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狐夜話  作者: 行待文哉
12/29

立合夜

帰り道、シロガネはカガルの用意してくれた巨大鷲の背中に乗りながら、遅い昼食としていつもの握り飯をほおばっていた。フウエンも同じものを食べている。二人とも無言で、上空の風に頬を撫でられていた。フウエンは何事か考えているようで、シロガネはその横で下に広がる岩山を見ながらイブルの言葉についてぼんやり思いを馳せていた。

 (フウエンって、炎狐だったのか……)

 風狐は、元々、里の狐であることがほとんどだ。つまり、風狐になる前はどこかの里にそれぞれの狐として暮らしていたことになる。シロガネが直接フウエンに尋ねたことはなかったが、言われてみればフウエンの髪はくすんだ朝焼けのような赤茶色で、目は夕焼けのような濃い琥珀色をしている。カガルやイブルほどに真っ赤ではなくても、それは炎狐だったといわれると、なるほど、とすんなり受け入れられる色だ。

 フウエンはシロガネに対して自らの話をほとんどしない。会話の端々にこぼれる話を拾っても、彼女がどういう道を歩んできたのか見えてくることはない。ただ、事実として、かなり霊力の扱いに長けていることと握り飯を作るのが上手いということが分かっている。

 (……まあ、いいか)

 シロガネは最後の一口を口に放り込んだ。フウエンに根掘り葉掘り聞いたところで、きっといつものように笑ってかわされてしまうだろう。フウエンの経歴を詳しく聞いたところで、シロガネのフウエンに対する評価はおそらく変わらない。カガルが言ったとおり、

 (フウエンは、何考えてるか分かんないけど、多分、良い奴)

そんな気がしていた。今日の握り飯も、うまかった。遠い昔に食べた、母の握り飯もこんな味だった気がする。

「なあ、シロガネ」

 不意にフウエンから声がかかった。慌ててシロガネが向き直ると、フウエンは鷲の背を撫でながら笑っていた。

「西の森までもうちょい時間かかりそうや。ちょっと、座学しようか」

「ここで?」

「なに、頭に入るんやったら円座の上でも空の上でも一緒や」

 鷲が、面白いとでもいうように一声鳴いた。心なしか、飛んでいる速度が落ちた気がした。シロガネがフウエンの前に座りなおして姿勢を正す。

「さて、五行の基本の基本……源素五つは分かる?」

「うん。木と、火と、土と、金と、水」

「それが関係し合うのは……ちょっと置いといて、まず、それぞれの性質は分かるかな」

「性質?えっと……火は燃える、とか?」

 それを聞いて、フウエンは人差し指を顎に当ててしばらく唸った。フウエンの両手がゆっくりとシロガネの目の前に広げられる。無言で促されて、シロガネはその真っ白な手をじっと見入った。

「……――火は、上へ上へと上昇する」

 フウエンの低い声と共に、手の平の上に小さな火が現れた。微かに、ぱちぱち、と音がする。それはゆらりと揺れながら、確かに下から上へと燃え上がっていた。

「だから、上から押さえつけると静まる」

 フウエンの片方の手がその小さな火を押しつぶすようにゆっくりと被さる。被さった手を退けると、火は消えてしまっていた。シロガネがそれを見てぱちくりと一度瞬きをすると、次の瞬間にはそこに枝が一本転がっていた。

「木は、自ら成長する……」

 シロガネの指ほどの大きさだった枝はむくむくとひとりでに立ち上がり、フウエンの手の平の上でまるで木のように茂っていった。鮮やかな緑の葉がこんもりと広がり、枝葉が伸びていく。手の平の上の小さな木を、フウエンは爪の先で傷つけた。傷ついたところから、木が枯れていく。

「成長を邪魔すれば、枯れて死ぬ」

 哀れにしわがれていく木は、やがて茶色く乾いて粉になり、風に吹かれて消えてしまった。

「そして水は、高いところから低いところへ流れる」

 シロガネの目の前で、フウエンの片方の手の平からとくとくと水が溢れ出した。それはすぐに手の平から膝元めがけて一筋になって落ちていく。それは反射的に身を固くしたシロガネの側には届かず、フウエンのもう片方の手が受け止めていた。

「その流れに反してやると、静まる」

 流れを受け止めた方の手をゆっくり持ち上げていくと、水は手に吸い込まれるように消えていく。フウエンの手は、水を下から吸い取っていくように動いていた。やがて、一適も残さずに水は消えた。

「次に、金は自由に姿を変える」

 フウエンが一度強く手の平を握り締めると、次に開いたそこには砂金の粒が一つ。それが堅いことをシロガネは知っていたが、火を入れれば柔らかくなることも知っていた。金の里では、鍛治が盛んに行なわれていたのだ。

「……これは、シロガネはよお分かってるか」

 笑いながら問うたフウエンの声に一つ頷くと、それに呼応するように砂金の粒がてらりと光った。光って、とろりと溶けるように伸びていく。金色の形がやがてくすんで銅色の板になり、銀色の刃になった。水よりも硬く、石よりも柔らかく、変わっていく。

金の性質は、金の里で暮らしていたシロガネにとっては分かりやすかった。タガネも女房狐も忙しいときには、よく里の鍛冶場でぼんやりと時間を潰していたのだ。

フウエンの手の中で自在に姿を変えていた金が、不意に動きを止めて固まった。

「金はじっとしていると空気で朽ちて、錆びる」

 言うとおりに、すぐに刃には錆がうき、あっという間にぼろぼろと崩れてしまった。その崩れた金も風に吹かれて消えた。フウエンがまた手の平を一度ぎゅっと握ると、次にそこには一握りの土が盛られていた。

「最後は土――……土は、全ての元になる、母のようなもの」

 こんもりと盛られた土から、小さな小さな植物の芽が出る。芽はすくすくと伸びるが、それに応じて土はだんだんとかさを減らしていく。やがて伸びた茎の先に大きな菊の花が咲いたとき、黒く湿っていた土は灰色の乾いた砂になっていた。そして、菊の花一輪を残して風に消えてしまった。

「こうして、何かに力を与え終えれば消えてしまう。自らに、何かを動かす力はない」

 シロガネに言い聞かせるように語っていたフウエンの手の平に、今は菊の花一輪があるだけである。フウエンはそれをふうっと空へ吹いた。菊の花は、寒空に舞って小さくどこかへ行ってしまった。

「これが、それぞれの性質の基本な。例えば、自分で出した水を止めようと思ったら、頭の中で流れに逆らう想像をしてみたらええねん」

「うん」

「一つずつの性質をよく知ることで、霊力をあまり派手に使わんですむんよ」

「俺にも、できるか?」

「普通の狐にとって、一番感覚として掴むんが難しいんは、金や。なかなか、実際の目でじっくり見ること少ないからな。で、けっきょくは五つの源素のことを全部きちんと分かってないと上手いこと霊力は使われへん」

 シロガネは金の里で暮らしてたから、金が変わっていくのはよく知ってるやろ。そういって、フウエンはにっこりと笑った。

「ひょっとしたら、うちよりも早く上達するかもしれんで」

 シロガネの思い出の中に、鍛冶場は孤独な場所だと焼きついていた。鍛治の職人狐たちは非常に無口で、シロガネが鍛治の様子を見ていても何も言わない。仕事仲間の間でも、みな、互いに滅多に言葉を交わしていなかった。一人一人が自分の世界で孤独に鉄をうっており、かつんかつんという高い音だけが響く。

 それをぼんやりと一人で眺めているシロガネを、里の子狐たちはしょっちゅうはやし立てた。できそこない、という声を背中に受けている自分は、心の底から孤独だった。

「さあ、そろそろ西の森やな。おおい、この辺で降りるわ」

 フウエンが鷲に向かって大きな声で呼びかけると、鷲は鳴き声をひとつ寄越してぴたりと止まった。フウエンはシロガネの手首を掴むと、鷲の背からひらりと飛び降りた。

「うわっ」

 落ちる!と目を閉じたシロガネだったが、二人の体は空中に浮いている。鷲の羽ばたきが髪を揺らすが、体は地面に立ったようにしっかりしていた。

「おおきにな。カガル様とイブル様に、よろしゅう」

 フウエンがひらひらと手を振れば、鷲はばさりと大きな翼を翻した。来た道を帰って飛んでいく鷲を呆然と見送っていると、シロガネの背が見えない何かに撫でられた。何もしていないのに、自然と足が空中を歩いていく。フウエンの歩むのに合わせて、シロガネの足も動く。ただ真っ直ぐ歩くのではなく、歩くほどに一歩ずつ高さが低くなり、まるで長い階段を下りているような感覚である。

 最後の一段をぽすんと降りると、そこはいつもの森の中だった。シロガネが大きく息を吐くと、フウエンが説明をくれた。

「これも、霊力の使い方のひとつやねん。森に溢れる木の気を調節しながら、歩き、下りる……なあに、慣れたらシロガネ一人でもできるようになるわ」

 西の森は、もう薄っすらと暗くなっていた。


「そういやお前、体鈍ってないか」

「へ?」

 霊力の修行をしている最中に、フウエンは突然シロガネに聞いた。火の里から帰ってきてから数日が経っていたが、座学を少しやるとシロガネの霊力は随分素直に扱えるようになっていた。炎が顔を焦がすこともなかったし、土を上手く掘ることもできるようになった。そんな中で、石から金を作ろうと練習しているときだった。

「鈍って……うん、そういえば」

 金の里では、毎日のようにタガネや周りの大人に鍛えられていた。シロガネは霊力の扱い上手くない分、余計に武術の鍛錬を熱心にやっていた。心の鬱憤を、晴らす意味合いもあった。が、腰に下げた木刀は、フウエンの元に来てから一度も使っていない。

「ちょっと手合わせしようか」

 フウエンはそう言うと、てくてくと近くの木へ歩み寄って三尺ほどの枝を折り取った。子供の腕ほどの太さのそれを二三度軽く振ると、それは瞬時にシロガネの持っているのと同じような木刀になる。フウエンが、それを正眼に構えた。

「……とはいえ、うち、剣術は得意やないねん。お手柔らかに」

 シロガネも、腰の木刀を構えた。久しぶりに持つと、手にずしりと重い。しかし、負担になるような重さではなく、シロガネにとっては安心のできる重さであった。

 二人の木刀の先は、約三寸離れている。シロガネがほんの少し切っ先を上げると、フウエンの切っ先がするりと弧を描いて一度引き沈み、二人の間の空間を風を切ってシロガネに向かってきた。

 速い。燕が飛ぶような速さで、フウエンの刃は横なぎにシロガネのいた空間を切った。紙一重でそれをかわし、シロガネは身を低く足を踏ん張って斜め上へ切り上げる。それを受け止める、がつうん、という音の後、フウエンが宙へひらりと飛んで真上に木刀を振りかぶる。振り下ろした先にはシロガネの姿は髪一本も残っておらず、既に体一つ分引いたところで下段に構えていた。

 その切っ先が正眼へ戻るのを待たずにフウエンの刃が足元から鋭く飛び上がる。シロガネはそれを自分の刃で滑り抑えながら前進し、つばぜり合いへ持ち込んだ。かちん、というせり合いの音で、火花が出そうな鋭い音。ぎちり、と数秒せったつばが離れ、弾かれるようにシロガネが飛び下がり、再び構えかけたフウエンが整い終わらないうちに右袈裟に切りつける。

 その刃をフウエンが受けた瞬間、シロガネは手首をくるりと返した。フウエンの左胴を狙い、ひゅうんっと切っ先がしなる。フウエンが思い切り体を引いて、髪一本でそれを避けた。間をおかず、シロガネは上段に構えて再びフウエンの頭上を狙って木刀を振り下ろす。たまらず、フウエンは木刀を両手で支えて真横に構え、まともにそれを受け止めた。

「……うん、さすがはタガネ直伝の……危なかったあ」

 ぐぐ、っと力の集中していた二本の木刀を挟んで、フウエンが笑った。シロガネは、表情を変えない。

「シロガネは強いんやな」

 互いに構えを解いて、ふう、と息をつく。フウエンもシロガネも汗はかいていないが、緊張が解けたことで大きく深呼吸をしていた。


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