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狐夜話  作者: 行待文哉
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新月夜

 今、シロガネは、火の里にいた。カガルの屋敷の端にある縁側に足を出して座っている。隣には、土の里のハトバが膝を抱えて座っていた。二人は、かれこれ半刻ほどこうしてただ黙って二人で座っているのだ。

 書状を読んですぐに、ミナトはフウエンとシロガネを連れて火の里へ急いだ。水の里の長であるミナトが呪文と簡単な魔方陣を書いただけで、あっという間にミナトの洋室と火の里のカガルの屋敷の庭は繋がってしまう。たった三歩歩いただけで、簡単に屋敷の敷居をまたいでしまった。

 ミナトが小走りに駆け寄って開けた屋敷の扉の向こうには、タガネがいた。

「ミナト、よく来てくれた。お前の霊力、使ってもらいたいのだ」

「どういうことなのですか、タガネ。カガルは……」

「昨晩遅く、西の森で大きな霊力の衝突を感じて……俺が駆けつけたら、カガルが血を流して倒れていた。そばにはうちの里の子狐がいて、泣いてはいたが、怪我はない」

「危篤とありましたが、どのような怪我なのです」

「右肩と右太腿に大きな損傷があって、血が止まらん。どうやら術を施した物で貫かれたらしい……傷もふさがらず、熱が上がるばかりなのだ」

「尽力します」

「頼む。すぐ、他の長も来てくれる。そしたら、交代で霊力を注いで……」

タガネは険しい顔で事情を説明していたが、ミナトの後ろにフウエンとシロガネがいるのに気がついて、たいそう驚いていた。ミナトはタガネの横をすり抜けてばたばたと狐が出入りしている廊下を歩いていく。部屋が分かっているようだった。

「シロガネ!どうした、一体」

 タガネがシロガネの肩に両手を置いて、ばっと体の無事を確認する。強い力でがくがく揺らされて、少し寝不足の頭が痛んだ。フウエンがそのタガネの額を軽くはたいて言う。

「ちょっと用事があって、たまたまミナト様の部屋にお邪魔しとっただけや」

「シロガネに、何か怪我があったのではないな?」

「違うよ、タガネ。俺は平気だ」

 シロガネがようやく返事をすると、タガネの眉間のしわがほっと一本減った。しかし、背後に聞こえる狐たちの喧騒がいよいよ不穏なものに聞こえてくる。タガネは、今度はフウエンの肩を掴んだ。

「フウエン、お前、ミナト様の治療の手伝いをしてくれんか」

「もちろん、そのつもりでついてきた」

「お前の有り余る霊力なら、長にもひけをとらんだろう。頼む」

 タガネがフウエンをひょいっと抱え上げて廊下を走っていく。ぎゃあ、おろせ、と小さく悲鳴を上げるフウエンがすぐに見えなくなる。置いてけぼりにされたシロガネが立ち尽くしていると、背後から声がした。

「ほう、シロガネではないかの」

 振り向くと、土の里のジンサがハトバを伴って立っている。立ってもシロガネと同じくらいの背の高さしかない老人は、黄土色の狩衣に白の袴を身につけていた。首からは、重そうな数珠が下がっている。同じ格好をしたハトバは、今にも泣きそうな表情をしていた。

「今は、時間に余裕がないのう……ハトバと一緒にそちらの縁側で待っておれ」

 言われるままに少年二人は縁側に移動した。互いに何も言わず、たくさんの足音と狐の高い鳴き声、タガネやミナトの声が飛び交う中で身を固くしていた。

 子供であっても、ことの重大さはよく分かっていた。大人たちの深刻な様子と、カガルの容態は比例しているのだろう。シロガネが到着してから、それは増すばかりだった。一時的に大きな声や物音がして、その度に二人は黙って顔を見合わせた。

 ジンサに縁側に促されてから半刻。ゆっくりとではあるが、屋敷の中は落ち着いてきた。嵐のようだった狐たちの足音が、今は二・三匹が早足に動いているだけである。そっと、内緒話をするような大きさでハトバがシロガネに話しかけた。

「……カガル様、助かったのかな」

「分からない……けど、最初の頃より、静かになったな」

「なんだか僕、怖いや」

 俺も、というのをシロガネは飲み込んだ。何が怖いか、言い切れなかったからだ。

 顔を知っている者が、突然死ぬ恐怖。近いうちに自分も同じ目にあうのではないかという恐怖。いつもは冷静な大人たちがこれほど取り乱す、とても恐ろしいことが起こっているのだという恐怖。怖いことは、この半刻で少年たちの胸に海の波のように絶えず押し寄せていた。

「でも、ジンサ様が来たから、多分大丈夫さ」

 ハトバは、自分に言い聞かせるように呟いた。シロガネも、なんとなくその言葉に頷いた。二人はぽつりぽつりと話し合う。

「シロガネは、カガル様に会ったことある?」

「一度だけだけど、ある」

「僕、ジンサ様の後継に選ばれてから、何度か武術の訓練をしてもらったんだ」

「うん」

「すごく明るくて、ほがらかで……良い人なんだ」

「俺も、そう思うよ」

 フウエンと火の里に入ったとき、握手をした手がとても温かかった。それをはっきり覚えている。カガルの燃えるような髪が、目に焼きついていた。

ふと、また誰か来たらしく、玄関口が騒がしくなった。それはほんのしばらくの間で、すぐにまた屋敷の中は落ち着いてきた。

「……治療って、何してるんだろうな」

「多分、まずはミナト様が傷をふさいで……あとは皆で失われた血液や、弱った体の力を補うんだと思う」

「補う?」

「たくさんの霊力を送って、カガル様の体の中で血や肉にするんだ」

「それって、すごく大変なのか?」

「僕らみたいな子供の霊力じゃ役に立たないよ。大人の、しかも長になるくらいの強い霊力がないと。しかも……相当、ひどい怪我なんだろう?」

 タガネは、そう言っていた。直接見ていないのでよく分からないが、肩と腿から大量出血していて高熱となれば命に関わる。シロガネは、縁側の木目を見ながら呟いた。

「大丈夫だ、きっと……」

 腹の底が冷えるような感じが取れない。遠い昔に体験した、母の目が開かなくなったときの底知れない寒さ。ハトバはそばにいるのだが、何故かシロガネは自分が世界中で一人になってしまったような気がしていた。



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