦意を喪失し、その場にぐったりと座り込んでいるクヌギがいた。


「まあ、さっきの詳しいことは、後から聞くわあ」

 フウエンがふわりと裾をはためかせながら地上に降りてきた。ふか、とその狐の足は草と土を踏みながら肩を落としてへたり込んだ小さな少年に近付いていく。クヌギは、もうぴくりとも動かない。

「立てるか?」

 フウエンの言葉に、クヌギはよろよろと立ち上がる。フウエンがどんな表情をしているか、シロガネとタガネからは見えない。ただ、その声はいつもの緩やかな低音だった。クヌギが立ち上がり、疲れた目でフウエンを見上げた、その時。

 ぱしんっ

 辺りに、小気味の良い破裂音が響いた。その音で、夜の森が静まり返る。フウエンの右手が、クヌギの頬をひとつ叩いていた。その光景を、シロガネもタガネもびっくりして見ているしかなかった。叩かれたクヌギも、目をぱちくりと瞬かせていた。

「……目ぇ覚ませや」

 フウエンの声が、地を這う。シロガネが聞いた中では最も怒りのこもった声だ。

「苦しみの中から、目ぇ覚ませ」

 クヌギが、きっとフウエンを睨んだ。唇は固く結んでいる。

「お前の苦しみ、全部分かるとは言わんがな……」

 フウエンが、するりと自分の左の袖を捲り上げた。その細く白い二の腕には、子供の手の平ほどの大きさの焼印がある。クヌギはそれを見て、大きく表情を変えた。言葉が、唇からこぼれる。

「長の……長の、印……?」

「よお見い。消されてるやろ」

 それは確かに上から×印の焼印で消されている。梵字の呪文を象ったその焼印。それを、フウエンは自らの体に持っていた。

「うちは、西の国の火の里の長になるべく育てられた子や」

 その言葉に、クヌギも、またシロガネも、えっ、という音を大きく飲み込んだ。タガネは、涙の乾いた瞼をそっと閉じている。沈痛な、やりきれぬという表情をしていた。

「どこでも、一緒やな……いっつも、身勝手で残酷な大人はおる」

「フウエンは、長だったの……?」

「ほんま若いときに一旦は長になったけど…すぐ、実の弟が代わった。弟は生まれつき霊力が大きかったし、周りも男が長のほうが良いと言うた。うちは、弟がしっかりするまでの繋ぎ……それが分かった瞬間に逃げてきてん」

 ふうわり、月光がフウエンの三本の尾を照らす。声は、いつのまにかいつも通りのフウエンになっていた。

「小さい時から、修行修行……お前は長になるんやから、って、耳にたこやった」

 フウエンが、袖をゆっくりと戻す。クヌギは、唖然としたままフウエンを見上げていた。シロガネも、ただただその背中に目を釘付けにされている。

「うちの価値は、ただの弟の代わり……うちん中には、なぁんにも無かった」

 フウエンが大きく息を吐いて、空を見上げた。夜空に、美しすぎるほどの大きな月が掲げられていた。

いつだって、胸がぽっかり寂しかった――……

月に向かってフウエンが言った。

「僕は、僕も……僕も……」

 クヌギが肩を震わせて涙をこぼしている。ぼた、ぼた、と大きな水の粒が落ちる。とうとう、クヌギはその場に膝をついた。

「分かってた……分かってたんだ、あんなことしても……」

「でも、抑えきれんかったよな」

 フウエンの言葉に、クヌギが何度も頷いた。若葉色の髪が、ふるふると左右に揺れている。フウエンは、クヌギの前にそっとしゃがみこんだ。あ、とタガネとシロガネが駆け寄ろうとする間に、フウエンは小さな子供の体を抱き締めていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「うん」

「ごめんなさい……」

 フウエンが、クヌギの背を軽くぽんぽんと叩く。クヌギの小さな手が二つ、フウエンの黒い直衣をぎゅっと強く握っていた。力を込めすぎて真っ白で、小さな子供の手。シロガネはそれを、ただじっと見ていた。そのシロガネの肩を、力強くタガネが抱いていた。

 月は、クヌギの泣く声をも優しくそっと照らして、西の空へと帰ろうとしていた。



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