2-015
◇
ひどい頭痛だった。
朝からずっと頭の中を叩くような頭痛が続いていた。
ズキズキと痛むこめかみを押さえながら、俺たちは冒険者ギルド本部へと向かっている。
昨日の夜、ミリアはアインから俺が課せられている依頼について全て聞かされていた。
《魔剣》【結実の徒花】の回収に、女魔術師ミリエル・グラースの暗殺。
それを聞いたミリアは微かに驚きを露わにしたが……それでも俺を手伝うことを決めたようだ。
「大丈夫ですか?治癒魔法がちゃんと効けば良かったんですけど……」
心配そうにこちらを覗き込んでくるミリアを、俺は片手で制する。
「気にするな。多分軽い疲れか何かだろ」
俺も、王都から一歩も出ない生活を送っていた者の一人だ。環境が変われば、いくらでも体に不調が出る。
親父と旅をしていたのは五年以上も前だし、体調管理を甘く見すぎていたかもしれない。
が。
この頭痛に伴って、忘れてはいけないものを忘れている気がした。
そう、何か。昨日の夜、夢を見ていたような―――
「はいはい、少年。あんまりやせ我慢しちゃダメよ。ちょいこっち」
深く沈殿する思考から呼び戻された。
隣を歩いていたヴェイルが右手をくいくいとこちらに動かしている。一体何をする気だこのおっさんは。
疑り深く観察しながら、俺はヴェイルに近づいた。すると、ヴェイルは俺の頭に右手を掲げる。
その右手にひし形の結晶が握られていた。マジックアイテムだろうか。
水晶から、赤い輝きが漏れ出す。
「ふむふむ……ほーなるほどー」
「治癒魔法か?さっきミリアにやってもらったぞ」
「いやいや、これ治癒魔法じゃ治んないやつだわ」
「はぁ?治癒魔法で治らない病気なんて……」
「病気じゃないねぇこれ。魔力に酔ってるんよー」
「魔力に酔ってる?」
なんだその言葉は。初めて聞いたぞ。
「ああ、少年は魔法学にあんまり詳しくないよね。まあ、あれよ。他の人の魔力が体内に入っちゃって、体が拒絶反応起こしちゃってるってこと」
「なんだそれ……そんなことあるのか」
怪訝な目でヴェイルを見つめる俺に、ミリアが優しく微笑みながら会話に参加してきた。
「《魔力汚染》と近しい事象ですね。原因については不明らしいんですが、ときどきそういうことが起こるって魔術書に書いてありました」
「おお、お姫様、魔法学に詳しい感じ?やっぱり魔術師なんだー」
「まだまだ半人前ですけど……魔力酔いということは……ちょっと失礼しますね」
すると、ミリアが顔をずいっと寄せてくる。
なんだと思っていたら、俺の額と自分の額を合わせてきた。目の前に綺麗な顔が近づいて、一瞬息を呑む。
「《変容を司る四大の三よ。縛鎖の間隙、闇黒の虚、凰翼の熾焔にて瘴気を融かせ》」
小さく呟いた呪文が、魔法を具現化させる。
赤い光がミリアと俺を包み込み、数秒で消え去った。すると、頭の中に響いていた痛みが、ゆっくりと消え去っていく。
横で、おおーと気の抜けたヴァイルの驚きの声が聞こえた。
「お姫さん《解呪》使えるのね。オレのフォローも要らなかったかー」
「そんなことありませんよ、魔力酔いなんて普通なら気付かないですし。そんなことより、ヴェイルのさっきの魔法について教えて頂きたいです!人の体調を調べる魔法なんて聞いたことありません!」
「あ、違うよー。さっきのはただの初級の治癒魔法。《癒光》ってさ、体の不調があると魔力の励起状態が微かに変化するのよ。少年にかけたら何も起こらなかったから、もしかしたらなぁと思ってねぇ」
「励起状態の変化って、ど、どんな変化なんですか!?詳しく―――」
……俺のことを、完全に忘れているようだ。
定式魔法の一つ、《解呪》は、魔法的な呪法や、強靭化の魔法、永続的な力を及ぼす魔法術式を無効化する魔法である。
その本質は、魔力によって組み上がった魔法を、魔力そのものに分解する力だ。
つまり、その魔力酔いという状態は、俺の体内で他人の魔力によって簡易的な魔法が発現している状態ということなのだろう。
「……おい」
「なるほど……魔力の励起状態を見極めてるんですね。私もそれに関する魔術書を持っているんですが、そんなこともできるなんて初めて知りました」
「経験ってやつよー。魔術書は魔法の基礎やその応用方法を教えてくれる本だけどさ、魔法そのものはたくさん使ってこそちゃんと磨かれるものだしねぇ」
「た、確かにそうですね。私も炎系統の魔法はしっかり勉強しておかないと……」
……なんだ、その……魔法学ってのはそんなに奥が深いものなのか?
風系統の魔法を覚える際、親父から指南をしてもらったが、魔力の励起状態、なんていう言葉を教えてもらった覚えがない。
二人はそのまま歩きながら、魔術の話に没頭しまくっている。
「炎系統の魔法は基礎だから早く覚えたほうがいいよー。治癒に強化、攻撃にも使える便利な系統だし。まあ、強化の効力は持続時間短いから使いにくいけどねぇ」
「あ、そうです!アルトはすごいんですよ!風系統の魔法が使えるんです!」
「……え、マジで?」
気だるさに満ちた眼が、微かに見開かれた。
……今度はなんだ。
「……少年、風系統の魔法が使えるん?」
「ああ。風系統の魔法だけしか使えないけどな」
「ほほぅ……これはまた」
「なんだよ。風系統の魔法を使っちゃダメな理由でもあるのか?」
「風系統の魔法って、全系統中一番難しい系統なのよ。簡単な順番からいうと、炎、水、地、雷、風っていう順番ね。まあ雷系統はちょっと特殊なんだけど―――治癒魔法とかはそのほとんどが炎系統に位置してるから、魔術師の素養があれば誰でも覚えられるんだけどねぇ……少年、結構特殊なタイプっぽい?」
「風系統が難しい理由も、魔術師の方々が色々と仮説を立てているんです。一番、人に御せない力を操作しようとしているから、とか。もしくは、魔力励起が他の系統の魔力励起に比べて大きな違いがあるから、とも言われていますね。あとは、体内で使用する魔力の操作方法が違うとか――」
……初耳な情報ばっかりで、全く頭に入ってこない。
それはつまり、一番扱いにくい系統の魔法を俺は使っているということなのか。
そんなことを言われても実感が沸かない。体内の魔力を捻り出し、詠唱を行い、魔法を行使する。
その一連の作業を、難しいと思ったことは一度もなかったからだ。
「にしても、風系統の魔法だけ使えるって、やっぱりおかしいよねぇ。他の系統と比べて、どこかが違うってのは確かみたいだけども」
「魔力の励起状態の問題か、それとも詠唱文でしょうか。でも、アルトが使ってる魔法はそのほとんどが固有魔法ですし」
「うぇーなにそれ。ただでさえ難しい系統の魔法を固有魔法で使ってるとか、少年本格的に頭おかしい」
「いい加減にぶっ飛ばすぞ」
「冗談、冗談だから。右手振りかぶるのやめて?ね?ほら、目的地見えてきたからこの話はやめにしよう?ね?ね?」
やっと見えてきた冒険者ギルドを指差しながら、ヴェイルが冷や汗を掻いている。
……そんなに慌てるぐらいなら無駄な感想を頭から引っ張り出すんじゃない。
目の前に存在する冒険者ギルドの入り口を通り、ギルドのエントランスホールを見渡した。
昨日の喧騒もすごかったが、この時間帯はギルド経営の酒場から歓声と笑い声が飛び交っている。
おそらく、依頼を達成した冒険者たちだろう。エールを片手に大声を上げているのが見えた。
「ほら、少年、早くギルドカウンター行かないとー」
「おっさんも冒険者証明書の再発行だろ?俺たちはいいから早く済ませてこいよ」
「どうせカウンターは一緒だと思うしさ。旅は道連れ、的な?あとおっさんじゃなくてお兄さんね、少年」
「いいから早く金返せ」
「分かってるよー。疑り深いなぁ」
―――にへら、と笑うお前が、まったく信用に値しないからだよ。
その言葉を言うのも意味がないだろうと思い、代わりにため息を一回。
「アルトさん、ミリアさん!」
と、俺がヴェイルへと不信の視線を送り続けていると、声をかけられた。そちらを見ると、両手で書類を抱えたギルドの職員がこちらへとパタパタと音を立てながら近づいてくる。
長い金髪をツインテールにした、俺たちと年の変わらなそうな少女。昨日俺たちと話をしたあのギルド職員だ。
その少女が、なぜか緊張感丸出しの表情で、チラチラと俺たちに視線を送っている。
「昨日はありがとうございました!あの―――」
「さ、昨日は大変申し訳ありませんでしたーっ!」
と、書類を両手で抱えたまま、全力で謝ってきた。そのまま両手に持った書類が数枚下にひらひらと落ちる。
突然の謝罪に、俺とミリアは一瞬呆気に取られた。
「ギルド長のローガンはまだ外出中でして……もうすぐ帰ると思いますので、向こうの席に座ってお待ちいただければ……」
「いやいや、ちょっと待ってくれ!ローガン・ランドウォートに会える時間を確認しにきたんだが――」
「は、はいっ!確認したところ、本日なら問題ないと……」
「え……今日会うことができるんですか?」
「もちろんですっ!魔剣商人さんが来訪されたとなれば、失礼なことなんて出来ませんよ!」
……なんだか、俺を見ているような、見ていないような。俺と視線を合わせまいと目を泳がせまくっている。
ミリアと顔を見合わせて、小声で話をする。
「魔剣商人って、やっぱりすごいんですかね?」
「クロスリードに来ることを嫌がってた親父のことを考えると、逆だと思うんだが……。まあ、魔剣商人なんて存在は親父と俺だけだからな」
「むしろ、アルトのお父様はこの都市の英雄的な存在だったのかもしれないですね」
「……それはそれで、逆に居心地が悪いぞ」
一体、どういうことなのだろうか。
とりあえず、金髪の少女の足元に落ちた書類を回収して、少女へと渡す。
そんな俺の行動に、少女は喉の奥から「ひぅっ……!」という声を上げて、わなわなと震えている。
「あ、あのぅ……大変恐縮なんですが、ギルド長とはどのようなご関係なんですか?」
と、視線を泳がせていた少女が俺に話しかけてくる。
「初対面だ。ある男から紹介されてここにきた。まさかその紹介された人物が冒険者ギルドのトップだなんてな」
え、と小さく呟いたのが聞こえた。
「それでは、《魔剣》を売りに来た、とかでは……」
ぼそぼそと小さくなっていく言葉をなんとか聞き取って、俺はやれやれと肩をすくめそうになった。
「金なら間に合ってるんだ。むしろ……」
……いや、それだけじゃないか。
俺は横に立っているミリアをチラリと覗き見る。
そして、ギルド受付員の少女に、続けて口を開いた。
「冒険者志望の人材の提供をな」
隣に立つミリアの背をとんと叩く。
目をぱちくりとさせたミリアは、俺の考えに気付いたのか、アドリブ全開でしどろもどろになりながらお辞儀をした。
「私、冒険者志望なんです。それで、ローガンさんにお会いできればと……」
「冒険者ギルドに所属するんですか!?あなたが!?」
大声で叫んだ少女は、すぐに自らの失言に気付いて口をぎゅっと引き結んだ。
「し、失礼しました……そうですよね、魔剣商人さんに付き添っているとなれば、戦いの実力も相当なものですよね」
ミリアが魔剣商人である俺の護衛、という認識に転換されたのだろう。
……魔女との取引を成すためには、全て致し方ないことだ。
ミリア自身が覚悟したならば、俺がとやかく言う筋合いはない。
「はいはーい。オレも少年の護衛ね。で、お話し中の所悪いんだけど、手続きお願いできない?」
そこで、ヴェイルが俺の後ろでびしっと手をあげた。
少女へと近づいて証明書の再発行をお願いしている。
「再発行となると……半月ほどかかってしまうんですが、それでもよろしいですか?技能試験等も受験して頂くことになるんですが……」
「やっぱりそうなるよねぇ。お兄さん泣きそう」
と、しばし悩んだ後。
「Dランクの冒険者の試験受けた方が早い?」
それを聞いた少女の目が、驚きで大きくなる。
「それだと新米冒険者の証明書になるんですけど―――」
「ああー問題ないよー。早めに冒険者としての証明書欲しいし。Dランクの試験って簡単な試験だから、そっちの方が色々と都合がいいかなーって」
「ほ、本当にですか!?上位ランクの特典を全て失うことになるんですよ!?」
「まあ高額の依頼提供とかが無くなっちゃうのはちょっと惜しいけども――」
そこで、ヴェイルはやる気のなさそうな目をこちらに向けた。
「良い就職先見つかったしね」
……それは、どういう意味で?
ニコニコとしながら俺の肩に手を置いてきたおっさんは、一言。
「何かと居心地良いから、本日から魔剣商人の傭兵として活動しようかなって?」
「却下」
「少年、死んだ目で言い切らないでくれる?お兄さん傷つくぞー?」
お断りに決まってるだろうが、この碌でなしのおっさんが。
「いいから早く金を――」
金の催促をしようとしたところで、ぽん、と俺の肩に誰かの手が置かれた。
てっきりミリアが俺を窘めようと手を置いたのかと思ったが、振り向いて嫌悪を隠しきれなかった。
「よぉ、魔剣商人さんよ?」
冒険者と思しき四人組の一人が、俺の肩に手を置いて下卑た笑みを浮かべていたからだ。