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狐夜話  作者: 行待文哉
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悲月夜

 母は、僕を産むために妖しい薬や術をたくさん使ったらしい。男児に恵まれますよう、霊力の高い子に恵まれますよう、狂ったように膨らんだ腹に負荷をかけた。木の里では、長に何人も妻がいて、将来長になれるほど強い子を産んだ女だけが正妻として認められるから。

 そんな母の願いは叶ったと言える。腹違いの兄弟たちの中で、僕は一番霊力が強かったのだ。母はそれを見届けることなく、僕を産んだ次の夜には死んだ。妊娠の最中も無茶な祈祷をしたから、体を壊していた。母方の一家が、それから総出で僕を長に担ぎ上げた。

 物心ついた頃から、来る日も来る日も僕は霊力の修行をした。勿論初めは全然うまく出来なくて、火傷もしたし溺れかけたりもした。土に埋まって死にかけても、自分でどうにかしなくてはいけない。他の兄弟に打ち勝つために、一刻も早く、霊力を完璧に扱える必要がある。そう言う大人たちに囲まれて強いられ、泣いても許してもらえなかった。

 それに、他の兄弟も大体同じようなことをしていた。皆、大人の都合で振り回されていたといえる。何十人いた兄弟の中には、霊力を扱いきれないで死んだものもあったらしい。

 住んでいたところは、良いところだった。清潔な布団、豊かな食事、きれいな服。朝から晩まで修行をして、夜は疲れ果てて死んだように眠る。ふらふらになりながら、なんとか食料を腹に入れて命をつなぐ。そんな生活では、衣食住のありがたみなど、感じたことはなかった。

 母は無く、父は長で忙しく、兄弟同士は生き馬の目を抜くように争い、僕はだんだんと生きるとはこういうことなのだと割り切るようになった。口を閉じて、ただただ大人の言うとおりに淡々と過ごす。怒られないように、息を殺しながら何も感じないように。

 僕は運が良かった。元々の霊力も、周りの大人につけられた力も、誰よりも優れていたのだから。ある日突然顔を見たこともない父が死んで、僕は長になった。

「自由になれると、思ったよ」

 もう修行をしなくてもいい。それだけでも目の前が晴れていくようだった。初めて長の儀式に就いたときに目にした、足元に仕える何百の狐が首を垂れる様には、感動すらした。登りつめた、もういいんだ。楽になれるなんて、そんなの、たった一瞬の夢だった。

 僕には、話を出来る者がいない。母方の親戚たちは、口を開けば「我が血筋のため」としか言わないし、僕に個人の意思があるなんて知らないようだ。ずっと隔離されて育ってきて、同年代の子供とは会ったこともない。友人はおろか、僕には親も兄弟もいないのだ。

従者に就いたウルシは、僕の母の姉の子供だという。母の姉は体が弱くて長の妻にはなれず、普通の狐の間に産まれたウルシは長の争いには直接関係がなかったから、と側近に就いたのだ。もしかしてウルシなら、と抱いた淡い期待はすぐに打ち砕かれた。

「長になったのなら、責任が重いですよ」

 そう冷たく言い放って、ウルシは僕の手を振り払った。あなたは長なのだから、長は里の顔なのだから、と繰り返す。僕が悩んでも苦しんでも、ウルシには全く関心がないようだった。ただ里のために、長として。そうでない僕には、

「価値などない、って」

 今まで十年、僕はずっと我慢して生きてきた。やりたいことをやったことも言いたいことを言ったこともない。僕はずっと、長になるための道具としてだけ培われてきた、ただの器だった。

「長になって、何度か他の里へ視察へ行ったんだ」

 カガルもタガネもミナトもジンサも、快く新しい長を受け入れてくれた。そこでやっとほっとした時だった。

「火の里でね、子供が一人、カガルさんに抱きついた」

 カガルさま、遊ぼう!五つぐらいの子供が、カガルさんと僕が話している時に飛び込んできた。その子供と一緒に、何人も子供がカガルさんの屋敷の庭にいた。明らかに霊力なんてない、何の取り柄も無さそうな汚い子供。それを、カガルさんは笑って抱き上げたんだ。

 遊ぼう!昨日約束したじゃん!

 おお、悪いな。ちょっと待ってくれや。あとで必ず行く

 鬼ごっこだよ、カガル様が鬼だよ!

 おう、任せとけ!

 泥で汚れた顔を拭いてやって、笑い合いながらカガルさんは子供の頭を撫でた。我も我もとたくさんの子たちがその腰にまとわりついて、その全部にカガルさんは返事をする。あんなに何の価値もなさそうなのに、本当に楽しそうに笑う。長に対しての敬意だとかも無いのに、カガルさんは怒ったりしなかった。

「なんでかって聞いてみたらさ、カガルさんは不思議な顔で答えてくれたよ」

 子供なんて、誰でもあんなもんだろ?

ああやって無邪気に生きてるのを見てるのが、俺は嬉しいね。

 子供は、何にも分かってなくって、それがいいんだよ。

 僕も、子供だった。つい二年か三年前には、あの子供たちと同じ体の大きさだった。だけど、僕はあんなふうに笑ったり、誰かに抱きついたり、頭を撫でてもらったり、全く覚えがない。

「そんなの、不公平だって思った」

 その気持ちは日に日に膨らんでいく。長としての職務に忙殺されて、修行をしていたときよりももっと余裕が無くなって、疲れていけばいくほど、僕の不公平感は加速度を増して育っていった。

 あまりにも息が詰まって、ある日の夕方、里を抜け出した。秋の風が冷たくて、ただ風に任せて北の方へ飛んでいってみた。そしたらあっという間に水の里に着いた。この姿では目立つから、髪を黒く変化させて里の中をふらふらしていたんだ。ミナトさんに見つかると騒ぎになるだろうから、僕だとばれないように気配は消して。

 平屋の家々、夕食の準備をする母親たち、仕事帰りの父親たち。その肩や背で笑う子供たち。みな、豊かな暮らしではなさそうなのに、とても満たされたような顔をしていた。

「我慢ならなかったよ」

 湧き上がる怒りを抑えきれそうにない。そう思ったとき、鼻歌を歌いながら河原を歩く一人の子を見つけた。話しかけてみたら、その子はぼんやりと鼻をすすりながら笑って言った。

 かあさまがね、きょうは、僕の好きなおさかな焼いてくれるって

 自分でも、何をしているか分からなかった。気がついたら、その子の鳩尾に霊力を叩き込んでいた。ぐったりと河原に倒れたその子は気絶しているようだったけど、たまたま、周りには誰もいない。

「同じ目にあわせてやろうと思った」

 僕の霊力なら、子供一人を見えないように結界で包んで里の外へ連れ出すことは難しくなかった。里を越えて森を抜けて、人の住む遠く遠くの里へ―…

「長い時間、僕が木の里を空けると騒ぎになる」

 だから、適当にその子を知らない場所へ飛ばすように術をかけた。行き先は知らない。だけど、すぐに子浚いがあったと耳に入ってきて、三日経って帰ってこないと聞いたときに心から喜びがこみ上げてきた。

「少なくとも、あの子は一人ぼっちになった」

 それから、週に一回ほどの頻度で適当に子浚いを繰り返した。知らない子をよそへ飛ばす度、自分の不公平感が少しずつ埋まっていく。自分の不幸を、一人でも多くの子供が知ればいい。そうとしか思えなくなっていた。しかし。

「自分の里の子を一気に三人ってのは、調子に乗りすぎたよ」

 このことが、一気に子浚いを五つの里を巻き込んでの大騒動にしたのだ。単に遠いからという理由で行かなかった金の里と土の里の狐が疑われ、とうとう子浚いに対しての警備がきつくなってしまった。

 事態は、僕がもうどうにかできる範囲ではない。ただ、もうこうなったら、金の里の子が浚われれば何か疑いの目が里の狐以外、例えば風狐や人間に、向くのではないかと考えた。急がないと、厄介な風狐も真実をかぎつけるかもしれない。

「君は本当に邪魔だった、フウエン」

 急いだせいで、金の里から子を浚うときに失敗をした。子をしっかりと眠らせそこね、カガルさんが駆けつける。カガルさんがあの時斬った土人形の向こうに見たのは、僕だった。とっさに、ヒバリに言いつけてカガルさんを角で刺させた。

 何食わぬ顔をして、カガルさんの看病に駆けつけたとき、改めて自分が何をしたか目のあたりにして目眩がした。殺すつもりなどなかった。ただ、自分の身の危険を感じて、龍の気をぶつけてしまっただけだった。

 瀕死のカガルさんを前に、もうどんな言い訳も通用しないなと分かった。カガルさんが起きる前に、東の国を出よう。逃げよう。そんなこと以外何も考えられずに、ぼんやりとあの屋敷にいた。そんな時。

「君を見て……こいつを一人ぼっちにしてから逃げようと思ったんだ」

 クヌギは、歪んだ笑みを浮かべてシロガネを真っ直ぐ指差した。


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