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狐夜話  作者: 行待文哉
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交錯夜

「……俺、これしか、能なかったからさ。どうせ、それもたいしたことないし」

 くるりと木刀を腰に収め、シロガネは呟いた。フウエンは木刀を木の枝に戻し、更には元の木へと戻してやる。継ぎ目なく、繋がった。俯いて木刀の柄を擦っていたシロガネに、フウエンは言った。

「そんなことないやろ。お前は、他の大人の狐より剣術強いと思うで」

 フウエンの言葉に、シロガネがばっと顔を上げる。フウエンは、顔の横で右手をひらひらと振っている。その白い指と手の平に、赤く擦れた痕が残っていた。

「ほら、うちの手がこんなふうになるってことは、相当強い力で打たれんとならん。実際、まともに受けたら痛いくらいやったし」

「……う、うん」

「頑張って、たくさん、鍛錬してんやなあ」

 フウエンが、にこりと笑った。その赤くなった手で、シロガネの頭をぐりぐりと撫でる。シロガネは、何故か鼻がつうんと痛くなって、瞼が熱くなるのを感じていた。必死にされを隠すように目を逸らすと、フウエンがくすくす笑う。

「タガネも、めちゃくちゃ強いで。武術全般、できるんちゃうかなあ」

「うん。それは知ってる」

 タガネは間違いなく金の里の中で一番の武人だと、シロガネは思っていた。

突然見知らぬ里へ連れてこられ、子供たちには馴染めず、塞ぎこみがちだったシロガネに一から剣術を教えたのはタガネだ。タガネの仕事の合間に、二人でひたすら鍛錬する。その結果、木刀の持ち方や身のこなし方、足の運び方まで、タガネの技術はそっくりそのままシロガネに受け継がれている。大きくなって大人と手合わせをしても互角に刀を交えられるのは、タガネの教えのおかげだった。

「シロガネは、うちよりも……ひょっとしたらタガネよりも強うなるかも」

 いつも若者が五人一斉にかかっても息ひとつ切らさずに全員をのしてしまうタガネを思うと、シロガネはそ首を傾げた。タガネは、それほどに他の狐よりもとびぬけて強い。剣術はもとより、素手で拳闘を挑まれても負けたところを見たことがない。少なくとも、シロガネの知っている中では一番武術に長けた狐だ。

「そういえば、シロガネ知っとる?」

「なにを?」

「タガネ、実はあいつも霊力の扱いは上手くはないんよ」

「そう、なのか?」

 意外だった。タガネも、遠距離を霊力で移動したり、必要なときには火や水を自ら作り出したりする。シロガネには分からなかったが、霊力を自由自在に扱っているように見えていた。そもそも、里の長になるほどの狐だ。霊力に関しても優秀なのだと思っていた。

 フウエンが、あいつは不器用やからなあと笑う。その笑い方には、あたたかいものが感じられた。言葉少なで誤解を招きやすいタガネは、確かに器用というほうではなかった。

「……シロガネ、笑ろたな」

 フウエンがぱちくりと瞬きをする。シロガネは、フウエンのその驚いた表情を見て初めて、自分が笑っていることに気付いた。

「笑ろたとこ、初めて見た」

 にっこり、三本の尾を揺らしてフウエンは言った。シロガネはどうしていいか分からずに、無意味に自分の顔をぱんぱん叩いて顔を引き締める。そういえば、随分長い間、笑っていなかった。無性に恥ずかしい。

 (フウエンが、無駄によく笑うから、つられたんだ)

 シロガネが反論しようと息を吸った時、不意に空が暗くなった。上を見ると、畳ほどの大きな木の葉が二人の頭上に現れている。シロガネがとっさにそこから飛び退くと、フウエンも同じ方向へ跳ねていた。

「……フウエン、これ、なんだ?」

「さあ。うちの術やない……しかし、いきなりやなあ。全然気付かんかったわ」

 フウエンは右手を唇に寄せ、霊力を使う構えを見せた。シロガネも木刀を構え、木の葉を睨む。二人とも、じりっと足を踏みしめて息を深く吐いた。

 木の葉がふわりふわりと地上へ降りてくる。木の葉には、人が二人乗っていた。

「フウエン、クヌギ様の前です。構えをといてください」

 静かな調子でそう言った一人は、背の高い青年である。春の空を写しとったかのような青い色の褐衣を身にまとい、木の葉の上からシロガネとフウエンを見下ろしている。褐衣には、大きな桜の紋が描かれている。

「ウルシ、か」

 フウエンがぼそりと呟きながら構えをといた。シロガネもそれにならって木刀を収める。地上まで一寸くらいになったところで、木の葉から二人は降りてきた。青年と、十になるかならないばかりの小柄な少年だった。

「西の森で、子供と大人が争う気配がする、とクヌギ様がおっしゃいました。まさか、フウエンだとは。その子は、どこから浚ってきたのです?」

 青年は、つらつらと言葉を並べて涼しい顔をしている。顔の造作ははっとするほど美しいのだが、何も感情を持っていないような冷たさがあった。その青年の後ろで、同じく青い色の水干を着た少年が言った。

「ウルシ、違うよ。フウエンは……」

「クヌギ様、何が違うのです。現に、フウエンはこの子供と木刀で斬りあっていたでしょう?」

 少年の言葉を途中でぴしゃりと遮って、青年はフウエンを見据えた。懐から紙の札を取り出し、フウエンに向けて勢いよく投げつける。フウエンがそれを難なく指先で払って地面に叩き落すと、その場で紙は燃え出した。少年は、悲鳴に近い溜息を吐いている。

 シロガネは、一部始終を見ているしかなかった。フウエンの横顔はいつも通りであったし、青年も少年もシロガネのことなど眼中にないようだった。紙の札がすっかり燃え尽きてしまうと、フウエンはシロガネに向き直って小さく微笑んだ。

「シロガネ。こちらは、木の里の長・クヌギ様と、その従者のウルシ」

 小さな少年が、その時初めてシロガネに目を向けた。ガラス球のような透き通った薄い青色の瞳に、ふわふわと柔らかそうな若葉色の髪。整った顔立ちをしているのに、ひどくおびえているように見えた。水干の胸元を両手できゅっと握り締め、背を丸めている。

フウエンは、その少年に軽くお辞儀をする。少年ははっとしたように慌てて居住まいを正し、フウエンに急いで歩み寄ってきた。

「フウエン、ごめん。ウルシが失礼なことを」

「いいえ、クヌギ様が謝ることはあらへんし」

 この少年がクヌギで、木の里の長だということに、シロガネは驚いていた。明らかにシロガネよりも幼い。フウエンの前に立つと、小ささが目立った。それでも、クヌギはしっかりとした様子でフウエンに対していた。少なくとも、土の里のハトバよりも大人らしい態度である。

「その黒髪の人は、フウエンが浚ったということではないよね?」

「ええ。これは、金の里の子……タガネから、預かるように言われておりまして」

「そう……最近、子浚いが多いから、ちょっとした気の衝突にも駆けつけるようにしててね」

 話す二人に、青年が割って入る。この美しい青年が、ウルシというらしい。

「クヌギ様、あとは私が話しますゆえ。葉の上でお待ちください」

 何か言おうと口を開けたクヌギだったが、ウルシが涼しい眼でちらりと睨むとすぐにその口を閉じて、とぼとぼと大きな木の葉の上へ戻っていった。ウルシはシロガネに対してもその冷たい目を向ける。

「名は?」

「……シロガネ」

 シロガネは、ウルシの問いに答えはしたが、青年に対して決して良い印象を抱いていなかった。クヌギは、フウエンに対してもシロガネに対しても、謝罪の意のこもった目を向けてきた。フウエンに対しては、言葉で謝りもしている。フウエンの足元で灰になった紙の札は、おそらく誤解から不当に投げつけられたものだったのだろう。だが、ウルシの声や視線からは、悪いと思っている色が全く見えないのだ。

 そうですか、とだけ言って、ウルシはフウエンに問いかける。

「本当にこの子は預かっているのですか?」

「タガネに聞いてもろたら分かる」

「では、先程の立会いは?」

「シロガネは、修行のためにうちんとこに居るんや。さっきのは、剣術の修行」

「まあ、そう言うなら、そうとしましょう」

 ウルシは、目を細めてフウエンを見ていた。二人の身長はさほど変わらないが、フウエンよりもウルシのほうが大きく見えるのは態度のせいだとシロガネは思った。

 フウエンは、基本的にどこにいても誰といても態度が変わらない。ジンサやクヌギに対してだけ丁寧な言葉遣いをしたりはするが、同じ長でもタガネやカガルには友人のようにくだけて話す。丁寧な言葉遣いのときでもそうでないときでも、下手に出たり偉そうにしたりという目線の上下はない。誰に対しても、同じ目線で相対している。

 ウルシは、クヌギに対しては一応の敬意のある態度を示していたが、フウエンに対しては明らかに下に見る態度である。シロガネにいたっては、存在を気にもしていないようだ。クヌギは、そんなウルシを遠くから何もいわずにじっと見ている。シロガネは、訳のないもどかしさを覚えていた。

「紛らわしいことを、しないでくださいよ」

 ウルシがいらだった様子でフウエンに言い放った。フウエンは、困ったように苦笑している。

「子浚いは、我が里の長・クヌギ様が必ずひっ捕らえられます。あなたはくれぐれも余計なことをしないように」

「はいはい」

 ウルシが踵を返してクヌギの待つ葉の上に戻る。ウルシが葉に乗るとすぐに、二人を乗せて葉は浮き上がった。ゆっくりと上昇して、それは空を滑り出した。東の方向を目指して、どうやら、帰っていくらしい。

「フウエン!」

 動き出した葉から、クヌギが顔を覗かせた。葉の縁に手をついて、フウエンとシロガネを身を乗り出して見下ろしている。


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