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狐夜話  作者: 行待文哉
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二日月夜

「ハトバ、シロガネ、おいで」

 それから更に半刻過ぎて、フウエンが二人を呼びに来た。黒い直衣は脱いでおり、ここへ来たときとは違う、薄い水色の水干を着ている。どうやら、この屋敷の中で着替えたらしい。髪はくしゃりとよれ、頬はほんの少し紅潮している。少し疲れた様子ではあったが、緩やかに笑って少年二人の頭を同時にわしわしと撫でた。

「とりあえず、命は助かった」

「良かった!」

 ハトバが思わず大きな声を上げて嘆息を吐き出した。シロガネも、ほっと息を吐く。しかしフウエンの水干からふわりと漂った血の匂いに、すぐに気が張り詰める。

「意識は戻っとらんし、腕と脚はどうなるか分からん」

 シロガネの不安を言い当てるようにフウエンが低く言う。縁側を照らす陽の光はもう高くなっていたが、ちっとも暖かさを感じない。シロガネとハトバの背を軽く叩いて、フウエンが歩き出す。重い足取りでついていくと、広い廊下の先の大きな和室に通された。

 二人を待っていたかのように、部屋の中の狐たちが一斉に振り返る。十二畳間を三つぶち抜いて作られた広い部屋には、タガネ、ジンサ、クヌギ、ウルシ、それにあと十数人の人の姿をした狐たちが立っていた。皆水色の水干を身につけており、中には袖口に鮮血を滲ませている者もいる。

その人垣の奥には、布団が一組。包帯と布に包まれて眠っているのは、カガルである。顔も半分以上が包帯に包まれているが、あの真っ赤な髪が白い枕に散っていた。その枕元に、長い髪を振り乱したイブルがうずくまっている。一瞬だけシロガネと目が合った。その目は真っ赤に腫れていた。そのイブルの反対側にはミナトが静かに座しており、たくさんの器具を膝の周りに並べて何やら呪文を唱え続けていた。

その光景に、シロガネは息をのんだ。足元から立ち上がるように、血の匂いが充満している。強い薬の匂いも混じっており、畳の至るところに血の痕があり、まさに惨状だ。人垣の一番外側―新たに部屋に入ってきたシロガネとハトバに近い位置―にいたクヌギは、既に唇まで真っ青になっている。今にも倒れこみそうなクヌギの片腕を、ウルシがようやく掴んでいた。ウルシも気分が悪いようで、背を丸めて顔を歪めている。

「……ハトバ、シロガネ。そして、他の者もよく聞きなさい」

 カガルに近いところにいたジンサが、地を這うような低い音で言った。二人は、反射的に背筋を伸ばす。よく見ると、シロガネの知っているタガネの従者も何人かその場にいた。

「昨夜何があったか、大体のことが分かった」

 意識の混濁するカガルの漏らした言葉と、カガルのそばにいた子供の話、現場に残っていた物事、最初に発見したタガネの証言。それらを統合すると、こういうことになるらしい。


 昨夜のこと。金の里で、一人の子供がいなくなった。いなくなった七つの子供は、やはり、家に帰る道で突然何者かに連れ去られ、気がついたら真っ暗な闇の中にいたらしい。

 が、今までの子と違ったのは、この子供は犯人と一緒にいるときに目を覚ましたということである。金の里の道でふっと気を失って、何かに揺られている感覚で意識を取り戻したのだ。目を開けるともう月が高く出ている夜で、子の体は大きな蛇のような生き物に乗せられていた。

 びっくりして体を起こすと、子の体は地面に落ちた。ひどく尻を打ったがすぐに立ち上がれたので、それほど高いところから落ちたわけではなかったらしい。大きな蛇は、夜の森の中で鎌首をもたげて腹を地面に擦っている。弱い月光が蛇の頭部を照らした。目が、ない。悲鳴すらあげられず、子はただ逃げようと後ずさった。だが、その子の目の前に何者かが立ちはだかる。一間ほどの高さの、土人形のようなもの―それが、七つの子に向かって腕を振り下ろしてくる。

 死んでしまう。そう思った子が動けないでいると、闇を切り裂いて太い矢が飛んできた。それはぶっつりと土人形の腕に刺さり、動きを止める。続けて、真っ赤に逆立った髪の男が子と土人形の間に割って入った。

「おい、平気か!」

 怒号に似た声の主が火の里の長だとは子には分からなかったが、土人形に次々と矢を打ち込んでいく背中は味方だと思ったらしい。咄嗟に、カガルの近くにあった木の陰に隠れた。カガルの矢は土人形の頭にも体にも刺さっていくのだが、動きが止まるばかりで倒れる気配もない。

「畜生、なんだこの化け物は……!」

 カガルが、右手にべっと唾を吐き、その手で腰の刀を抜いた。すらりと抜かれた刀が月光を反射し、一振りすると刀のみねにごうっと炎が立つ。その炎で、周囲が急に明るくなった。木の陰に隠れていた子にも、それが分かったという。その光を振りかざしながら、カガルは土人形に斬りかかった。

 上段から勢いよく振り下ろされた刀が土人形を真っ二つにした。土人形はゆっくりと左右に崩れていく。

「……おい、なんで……」

 ふと、カガルの動きが止まる。お前は、とカガルが言った瞬間にずぶりと鈍く低い音が響いた。刀を再び構える前に、カガルの体を二本の大きな棘のようなものが貫いていた。子供の腰周りほどあるその棘は、カガルの逞しい体をやすやすと串刺しにしていたのだ。

 子は、そこで気を失った。あまりの衝撃に、精神が耐えられなかったのだろう。

 同時刻。浚われた子を総出で探していた鉄狐たちの、特に霊力の強い者たちの耳に、その衝撃が伝わった。大きな霊力の動きは、霊力を持つ者には大なり小なり分かるものだ。タガネは弾かれるようにその衝撃のあった方へ宙を駆けた。自らの心臓を突かれるような強い衝撃に、嫌な汗が額を流れる。

 衝撃を感じてからわずか数百秒。西の森のはずれで、タガネは血の海に倒れたカガルを発見した。そのすぐ傍に、子供が倒れている。既に虫の息であったカガルは、駆け寄って抱き起こしたタガネにこう言った。

「子浚、い」

「まさか、……とは、思わなかった、んだ」

「ち、から、が」

 すぐに鉄狐が数匹駆けつけて、カガルと子を火の里へと連れてきた。タガネが二人を抱えてカガルの屋敷へ転がり込んだとき、すでに屋敷の中は上が下への大騒ぎだった。イブルが就寝中に突然跳ね起き、兄さんが大変だ、と錯乱していたのだ。すぐにミナトを呼んでくれ、血の繋がった兄が誰かに殺される、と暴れて騒ぐイブルを女房狐が宥めていたが、瀕死のカガルが運ばれてきたことでイブルは魂が抜けたように放心してしまった。すでに、夜が明けようとしていた。

 タガネはそれからミナトや他の長たちに急ぎ文を出し、カガルにできるだけの処置を施した。だが、自分の霊力を注いで患者の体力を持たせることが出来ても、肝心の傷がふさがらないのでは血も体液も失われるばかりである。炎狐の中でも霊力の強い者が何匹か必死に看病するが、このままではあと一刻も持たない。そんな時に、ミナトがフウエンとシロガネを伴ってやって来たのだった。

「なんとか、一命はとり留めました」

 ミナトが、ジンサの言葉を引き継いで静かに語りだす。今は周りと同じく水色の水干を身につけ、黒く豊かな髪をきっちりと一つにまとめて束ねている。袖口にも胸元にも、赤くべったりと血が染み付いていた。

 傷口には強力な霊力が残っており、それがかなり厄介だった。普通の傷であれば、傷のなかった状態に戻すのは比較的たやすいらしい。だが、カガルの傷口に残った霊力は、毒のように体に染み込みどんどんとその範囲を広げていた。特に右肩の傷からは胸の心臓に向かって傷が広がっていく。まずはその霊力を除かねばならない。

 そのため、タガネやフウエンといった霊力の強い者が、毒の気を相殺するように霊力を傷口に注ぎ、ジンサが土の気を使ってカガル本来の生命力を延ばした。ミナトはその間にカガルの体を巡る血と水の流れを止め、失われた肉や組織を回復させる。遅れて到着したクヌギが更に霊力を注いでカガルの血を補った。

 そのかいあって、毒気の霊力は消え去り、傷口の見た目はふさがっていた。しかし、一度傷ついた筋肉や骨、関節などが全く元通りになるかは、

「誰にも分かりません」

 と、ミナトは睫毛を伏せた。もし悪くすれば、右肩と右脚は一生自由に動かないかもしれない。本人は今深く眠っているが、その想像を絶する痛みや体への負荷を考えると、普通の生活が出来るようになるかも分からないとのことだった。

「……どうして、兄さん……」

 カガルが、涙でガラガラと枯れた声で呟いた。寝間着のまま、カガルの枕元にぐったりと伏してしまっている。傍には女房狐が一匹、寄り添うようについていた。それを一瞥して、ジンサが続けた。

「皆、聞いた通りじゃ……この子浚い、取り返しのつかぬことになってきた」

 その場にいた大人も子供も、無言だった。

「我ら長はしばらくの間ここを動かれぬ。話し合いが必要じゃろう。他の者は、おのおのの里に帰り、誰も外へ出ぬように伝えい。このままでは、命の保障が誰にもできぬ……」



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