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狐夜話  作者: 行待文哉
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出会夜

 次の日の朝だった。フウエンが、いつもより一刻ほど早く、シロガネの部屋の襖を叩いた。

「シロガネ、急用が出来た。起きて、ついて来てんか」

 その声に、シロガネはがばっと飛び起きて布団を跳ね上げた。フウエンが急ぎの用などということが珍しい。

 身支度を急いで済ませて襖を開けると、フウエンはいつもとは違うきちんとした直衣を身につけていた。烏のように、上から下まで真っ黒なものを身につけている。

「え……なんだ、なんで、フウエンそんな格好してんの?」

「今すぐ来てくれって言われてなあ。格好に厳しい方に、会いに行くことになってん」

 困ったように唇を突き出したフウエンに連れられて、シロガネは家を出た。いつもは家を出ると西の森に繋がっているのに、今日は真っ暗な闇の中に細い道が一本ぼんやりと浮かんでいる。その細い道を二人並んで歩きだすと、フウエンが思い出したように握り飯を取り出した。

「まあ、食べながら聞いて」

 受け取った握り飯にかじりつきながら、シロガネは頷いた。溜息混じりに、フウエンが話す。

「今から行くんは、水の里。涌狐の長に、呼び出されてなあ……」

 明らかに行きたくなさそうな様子のフウエンに、シロガネはちょっと意外に思ったことがある。今まで、フウエンは誰かと会うのに嫌そうな素振りを見せたことがない。シロガネが嫌っているあのウルシにさえ、飄々とした態度で臨んでいたのに。

「……フウエン、その長に、会いたくないのか?」

 シロガネがごくんと握り飯を飲み込んで聞くと、フウエンは髪を掻きながら答えた。

「会いたくないっていうか……うん……会うと、絶対いろいろ言われるんよなあ」

 よく見ると、その掻いている髪がいつもよりもさらさらとしている。櫛を念入りに通したようだ。

「いろいろって?」

「もっと女性らしくしとやかに、とか、身なりを上品に、とか、どこかの里に落ち着きなさい、とか……まあ、細かいことを。心配して言うてくれはるんは、分かるんやけどな」

「ふうん」

「正直、ちょっと、めんどくさい」

 はあ、と肩を落としたフウエンは真っ黒な直衣のせいか、いつもより小さく見える。それを不思議な思いで見ながら、シロガネは半分になった握り飯を口へ放り込んだ。

 最後の一口を飲み込むと、道の向こうに光が見えた。最初小さく見えていた光が歩く度に大きくなってくる。その光の中から、なにやら大きなものがゆっくりとこちらに向けて歩いてくる。それは、大人がうずくまったほどの大きさの亀であった。

「フウエン殿、お迎えに上がりましたぞ」

 二人と亀の間が二尺ほどになった時、突然亀が人語を話した。しわしわの苔色の首を伸ばして、亀は真っ黒な目を二人に向けた。シロガネは、初めて狐の里で狐が喋るのを見たときと同じぐらい驚いて、口を開けたまま唖然とするしかない。

「遅い遅い、と、ミナト様が」

「これでも急いでんねんけどなあ」

「さ、このホクトの背に触れてくだされ。そちらの方も」

 ホクト、と名乗る亀が丸い大きな甲羅をずいっと進めてくる。フウエンが、シロガネの手をとってその甲羅の上に乗せた。思ったよりも温かみのある、しかしぬるりとした甲羅に触れて、シロガネは思わず息をのんだ。

 手の平全てが甲羅に乗りきる前に、シロガネの視界は一瞬白い光に包まれた。目を閉じる間もなく光は収まって、シロガネの足元はいつの間にか細い道ではなく、石の敷かれた平らな床に立っていた。フウエンも変わらず隣にいて、ホクトはのろのろと二人から離れていく。

 そこは、華やかな西洋風の広やかな部屋だった。床は、平らで大きい四角い石が敷き詰められ、壁には装飾の施された窓がいくつもある。部屋の中には見慣れない家具や調度品が並び、冬だというのに色とりどりの花が飾られていた。どこからか、川のせせらぎの音が聞こえる。

ホクトがゆったり歩いていく先には、見慣れない高い脚の椅子がある。椅子には、人が一人座っていた。

「フウエン、待ちかねましたよ」

 そう言って椅子から立ち上がったその人は、目を見張るほど美しい女性だった。真っ黒で艶やかな長い髪が床に垂れ、まるで宵闇が川になって流れているようだ。シロガネの髪も黒いのだが、どこかが違う。透き通った白い肌に、髪と同じく水気のある黒色をしたつやつやの大きな目。すっきり通った鼻筋に、長く豊かな睫毛のすぐ上できれいに切りそろえられた前髪。部屋は西洋風だが、その女性はとても美しい和風美女だった。

 その美女が、椅子から真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。身にまとっているのは、薄墨色の水干。その胸には、濃い緑色の柊の葉がついていた。音もなく滑るようにフウエンの前に立つと、その女性はフウエンよりも三寸ほど身長が低い。フウエンに何か言おうとして、女性はシロガネに気付いて向き直った。

「あら、失礼を……あなたが、シロガネ?」

「え、はい」

「私は、この国の水の里の長。ミナトと申します」

 にっこりと優しげに微笑んで、美女はシロガネに握手を求めた。シロガネが恐る恐るその細くたおやかな手を握ると、血の通った柔らかさを感じる。傷もシミもない美しい手は、シロガネには作り物のように見えた。

 握手を交わし終えて、ミナトはくるりとフウエンのほうへ向き直る。フウエンが、見るからにぎくっと視線をミナトからそらしたのが分かった。りん、と響き渡る高い声で、ミナトは言う。

「そなた、まだふらふらと風狐をしているのですか」

「ええ、まあ」

「言ったでしょう、そなたは女性なのです。ああ、また顔に傷を増やして……早くどこかの里へ落ち着くなり、伴侶を見つけるなり、しなさい」

 ミナトが、フウエンの頬へいきなり触れた。そこは、何日か前にうっかり木が跳ね返って切り傷を作ったところだった。ミナトの手がその傷をするりと撫でると、フウエンの肌には何の痕も無くなっていた。シロガネがそれに目を見開くと、フウエンが困ったように笑って言った。

「ミナト様は、こういう、治療とか回復とか……霊力を繊細に扱うのが大の得意で」

「そなたも出来るでしょう、やらないだけで」

 フウエンをぴしゃりと叱って、ミナトは懐から紙を一枚取り出した。

「それより、これはどういうことです」

 それを見た瞬間にフウエンはすっと表情を変えた。いつもの曖昧な笑顔を顔に浮かべて、ミナトに真っ直ぐ向かう。シロガネの方にまで、ぴりっとしたものが伝わってきた。

「その文に書いた通りでございます、ミナト様」

「……とにかく、水の里の子浚いの件、詳しく話します。そこへおかけなさい」

 ミナトはそう言って、改めてシロガネに笑いかけた。

「その後には、シロガネのことも聞かせてくださいね」

 いつの間にか、三人分の椅子が背後に用意され、亀のホクトが茶の乗った盆を甲羅の背に乗せて待っていた。


 水の里で起こった子浚いは、合計四件。先月は二件、八歳の子が二人浚われた。二人は浚われた翌日の夜中に里へ帰って来た。二人とも疲労はあったが大きな怪我もなく、三日ほど養生してすぐに元気になったという。

それは、ミナトをはじめとする涌狐の大人たちが元々用心して張っておいた結界のおかげでもあった。先々月に浚われた九つの子と七つの子はまだ帰ってきていない。帰ってこない二人の子の霊力をたどってみても、里を出たところでぱったりと消えてしまっていた。そこで、仮に次に子浚いがあった時にはなんとしても戻ってこられるよう、涌狐である者は全て水の里の中と水の里がある北の森からは決して出られないようにしてあった。

そのおかげで、先月浚われた二人は、目が覚めたときに里からそれほど離れていない森の中にいたので、帰ってこられたというわけだ。

「本当は、起こらないようにしなければなりませんでした」

 美しい顔を悔しげに歪めて語るミナトが、茶を一口含んだ。やはり、タガネやカガルと同じ思いがあるようだ。眉をひそめ、目を閉じて、ふうっと溜息をつく。そして、黙って話を聞いていたフウエンに対して尋ねた。

「金の里の……タガネ様に、頼まれたといいましたね」

「はい」

「火の里の、カガル様も同じお考えですか」

「まあ、全く同じとは言いがたいですが……子浚いの件の解決を強く望んでいらっしゃるのは間違いありません」

「そう、でしょうね……私も、そうですから」

 少し沈黙が続いた後、ミナトは続けた。浚われた子の特徴や、浚われたときのことなど――それは、火の里で聞いたものとほぼ同じである。

 夜が迫った刻限に、子供が一人で家に帰ろうとしたとき、ふっと目の前が暗くなって気がつくと見知らぬ森の中で寝ていた。浚われたのは、やはりこれといって特別なところのない子供だった。

「フウエンは、この文に書いてあることを本気で考えているのですか」

 ふと、ミナトが紙を取り出してフウエンに見せた。フウエンは静かに俯いて言った。

「可能性の一つだとは思います。まずは、ミナト様にお伝えしてみようと」

 シロガネは、黙って茶をすすっている。なんだか珍しい味のこの茶は麦茶でも緑茶でもなく、花の香りがする。

「……私が、言えることではありませんが」

 ミナトが紙を四つに折りたたみ、神妙な面持ちで呟いた。

「長という立場さえなければ、霊力の強い狐同士で手を携えることもできるのでしょうね」

 フウエンはそれに何も答えなかった。ただ、薄い茶色の瞳を静かに伏せている。シロガネは、そのフウエンの横顔とミナトの憂いの色の濃い顔をゆっくり交互に眺めていた。

 金の里にいたとき、長という立場について深く考えたことはあまりなかった。しかし、亡き父母の代わりに保護者となったタガネが長であるおかげで、随分と自分は恵まれていたのかもしれない。共に座学や武術の鍛錬に励んだ子狐たちは、必ずしも良い身なりをしていたわけではなかった。里の中には、まだ幼いうちから親の鍛治や農作業の手伝いや弟妹の子守に追われ、霊力や武術を身につけていない者もいる。飢えて死ぬ、という者はなくても、生活が苦しい者はいたのだ。

 シロガネも、母と共に人間の里にいたときは食うに困るほどの貧しい生活をしていた。着るものなど、光に透かせば向こうが見えるほど薄いものしかなかった。タガネに保護されてからは寒い思いもひもじい思いもしたことがない。優れた武術を身につけられたのも、毎食しっかり膳が用意されていたからだ。里の長という立場は、満たされた生活が保障されているものだ。

 が、その代償として、長には心身の自由に制限があるようだ。シロガネがタガネを見ている限り、まず、里の中の問題やいざこざを解決するためにしょっちゅう出掛けたり文を書いたりしていた。一言で言えば、忙しいのである。鍜治場が休みでもタガネが忙しく動いていることは普通であったし、タガネが一日何もしないでいる日など、見たことがなかった。その仕事の合間を縫ってシロガネに稽古をつけたりしていたのだ。

 そして、今回の子浚いの件でおのおのの里の長が漏らすように、長は自分の考えよりも里の狐全体の意見を尊重する必要がある。自身がどう思うかよりも、里の狐のためを思って行動しなければならない。長には、個人的な意思がないかのように。

「……それは、誰のせいでもありませんゆえ」

 フウエンが静かにこぼす。そして、せっかくきれいにとかしてあった赤茶の髪をがしがしと自分で乱して、くしゃっと笑った。

「まあ、そのために、うちらがおるようなもんですわ」

 シロガネとミナトが、同時にフウエンの方を見た。見慣れた曖昧な笑顔を浮かべている風狐が何を言わんとしているのか、シロガネにもなんとなく分かる気がした。

 風狐は、いわば、里の長とは真逆の存在である。際限なく自由である代わりに、自身の生活と生命を保障してくれるものはない。両者共に他の狐よりも霊力と武力を持っているが、そのありようは光と影のように対照的で、相容れない。それゆえに、長に出来なくとも風狐にはできることがある。

「フウエン……」

 ミナトの涼やかな声がほんの少し震えている。何度か呼吸の音がして、ミナトが更に何かを言おうとした時、突然、洋室の高い扉がばたんと開いた。

「ミナト様!緊急の伝でございます!急ぎ、火の里へ!」

 三人が弾かれたように椅子から立ち上がり、声のした方を見ると、そこには真っ青にこわばった顔をした黒い褐衣姿の武人が一人。手にはくるりと巻かれた書状がある。ミナトが左手をひらりと扇ぐとその書状が武人の手からするすると逃げて、ミナトの左手へ収まった。

「なんでしょうか、こんな、朝早くから……」

 ミナトの細く白い指が書状を開いてゆく。開いて、数秒のち、ミナトの顔色がさっと変わった。長い睫毛に縁取られた目を見開き、ミナトはそのまま書状をフウエンに渡した。フウエンは、それをシロガネと一緒に見るように自分の胸の前で開いた。シロガネが、それを覗き込む。

 書状の中身を読んで、シロガネもフウエンも、言葉と顔色を失った。

『カガル、危篤。治癒求ム』

『子浚イノ犯ニ、対峙シタ』



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