思出夜
シロガネの頭の中で、何かが弾ける音がした。
眼前から、辺りが真っ白になった。
金の里、タガネの屋敷。シロガネのよく知っている屋敷の門前で、タガネと誰かが話している。タガネと対面しているのは、背の高さはタガネより少し低いほどの、墨色の狩衣を着た男だ。タガネが神妙な面持ちで言う。
「本当に、それでいいのか……クロガネ」
「くどいな、お前も」
クロガネ、と呼ばれた男が肩を上下させて笑う。その声は、たいそう低いが澄んでおり、聞き取りやすい。男は笑いながら続けた。
「俺は、この里と霊力を捨てる。真白と共に人の里で生きるよ」
タガネが溜息を吐きつつ言った。
「お前は……昔からそうだ。一度決めたらてこでも意見を曲げん」
「そうだな」
「このままここにいれば、お前は必ず長になるだろうに」
「長になんて、はなから興味はねぇよ」
「生まれ持った霊力も強い、武術も一流、なのに……まったく」
「おい、武術はお前のほうが強いぞ。俺はお前と遊べるから修行してみただけだ」
「遊び半分で、俺と肩を並べるほど強くなられたのでは、俺の立場がない」
「タガネは、本当に真面目だな」
「真白殿は、いったい、お前のどこがいいんだか、さっぱり分からん」
「俺も分からん」
男はふと笑みを消してタガネを真正面から見た。
「けど、こんな俺のことを思ってくれるのは……こんな俺でも家族になりたいと言ってくれるのは、人間の女、真白ただ一人なんだよ」
「……うむ」
タガネが、ゆっくりと頷いて、その頑強そうな顔にそっと笑みを浮かべた。
「お前が幸せになるのを、俺が止めることはない」
だがな、と付け加えてタガネが言った。
「住む場所が離れても……俺とお前が友であることは何も変わらん。いつでも頼れよ」
「……お前と友になれて、俺は本当に果報もんだな」
男が、笑った。その足元から吹雪のように姿が消えていく。
「真白殿に、よろしく言っておいてくれ。俺の友を頼む、と」
「おう……じゃあな、タガネ」
「達者でな、クロガネ」
タガネが笑った。その瞬間に、吹雪はばさりと一面を覆った。男もタガネもタガネの屋敷も、全てが白に塗りつぶされていく。
白の中に、シロガネは立っていた。先程まで見ていた光景は、シロガネの知らない光景。二人の男が話している様子を屋根の上から覗いているように、その光景はシロガネの目に映っていた。それが真っ白く消えて、今は自分の他に何もなかった。
「……クロガネ……」
聞こえていた名前を小さく口の中で呟く。自分と同じ真っ黒な、ばさばさと真っ直ぐに伸びた髪。細面で、鼻筋のすっと引かれた涼しい顔。柳の葉のような形の目に、金色に光った瞳。何より、
「かあさまの、名前」
男が口にした、真白という名の女性。それはシロガネの母だった。大きな黒い瞳と、白く丸い頬。よくころころと笑う高い声。温かく優しい背中。少し癖のある日に焼けた長い髪も、死の直前の柔らかな笑顔も、全部シロガネは知っていた。
「……久しいな、シロガネ」
低い、よく通る声がした。声のほうを見ると、墨色の指貫の男が立っていた。
男は、微かに笑っている。男をじっと見ているシロガネの方へゆっくりと歩いてきた。
「…とう、さま……?」




