2-027
◆
「魔剣商人?」
語尾を上げながら、俄には信じられないような声を出して、レクティはシエラから言われた言葉を訊き返す。
冒険者ギルドの受付カウンターの中で、シエラは冷や汗をかきながら必死そうだ。
「ほ、本当なんですよ!この前、魔剣商人を名乗る同い年ぐらいの男の子が訪ねてきたんです!ローガンさんも何も咎めずにそのまま送り出しましたし……わ、私だってびっくりしてるんです!」
「私が昇級試験の試験官に駆り出されてた時にすごいことに巻き込まれてたのね……後輩の悪運には呆れ果てるわ」
こっちだってなんでこんなに面倒事に巻き込まれるのか不思議で仕方ないんですが。
言葉を飲み込んで、山積みの資料を整理する。
魔剣商人の少年がギルドを訪れてから早二日経っている。あの後商人ギルドに向かうと言っていたが、その後の情報はない。他の町に旅立ったのか、どこで何をしているのか、全てが不明である。
気落ちする表情で書類整理を進める後輩に、先輩肌を効かせたのか、レクティがニヤリと笑ってシエラの肩に手を置いた。
「でもさ、魔剣商人に出会えるなんて早々ないわよ?私も色んな冒険者とか貴族の相手してきたけど、魔剣商人なんてレアな人物会ったことないし」
「レアって……」
「レアもレア。王国の法律じゃ裁けないんじゃないの?……あ、商人ギルドの鉄則には違反してるか。でもほら、魔剣商人って言うからには資産力凄いんじゃない?なんか裏で賄賂とか送りつけてそう。商人ギルドもそれで魔剣商人見逃しちゃってるとか?」
「……」
正直、否定できない。
商人ギルドに向かうと言っていたが、その後ルシアに賄賂でも送りつけて見逃してもらったりしてるんじゃないだろうか。
商人ギルドに加入していない商人は、王国の法律により罰せられる。しかし、《魔剣》などどいう詐欺まがいの品を売る商人がギルドに所属しているはずがない。
だからといって、魔剣商人を法で裁けるかと言われると……。
ああ、胃が痛くなってきた。もしかしたら、自分はやってはいけないことをしてしまったのでは……。
書類整理の手を止めたシエラ。ぼーっとしている後輩に怪訝な表情を向けていたレクティが、ニコリと笑ってシエラに耳打ちする。
「で、可愛らしい後輩ちゃん。魔剣商人、イケメンだった?」
「……へぁ?」
唐突の意味不明な言葉に、シエラが素っ頓狂な声を出した。というか出さざるを得なかった。
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら、レクティが詰め寄ってくる。右手の親指と人差し指で輪っかを作って。
「だってぇ、これを沢山もってるのよこれを。落としちゃえば玉の輿。一生遊んで暮らせちゃう!!」
「なにを言ってるんですか!!そ、そんなの……」
「そんなの、って何よー。シエラだって冒険者ギルドの仕事キツいって言ってたじゃない?貴族連中落としたってかまわないけど、ナルシストばっかりで参っちゃってるの。で、どう?イケメン?イケメンだった?」
「う……それは確かに……ちょっと目つきが鋭い方でしたけど……結構容姿も良かった、ですかね?」
黒髪など、この国ではほとんど見られない髪色だ。深紫の瞳と、ちょっと吊り目がちなところも格好いいと言えば格好いいだろう。
それに、どこかしら憂いのようなものも含んでいた気がする。そういう雰囲気が好きな女性には、まさしくどストライクなのではないだろうか。
……自分の場合、初対面はめちゃくちゃ怖かったのだけど。
「ほほう、シエラが絶賛するってことは結構な上玉。いいわねぇ、落としてみようかしら」
「ダメですよそんなことっ!そ、そうです!魔剣商人さんの傍にはすっごい美人な方もいたんですよ!なんでも護衛係らしいんですが……」
「護衛役の美人さんねぇ。……それ、囲ってんじゃないの?」
……ひどいことを言うなあ、私の先輩。
「失礼じゃないですかっ!話してみたら見た目と違って結構気さくな方でしたし……か、囲うなんてことは……ないと思いますけど」
いや、でもめちゃくちゃ親しげに話していたし、もしや本当に?
言葉を止めたシエラに、レクティが未だにニヤニヤと笑っている。
「はいはい、分かったわよ。私が悪かったわ。シエラの初恋応援してあげるから」
「ぃい……!!?違いますッ!私は断じて……」
「はーいはい。じゃ、私そろそろBランク昇級の試験官やらないといけないから……これお願いね」
いつもながら、この先輩に弄られる自分をどうにかしたいと常々思う。まあ、それが自分の性格というか、変えられない生き方なのでどうしようもないように思えるが。
レクティがカウンターの隅に移動すると、そこにあった体の半分ほどある大きな木の箱を持ち上げてこちらに突き出してくる。
カウンターの横に置いてあったので一体なんだろうと思っていたのだが、その中にあったのは無数のガラクタだ。革のグローブ、銀のペンダントなど……統一性のないガラクタが山積みのまま今にも零れそうになっている。
「……これ、なんですか?」
「冒険者ギルド内の酒場とかで落とされた忘れ物。いっつも連絡待ってるのに誰も引き取りに来ないのよ。だから処分しようと思っててね。ってな訳で、後で処分しといてねー!」
「!!レクティさん!私にも仕事が―――」
「あーあー聞こえなーい!後輩の言うこと何も聞こえないー!あーそろそろ集合時間ね。やーねー試験官って大変。ほんと大変―!」
シエラの言葉を遮り、耳に手を置いてそのまま裏のドアを開けて逃げていく。
徐々に青くなっていくシエラの表情。
「レ……」
絞り出した声が、一瞬つっかえながらも。
「レクティさああああああぁぁぁぁぁぁん!!!」
後輩に自分の仕事を丸ごと押し付けてきた先輩に、シエラの悲鳴が響き渡った。
何事かとカウンターを通りかかる冒険者がぎょっとした表情でシエラを見つめてきたために、シエラは涙目になりながら会釈する。
……どうしてこう、私はいじめられ体質なのか。
「うっうっ……こうなったら辞めてやる……受付員辞めてやるんだからぁ……」
涙をだばーっと流しながらも、シエラは脇に積まれた資料に手を伸ばす。
言葉で「やめる」と愚痴を言い放っておきながら、体は自然と書類整理の仕事を優先するのだから、自らの真面目さにほとほと呆れてしまう。
なんとか資料整理を終えて、山になった資料をローガンのいる執務室へと運ぶことにする。
「……まあ、この仕事辞めたら行くところないから辞められないんですけどね……」
はぁ、とため息。
目の前に近づいてきた執務室の扉の前でため息を繰り返しながら、なんとか片手を空けて扉をノックする。
「ローガンさん、失礼します」
と、ローガンの名前を呼んだのだが……返事がない。
あれぇ?と首を傾げながら、再度扉をノックしたが、何も応答がない。
「あのう……失礼しまーす……?」
ローガンのスケジュールからして、今の時間は面会などの予定は入っていなかったはずだ。もしや、用を足しに行っていたりするのだろうか。
恐る恐る扉を開けて執務室内に入ってみると、山積みの資料がローガンの机の上に置かれているのが分かる。
それはもう紙の壁となってローガンの座っている場所が見えない。
「置き場がない……」
机の上が魔境だ。持ってきた書類の置き場がない。
「と、とりあえず別の机の上に置いておきますか……」
よっこいしょ、と執務室内の長テーブルの上で資料を置いて、執務室から出ようとしたが……。
「う……ぅ……」
何か、うめき声が聞こえる。
ひっ、と声を出しそうになって堪えたが、うめき声がローガンの机のところから聞こえたために、シエラは恐る恐る机を回り込むように近寄って書類の裏を覗き込んだ。
「!!?ローガンさん!?」
シエラは瞠目する。
山積みの書類のせいで気が付かなかったが、ローガンが机の上に顔を押し付けながら俯いている。
しかも、真っ白になって。獣の耳をしゅん、と小さくして。
尋常ではない事態だとシエラの脳内が活性化。
ローガンの肩に手を置いてゆっさゆっさと揺さぶった。
「ローガンさん!?大丈夫ですか、ローガンさん!!?お医者さん……お医者さんを早く……!!」
「あ、ああ……シエラくんか……」
「よ、良かった!意識があるんですね!!今からお医者様を呼んできますので―――!!」
自らの声に応答したローガンに安堵する。様子を見ると過労だろうか。冒険者ギルドのトップに立つ存在だ。その仕事量は計り知れない。過度の労働は、獣人とはいえ体力をごっそり奪われる。
「いや……シエラくん……医者は問題ない……」
「何を言ってるんですか!?今にも死にそうに……」
「シエラくん……」
ちーん、という音が聞こえそうなほどにか細くて震える声をローガンが紡いでいく。
もしや、遺言だろうか。自分なんかに大切な言葉を託すなんて、と混乱する思考をまとめようとするが、シエラの焦燥が増していった。
そして一言。
「胃薬を一つ……貰えるかな……?」
「……え?」
予想だにしない言葉に、シエラとローガンの視線が交差したまま、静寂が執務室を支配した。
「助かったよシエラくん……」
「い、いえ……お大事に……」
傍らに薬の瓶を置いて、ローガンがふぅ、と息を吐く。どうやら、あんなに真っ白になっていた理由は、胃腸をやられたかららしい。
「あの、お仕事大変そうでしたら、私も何かお手伝いさせて頂ければ……」
「……君みたいな優しい子がいる冒険者ギルドに感謝だ。気にしないでくれ、少し複雑な事情がね……」
ああ、胃が痛い、とローガンが胃を擦る。
「何かあったんですか?」
「うーん……まあ、ちょっとね……」
シエラの言葉に、ずーん、とローガンの顔が青ざめていく。目を逸らしながら満身創痍だ。
「竜の討伐隊編成に、ルシアからの応援依頼。商人ギルドがまた賊に襲われたようでね……ギルド本部が半壊してしまって、応援を要請されているんだが……人材不足でどうしようかと悩んでいるんだ。それに……」
はぁ、とローガンが息を吐く。
「二日前に、クロスリード近郊で森林火災が起こったんだ。あらゆるものが炭化しているのに、なぜか木々が凍りついているとも聞いている。そちらにも状況確認のための冒険者を送り出そうとしているんだが……まあ、あとは察してくれると嬉しいかな」
ああ、後はアルトくんが……と続いたところで、シエラは目の前でやつれている獣人に涙しそうになる。
……本当に大変なんですね、ローガンさん。
商人ギルドの賊の侵入、そしてクロスリード近郊で発生した森林火災は、シエラの耳にも届いていた。
商人ギルドの建物が半壊し、修復のために魔術師ギルドの魔術師たちが修繕にあたっているらしい。
そして、森林火災も同様にだ。
どうやって起こったかは不明だが、商人ギルド内に賊が侵入した同じ日に、クロスリードの近くにあった森が火炎の災禍に見舞われた。
噂では、クロスリードに侵入した賊が放火した、などといわれているが、あんな場所を放火する意味がない。
ところが、冒険者のみならず、クロスリードにいる者たちは噂話が大好きなようで、あらぬ噂が至る所で拡散されていた。
……まあ、そういうことがあるから、ローガンの胃痛も増すばかりというものだ。
「……って、あれ?」
と、シエラはそこで、服のポケットにしまった『薄紅の伝書鳩』が発光していることに気がつく。
もしや、ルシアからの連絡だろうか。
とても話したくない人からの連絡ということもあるため、警戒心たっぷりのまま、シエラは恐る恐る紅の水晶体を指で二回叩く。
「あの……冒険者ギルド所属、リーシェラ・エレンティです。ルシアさん、申し訳ないんですが今度からはローガンさんに直接―――」
『ああ、シエラか。俺だ』
「―――!?あ、アルトさん!?」
その先から聞こえてきたのは、この前言葉を交わしたあの少年、魔剣商人の少年の声だ。
音沙汰なしと思っていた魔剣商人から連絡が来るとは思っていなかったシエラは飛び上がる。
「え!?ち、ちょっと待って下さい!アルトさんって『薄紅の伝書鳩』持っていたんですか!?」
『いや……ああ、そうか。俺の護衛がローガンから受け取っていたらしい。今、ローガンと話すことはできるか?』
「えーと……」
シエラは、ちらりと目的の人物へと視線を向ける。
……ローガンさんは椅子に座りながら天を仰いで「忘失の彼方」中です。
「あのー……何かお伝えすることがあれば、私から伝えておきます。ローガンさん、ちょっと参ってるみたいでして……」
『?そうか。それなら伝えておいてくれ。竜の出現に関する有力な情報が得られた。今から竜骨断崖に行くつもりだってな』
聞き捨てならない言葉に、シエラが大声を出そうとして、目の前にいるローガンに更に追い打ちをかけまいとするためになんとか口を引き絞る。
「竜骨断崖ってあの竜が棲んでるって言われてる地域ですよね!?人が侵入していい場所では……魔力汚染も発生してて長時間いると魔力に蝕まれますよ!?」
『……いや、魔力汚染については気にするな。とりあえず、ローガンにそのことを伝えておいてくれ』
「うっ……了解しました……」
魔剣商人と呼ばれるだけある。よほどの度胸がなければ、竜骨断崖なんていう危険地帯に踏み込もうなんてしない。
冒険者ギルドや傭兵ギルドの者たちも、汚染を怖れて一歩も踏み込もうとしないのだ。恐ろしく強力な魔物も徘徊する場所に踏み込むなど、正気の沙汰ではない。
『後は竜を操る《魔剣》のことなんだが……適性者を探す。詳しいことは言えないんだが、竜を操るような《魔剣》はどうやら存在するみたいだ。その旨もローガンに連絡を頼む』
「?はぁ……」
《魔剣》、と言われて一瞬身構えてしまった。
ローガンが何かしらの取引をこの少年としたことは確かなようだが、本当に賄賂やらなんやら送ってそうなのであまり踏み込まないようにする。
『一応簡潔に済ませたぞ。ローガン、風邪でも引いたのか?仕事もほどほどにしろって言っておいてくれよ』
「まあ確かにその通りなんですが……」
もう一度ローガンをちらりと見ると、今度は席を立って窓の外をじっと見つめている。
……ああ、まずい。仕事疲れとかいうレベルじゃないあれは。
「いろいろと大変なことになってるみたいなんです。商人ギルドが半壊して冒険者ギルドに負担がかかってたり、クロスリード近郊の森で起きた火災の調査もしないといけないらしくて……ローガンさん、心神喪失状態ですよ?さっき胃薬渡して少し回復したみたいですけど……」
『……』
おや、とシエラが首をひねる。ローガンの状況を伝えたら、向こう側にいる魔剣商人の声が聞こえなくなった。
……
……これは、もしや。
「あ、あの……アルトさん?」
『なんだ』
「もしかして心当たりがあったりなかったり―――」
『知らない』
「え?」
『俺は何も知らない。いいな、何も知らない』
「えっと、でも……」
『知らないと言っている。いいか、俺は知らない。絶対に知らない。断じて知らないからな』
「は、はい……」
『じゃあこれで切るぞ。また後でな』
……これは、めちゃくちゃ関係ありそうだなぁ。
早口で捲し立てる魔剣商人。ブツリ、と強制的に切れた通信に、シエラは冷や汗をかいて苦笑いを浮かべるしかできなかった。
「あ、あのローガンさん……」
「……空は、青いな」
遠い目で窓の外を見つめるローガンに、これ以上声をかける勇気はない。
ローガンに気付かれないように、失礼しました、と小声で執務室の扉を閉じた。
……アルトさんからの連絡は、後で伝えよう。
胃の下の鈍痛。どうやら、ローガンの胃痛が移ってしまったようだ。そこを擦りながら、シエラは冒険者ギルドのカウンターへと戻った。
息を一回吐き出して横を見ると、そこにはギルド内で回収された忘れ物の山。
「……レクティさんに後で何か奢ってもらえたりしないかなぁ……」
ローガンと同様に、自分にも仕事の重荷が重なっていく。なんとか先輩に料理の一つや二つ奢ってもらえたりしないだろうか。
そうすれば、もうちょっと仕事を頑張ってもいいかなぁ、とシエラは溢れ出しそうになる涙を堪えた。
「それにしても……どうしてこんなに忘れ物が多いんですかね」
山積みになっているガラクタから一番上のものを手に取る。くたびれた片方だけの革のグローブ。もう片方だけで今も依頼を受けているのだろうか。
……いや、ないと分かったら新しいものを買っているか。
と、そんな思考に没頭していたシエラの耳に、ガシャン、という音が突き刺さった。
びくっと肩を跳ね上げたシエラは、それがガラクタの山が崩れて、何かが落ちた音だと理解する。
高い音からして、金属かなにかだろうか。床に視線を落とすと、金のように鈍く光る丸い物体が落ちている。
「……!!う、嘘……っ!なんでこんなもの……!?」
そのガラクタの正体に、シエラは絶句する。すぐに拾い上げてその状態を確認した。
金色に光ってはいるが、その金属は金ではない。ドワーフや熟練の鍛冶師しか使用しないと言われる、ある金属を組み合わせた合金だ。
黄銅。またの名を真鍮。
その金属で作られた、円形の物体。
金属の頭には丁寧に輪っかが作られており、そこからチェーン状になった金属が繋がれていた。
円形の金属の表面には、何か花の紋様が刻まれており、並大抵の職人が彫ったものでないことが伺える。
「か、懐中時計……なんでこんな高価なものが……」
真鍮の懐中時計。輝きを返す金色の時計。
自らの給金一年分でも買うことが出来ないであろう、貴族たちのみが所有する超高級品。
何かに魅せられたように、シエラはその懐中時計を手放すことができない。
―――その様子を伺うように、何者かがシエラをじっと見つめていた。