2-013
◇
俺が白鷹の止まり木亭についたのは、クロスリードを取り囲む石壁の向こうに日が沈んでから一時間後のことだった。
アインと共に宿の扉をくぐって食堂に目をやると、目立つ恰好をした男がこちらに気付いてぶんぶんと手を振ってくる。
「少年おかえりー。何話してたのよ?」
「……なあ、その机の上にある料理はどこから持ってきたんだ」
「宿代丸ごと少年のツケにしておいた」
「歯を食いしばれ」
「おにーさん……落ち着いて」
この野郎。
「あの……ごめんなさい。アルトが来るのを待っていたんですが、夕食の時間が……」
隣の席に座っているミリアが、申し訳なさそうにスプーンでスープを掬って飲んでいた。
共同の食堂にいる冒険者たちがエールの入った杯を交わし合いながら、雑談に興じている。
リリィが言っていた夕食の時間を過ぎてしまったのは俺の方が悪い。
頭を押さえながら、俺とアインが空いている席に座る。
「……気にするな。遅れてきた俺が悪い」
「少年太っ腹―」
「ヴェイルもいい加減にしてくださいね?わかりますよね?」
「……お姫さん怖い」
ニコリと微笑みながら、どす黒いオーラを垂れ流したミリアに、俺は少し驚いた。
こんなに怒りを露わにするミリアを見たことがない。
「何かあったのか?」
「誰かに尾行されていたみたいなんです。一応ヴェイルが追い払ってくれたんですけど……」
「いやー街中で武器抜いたら、注目の的になっちゃってねー。じろじろ見られるし大変だったねぇ、お姫さん」
「ヴェイル?」
「ごめんなさい。反省してます」
ミリアの笑顔に震え上がるヴェイルの姿。
そこで、あれ?と俺は首をかしげた。その違和感の正体に、俺の代わりにアインが口を開く。
「あれ、いつの間に仲良くなったの?おじさんのこと名前で呼んでるし」
「え?」
キョトンとしたミリアは、じっとヴェイルへと視線を移す。
「そりゃあねぇ、短い間だけど苦楽を共にした仲―――」
「色々と無茶なことをするので、怒ってるんです」
「……謝ってるんだから許してください。この通りデス」
「それなら、ちゃんとアルトにお金を返して下さい」
「せ、正論を重ねられるとお兄さん困っちゃうのよねー」
「………」
「そんな目で見ないで!分かってるよー!少年にちゃんとお金返すからさぁ」
そのままむくれているミリアは、ずっとスープを飲み続けている。
脇に座っていたアインが、俺の耳元で囁いてきた。
「……あんまりミリアさんを怒らせないようにね」
「……もう色々と怒らせてるんだよ」
結局埋め合わせも出来ていない。
後で陶磁器の工房につれていってあげないとなぁ、と心に誓った。
……しかし、結局ミリアたちも尾行されていたようだ。
もう一度アインへと囁きかける。
「【瓦解する四辺】に異常はないんじゃなかったのか?」
俺の言葉に、アインは小さく頷いた。
「確かに異常はなかったけど……おにーさんと『取引』をしていた時は、ボクの管理領域を閉じてたからね。その間のことは、【瓦解する四辺】の力を使うことができなかったんだ」
アインが言うには、あの領域は、《魔剣》の蔵であるという。
多くの《魔剣》を内包した、アインと許されたものだけが入ることのできる、『矛盾』の領域。
あの領域に存在する《魔剣》はゆうに千を超えており、領域の『扉』を閉めなければ『矛盾』が外へと溢れ出し、王都で引き起こされた『矛盾汚染』が発生してしまう恐れがある。
「少年さ、誰かに恨みとか買ってんの?」
皿の上に置かれたキッシュにナイフを入れて俺にそんなことを聞いてくる。
「……恨み、というよりは……」
恨みではない。
おそらく、俺が大量の《魔剣》をどこかに隠し持っていると勘違いされているのだ。
親父が『魔剣商人』であった頃、色々なところを放浪していたのもそれが理由だ。
親父が一つの町や村に留まれば、どうやってでも《魔剣》を盗もうとする輩が出てくる。
それ故に、親父は一つの場所に留まることを嫌い、多くの国を転々としてきた。
「恨みじゃないんならさ、ちゃんと説明しなくちゃだめよ?少年のせいでお姫さんが危険な目に遭うなんて嫌っしょ?」
……ここぞとばかりに正論を言ってくるから、このおっさんは好かない。
ミリアへと視線を移すと、こちらをじっと見つめてくる。
「……そうだな、ちゃんと言っておいた方がいいよな」
ふぅ、と俺は一回息を吐き出す。
アインは俺の様子を見ながら、手に持ったパンをちぎって食べていた。
「俺の親父はな、有名な商人だった。ただの商人じゃなかったからだ。……『魔剣商人』。《魔剣》の適性者を見極め、《魔剣》を売りつける、世界に一人しかいない裏の商人だった」
《魔剣》を売るのにはちゃんと理由があった。
それは、
「《魔剣》を浄化するために、親父は《魔剣》を売る仕事をしていたんだ」
「《魔剣》の浄化……?どういう意味ですか?」
ミリアが不思議そうに尋ねてくる。確かに、そのままでは意味もわからないだろう。
「《魔剣》は、人の想いの結晶だって親父が言っていた。その《魔剣》に込められた想いを《理解》することで、《魔剣》が内包する矛盾の力を浄化し、ただの骨董品に戻すことができるらしい」
そして、俺は横に座るアインへと目配せする。アインは俺の視線に、コクリと頷いた。
「……ミリア、お前は王都で見たよな。膨大な『矛盾』の力が一箇所に集中して、何が起こったのか」
そこで、俺が言いたいことが分かったらしい。ハッとしたように、ミリアは微かに目を見開く。
『矛盾汚染』。それは、《魔剣》が内包する『矛盾』の力に、この世界の法則が負けてしまったときに起こる異変だとアインからすでに聞いていた。
『矛盾』の力によって崩壊した法則は、あらゆる事象を歪ませる。
曰く、水は火に。天は地に。有機物は無機物に。
そして、人体を構成する数多の法則もまた崩壊する。瞳は闇を移し、耳は静寂を聞き、声は虚空を震わせ、血液は逆流する。
あとに残るのは、死の世界。
「親父は、この世界の法則を守るために、《魔剣》の想いを《理解》できる者を探して、《魔剣》の浄化をしていたんだ」
それが、親父が自らの願いを叶えるためにしなくてはいけない『対価』だった。
「なんていうか、壮大すぎてピンと来ないねぇ。少年のお父さん、めちゃくちゃ凄い人?」
「おにーさんのお父さんって、有名人なんだよ。『魔剣商人』ギルワース・ゼノヴェルト。そして―――」
そこで、アインはぐっと口を噤んだ。流石に、『幻狼』であったことを言うのは躊躇ったようだ。
「だからまぁ……狙われるとしたら俺だけじゃないかもしれない。……ミリア、説明してなかったのは悪かった。俺は―――」
「アルト、いいんです」
ミリアは口元を綻ばせて、静かに諭すように言った。
「私、とっても嬉しいです。また一つ、アルトのことを知ることができたんですから」
「ミリア……」
本当に、卑怯だなと思う。
こうやって、何も言っていなかった俺を責めることもせずに、そう言ってくれるのだから。
「ほほう、なんか良いこと聞いちゃったなぁ」
突然、俺の後ろから声がしてビクリと肩が跳ね上がる。恐る恐る後ろを振り返ってみると、三角巾を頭に巻いた少女が、しめしめと悪意の籠もった表情で俺を見下ろしていた。
「リリィ―――」
「大丈夫大丈夫、お客さんの情報はちゃんと守るからね!それにしても、『魔剣商人』かー。こりゃあ良い人とお友達になっちゃったかなー」
そう言いながら、腕組みしてブツブツと何かを呟いている。
……何か嫌な予感が。
「おい、一体何を考えて」
「『魔剣商人』がいる宿?にゅふふふ……いいかもしれないなぁ。商売繁盛、経営黒字……にゅふふふふふ……」
「さっきの約束はどうした」
この少女、どうやっても俺の存在を使って客寄せをしたいらしい。
そこで、少女の言葉がピタリと止まる。俺の横に座るアインを見ると、まるで石のように固まった。
「おにーさん、この人は?」
「……リリィ。この宿のオーナーだ」
「え、この宿の!?わ、若いのに凄いなぁ。ボク、アインって言うんだ。よろしくねリリィさ―――」
ニコリと笑ったアインは目の前の少女に挨拶しようと立ち上がる。が、なにやらリリィがぶるぶると震え始めた。
その様子を見て、アインも何事かと心配そうにしていたが……
「か……」
言葉を溜め込む。
「可愛いいいいいいいいいい!!!」
ガバッ!と、アインに抱きついた。
「なに!?何この子!?可愛すぎて鼻血でそう……ぐふ……ぐふふふ……え、男、女どっち?いや、どっちでもいいよね!可愛い!可愛くてもふもふしたい!」
「むぐっ……!!ちょ、ちょっと何をして……!!!」
もうもふもふしているんだよなぁ、と俺は呆れ半分に思考する。
ミリアもヴェイルも、今の状況についていけないだろう。と思ったのだが、ミリアだけは自分もされたことがあるためか、そのまま苦笑している。
「いいなぁ、あたしもこんな弟……妹?欲しかったなぁ!キミのきょうだいなの?」
「は?いや、アインは……」
「あれ、おにーさんって呼んでるから、てっきりそうだと思ったんだけど。それならこの子貰っていいかな?にゅふふふ……」
「いや、ちょっと待……うひぁあ!!む、胸をまさぐるのやめ……うわあああああ!!」
あれ……これもまたデジャヴのような、と考えが続くわけもなく、
俺はその光景を目の端にやりながら、机の上にあったパンを手にとって、一口頬張る。
「うりうりうりうりー」
「ちょ…やめ……やめて……!!お、おにーさんとミリアさんも助け――――」
「「……」」
「も、もはや関心すらない!?いや……いやああああああああああああああああ!!」
……なんか慣れてきたな、この宿のオーナーの応対も。
ミリアと気まずそうに目配せする。ああなったら最後、助け出す方法はない。
……おっさんに至っては、俺たちの様子を見て察したのか、そのまま皿の上にあるキッシュをナイフで上手に切り分けながら口に運び続けている。
……許してくれ、アイン。
その後、悲鳴を上げ続けるアインがまるで栄養素の全てを吸われたかのような状態で俺の横の椅子に戻ってきたのは、数分後のことだった。
「アイアイ、おつかれー」
「……ひどい……おにーさんたち……ひどい……」
涙目になって机の上に伏しているアインになんと言葉をかければいいか分からない。
リリィはまたもや肌をつやつやさせており、なんともまぁ満足気である。
「そうそう、アルトくんたちは、ローガンさんには会えたの?」
この少女、下手な情報屋よりも凄い存在になりそうだ。
「アポイントを取ってないから、一週間以上はかかるそうだ」
「ほうほう。それじゃ、部屋代もっと安くしてもいいから、二週間とか三週間とかこの宿使っちゃう?使っちゃうよね?よし、交渉成立!」
「……頼むから人の話を聞いてくれ」
まさかとは思うが、俺が『魔剣商人』であることを言いふらすつもりではないだろうか。
「お、少年、ギルド本部に行ったん?」
「ああ、ギルド長に会うつもりだったんだが……また明日行く予定なんだ」
「なら丁度いいやー。冒険者の証明書再発行してもらわないといけないし」
……おっさんもついてくる気満々か。
机に伏しているアインに、小声で少しお願いをしておく。
「アイン、お前は【結実の徒花】が商人ギルドのどこにあるか調べておいてくれないか?侵入するルートも確保しておきたい」
「……いいよ、おにーさんに手伝うって言っちゃったし」
机に伏したまま俺に涙目の表情を見せつけてくるあたり、もうちょっと慰めてくれてもいいだろう、という意思を感じざるを得ない。
……とりあえず、明日ローガン・ランドウォートにいつ会えるかを確認したら、ミリエル・グラースという人物の情報も探っておくか。
◆
広々とした部屋の中だ。高級そうな毛の長い絨毯が敷かれ、周りには冒険者ギルドを象徴する、竜を象った模様が刻まれたタペストリーが飾られていた。
部屋の奥に鎮座する執務台に書類の山を置いて、シエラは、額に滲んだ汗を拭った。
冒険者ギルド本部、ギルド長の執務室内だ。
外を見ると、赤熱の大空が群青へと色彩を変えようとしている。
ギルド本部の冒険者受付は終わったが、共同の酒場は夜遅くまで開かれている。シエラは冒険者へのフォローの仕事が多いため、これで今日の仕事は終わりだ。
と、執務室のドアがぎぃ、と音を立てて開かれた。
そこに現れたのは、貴族服に似た、金の刺繍の入った服を着た男性だ。帽子を被り、丸眼鏡をかけた、どこか抜けたような雰囲気を纏った男だった。
見た目は二十代に見えるが、佇まいは年を経た者の片鱗を感じさせている。
「ただ今戻ったよ……」
「あ……お疲れ様です、ローガンさん」
「シエラくん、いつも悪いね。書類整理は大変だったろう」
「き、気にしないでください。いつものことですから」
本当は陰で悪口言ってました、なんて本音を告白する勇気はない。
ローガンは横にあったスタンドに帽子をかける。と、その帽子の下からぴょこりと現れたのは、茶色の大きな獣の耳だ。
―――ローガン・ランドウォートは、獣人だ。
初めてローガンに会いに来る者たちが最初に驚くのはそこである。貴族が獣人であるローガンを馬鹿にしたりすることもあるが、それでもローガンはそれを華麗に受け流して、対等な取引を行っている。
以前の冒険者ギルドは、裏で貴族たちが結託してあらゆる利益を貪り続けていたが、ローガンという人物が現れたことでそれは変わった。
冒険者ギルドを牛耳っていた貴族を追い出し、ギルドの運営を取り返したのだ。
それが、この気弱そうな雰囲気を纏っている獣人の男性がやったというのだから、人、もとい獣人は侮れない。
ローガンは、疲れた顔をしながら、執務室にある肘掛けのある椅子によっこいせ、と座った。
「それにしても、かなり時間がかかったみたいですけど、何かあったんですか?」
「……いや、いつものことだよ。ギルド長のルシアが離してくれなくてね。良い紅茶が手に入ったとか、いい取引内容があるとか……全く、勘弁して欲しいんだけどね」
だが、そこでローガンはいや、と言葉を切った。
「確かにそれだけではなかったのだけども……これはちょっと考えておかないといけないかな」
「……まあ、お体を大切になさってください」
商人ギルド長、ルシア・メディンに好かれているのか、ローガンはたまに商人ギルドに招かれ、彼女自身に接待を受けているようだが……どうやらローガン本人は迷惑がっているようだった。
この前、ローガン自身が呼ばれた商人ギルドへの支援交渉に関して、代わりにシエラが向かった。しかし、ローガンが来ないと分かった途端、ルシアは態度を変えてシエラに何度もダメ出しをし始めたのだ。
「紅茶かなにかお出ししましょうか?」
「いいのかい?それなら紅茶を一杯頼むよ」
「はい」
部屋の脇に置いてあった棚の中からティーセットを取り出して、紅茶を淹れていく。
この冒険者ギルドに来てまだまだ日は浅いが、シエラは昔、両親から紅茶の淹れ方を教わっていた。
まさか、こんなところで役に立つとは、シエラ自身も思っていなかっただろう。
「シエラくん、冒険者ギルドの仕事は慣れたかい?」
「はい、おかげさまで……まだ迷惑をかけてしまうこともあるとは思いますが」
「そんなことはないよ。キミには色々をお世話になってるしね。この前も、他のギルドへ応援に行かせてしまって申し訳なかったし」
「や、やめてください、そんなに謝られても困りますよ」
この人の悪口は今度からはやめよう、とシエラは心の中で思う。
冒険者ギルドの末端の存在にも敬意をはらうローガンという人物が、このギルドのトップで良かったと安心する。
ティーポットから漏れる良い香りを確かめて、シエラはティーカップに紅茶を注いだ後、ローガンの机の上に置いた。
ローガンは、ありがとう、と一言言うと、紅茶を一口飲み込んだ。
「……これからまだ仕事をやると思うと、気が重いよ」
茶髪に混じる獣耳が、しゅんと折り畳まれるのを見て、シエラは吹き出しそうになった。
……いけない、我慢だ我慢。
ローガンは机の上にあるランプに火を付けた後、紙の束の一つを手にとって、瞳をひたすら真横に動かしていく。
仕事の邪魔になるようなことはしたくないと思い、ティーセットを机の上から片付けて、部屋から出ようとした。
が、そこでローガンに伝えるべきことを思い出して立ち止まる。
「あ、そういえば、ローガンさん。お昼頃にローガンさんに会いたいという旅人がいらっしゃいましたよ」
「私に?何の用だったんだい?」
「詳しくは聞かなかったんですが……あっ」
そこで、懐にしまっていた便箋を取り出す。
「面会を申し込んできたんですが、アポイントがないということだったので……代わりにこの便箋を受け取ったんです」
「ふむ、便箋?」
シエラは、飾り気のない便箋を手渡した。
ローガンは白い便箋に目を向けて、額に手を置いている。
「その旅人、なんという名前かな?」
「あ、ええとですね……」
名前を書いた紙をポケットから取り出して、その文章を読み上げた。
「アルト・ゼノヴェルトさんと、ミリア・レルクレインさんです。男女二人組の旅人だったんですが……」
紙に書かれていた名前を読んだシエラは、ローガンへと顔を向けた瞬間、ギョッとした。
ローガンは、まるで得体の知れない何かを見てしまったかのように両目を見開いて、便箋中にあった手紙を読んでいた。
そして。
「……シエラくん」
「は、はい?何でしょうか?」
静かな言葉だった。ローガンの表情は、変わらない。
「訪ねてきた旅人は、アルト・ゼノヴェルト、そう名乗ったんだね?」
「え……はい、確かにそう確認しました」
「そうか……」
ローガンは手に持った手紙を机の上に置いた後、何か考え事をしているようだった。
人差し指がトン、と机を叩き、静かな執務室の中に響いて何度も消えていく。
「……シエラくん、申し訳ないんだが、明日訪ねてくる者たちに連絡を取ってくれるかい?連絡用のマジックアイテムを君に預けよう」
「は、はぁ……って、それって」
「面会時間の変更を連絡して欲しい」
「な、なんで……!?」
ふぅ、とローガンは息を吐き出して、椅子から立ち上がった。後ろにあった窓から、クロスリードの町並みを見下ろす。
「『魔剣商人』……いや、しかし……」
ブツブツと何かを呟いているローガンの言葉の中に知った言葉を聞いて、シエラもまた記憶の中に隠れていた情報が浮上し、目を微かに見開いた。
―――『魔剣商人』。
フィロニア国内で忌み嫌われている、謎の商人。
魔術を冒涜する、《魔剣》を売る絶対悪。
たしか、その商人の姓名は―――
「……ゼノヴェルト」
なぜ、そんな人物がローガンに会いに来た?
フィロニアでは、おそらく入国することさえ難しい存在が、このヘクトグランで何をしようとしているのか。
……いや、そんなこと、一つしか無いだろう。
《魔剣》を売り、莫大な富を得ること。
「ち、ちょっと待って下さい!あの旅人と会おうとしているんですか!?あの旅人は……」
「ああ、君の懸念も分かるが……私情でね。なに、もしこのギルドに危機を及ぼそうものなら……」
―――振り返ったローガンの両眼が、金色に光り輝いている。
「抹殺する。それだけだよ」
恐ろしい獣特有の殺気に、シエラは身を震わせた。
このローガンという男、獣人という存在故に侮れないのだ。本当に。
油断をすればその首を取られるのではないかと錯覚するくらい―――ギルド長ではなく、『冒険者』としての本性を表に出したローガンの本気は、想像を絶するものがある。
あまりの恐怖にシエラは目を逸らす。
そして、もう一つの恐怖が、迫っていた。
「――――!!」
口が乾き、上手く舌が回らない。わなわなと震えだす口をなんとか動かしながら、シエラは右手の人差し指をローガンの後ろを指差した。
「ローガンさんっ!!後ろっ!!」
「!!」
窓の外から溢れる僅かな光が、陰った。
ローガンは、シエラの言葉に従って後ろを振り向く。
――――絶望が、顕現している。
窓の外―――その先、こちらを金色の眼を使って注視する生物が、中空を浮遊している。
夜に染まりゆく大空と同化するような、黒の鱗に覆われた竜が飛翔していた。
巨躯をひねりながら、その竜は目撃者の視界から逃れるように天空へ昇っていく。
僅かな、五秒にも満たない一瞬だ。それでも、ローガンとシエラは、目の前に映り込んだ『真実』に絶句する。
「クロスリードに……竜が出現するとは」
クロスリードに迫りつつある危機に、ローガンは茫然とした表情のまま、窓の外を見つめ続けることしかできなかった。
◆
同時刻。
クロスリードの路地裏、入り組んだ迷路のように、無数の家々が連なるクロスリードの路地裏は、知っている者でなければそのルートを把握することは出来ないだろう。
「……消えただと?」
灰色のフード付きローブを纏った謎の人物が、もう一つの人物からの報告を聞いて疑わしげな声音で尋ねる。
「ええ。時計塔の裏にあった道に入った途端に、気配が消えちゃったの。気配隠蔽の魔術でも使ったのかもしれないわ」
「……流石は、《魔剣》を売る者というべきか」
「アンタはどうだったのよ。他の二人組は」
「……同じく、逃してしまった」
「なによ。アンタだって同じじゃない」
「……」
おそらく、フードを被った二人組は男と女だろうということだけは分かるが、全身をローブで覆っており、どんな容姿なのか姿を確認することができなかった。
低い声で、片方の人物が口を開く。
「次は逃すつもりはない。人質にして、あの魔剣売りと取引だ」
「アタシだって、このまま引き下がれないわよ。必ずあの『魔剣商人』から【結実の徒花】の在り処について訊き出してやる……!!」
路地裏に響く、二人組の声。
闇に飲まれるクロスリードの町並みの中、怒りを含んだ声が路地裏の壁を伝いながら、虚空へと消えていった。
遅れましたが、更新です。
お気に入り、評価、感想、全て励みになっています。
気がつけば、評価ポイントが50ptになっていました!一重にこの小説を読んでくださる皆様のおかげです。ありがとうございます!
二部になってから若干物語がスローペースではありますが、どうぞ宜しくお願い致します。
次回は来週の土曜日更新予定となります。