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狐夜話  作者: 行待文哉
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返月夜

 シロガネの喉から搾り出されるようにこぼれた言葉に、男は静かに頷いて言う。

「そうだ。俺の名はクロガネ。お前の父だ」

 今、二人の間の距離は一尺もない。更にクロガネはシロガネに歩み寄り、大きな手をそっとわが子の頭に乗せた。黒い髪が、ぱさりと揺れる。

「大きくなったな」

「とうさまは、死んだって、」

「ああ、体はもう現世にない」

 シロガネの驚いた顔を覗きこみながら、クロガネはひとつひとつゆっくりと話す。

「俺は、お前が二つになる前に事故に巻き込まれて死んだんだ」

 それは、シロガネが真白から聞いていたことだった。嵐の中、山道で崖から落ちそうになっていた旅人を助けた際に自分が犠牲になったという。真白はその話をするとき、いつも寂しそうに、でも気丈に笑っていた。お前の父様は、お人よしで勇気のある男だったと。

「だが、俺はどうしても現世に妻子を残して死ぬことに未練があった……」

 クロガネは、死ぬ間際に体に残ったほんの僅かの霊力を使って、なんとしても真白とシロガネの傍にいたいと願った。ただ、二人と離れたくない。その気持ちだけが、強く霊力を動かした。クロガネが死の瞬間に意識を手放し、次に目を開けたときにはこの真っ白な空間にいたという。

 クロガネの強い意思と霊力が結びつき、その意識を一番血の繋がりの濃いシロガネの中に残したのだ。

「ここは、お前の精神(こころ)の中の一部」

 ここから、クロガネはずっとシロガネの目を通して現世を見ていたという。自分の死を悼む真白の姿、母子二人で必死に生きようとした姿、そしてタガネに引き取られた後のシロガネの姿――……

「そんな!ずっとここで見ていたなら、なんでかあさまを助けてくれなかったんだ!」

 シロガネが叫んだ。ばち、とクロガネの手を振り解く。その大きく黒い目に、怒りが宿っていた。

「見ているだけなんて、あんたは……あんたは!」

「俺には、ここでの一つの役割しか、許されていなかった」

 クロガネは、振り解かれた手を下ろして静かに言った。

「お前の膨大な霊力を、暴走しないように抑えておくこと――……俺には、お前を内側から守ることしかできなかったんだよ」

 クロガネの腕がすっと広げられたと思うと、その背後にとてつもなく大きな黒い影が立ち膨らんだ。あっという間に四方八方へ広がっていく。

 ぶわあぁっ……

 もくもくと白い空間を黒く満たしていく影は、クロガネが指を一つ鳴らすとその指の間にしゅるしゅると巻きついてきた。一呼吸の間にその影を手の中に吸い込んで、クロガネは細い目を閉じた。

「お前の霊力は……鉄狐として生きるのにも大きすぎるほどに大きいんだ」

「俺が、霊力を上手く使えなかったのは…」

「人の里に長くいたからだけではない。俺が抑えていたからだ」

 それは俺からの遺伝かもしれないし、もっと他の理由かもしれない。どちらにせよ、シロガネの霊力は自分では扱えないほどに大きい。それが暴走すれば、他者は勿論、自分すらも傷つけてしまうだろう。クロガネがそう言うのを、シロガネはぐっと下唇を噛んで聞いていた。その瞳に残る怒りを受け止めるようにクロガネは頷いた。

「いや……言い訳だよな。俺は、お前にも真白にも、何もしてやれなかった。真白を死なせ、お前にも辛い思いをさせた……」

 クロガネの涼しい顔が、苦しそうに歪む。

「許されることではないが、本当にすまなかった」

 長身を折り、クロガネが深く頭を下げた。シロガネは、黙っていた。許すことも、許さないことも、考えられない。ただ、これ以上目の前の父親を責めることはできなかった。クロガネが体を戻し、低い声で続ける。

「お前の霊力、今この危機にあって、解放されようとしているんだ。俺は、お前にそれを問いにきた」

 その言葉に、シロガネは今現実の世界で自分がどういう状況にあるか思い出した。自分のために、風狐が一人死のうとしているのだ。はっとして、墨色の指貫に両手ですがり付いた。

「フウエンが!このままじゃ、フウエンが……タガネだって、殺されるかもしれない!」

 シロガネの脳裏に、昨日のカガルの姿が浮かぶ。瀕死で、血濡れになって意識を失ったカガル。その顔がタガネやフウエンになると思うと、鳩尾が焼け付くような気持ちがした。

「お前の霊力で救えないことはない」

「助けないと!タガネは俺の、俺の……」

「もう一人の親に等しい」

「そうだ、だって、タガネはいつも俺のこと見てくれてたんだ」

 あの日、初めてタガネの屋敷で目を覚ました日。用意されていた草履も靴も寝間着も、その他屋敷でシロガネが使う全てのものはきちんと自分の体の大きさにあったものだった。長としてどんなに忙しくても、シロガネの稽古には必ず付き合ってくれる。シロガネが拗ねても泣いても、タガネは決して叱ったり無視したりはしなかった。あの険しい顔をひたすら困らせて、膝を抱えたシロガネの傍に座っていた。

 不器用に、だがタガネなりの精一杯の愛情で、この五年間シロガネを育んできたのだ。

「俺の、友だからな」

 クロガネが、温かい声で言う。その声には、旧い友を慕う思いがこもっていた。

「それで、フウエンは、俺の師匠だ」

 はっきりとシロガネが言った。あらためて、フウエンが恋しかった。一緒にいたのはたったの十日ほど。それでも、フウエンの冷たい手や曖昧な笑顔が、シロガネの中の凝り固まっていた何かを確実に溶かしていた。

 つかず離れず、ゆっくりとシロガネの歩く速さに合わせて。ひとつひとつフウエンが丁寧に教えてきたことは、しっかりとシロガネの中に根を下ろしていた。クロガネも、頷いた。

「フウエンのおかげで、俺、自信持てたんだ……霊力も、強くなりたいって思えた」

 シロガネが、クロガネの胸元でつよく拳を握る。タガネもフウエンも失いたくない。二人は、シロガネにとって大切な存在だった。

「全部、知ってるさ」

 クロガネの手が、そっとシロガネの拳を包み込む。子が見上げると、父は優しく頬を緩ませていた。よく見ると、自分と似ている。目元以外の顔の造りがそっくりだった。

「俺も、あの二人を死なせるわけにはいかん。大切な息子の、恩人だ」

 クロガネの手を通じて、シロガネの手にじんじんと熱が伝わってくる。ふとシロガネが自分の拳を見ると、大きな手に包まれたそこは白く光っていた。自分の手の中に、更にもう一つ命があるような熱さだ。

「シロガネ、今少しだけお前の霊力を解放する」

 どくん、どくん

 シロガネの手の中の白い光が脈打つ。それはどんどん大きくなっているようだった。クロガネは、その光にふうっと息を吹きかけた。すると、その光は溶けるように消えて、後には刀が一振り残った。

「これが、お前の霊力の形を使いやすいように俺が錬ったものだ」

 真っ黒な柄に、金の兜金と鍔。鞘はなく、すらりと真っ直ぐに伸びた銀色の刀身は長く、およそ四尺。シロガネが右手に持ってみると、羽のように軽かった。クロガネから少し離れ、正眼に構えてみる。振り上げても重さはなく、振り下ろすと切っ先から鋭い風の音。刃が、白くきらりと光った。

 シロガネがクロガネに向き直ると、周りの景色が歪んでいった。

「さあ、シロガネ」

 クロガネが、歪む景色の中にうっすらと見える薄闇を指差している。よく見ると、それはシロガネがついさっきまで居た場面だった。タガネは、大刀を木の龍の胴に食い込ませながら上を見上げて叫んでいる。タガネの視線の先には、大口を開けた龍の頭と、その前に立ったフウエンの背中が会った。

「フウエン殿を呑もうとしているあの龍めがけて、これを振れ。思いきりよく、だぞ」

 クロガネの言葉に、シロガネは力強く頷く。刀の柄を握り締めた手に、大きな手が重なった。それは、重さのない温度だった。

「父親らしいことを、何もしてやれんで、すまん」

 その言葉に返事をする前に、歪んだ景色は全て吹雪に呑まれる。ただ一人刀を構え、シロガネは現実の夜の中に戻ってきた。


 時間が止まったようだった。クヌギの刃の前にはもうシロガネはいない。宙に浮かんで、フウエンに向けて牙をむいた龍の頭の傍にいた。全てが静止している。


「……とうさま」

 呟いて、ぎゅうっと黒い柄を握りなおす。月光を反射している白い刃を、するりと上段に構え上げる。落ち着いて、しっかりと対象を見た。

 びゅんっ……

 今持てる力を全て込めて、刀を振り下ろす。その瞬間に、止まっていた時間が動き出した。



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