2-019
「……本当に悪かったよ」
という言葉を何度か吐いて、ミリアの機嫌を伺うが、つーんと顔を逸らしている。
結局ローガンにも【結実の徒花】に関する俺たちの事情を知られてしまったのだから、ミリアの口を封じることも意味がなかった。
それについてこんなにも謝っているのだが、それでも王女様はお気に召さないらしい。
と、横でローガンが笑う。
「君たちは仲がいいね。君の印象が師匠から聞いていた話と随分違うようで、少し驚いたよ」
「手紙になんて書いてあったんだよ……」
「いつも仏頂面で他人との距離を取る人の気持ちを理解しようとしないバカ、という感じかな」
……言っていることは全て事実であったため、反論できない。
俺の表情を見て、ローガンがまたニコニコと笑っている。
「それでは、ミリアくんの機嫌を直すために一つプレゼントでもしようか」
「プレゼント?」
と、ローガンは椅子から立ち上がると、横にあった本棚に近づいていく。そこから、朱赤のカバーが被せられた厚い本を一冊取り出した。
「ミリアくんが炎系統と地系統の魔法を使用できると聞いたんだが、本当のことだね?」
頬を膨らませながら、ミリアが首を縦に振る。そんなミリアに、ローガンが苦笑した。
「それなら、是非この魔術書を受け取ってくれ。炎と地、二つの系統を組み合わせた二奏魔法の使用方法が書かれている」
「……え?」
ミリアが驚きの声を上げた。ローガンから渡された魔術書をまじまじと見つめている。
「その魔術書に書かれているのは、二奏魔法であり、固有魔法なんだ。それも、大量の魔力を消費しないと具現化できない高難度魔法でね」
「二奏魔法でオリ……っ!?こ、こんな高級なもの受け取れませんっ!?」
「……ちょっと待ってくれ。俺にも分かるように説明してくれ」
ミリアが、がばっと席から立った。そしてぐいっと詰め寄ってくる。
「い、いいですか!本来、市場に流通している魔術書は、そのほとんどが定式魔法を基礎としたものなんです!でもそれらの中に、固有魔法について書かれている魔術書があるんですよ!?」
「へ、へぇ……それがどうした?」
「ですから!固有魔法について書かれている魔術書は、その魔術書を編纂した魔術師の叡智の結晶なんです!その魔術師さんが考えだした、世界に一つしかない魔法が記載されているんですよ!そんなもの、値段なんて付けられません!」
段々と、ミリアが言っていることが分かってきた。
つまり、この魔術書は非売品のようなもの。本来は他者に軽々しく渡してはいけない、プレミアのついた品ということか。
ミリアの慌てように、ローガンは優しく微笑んだままだ。
「ミリアくん。その魔術書に書かれているのはね、私の友人が創り出した、完全無欠の固有魔法だ。常人が扱える魔法ではない。でもね、吸血鬼である君ならその魔法を使えるのではないかと思っているんだよ」
「そ、そんなっ……!私は……!」
「いいかい、師匠は君に妖精の杖を渡しているだろう。それがなによりの証拠だ。師匠は、この魔法を覚えさせるために、君をこのクロスリードに導いたんだ」
ミリアの腰に提げられている魔法の触媒、妖精の杖。莫大な魔力を蓄積させ、魔法の効果を飛躍的に上昇させるマジックアイテム。
ディモンがなぜ、ミリアにそんなマジックアイテムを渡したのか不思議に思っていたが……。そういうことならば一応説明はつく。
「昔から師匠の人を見る目は一度も狂ったことがなくてね。なにせ、その杖は―――」
と、そこでローガンが言葉を止めた。
そして、やれやれと頭を掻く。
「これ以上口を滑らすと、師匠に何をされるか分かったものではないか」
何か、不都合なことでもあるのだろうか。妖精の杖と、魔術書。
……そういえば、その杖の元の持ち主についてディモンから聞いていなかった。何か事情があるのは確かなようだが……まあ、それは追々確認しよう。
「……だからミリアくん。その魔術書に書かれている魔法を使いこなしてもらえないだろうか。アルトくんの助けにもなる、素晴らしい魔法だよ」
ローガンの言葉に、ミリアが魔術書を凝視する。
しばしの静寂の後。
ミリアは、ローガンへと深くお辞儀をした。
「あの……ディモンさんとローガンさんの期待を裏切らないよう、頑張ってみます!」
「うん。まあそこまで固くならなくてもいいんだよ。君たちの旅の役に立つならとても嬉しい」
ミリアはすぐに席に座ると、魔術書を開いて目線を左右に動かし始めた。
……この王女様は、努力という行為を無意味だと切り捨てない。
高難度の魔法だとしても、使いこなしてしまうんじゃないかという予感がある。
「この魔術書に書いてある魔法、どんなものなんだ?」
「説明したいのは山々なんだが……口で伝えようにも、難解すぎて私にも理解不能でね。攻守ともに優れた魔法らしいんだが……」
「……曖昧すぎて、しっくりこないな」
「情報が無闇に漏れないように、魔術師用の暗号言語で書かれているんだ。……ミリアくんが解けるかどうかは……まあ、生まれ持った才というやつかな」
前言撤回だ。その魔法を覚える以前に、この魔術書の読み方を理解するところから始めなければいけないらしい。
渋面になりそうになって堪える。
「いずれシエラくんが戻ってくる。ミリアくんにもDランクの試験を受けてもらわないとね」
ミリアがそれに頷くと、ローガンはゆっくりと自席に座った。
とそこまでは良かったが―――何か考え事か、俺たちを見ながら遠いところに視線を向けていた。
……ギルド長という立場の人間だ。これ以上長居するのも悪いだろうしそろそろお暇するか。
「それじゃあ、俺はギルド前の酒場で休んでくる。ミリア、試験が終わったらそこでな」
「はいっ!絶対冒険者になりますから、待っててくださいね!」
「……ああ」
すでに魔剣商人として存在を確立させている俺は、冒険者という立場に立つことはできない。
ローガンにも冒険者になるか、と聞かれたが、丁重に断っておいた。
席を立って扉に手をかけ―――
「アルトくん」
ローガンから、声をかけられる。まだ何か伝えていないことがあるのだろうかと、俺はローガンと視線を合わせる。
「まだ何かあるのか?」
「……少し、確認したいんだが」
躊躇う様子を見せるローガンに、俺は首をかしげる。言いにくいことなのか、視線を下に向けながら―――口を開いた。
「《魔剣》の中に、竜を喚ぶような力を持つ《魔剣》はあるのかい?」
突拍子もない質問に、俺はへ?と素っ頓狂な声をあげてしまった。
「突然なんだ?竜を喚ぶ《魔剣》だと?」
「いや……そうだね。君にも事情は話しておくべきか。昨日、この都市に黒い竜が現れたんだ」
「人里に、竜が?」
まるで冗談のような言葉だった。本来なら、人も獣も住めないような土地に棲むと言われている竜だ。それがこの都市に現れたなど、まるで夢の中のような話だ。
「私も信じられなかったが、シエラくんも同様に竜が現れたのを見ていてね。幻覚で無いのは確かなんだ」
「この都市にいる全員が知っていることなのか?」
「騒ぎになっていないことを鑑みるに、その可能性は低いだろう。だが、それも不思議でね。あんな巨体を晒していたんだ。都市にいる誰もが目撃しているはずなのに、その情報が上がってこない」
確かに、それは異常だ。
ローガンが嘘を言っているようには見えない。だが、それを見た者が限られているというのだ。
辻褄が、合わない。
「あ、あの……」
と、ミリアがそこで声を上げた。魔術書を熱心に読んでいるようだったが、俺たちの話を聞いていたようだ。
「黒い竜というと、もしかしてジルニトラのお話でしょうか?」
「……ジルニトラ?」
その単語を、俺は前もって聞いていた。
確か、それは―――
「ジルニトラって……クロスリードを救った竜のことか?」
「はいっ、アルトも知っていたんですね。黒竜ジルニトラ。かつて、他国からの侵攻を防いだ、救世竜と呼ばれている竜の名前です」
ふむ、とローガンが顎に手を置く。
「確かに、黒い竜ではあったが、あの竜がジルニトラである可能性は低いだろう」
「なぜそう言い切れる?」
「ジルニトラはこのクロスリードを救った後、その戦いで受けた傷によって息を引き取ったと文献に書かれている。この世界にはすでにその竜は存在しないんだよ」
「その文献が全て正しいと言い切れないだろ。もしかしたら、間違っている可能性だってある」
「……もしその文献が間違ったものだとしても、ジルニトラがニ百年以上経って、今更この都市に来る理由が存在しない。竜の知能は人間を遥かに超えている。理性的な判断も可能なはずだ」
ローガンの意見はもっともだった。
竜は長命だ。半永久的な命を持つ生物で、その知慧はあらゆる生命体を凌駕しているのだ。
そんな存在が、クロスリードに現れる理由がない。
……それを考慮した上で、ローガンは俺に聞いてきたのだ。
「……竜を喚ぶ、もしくは操るような《魔剣》か」
「マジックアイテムに、そんな力を持つものはない。だとしたら、残るは《魔剣》のみだ」
確かに、《魔剣》の力はあらゆる可能性を持っている。
矛盾という力を根源にして、本来では起こり得ない力を具現化する。
だから、竜を喚ぶ力を持つ《魔剣》もまた存在しうるのだ。
「あとで在庫を確認するよ。それでいいか?」
周りには公にはしていないから勘違いされてはいるが、俺は所詮仲介人だ。
《魔剣》に関する力については、アインに確認する他ない。
ローガンが首を縦に振った。
「一応、竜に対する対策を立てている途中なんだ。この都市を害するようであれば、討伐もやむを得ないと思っている」
「もし《魔剣》の力で喚んでるんだったら、色々と面倒だぞ?その《魔剣》の所有者が誰なのかも特定しなくちゃいけないしな」
「それは、君に頼みたいんだがね」
「……面倒事はたくさんなんだけどな」
ニコニコと笑うローガンの顔を見ていると、この男の度胸が窺い知れる。
……まあ、魔剣商人で出来る仕事なんて、そんなものだろう。
竜の討伐というが、そもそも竜の鱗は鉄よりも硬く、その顎はどんな頑強な鎧をも砕くと言われている。
魔法ならまだ可能性はあるが、いくら人が束になったところで竜に勝つことは難しい。
俺は仕方なくローガンに頷く。満足そうに表情を綻ばせているローガンに踵を返して、執務室を後にした。
ギルド本部の大広間へ戻ると、冒険者たちの賑わいが広間を覆い尽くしている。
すぐに共同酒場の空いた席に座って、ふう、と一息つく。
……魔剣商人という立場故に仕方ないが、これでは逆に、良いように使いまわされているような気がする。
「竜を喚ぶ《魔剣》ね……」
俺の持っている《魔剣》、【砂上の傷跡】が空間に影響を及ぼす《魔剣》だとしたら、竜を喚ぶ《魔剣》は他の存在に影響を及ぼす《魔剣》といった所だろうか。
空間を飛び越える能力を持つ《魔剣》もなかなかのものだが、竜を喚び、自在に操る《魔剣》などがあれば、一国を滅ぼすほどの強力な《魔剣》となるだろう。
おそらく、アインもそんな《魔剣》を野放しにしておくはずがない。
つまり―――
「……また仕事が増えたか」
魔女の取引と追加で、厄介な仕事が増えてしまったことを意味する。
どんどん胃が重くなってくるのを感じて、うつ伏せになりたくなった。
しかも、だ。
「……」
―――全方向から突き刺さる無数の視線。
ギルド前の広場で騒ぎを起こし、魔剣商人という存在をこのギルドのみならず、この都市にいる全員に知らしめてしまった。
俺の存在を興味深そうに見つめる者はもちろん、《魔剣》を欲しがる者の視線が痛い。
―――どいつもこいつも。
酒場で何か注文しようと思ったが、気分が悪くなってきた。
「な、なあ、あんた魔剣商人なんだよな?」
と、何者かに声をかけられて、ため息混じりにその人物を確認する。ざわ、と周囲の雑音が一気に静まっていく。
冒険者の一人だろう。軽鎧を纏った金髪の青年だった。おどおどとした立ち振舞いに、俺はじとっとした目で睨み返す。
「……そうだが、なんの用だ」
「そ、そうだよなっ!魔剣商人だよなっ!それなら、俺に《魔剣》を売ってくれ!金ならいくらでも出す!」
これまた、必死な。
俺たちの様子をまじまじと観察する周りの冒険者たちは、何を考えているのか容易に想像できた。
俺との交渉に成功するのか否か。その結果で、俺に群がる冒険者の数が決定する。
―――それなら。
「その言葉は本当だな?」
「あ、ああ!もちろんだ!だから《魔剣》を売ってくれ!」
「そうか。それなら……」
俺は、懐にしまい込んでいた短剣を取り出して、目の前に突き出す。
「これなんてどうだ。金はいらない。自由に使えばいい」
「―――へ?」
素っ頓狂な声を出した眼の前の冒険者に、俺はニヤリと笑う。
おずおずと受け取った冒険者に、俺は―――
「い、いいのか!?貰っても!?」
「ああ構わない。だが……」
そこで俺は言葉を区切り、不敵な笑みを作る。
「その《魔剣》はな、使用者の命と理性を奪って、極限まで切れ味を鋭くする《魔剣》なんだ。誰も売る相手がいなくて悩んでたんだが、ちょうど良かったよ、まさかこんなものを欲しがる奴がいるとはな」
その言葉を聞いた冒険者の男の顔が、蒼白になっていく。
不敵な笑みを崩さない俺を恐れたのか、すぐに短剣を突き返してくる。
「ふ、ふざけんなよっ!!そんな危険な《魔剣》を売るなんて―――」
「ふざけるな、だと?」
席から立ち上がって、俺は冒険者の男を睨み返した。―――そこに、強烈な殺気を込めながら。
「《魔剣》を欲しいと言ったのはお前だ。《魔剣》ってのはな、マジックアイテムなんて比べ物にならないいわくつきの品だ。そんな覚悟で《魔剣》を欲しいなんて言ったのか?」
「―――ぃっ……!!」
息が詰まったように、口をぱくぱくと動かす冒険者の姿にため息を吐きそうになる。
《魔剣》そのものを欲しがる奴なんて、こんな者ばかりだろう。
それに、自分にその《魔剣》が使えるかどうかなんて考えてもいないのだ。魔剣商人が見繕ってくれるから大丈夫だ、なんて甘い考えを持つ連中の相手をする時間はない。
「失せろ。商売の邪魔だ」
そう言い放つと、冒険者の男は悔しそうに表情を歪めたまま、酒場の席に戻っていった。
周りから見ていた冒険者のひそひそと話す声が耳に入ってくる。
……失敗したと分かって俺に話しかけてくる様子はない。
親父から聞いていた怪談話がこういうところで役に立つのだから、人生なにがあるか分からないなぁ、と現実逃避じみたことを考えてみる。
……そんなことよりも、おっさんとミリアが早く戻ってきてくれるのを願った方がいいかもしれない。