それでも彼は - 8 -
◇
「どうです!?【漆黒の風】様に見えますか!?」
「ああ……そうだな……」
俺の変装装束に身を包んだ王女に、俺は力なく頷いた。
あの後、骨董品のことなど忘れたかのように、王女は【漆黒の風】の服を所望し、仕方なく俺は自室にある変装道具を持ってきたという流れになった。
俺は深くため息をついて、机の上にある紅茶を口に含む。
黒一色の服を翻しながらくるくる舞っている王女は、大変上機嫌だった。
「アルトは凄いですね!これを着て王都を走る姿、見てみたいです!」
「盗賊は誰にも気付かれないようにするんだから、そんな姿見せるわけないだろ……って」
なんで俺の名前を知っている?
と、言おうとしたが、王城には商人の名簿が存在している。そこから名前を探り当てたのだろう。
王女はどうしたことか、骨董品へと再度目を移していた。
「アルトは一人でこのお店をやってるんですか?」
「人は全く来ないけどな」
「そんな!こんなに素晴らしいものが沢山あるのに…」
「骨董品っていうのはほとんど需要がないんだよ」
ましてや時代遅れの骨董品だ。しょんぼりとした表情をした彼女にどう口を開けばいいかを考えながらも、咳払いを一つ。
「で、正体を暴かれた俺は牢獄行きか?」
椅子の背もたれに体を預けながら、俺は天井を見上げた。この場から逃亡しようにも、王女が国王と騎士団に【漆黒の風】の正体をバラせば、王都での盗賊稼業はできなくなる。投獄され、人生の全てを牢獄で暮らすことになるか、もしくは死罪だろう。
だが、俺の人生を左右する立場にある王女はきょとんとした目でこちらを見つめている。
「アルトは牢獄に入りたんですか?」
「んなわけないだろ!俺を兵士に突き出すのかって聞いてんだよ!」
王女は優雅な動作で紅茶を手に取ると一口。そして、にっこりと笑った。
「そんなことしませんよ。私はただ、【漆黒の風】様とお話をしたいだけなんです」
その言葉に何を潜ませているのか、俺は用心深く王女を見つめた。
「……本当の狙いは?」
「私の願いを三つ叶えてくれるならば、誰にもあなたの正体を言いません」
俺は願いを叶えるランプの魔人か?
王女はこちらに詰め寄りながら、人差し指をピンと立てる。
「一つ目は私と一緒に王都を回ること!」
「……了解だ」
王女だとバレたら大問題になるが、言うことを聞かないのは目に見えていた。王女の城下町視察に乗じて俺の店まで来たこの女の度胸は賞賛に値する。
「二つ目は、エトワール大森林に護衛として着いてきて欲しいんです!」
「エトワール大森林?」
ふむ、と俺はその大森林の情報を自分の脳内から探り出す。エトワール大森林は王都の北西に広がる広大な森林だ。魔物は少なく、様々な動物が暮らす神性を帯びた森であり、確か観光名所にもなっている。
というのは、その森林の中心に、光り輝く大樹が存在しているからだ。《星の樹》と呼ばれている大樹は、どうやら魔物を祓う力を持っているようで、その枝から作る魔法の杖は、術者の力を大幅に強化してくれるらしい。《星の樹》の枝はこの王都の城壁の一部にも使われている。
「……騎士団がいるだろ。どうして俺みたいな盗賊がお前の護衛をしなきゃならない」
不機嫌になるのを隠さないまま、俺はまた紅茶を一口啜った。自分も観光がしたいということか。
王女はニコニコ笑ったままだ。
「……騎士団は、私のことなど護ってはいないですよ」
「?それはどういう―――」
ことだ、と続けようとした所で、王女がこちらに指を三つ立ててきた。
「最後のお願いです!」
「……はいよ」
「とある屋敷に忍び込んで、あるものを取ってきて欲しいんです!」
俺はその言葉に聞いてティーカップを落としそうになった。
「盗人に自ら依頼とは、大層ご立派な王女様だな」
何かまた裏がある。そう考えるのは当たり前だ。王族であるミリア王女が、自らここに赴いて【漆黒の風】に依頼しているのだ。
「アルトは、貧しい人にお金を分け与えているんですよね?」
憎まれ口にどのように返してくるかと期待していたのだが、王女は話を続けるようだ。
「……【漆黒の風】は盗賊だ。金を奪う以外の理由はない」
それを聞いたミリア王女はまた微笑んだ。
「貧民街の状況が緊迫していることは、私もお父様から聞いて知っています。でも、おかしいんです」
「おかしい?」
机に置いた紅茶をまた手に取った王女は、真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。
「お父様は、貧民街の状況を知っています。だからこそ、その方たちを救うために、生活保護を目的とする政策を立てたんです。商業組合と連携をとって、貧民街の方に労働とそれに見合った賃金を与える大規模な政策です」
瞬間。俺は気づけば、机を殴りつけていた。ぎりぎりと拳を握りしめ、しかし必死にこらえる。
「そりゃあ賢明なことだな!!貧民街でどれだけの人間が死んだと思ってる?今更そんな政策を出したところで、状況が変わるのは数年後だ!!」
今更そんな政策を立てたところで、死者が減ることはない。
「俺の目の前でどれだけの人間が死んだと……!お前らが裕福な生活をしている中で、どれだけの人間が―――」
と、王女が机に置いた俺の拳を、両手で握ってくる。王女を見ると、その表情はとても苦しそうだった。
「……分かっています。私たちがすべきだったのは、早急に彼らを支援することだった。あなたが【漆黒の風】になったのも、そんな人を救うためだったんですよね」
そうだ…だから俺は…!
俯く俺に、王女は気まずそうに口を開いた。
「でも、聞いて下さい……!まだお話は終わりではないんです」
そうだ。王女はおかしいと言っていた。一体何が―――。
「お父様が、その政策を実施し始めたのは今から二年前なんです」
「!」
俺はハッと顔を上げた。
バカな。そんなことあるはずがない。そんな政策を二年前から実施しているのなら、現在の貧民街の状況は全く異なっているはずだ。
しかし、状況は全く変わっていない。
「待て……どういう、ことだッ!」
どうなってる。何が一体どうなっているんだ。
頭を押さえて取り乱した俺に、王女は心配そうな顔を向けていた。
「商業組合からの税、出入国税などをその政策のために使用したはずなんです。でも、その政策の効果は全く見られません。だから私は、王城を抜けだして……」
その理由を探っていた?
「……本当に暇な王女様だな」
「だって、本当におかしいじゃないですか!私、何度も何度もお城から抜け出して……」
ということは、盗賊である俺と、何ら変わりないことをしていたのか。
ごにょごにょと言葉を濁す王女は、頭をぶんぶんと振った後、また俺に詰め寄ってくる。
「でも、やっと分かったんです!なんでこんなことが起こっているのかが!」
「わ、分かったから顔を近づけるなッ!」
ぐいぐいと両手を使って押し返すと、王女は頬をふくらませながらもまた口を開いた。
「お父様の側近である宰相様が、その予算の徴収を任されていました。あの人がお金を不正に所持しているみたいなんですっ!」
「宰相だと?」
必死に頭を動かして、その宰相を思い出す。王の横の控えていた、妙に顔の血色の悪いあの男だろうか。ひょろりと背が高く、腰に手を回してこちらを睨んでいたか。
「宰相の屋敷に忍び込んで金を盗み出してこいってことか?」
「おそらく、ただお金を盗んだだけでは、あの方の不正は明るみには出ないと思います」
まぁ、だろうな、と俺は机に肘をつく。
不正を暴くには、その予算を記してある帳簿などが必要になるだろう。貴族などが使用する個人資産の記録や使用用途は、全て王へと提出しなければならない。
俺が金銀財宝を盗んだとしても、どれほど盗まれたか分からないのだ。
一体王女はどうするつもりなのだろう。
「一生懸命考えて、一番良い方法を考えたんです!それは―――」
王女がその方法を口にしようとしたその瞬間、バンッ!という大きな音が店に響いた。
ぎょっとした俺は、すぐに音のした入り口へと顔を向ける。
開け放たれた扉にいたのは、大汗をかいて肩で息をする悪友だった。
「デ、ディモン、いきなりどうしたんだ」
必死の形相でこちらを見るディモンは、俺のとなりに座る王女のことなど眼中にないようだ。
「お前……一体どういうつもりだ!!」
怒鳴り散らしながら俺の肩を掴んでくる。
「ま、待てよ。それはこっちのセリフだ。お前こそどうしたんだよ」
「どうしたもこうしたもねぇよ!なんだこりゃあ!聞いてねぇぞ!」
片手に持っていた紙切れをこちらへと突き出してきた。
どういうことか理解できずにいる俺だが、仕方なく渡された紙に目を落とす。
紙に書かれた内容を読んだ俺は、
石像のように凍りついた。
その紙切れに書かれていたのは、信じられない内容だった。
「……おい、ミリア」
王女だろうと知ったことか。俺はプルプルと体を震わせながら、王女へと向き直る。
「どうです!?我ながら上手く書けたと思うんです!」
この天然ボケ王女は、俺のYESかNOかを聞くよりも早く、全ての準備を終わらせていたということか。
「ふ……」
「ふ?」
この一七年の人生の中で、これほど叫んだことはなかっただろう。
「ふざけるなあああああああああああああああああああああっっっ!!!!」
手元の紙がはらりと落ちた。花の絵が端にびっしりと書かれた、招待状に使う高級紙。
『今夜、クライスラ王国宰相閣下の宝を頂きに参ります。【漆黒の風】』
そこに書かれていたのは、誰の目にも明らかな、盗賊の予告状だった。