幕間 -友の肖像-
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「……師匠?」
友の言葉に、私は耳を疑った。向かい側に座って、憔悴しきった表情でこちらに救いを求める私の友の様子は、それはもう逃げ場のない盗人のそれだった。
クロスリード内の片隅に作られた、石でできた机と椅子に座っている私は、そもそもなぜこんな場所に呼ばれたのかも全く理解できずにいた。
黒鎧を纏った目の前の女が、「人を弟子として迎えた」などという前代未聞の理由をその口から吐き出すまでは。
「お前が、人の子の師匠?一体なにがあったのだ」
私の問いかけに、女は困ったように机に伏す。
「ホントはね、クロスリードの入り口近くで売ってる串焼きを食べたかっただけなの……。でも、途中で財布盗まれた女の子が私の横通りかかってさ……気まぐれに助けたんだけど、それが原因で好かれちゃったみたいで」
「……自業自得ではないか」
人の子を気まぐれに助け、それで困っているなど。
「貴様、私の忠告を無視してこの場所を何度訪れている?あれほど人の子に関わる行動をとるなと言っているではないか」
「そうだけど……クロスリードにあるお店の料理ってどれもこれも美味しいものばっかりじゃない?流石に魔力だけだとレパートリーが―――」
「贅沢を言うな。人の波に溺れたか?私たちの役目を忘れたわけではあるまい」
「ぐっ……いいでしょ!たまには息抜きだって必要よ!見てよ、あそこにいる人も美味しそうに料理食べてるじゃない。仕事の対価に美味しいもの食べたって何にも悪いことは……」
「それが原因で、貴様は私に助けを求めているのだろう。対価を求めるならば、お前が私に放り投げた仕事の数々を教えてやろうか?」
「うっ……あ、あんなの私がやるような仕事じゃないし?適材適所よ、適材適所。フェイの方が得意なんだから、私がやる必要なんてこれっぽっちもないでしょ?」
両手を肩まで上げて、ふぅ、と、自分は悪くないと開き直る。
私はそれを睨みながら静かに言う。
「貴様が放棄した魔力の浄化と、魔物の討滅。先日が七、この一週間で三十九。この一ヶ月で百二十四。半年で―――」
「や、やめてやめて!それ以上言わないで!!」
言い返せない女の様子に、私は腕組みをしながら睨み続ける。
ぐぬぬと唸っていた女は、がばっと起き上がって私に両手をあわせた。
「悪かった!私が悪かったわ!だから、だからね、助けて欲しいのよ!ほら、貴方がキツく言えばあの子も諦めるだろうしさ。ね、お願いフェイ!」
「自惚れるな。貴様が引き起こした事象に、私が関わる道理はない」
「い、いいじゃない!私たちの仲に免じてさ!お仕事もっと頑張るから!」
「信用ならんな。この前も龍脈の浄化を怠っていたではないか」
「それは……串焼きの売り切れが近いから仕方なく……」
「あの後その仕事を引き継いだのは誰か、その者にどれ程迷惑をかけているのか、貴様は何一つ分かっていないようだな」
「う、うぅ……」
もちろん、私が代わってその仕事をやったのだ。
この女の仕事の怠慢を嘆くのは、これで何度目か分からない。先日はいつの間にか姿を消し、日が落ちるまで帰ってこなかった。
どこに行っていたと問えば、目を泳がせてあやふやな理由を言うだけだ。
探りを入れてみれば、この都市内で売っている串焼きを嬉しそうに頬張っていたのだから、我慢ならない。
私がこの女に仕えて数十年。この女が真面目に仕事をやっている記憶がない。
……いや、昔は仕事に従順な女だった。それがいつの間にか、こんなことになっている。
机の上で涙目になりながら唸り続ける友に、ため息を吐く。
もちろん、この女の願いを聞き入れるつもりはない。時間の無駄だ。
石の椅子から立ち上がろうとして、そこで大声が遠くから聞こえてきた。
「師匠ぉ―――!!」
こちらへ駆けてくる人間の少女の姿。私は咄嗟に隠蔽の魔法を発動して、気配の全てを遮断する。
茶髪を肩で結わえた、まだ大人に成りきらない幼さの残る少女だった。目や鼻の造形は整っているが、その身に纏ったぶかぶかの兵士の配給着がひどく不釣り合いである。
自分が呼ばれたと分かった友の表情が、明らかに強張るのが分かる。
「十二時に時計塔に集合だって言ったのに、なんでこんなところにいるんですか!?必死に探したんですよ!」
「そ、そうだったかしら?ごめんなさい、明日だと思ってたのよ……」
「あんなに弓の練習について知らせておいたのに!ほら、早くご飯食べて弓の使い方教えてください!」
「え、えっとぉ……ちょっと今日は用事が……」
ちらり、と、気配を遮断している私へ視線を送ってくる。
そんなに懇願しても助ける気はない。
あ、と、少女が何か忘れていたような声を出すと、肩にかけていたカバンに中から、丸い金属を取り出した。
「そうだ!師匠が時計塔の時間全く見ないから、これ買ってきたんです!」
「へ、へぇ……?」
少女は手を掴むと、その金属を無理やり押し付ける。
なんだと思ってみてみれば、それは何かの花の形が掘られた、真鍮の懐中時計だった。
「近くの店で買ってきたんですっ!ちょっと高かったけど、師匠にぴったりですよね!」
「う……」
少女の姿から見るに、おそらくこの都市の兵士見習いといったところだろうか。
見習いの配給金などたかが知れている。こんな高級なものを買うとなると、半年ほどの給金を支払ったことだろう。
受け取れない、と野暮なことを言えば、この少女の表情がどういうことになるか、私にも察せないわけではない。
明らかに、逃げ場を完全に失った。
こちらを見つめて、「助けて」と魔力の波動を放つ友の様子に流石に心が揺らいだが、私が登場したところでこの少女を突き放すのは困難だろう。
「師匠」に心酔する少女にいくら通告したところで、その心は変わらない。少女の目に宿る炎は、それほど大きなものだった。
やれやれと、私は気配を遮断しながらその場を後にする。
ちらりと後ろを見て、少女に手を引かれながら中央通りへと消えていく友の姿があった。
―――ああ、そうか。
ここであのとき、私が友を助けていれば。
少女を無理矢理にでも突き放し、これ以上この都市に関わらないことを、友に諭していれば。
悲劇が起こるはずは、なかったのだ。