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狐夜話  作者: 行待文哉
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欠月夜

シロガネとフウエンが、一緒に声をあげた。「は?」と重なった二つの声に、タガネは敢えてそれを無視するように続けた。

「実は、この子浚い、火・水・木の里でしか起きておらん。土と金からは誰も子が浚われてはいないのだ」

「ほ、ほう」

 フウエンが答える。シロガネはまだ口をぱっくり開けたままだ。

「そこで、今、率直に言うと、俺とジンサ様は困っている」

 タガネ曰く。先々月から昨夜にかけて十二人の子が浚われたが、その内訳が火の里五人、水の里四人、一昨日の木の里が三人。それで、子を浚われた三つの里の狐たちが、土と金の里が怪しいのではないかと騒ぎ出したというのだ。

どの子も特に目立った特徴もなく、子供であるというだけで浚われているようであること。帰ってきた火と水の子の四人が、口々に、「知らないところを歩いていた」と言っていること。一昨日には木の里から浚われたこと。このことから、埴狐と鉄狐の中に犯人がいて、浚った子を里に隠しているのではないか、と疑いがかかったのだ。

 決して他の狐の子など浚っていない、浚う理由がない、とジンサとタガネが否定しても、炎狐、涌狐、樹狐のそれぞれは引き下がらない。とうとう、それぞれの長が集まって会合を設けたが、みな自分の里の狐の意見を曲げるわけにもいかず、すっかり険悪になってしまう。ついには、この子浚いの件について五つの里が協力するどころか、それぞれの里のやり方で子を守り、不審な他所の狐は捕らえて良いということになってしまった。

「これが、昨夜の会合の話なんだ……」

 これだけ話し終えて、タガネは心なしか疲れている。フウエンが急須から茶を注ぐ。それを受け取りながら、タガネは更に続けた。

「無論、金の里に子浚いなどいないし、ジンサ様も土の里に子浚いはいないと仰った」

「そうやろうなあ」

「フウエン、お前なら、里の間を自由に飛びまわれるだろう?」

 言われたフウエンは、うーん、と鼻を通した鈍い返事をする。タガネの要求は理解できたが、飲み込むのには苦慮しているようだった。眉間に皴を寄せ、腕を組んで口元を歪めている。

要は、しがらみの一切無い風狐のフウエンになら、互いの里の枠など越えて犯人の見当をつけることができる。なので、犯人探しをして、この子浚いを解決してほしい、ということだ。

シロガネは、何故かはらはらした心持ちでこの大人二人のやり取りを見ていた。まだ力の弱い子供を危険にさらすような犯人は、どの里の狐であれ捕まるべきだとは思う。だが、それを、フウエンが探す必要など無いのではないか。このタガネの無理な願いは、聞き入れられなくとも当然ではないか。フウエンは、何と答えるのだろう。もしフウエンが断ったら、タガネはどうなるのだろう、金の里はどうなるのだろう…。シロガネの心臓が、小走りになった。

少し間があって、フウエンが立ち上がった。タガネとシロガネがそれを見上げると、彼女は薄く笑ってはっきり言った。

「分かった、やる。しゃあないな」


「フウエン、なんで引き受けたんだ?」

 シロガネは、切り立った崖に手をかけながらフウエンに尋ねた。足元、背後には岩の山々――それを登ってきたのだ。太陽は、もう頭の真上にある。

「まあ、これ以上誰か浚われたら、話聞いてしもうてる以上、寝覚めが悪い」

 フウエンはふわふわの髪を掻きながら答えた。シロガネは、そういうものなのか、とそれ以上聞くのをやめた。思った以上に岩山が厳しく、集中して手元足元をしっかり握っていないと転がり落ちてしまいそうだったからだ。今、二人は、火の里に入ろうとしていた。

 タガネが帰ってすぐ、フウエンはシロガネを連れて火の里までやって来た。東の国の南、森を越えて、岩山の奥深くに火の里はある。フウエンの霊力で森は難なく跳び越したが、里に続く岩山は強い結界に守られており、自力で登るしかない。フウエンの手助けもあり、とにかく此処までやってきていた。

 最後の崖を登りきり、シロガネは肩で息をしながらどたりと座り込んだ。すぐ目の前には、草原の中に里が広がっていた。フウエンは何故か息も切らさず、のんびりと三本の尾を振ってシロガネの息が整うのを待っている。ふわ、と冬にしては少し暖かい風が吹いていた。

「疲れたか?」

「……うん」

「まあ、炎狐もかなり用心しとる、ってことやな」

 何に対してか。聞くまでもなかった。フウエンが諸所で霊力を使っていなければ、白金は登りきれはしなかっただろう。それほど、火の里の入り口は堅く守られている。これでは、相当の霊力と体力が無ければ、他の狐の侵入は難しい。無論、子浚いが簡単には行なえるはずもない。

 ぱんぱん、と袴の埃を払って立ち上がり、シロガネは崖の上の広い里をぐるりと見回した。草原の中に、質素な家がいくつか点在している。どうやら、里の奥へ行くほど家の数は多くなっているようだ。そこはどこか金の里に似ていて、妙な懐かしさを覚えた。

「里って、どこも同じようなものなんだな」

 シロガネの言葉に、フウエンがふふっと笑う。

「土の里以外は、どこの国の里もこんなもんよ」

 そうか、と答えようとしたシロガネの足元に、突然びいんっと何かが突き刺さる。驚いて飛び退くと、飛び退いた先へ次から次へとその何かは追うように刺さってきた。それは、矢じりに火のついた太い矢であった。

「フウエン!」

「シロガネ、うちの後ろに隠れておいで」

 言われるまま、三本の尾めがけて転がり込む。シロガネがいた地面には、既に雲丹のように矢が刺さっている。ふっさりとした尾に埋もれるように、シロガネはフウエンの背後にうずくまった。

フウエンの足元にも何本も矢は刺さっているのだが、フウエンは微動だにしていなかった。ひゅうん、ひゅうん、と風を切り裂いて矢は次々に飛んでくる。初め足元に向かっていたものが、徐々に脛、膝、腰を狙う高さになる。しかし、まるでフウエンの周りにだけ透明な壁があるように、向かってくる矢はひとつもフウエンとシロガネには当たらなかった。フウエンの体の三寸ほど先で、全て矢は叩き落される。

 何百という矢が二人の周りの地面に打たれ、やがて矢の雨がぴたりと止んだかと思ったら、草原から甲冑姿の武人が幾人も現れた。ぼう、という火が燃える音にシロガネが後ろを振り向くと、崖の淵にはたくさんの狐たちが松明を加えて並んでいる。

 武人は皆弓矢を構え、二人を狙っている。後ろの狐たちも、じわりじわりと二人の背に迫り来る。シロガネはごくりとつばを飲み、低い体勢のまま木刀をゆっくりと構えた。

「待て」

 大きな低い声がして、武人たちがさっと二つに分かれた。甲冑の群の中に一筋の道が出来る。その道を、一人の男が歩いてくる。

「おい……フウエンか!お前、こんなところで何してる」

 フウエンの影から覗いていたシロガネに強く印象付けられたのは、歩いてきた男の燃えるような真っ赤な髪だった。髪そのものがたけり狂う炎のように、逆立っている。紅く、鮮やかな色。同じ色の大きな目が二つ、日に焼けた顔に輝いている。それは、見ているものを威圧するような強さのある色だ。

赤い髪の男は、タガネより少し背が低いくらいだったが、見るからに只者ではない。薄闇色の着流しに、肩に立派な弓を担いでいる。歳の頃は、人間で言えば、二十歳を少し過ぎたくらいであろうか。フウエンはその男に軽い調子で話しかけた。

「おお、カガル様。久しぶり」

「久しぶり、じゃねえよ。危うくお前に向けて本気で喧嘩仕掛けるとこだった」

「そりゃ怖いなあ」

 ちょっと肩をすくめたが全く悪びれていないフウエンに、男は豪快に笑った。

「まあ、いい。お前ら、こいつは子浚いじゃねえ。悪いが、持ち場に戻っててくれや」

 男の言葉に、煙が消えるように武人たちが消えた。いつの間にか、シロガネの背後三間に迫っていた狐たちもいなくなっていた。あとにはフウエンとシロガネ、赤い髪の男、そして男の隣に見知らぬ甲冑の少女が一人残った。

「シロガネ、こちらは炎狐の長・カガル様や。で、隣が妹御のイブル様」

 フウエンがシロガネを振り返って二人を紹介する。シロガネが木刀を収め、フウエンの隣に立つと、甲冑の少女が大きな目をぱちくりと瞬かせた。なるほど、長いおさげにされた髪も大きな目も、男と同じ色をしていた。

「カガル様、イブル様、これは埴狐のシロガネ。タガネから預かって、うちが修行つけとる」

「おお、タガネんとこの子か!」

 カガル、と紹介された男はにかっと笑って大またでずんずん歩いてくる。シロガネの前に立つと、右手を差し出してきた。思わずそれにつられて握手をすると、その大きな手は熱く、はっきりと分かる竹刀だこがあった。

「俺はカガルってんだ。タガネのことは、知ってる。あいつは無口だけど良い男だ」

「は、はい」

「フウエンは何を考えてるかよく分からんが、多分良い奴だと思ってる。こいつは気まぐれだが、まあ、間違ったことはしねえよ」

 カガルの言葉に、シロガネは噴きだした。握手してぶんぶんと振られた手には全く嫌な雰囲気がなかったし、フウエンに関してはその通りだと思ったのだ。タガネとは性質が違うものの、カガルも真っ直ぐで気持ちの良い性格をしている、とシロガネは感じていた。

 カガルの隣に走り寄ってきた少女も、快活に笑って右手を差し出す。

「兄さん、フウエンは西の国の元・炎狐じゃないか。悪い奴のはずがないよ。シロガネ、あたしはイブル。よろしくね」

「えっ?」

 差し出されたイブルの手を握る前に、シロガネは弾かれるようにフウエンのほうを仰ぎ見た。フウエンはイブルの言葉に鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていたが、すぐにいつもの曖昧な笑顔に戻る。驚いているシロガネに「言うてへんかったな」とだけ言った。

 その言葉に返すことも出来ず呆気に取られる。そんなシロガネを気にせず、イブルは兄と同じような握手をして、続けてフウエンに向かって明るい声でじゃれついた。

「フウエンは、早くこっちの炎狐になればいいのに。いっつもすぐ帰っちゃうんだから!」

「すまん、イブル様。うちはやっぱり風狐やから」

「ねえ、フウエンがうちにいてくれたら、子浚いだって来やしないかもしれないよ」

「こら、イブル」

 カガルが、イブルの肩にぽんと手を乗せて遮った。その動きは、イブルをフウエンからさり気無く引き離す。一瞬で、フウエンとカガルのまとう空気がぴりりと張り詰めた。シロガネはそれにぴくりと気がついて、無意識にフウエンの方へ一歩近寄っていた。

「すまんな、フウエン。最近、うちの里で子が浚われることが多くて……さっきの無礼も、それなんだ」

「なに、うちもその件で来たんや」


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