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狐夜話  作者: 行待文哉
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二十七夜

「……なんだと?」

 今度こそ、イブルは完全にフウエンとシロガネから引き離された。カガルはさっと背中の弓へ手を伸ばしている。あっという間に不穏な空気がたちこめるが、フウエンがへらりと笑う。

「タガネが、子浚いの件で他の長に嫌われて困ってんねんて」

 険しい顔をしたカガルは、手を下げない。イブルも、カガルの傍で腰の刀に手をかけている。フウエンは軽い調子のまま続けた。

「隠してこそこそするんは、正々堂々やないしな。ちゃんと言いに来てん」

 タガネから頼まれたことを、フウエンは偽らず口にした。シロガネが少し戸惑うほど隠しだてなく、はっきりと。今回の件では里の長は動き辛い、故にタガネは個人的に風狐に調査をさせている。目的は、早く子浚いの犯人を捕らえること。

「それがどこのー……風狐でも、人間でも、鉄狐でも……炎狐であろうと、や」

「犯人が炎狐なわけない!」

 フウエンの言葉にイブルが反応して叫んだが、カガルは黙っていた。そしてゆっくりと弓から手を下ろして、前かがりになったイブルの手を押し戻す。シロガネは、空気がまた緩んだのを感じ取った。

「フウエン、話は分かった。イブル、お前、先に帰れ」

「なんで、兄さん!」

「フウエンは、炎狐を犯人に仕立て上げたりしねえよ」

 そう言って、カガルはわしゃわしゃとイブルの頭を撫でる。その顔にはもう緊張感は無く、先程と同じようにくしゃっと笑っていた。イブルは無言でその場から一歩下がり、たちまち煙となって消えていった。

 イブルのいなくなった場所を確認するように踏み固めて、カガルは改めてフウエンに真っ直ぐ向き直った。笑ってはいるが、眼差しに真剣さがこもっている。それに対して、フウエンもいつもの笑みを消していた。

「なんでお前が、とかはもう聞かねえ方がいいか」

「いや……カガル様にもイブル様にも、不快な思いをさせてすまんかった。そやけど、このまま五つの里がいがみ合うとるんでは……この子浚い、すぐには解決せんと、うちは思う」

「……それにゃ、同感だ」

 不意に、カガルがシロガネに向かってその大きな手を伸ばした。そして、イブルにしたのと同じようにシロガネの黒い髪をわしゃわしゃと撫でる。それはいささか乱暴ではあるが、親しみのこもった優しい手の平だった。

「立ち話もなんだ、里の中で話そう。シロガネ、火の里は初めてか?」

 シロガネがこくっと頷くと、カガルはぴゅいーっと指笛を鳴らした。その響きが終わらないうちに、カガルの頭上から巨大な鷲が降り立った。およそ通常の大きさではないそれが一度羽ばたけば、シロガネが立っていられないほどの風が吹いた。

 大人を一人か二人軽々掴み取れそうな爪から、子供を丸呑みにできそうなくちばしまで、背の高さはおよそ二間。ぎろっと鋭い目玉だけでも、三尺ありそうだ。その巨大な鷲の腹を撫でながら、カガルは最初と同じ笑顔で言った。

「さ、乗ってくれ。空を飛びながらってのも、おつだぜ」


 三人は、巨大な鷲の背中に乗っている。シロガネは、フウエンに水干の背中をしっかり掴まれながらしきりに下を流れてゆく火の里を見下ろしていた。カガルは鷲の首元に胡坐をかき、そんなシロガネを楽しそうに見ながら逐一説明をしてみせる。あれは粉引き場、あれは油を集める蔵、あそこから向こうは里の終わりまで田んぼ…その一つ一つは金の里にもあったものだが、こんな風に鳥の背に乗って見下ろしたことはなかった。

 空の旅はすぐに終わってしまい、鷲は三人をある屋敷の中庭に下ろした。そこは長の住まうには質素な、小さな屋敷だった。カガルは、これは俺の別宅だと言いながら縁側からするりと屋敷に入り、すぐに円座を二つ持って帰ってきた。

「悪いな、ここで話しちゃくんねえか。今ここは子浚いに遭って帰ってきた子が一人、奥の間で静養してるんだ」

 フウエンは頷き、渡された円座を縁側に敷いて座る。シロガネもそれにならった。カガルは両手を合わせて何事か小さく呟いてから、どっかりと自分も縁側に座り込んだ。いつの間にか、巨大な鷲は消えていた。

「結界を張った。これで、ここでの話は誰にも聞こえねえ」

「改めて、すまんな、カガル様」

「なに、俺も……情けねえが、タガネと同じ意見だ」

 それでも、長というものは、里の大多数の狐の意見を代表しているのだ。自分の考えだけでは行動を起こせない。カガルは、火の里の子浚いについて話しだした。

 火の里での子浚いの被害者は先月先々月と合わせて五人。浚われた日や浚われた場所に、特に規則性はなく、いずれも陽の落ちた後から姿が見えなくなったらしい。十歳、九歳、八歳が一人ずつ、あとの二人は七歳だったという。

帰ってきたのは、年長の十歳と九歳の子だ。すでに霊力も扱える上に、座学も真面目にやっていたらしい。二人が言うには、陽が落ちそうになったので家に帰ろうと道を歩いているうちに突然意識を失い、起きたら一人で森の中に寝かされていた。見知らぬ森の中、自分の霊力を最大限に尖らせて地面を流れる脈を辿り、二日ほど歩き詰めで里まで帰ってきたのだ。

「今うちにいるのは、九つの子でな」

 その子は先月の終わりに浚われて、かなりの疲労で熱を出し、足をひどく捻挫していた。そこで、長であるカガルの別宅で、医術に長けた狐に治療を受けているのだという。里の狐は、長ほどの立場でなければ、医術を自由に施すことが出来るほどの広い家は持っていない。両親もほとんど通いっきりで様子を見ており、その甲斐もあってか、あともう数日で床上げができるらしい。

「だが、あとの三人は着ていた衣のきれっはしも残ってねえ」

 カガルが話の最後に、眉間に皴を寄せて唸るように言った。そこまでを、フウエンもシロガネも何も言わずに聞いていた。自分とあまり歳の変わらない子のことを思うと、シロガネは胸の辺りがもやもやと暗く重くなっていくのを感じた。

 フウエンは問う。

「浚われた五人、ホンマに何の共通点もないか」

「ない。互いの家も近所じゃなし、面識もないときてる。容姿も、聞いてる限りは特に目立ってねえぜ」

 真っ赤な髪をぐしゃぐしゃと掻き、カガルが唸る。

「畜生……」

 タガネが漏らしていた悔しさと同じもの、それに加えて自分の治める里の子供が被害に遭ったという怒りに似た思いが込められていた。シロガネは、その悲痛なカガルの表情をじっと見ていた。やはり、この里の長も真っ直ぐな男のようだ。タガネを思い出させるものがある。

 フウエンは、更に問うた。静かに、しかし小さくない声だった。

「犯人の心当たりはないか」

 一瞬、また空気が張り詰める。カガルの赤い目がぎらりと刃のように光り、噛み付くように答えた。

「知ってるうちに心当たりがいたら、射殺してやりてえぐらいだ」


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