それでも彼は - 7 -
王女が視察に来るという情報だけで、いつも歩く細道が、大混雑していた。目の前の状況に唖然としながらも、比較的人気の少ない道を選んで中央通りの外れへと歩を進める。
それにしても、王女というのはもしかして、あの王女だろうか。天然で、口の減らないあの少女。
昨日は本当に大変だった。あのまま騎士団が来なかったら、俺はいつまで盗賊稼業の話をしていなければならなかったのだろう。
……というか、あの性格で王族をやっているとなると、未来のこの国の行く末が気になるな。
細い路地裏の道を進んで、やっと見知った道に出たのを確認して、見えるはずであろう自分の店を確認した。
のだが。
ん?と俺は目を細めた。俺の店の前で、置いてあった木箱の上に寝転ぶ猫を、庶民風の少女が撫でていた。
白いウールのワンピースを身にまとい、これまた白の婦人帽子を被っている。顔は確認できないが、おそらく同い年ぐらいの少女だろう。
雑種の猫は、俺が近寄ってきたのを怖がったのか、すぐさま物陰に走り去っていった。
「あっ!」
少女は俺の姿を確認すると、こちらへと寄ってくる。
「もしかして、こちらのお店の方ですか?」
「ええ。申し訳ありません、お待たせしてしまいましたか?」
怪訝には思ったが、できるだけ丁寧な口調で応対する。大通りは大イベントの開催中だ。こんな寂れた場所まで来る者がいるとは予想外だった。
俺の言葉を聞いた少女は、帽子から覗いた口元を綻ばせる。
「いいえっそんなことありません!………あの、実は謝罪したいことが……」
「謝罪?」
目の前の少女とは初対面のはずだが、一体何を謝罪するつもりなのだろう。
もじもじと細い指を絡ませると、こちらへと帽子に隠された顔を見せた。その瞬間、俺は驚愕に目を見開いた。
「……せ、先日、お持ちいただいた壺なのですが、その………壊してしまって………本当に申し訳ありません!」
初対面ではなかった。帽子に隠れた顔は、これでもかというほどに整っている。そして、その顔を俺は昨日一時間以上見ていたのだ。覚えていない筈がない。
王女の城下町視察が始まっているというのに、お前は何をやっているんだ、という言葉を飲み込み、俺はその場で硬直した。幸い、手に持ったパンの袋は落とさなかった。
目の前の少女―――ミリア・K・クライスラは、ポカンとしている俺を見て、わたわたと慌てだした。
「や、やっぱり怒ってますか!?……はっ!まだ名乗っていませんでした!私、ミリア・K・クライスラと申します!」
頭の中で警鐘が鳴り響く。
「い、いえ、こちらこそ申し訳ありません。王女殿下だとは知らずにご無礼を……」
嫌な汗が溢れだした。俺が漆黒の風だとバレれば、騎士たちが駆けつけてくるだろう。
「城下町の視察が始まるとお聞きしたのですが、なぜここへ?」
「あ、えと、そのですね、視察をするのは私のお姉さまなんです」
「……どうやってここまで?」
「兵士さん達の目を忍びながらですっ。結構簡単なんですよ?死角になってるところをこう………」
手をふらふらと振りながら説明をしているが、全くもって分からない。すぐにお引き取り願いたい所だが、王女をそのまま帰すのも無礼になると思い、
「今から店を開けるので、良ければご覧になりますか?」
「!是非お願いします!」
ペコリと大げさに頭を下げた王女に冷や汗をかきながら、俺は店の扉を開けた。
店の中にニコニコしながら入ってきた王女は置かれている骨董品の一つに近づいて、目をキラキラと輝かせた。
「とても綺麗な骨董品ばかりですね!」
「え、ええ……まぁ」
どうする?どうやって追い返す?
頭の中でその思考がぐるぐると回っていた。だいたい、王女がこの店にたった一人で来るなんてだれが予想できるだろうか。
「どうぞ、お座り下さい」
「はいっ、ありがとうございますっ!」
店の中にある椅子に王女を座らせたが、これでは王女がここにいる時間が長引いてしまうことに気づいて頭を押さえそうになった。慌てすぎてどんどん深みにハマっている。
こうなれば、骨董品を見せるだけ見せて満足したら帰ってもらおう。
俺は紅茶を用意するために、王女に少々お待ちください、と言ってからカウンターの裏にある台所へと足を進めた。
「あ、その……」
椅子に座っておずおずと話し始めた王女は、こちらに気まずそうな視線を送っていた。
「壺の件なのですが、本当にすみません……」
「あ、ああ、別に構いませんよ。粉々になってしまったものは元には戻せませんし、よろしければ、その中からお好きなものを差し上げますよ」
「ほ、本当ですかっ!!うれしいです!」
カウンターの向こうにいる王女の声を聞いて、俺はいくらか安心した。骨董品を選べば、王女はすぐにでも帰ってくれるかもしれない。
どうしましょう、と店の中をうろうろしているだろう王女の姿を予想して、俺は安物の紅茶を入れて王女へと持っていった。
案の定、王女は店の中を巡りながら骨董品を見定めている。ニコニコしながら骨董品を選んでいるのを見た俺は呆れながらも、机の上に紅茶を置いた。
「あの、少し質問よろしいですか?」
「はい?」
こちらに背を向けて骨董品を選び続けている王女の言葉に、俺は首をかしげた。
その後に続く静寂。
「どうして、私の壺が粉々になってしまったことを知っているんですか?」
え、と自然と出た声の後、その言葉の意味が分かり、一気に血の気が引いた。
そうだ、さっきから王女は「壺が壊れた」としか言っていなかった。「壺が粉々になった」と知っているのは、あの部屋にいた者たちだけだ。
「い、いや、壺が壊れたというなら、粉々になったと思うのが普通でしょう?」
声が裏返りそうになる。マズい。非常にマズい。
骨董品を見ていた王女は、クルリとこちらに方向転換し、ズイッと顔を近づけてきた。
こちらに疑いの眼差しを向けてくる王女に、俺は咄嗟に目を逸らした。
「おかしいと思っていたんです……先ほどから私の目を見て頂けませんし……」
「そ、それは仕方のないことですよ。王女様と目を合わせるなど、恐れ多い――」
むー、と唸り声を上げていた王女は、なにか閃いたかのようにあっ、と呟くと、なんとワンピースの裾を引き上げて俺の目線の下まで持ってきた。
そのせいでワンピースの中が丸見えになる。王女にあるまじき無作法な行いだ。
そして。
「やっぱり!あなた……【漆黒の風】様!!」
大声で、俺の正体を当ててみせた。ワンピースの裾を引き上げたのは、どうやら俺の口元を隠すことで昨日の姿と同じか確認したらしい。
顔を近づけて強烈な視線を送ってくる王女に、俺は何も言い返す事ができなかった。