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狐夜話  作者: 行待文哉
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対峙夜

 壁に吸い込まれたと思った次の瞬間、シロガネはひどく体を地面に叩きつけられた。どうやら、広やかな森の中らしい。草の上にどたりと背中から倒れて、それでもシロガネはすぐに体勢を整えて膝をついて木刀を構えた。その先には、眼を丸くしているフウエンがいた。

「……お前、誰だ?」

「嫌やなあ。たった数刻でうちのこと、忘れてしもたん?」

「お前は、フウエンじゃない」

 両者が沈黙する。フウエンの姿をしたそれは、にいっと口端を裂けんばかりに開いて大きく背を反らせ、高笑いを始めた。

 ああっははははははは、あはははは

 その不気味に高い笑い声に、森の鳥たちが一斉に木から飛び立つ。シロガネが一瞬周りに目をやると、もう真っ暗な夜だった。それでも相手のことが見えるのは、今夜が大きな満月の出ている夜だからだ。笑い声が人語になり、フウエンのものとは全く違う音で歌うように叫んでいる。

「おかしいなあ、ああ、おかしい」

 もはやフウエンの姿をしただけのそれは、どろどろと溶けるようにその場にうずくまる。シロガネは、木刀の柄をぐっと握り締めて、必死に頭の中で目の前の光景に追いつこうとしていた。

 フウエンの姿だったそれはもう形を変えていた。叫び声はなく、ただ、聞いたことのある声でシロガネに話しかけてくる。

「ほんとにおかしいや……ね、なんで分かったの?」

 若葉色の髪に真っ青な水干、桜の紋。シロガネよりもいくらか小さい体。月明かりに照らされた、屈託のない笑顔。そこにいたのは、木の里の長・クヌギだった。

「……フウエンの手は、冷たいんだ」

 ハトバの部屋に現れたフウエンの手がシロガネの手首を掴んだとき、それは確かに温かかった。いつも冬の風で冷やしたように冷たいフウエンの手の温度ではなかったのだ。シロガネは、クヌギを睨みつけて言った。それを聞いて、クヌギはもっと楽しそうに笑いだした。

「ああ、そうだったんだ。僕、フウエンの手なんか触ったことないんだもん。失敗だった」

「おい、フウエンは……他の皆は、どうしたんだ」

「さあね。今頃、君を探してるんじゃないのかなあ」

 クヌギが、すっくと立ちながら懐から木でできた人形を取り出して足元に勢いよく投げつける。木が割れる鋭い音がして、たちまちそこに大きな土人形が現れた。クヌギはふわりと宙へ浮くと、その土人形の肩へとまたがった。背の高さは二間に届くほど、ずんぐりとした人の形のそれは、ゆっくりとシロガネに向かって歩いてくる。

「まあ、それまでに君をどこかにやっちゃわないとね」

 まるで玩具で遊ぶ子供のように、クヌギはふふっと微笑んでいる。シロガネは、その笑顔にぞっとしながら、懸命に土人形から距離を取ろうと後ろへ跳んだ。

「大丈夫だよ、殺したりしない。ただ、知らないところに置いていくだけだよ」

 土人形が、シロガネに迫りながらのったりと腕を振り上げる。その腕の先がとてつもなく大きな人の手になった。それでシロガネを捕らえようとしているらしい。

「今までの子たちと一緒さ」

「まさか、子浚いって、」

「十二人の子はね、僕が浚ったんだ」

 クヌギは、土人形の上でぱたぱたと足を揺らして言った。その顔を月光が照らしている。

「じゃあ、カガル様を……」

「そう、カガルさんは、僕があんな風にしちゃったんだよ」

 そう言うクヌギの目は無表情だった。その青みがかった瞳には何も映っていない。口元だけが笑っているが、それがかえってシロガネには恐ろしく見えた。背中から頭の先へ、怒りと恐怖の入り混じった寒気が走る。

 土人形がぶうんと大きく振りかぶって右の腕を振り下ろす。あまり速くはない。それをシロガネがさっと避けると、すぐに反対側の腕も振り下ろされた。だんだん、振り下ろされる速さが速くなり、ぶんぶんと風を切る音が絶え間なく続く。シロガネは木刀を構えたまま後ずさって、土人形の指先を避けていった。今、背を向けて走れば、相手が見えなくなって危険だ。

 どつん

 鈍い音がした。シロガネの木刀に、土人形の腕が当たったのだ。とうとう、後ろへ下がっているだけでは避けきれない速さで土人形がシロガネを追い詰めてきていた。重い音の割に、痛いほどの衝突ではない。ぶつかった土人形の箇所は、ぼこりとへこんでいて、動きが止まっている。それを確かめると、シロガネは思い切って土人形の方へ突進した。木刀は、左胴から横なぎに真一文字に振りぬく。

『自分よりも大きな相手と戦うときは、懐へ入ることを考えろ』

 タガネの教えだった。シロガネはどうしても大人と対戦すると体格で分が悪い。体力も劣る。腕の長さも負けるので、単なる打ち合いではまず勝てない。だが、体の近くでの動きに大きな相手はついていけないことが多い。そこで、相手の体の近くに入り込んで致命傷を狙うのが基本だと、タガネは常々言っていた。

 どうっ

 シロガネの木刀が、土人形の左の腹から横一線に胴の真ん中まで斬り進んでいた。手ごたえはある。その衝撃でぐらりと左へ傾いていく土人形の右の胴にも、すかさず一撃を撃ち込んだ。右からの一撃で土人形の胴は真っ二つにちぎれ、切り口からたちまち砂が噴きこぼれる。地面に倒れこむのと同時に、土人形は崩れてその形を失った。

「あーあ、壊れちゃったじゃないか」

 シロガネが黒い髪をばさっと揺らして頭上を見ると、クヌギは既に高い宙へ浮いていた。小さな手には木片がいくつも握られている。それをクヌギが地面に落とすと、落ちたところからむくむくとまた土人形が現れた。今度は、大人ほどの大きさのものである。同じものが、シロガネの周りの地面から、次々に産まれる。

 ぼこり、ぬたり

 ぼこり、ぬたり

 合計五体の土人形がシロガネに向かって両手を差し出して迫ってくる。シロガネは、動きの速くないそれらの傍を駆け抜けて行く。森の、木の密集した箇所を見つけたのだ。

 土人形は、初めは歩きはじめの幼児ほどの速さでシロガネを追ってきたが、どんどん成長していく。わずか三十歩、シロガネを追い詰めたときには成人の男性の動きになっていた。シロガネは、木と木の四尺ほどしかない合間でぴたりと立ち止まって、向かってくる土人形に対峙した。

「……こい」

 逃げるのを止めたシロガネに、二人が一気に手を伸ばそうとして互いの体をぶつける。残りはそのぶつかった二人の後ろで立ち往生している。うっそうと茂った木が邪魔で、五人固まっては動けないのだ。シロガネは、よろけた二人に向かった。

 ひゅうっ、ずんっ

 シロガネの木刀が夜風を鋭く裂いて振りぬかれる。一人の土人形の頭から股までを、一気に真っ二つに斬りきった。斬られた体が霧散していくのを見ずに、隣にいた一人も同じように叩き斬る。二人の土人形がいなくなって見えたのは、シロガネの真正面に立った三人。ゆらゆらと迷うように、二人が左右に分かれて走り出している。

 (背中だけはとられるな)

 複数人と戦うとき、絶対に背後をとられてはいけない。タガネは言っていた。なるだけ、一対一に近い状況を作ること。シロガネは自分の左側に回りもうとした土人形めがけて走り、左袈裟に肩から斬りつけた。二つに分かれた土人形の体を踏み越えて、体勢を反転させる。斬られた土人形がぐらりと溶けていく向こうに、しっかりと二人の姿が確認できた。

 今度は二人同時にシロガネに向かって走ってきたが、左にいた一人のほうが二呼吸分ほどシロガネに近い。真っ直ぐに突っ込んできた一人をシロガネがぎりぎりでひらりと避けると、土人形はすぐさま振り向いて立ち止まる。後から来た土人形と、シロガネがいたところで勢いよくぶつかった。

 どちゃあん

 土人形は、どうやら知能らしい知能はないようだ。泥が足元に飛び散るほど強くぶつかって、二人は動きを止める。シロガネは、たんっと垂直に跳び上がって、くっついた二人の土人形の頭めがけて横なぎの一閃を撃った。

 ぐしゃりっ

 重く鈍い嫌な音の後、首を失った二つの土人形が折り重なるようにして倒れた。シロガネは、一息大きく肩を上下させている。ほんの少し、安堵していた。


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