2-012
◆
「お姫さんってさ、あの少年と付き合い長いの?」
白鷹の止まり木亭へ向かう途中、ヴェイルが、そんなことをミリアに尋ねた。
夕焼けの赤熱に焼ける大通りは、人の活気の影を映しながら、クロスリードを取り囲む石壁の影に覆われていく。
「あ、えっと……知り合って一ヶ月ぐらいです?」
「……なんで疑問形?」
「私はアルトのことを前から知っていたんですけど、話をしたのはつい最近のことなので……」
王城に半年毎に商品献上のために出入りする商人の中に、その少年はいた。
部屋を抜け出し、王の間を上から見下ろせる通路の上で、ミリアはいつも『蒼い瞳』を使って、人の様子を観察していた。
その中に、明らかに他の者とは違う人間がいたのだ。
体を巡る魔力の流れが煌々と瞬き、月を思わせるほどに美しい魔力の奔流だった。
不思議に思った。
王城にいる魔術師や、騎士たちを超えるほどの体内魔力の持ち主が、商人だということに。
本来なら、魔術師にでもなれるような、莫大な魔力の持ち主、それがなぜ、物売りをやっているのか。
興味本位でその商人について調べてみると、同い年の少年で、つい最近商人を始めた者だということが分かった。
そこからは、興味という欲望が尽きなかった。
なぜ商人をやっているのか。どうしてあんな魔力を持っているのか。
更に調べてみると、その少年の店は、王都の大通りから離れた、寂れた場所に存在しているということだった。
そこから―――アルトの正体が王都を騒がす義賊だと知ったのは、更に時間が経ってからだったが……。
「え、なにそれ、片思い的な何かなの?」
「!?い、いえそういうわけではなくですね!」
あ、あれ?とミリアは内心首をかしげる。
もしかしたら、そういうことだったのかな、と。
と、思い至った結論に、頭をぶんぶんと振ってその思考をかき消した。
「私、ずっと外に出られなくて……でも、アルトが私を連れ出してくれて……だから今旅を続けているというか……ご、ごめんなさい、上手く言えないんですけど……」
王都で起こった顛末を話すことはできなかった。
もう一人の自分。【影写しの大鏡】。魔女。【漆黒の風】。そして吸血鬼。
多くのことが絡み合い、今この現状に至った理由を長く話すことなど不可能に近い。そもそも、そんなことを口外していいわけがない。
ミリアの言葉に、ヴェイルはポカンと口を開けている。
「なーるほど?つまり、駆け落ちしてきたっつーことかー」
「!?ち、ちがいますっ!」
「えー?違うって何がよー。お姫さんが言ってること要約するとそういうことでしょー?」
「そ、そういうことではなくて……」
「なんか納得?お姫さんの服、貴族か何かみたいだし、少年の服はなんかくたびれてるし。身分違いで恋叶わなくて逃げてきたみたいな?」
「~~~!!」
……あれ、そういうことなんでしょうか?
と、一瞬許容してしまった自分に罪悪感を抱く。
視線を下に落とすと、自分の影がこちらを覗き込んでいるように思えた。
「……違うんです。私、アルトに迷惑ばかりかけてしまっていて、何か力になれることはないかって思うんですけど、上手くいかなくて」
―――なにもかも、アルトに任せっきりで。
「私が生きていられるのも、アルトがいるからなんです。色々騙していたのに、私を受け入れてくれて……。絶対に見捨てないって、約束もしてくれたんです」
―――あの言葉に、自分は救われた。
「でも私、アルトに何も返せていないんです」
―――全部、私のために、アルトは自分の人生を犠牲にした。
全てをアルトは捨ててしまった。
貧民街の皆も。ディモンさんとの絆も。王都で『義賊』を続けていくことも。
自分の立場も全て。
旅立つ前に、ディモンから聞いてしまったのだ。
自分を助け出すために、アルトが何を犠牲にしたのかも。
アルトは、王都内で『死んだ』。
ライツェを名乗る人の実験施設を魔力の暴発で破壊した時に、自分の家をそれに付随する形で焼いたのだと。
全ての居場所を破壊して、私を元に戻すために、魔女と契約もしてしまった。
私は。
―――アルトに、何を返せばいい?
無言のままミリアの横で話を聞いていたヴェイルは、うーむ、と小さく唸った。
「いや、別に何も返さなくていいんでね?」
ヴェイルから言われた言葉に、ミリアを目を見開いて、ヴェイルへと顔を移した。
「そ、そんなこと……」
「いやさ、お姫さんのこと訊く限り、あの少年が好きにやったってことでしょ?」
「……」
それは、そう言ってしまえばそういうことになる。
いや、なってしまう。
「少年さ、何かと厄介事に首突っ込みそうな性格してるじゃん?オレのお金代わりに払ったりしてさ。……いや、お金返すよ?ちゃんと返すからね?でも、それはお姫さんがそう望んでるからってわけじゃなくて、少年自らそうやりたいって思ったからなんでしょ?お姫さんは少年のそういうところが好きだから、一緒に旅をしたいって思ったんでないの?」
ヴェイルにとっては、二人が駆け落ちしてきたこと前提で話をしているが、その中にある意味は、決して間違ってなどいなかった。
「でも……」
「心苦しいのは仕方ないっしょ。お姫さん、めちゃくちゃ真面目で優しいしさ。で、お姫さんはその自分の気持ち、ちゃんと少年に言ったん?」
「え……」
「少年だけ頑張っているのは見てて辛いから、自分は何をしたらいいですかって、少年に言ってないのね」
「……」
アルトを手伝いたいとは言った。
しかし、アルトに『何をして欲しいのか』を言ってはいない。
黙り込んだミリアに、ヴェイルは気だるそうな声を漏らしながら、頭をぽりぽりと掻いた。
「まあねぇ、普通なら怖くて聞けないとは思うけどさ。聞かなくちゃいけないっしょ、それは。誰だって人の気持ちなんて分からないんだから。一緒に旅を続けてて、全部少年のおかげだって思ってたら、いずれ自分自身に心が押し潰さちゃうっしょ?」
ああ、そうだ、とミリアは思う。
アルトに助けられ、ディモンに頭を撫でられたあの時だ。
(まあ、嬢ちゃんもコイツと同じで色々と抱え込む性格してるからなぁ。適度にガス抜きしないと押しつぶされんぞ?)
あの人から言われた言葉の意味を、理解していなかった。
結局、自分の根本的なところは何一つ変わっていない。
でも、それは多分、アルトも同じなんだろうとミリアは考える。
全部、背負い込もうとしているのだ。
魔女との契約も、自分の吸血鬼化も。全て。
そう考えて、ミリアは自らの手が震えていることに気づく。
―――私、何をやって。
「ま、少年はお姫さんの気持ちなんてお構いなしな感じかね?少年の雰囲気、何か刺々しいんだよなぁ。……いや、オレのせいだよね、うん。ごめんなさい」
「あの……ヴェイルさん、私、アルトに言わないと」
「ん?」
「ヴェイルさんの言うとおりです。自己満足だけじゃ駄目なんです。私がしたいのは―――」
(誰かが笑顔になれるなら、俺はいくらでも自分を犠牲にする。それが、俺の覚悟だ)
アルトは、そういう人なのだ。
だから、自分にできるのは、おそらく一つだけなんだろう。
「後でまた、アルトと話をしてみます。ヴェイルさん、ありがとうございます!」
「お、おうー。なんか吹っ切れた感じ?お兄さん、年長者だからね、困ったらなんでも言ってよー。あと、ヴェイルさんじゃなくてお兄さんって――――」
と、なぜかピタリと止まる言葉。
あれ?と首をかしげると、ヴェイルはニコニコと笑ったままじっとしていた。
「あの、ヴェイルさ―――」
「違う」
「は、はい?」
「お兄さん、年長者じゃないから。まだまだ若いから。少年とそんなに容姿も変わらないから。歳なんて取ってないから」
「……必死ですね」
苦笑するミリアに、ヴェイルはそのまま呪文のように言葉を繰り返している。
数分後、正気に戻ったヴェイルは、気だるそうな眼のまま白鷹の止まり木亭へと歩を進めた。
「いやあ、でもさ、やっぱり少年って有名人なんかね?」
「そうですね……お昼頃に会った冒険者さんも、アルトと取引がしたいって言ってました」
「およ、少年って商人だったんだ」
「いえ、今は私と一緒に旅をしているので、商人ではないんです」
「あ、そっか。じゃあなんなんだろうねぇ」
うーん、と悩んでいるヴェイルは、ため息を一つ吐き出した。
「なんかさ、オレたちさっきから監視されてるみたいなのよね」
「え……か、監視ですか?」
「うんー。ついさっきだけど、なんか視線感じてさ。気のせいかなって思ったんだけど、なんかねー」
吸血鬼の五感は、人間のそれに比べて格段に高い。
『吸血鬼もどき』のような存在であるミリアもまたその五感は鋭く、魔力による強化を行わなくても十分なほどだ。
ミリアはヴェイルに気づかれないように、周囲に神経を尖らせていく。
あらゆる五感が鋭敏化され、周囲の状況の情報を収集していった。
行き交う人たち。商品を売る露天商の声。冒険者たちの談義。人たちの足音。
―――視線。
こちらを射抜くようにじっと見つめられている、嫌悪感を催す視線。
「このままお姫さんたちが泊まってる宿に戻ったほうがいいかなって思うけど、流石に居心地悪いよねぇ」
ヴェイルはそう言うと、え、と小さく声を漏らしたミリアを気にせず、背負っている《魔剣》の布を剥ぎ取った。
人々が大通りを行き交う中、露わになる【変幻なる真理】の銃口を目の前に突きつける。
「ヴェイルさん、な、何を――――」
「―――ちょっと牽制」
引き金が、引かれる。
天高く轟く銃声の音に驚いて、周囲を歩むものたちが何事かと立ち止まる。
――――その中を、銃弾が横断した。
人々の隙間を縫うように、まるで針の穴に糸を通すような精密さで放たれた弾丸は、クロスリードの家屋の間の暗闇に飲み込まれるようにして掻き消えた後、
爆発する。
炎塵を撒き散らした銃弾は路地を覆い尽くして、煙幕となる。
突然引き起こされた攻撃に、大通りの喧騒が違うものに変化した。
呆然としたまま立ち尽くすミリアは、銃剣の銃口を背中に担いだヴェイルの背中をじっと見つめることしかできない。
「ふぃー。お、気配消えた」
「ヴ、ヴェイルさん、いくらなんでもっ……!」
「え?あー……」
突然の爆発を引き起こした張本人。
その人物の正体が、大通りにいる冒険者と商人たちが理解したのか、こちらをすごい形相で睨みつけている。
ど、どうしよう、と冷や汗が流れ落ちそうになっているミリアをヴェイルはじっと見つめると、
その肩に担いだ。
「!?ヴェイルさ――――」
「はいはい、失礼―」
そのままダッシュ。
大通りの喧騒は収まりそうになく、爆発の粉塵が舞い落ち、多くの者たちが咳き込んでいた。
「結果オーライ結果オーライ。早く宿に戻ろうかー」
……これが原因でアルトにまた迷惑がかかったらどうしよう、などと、虚ろに考えることしかできない。
「あ、それとヴェイルさん、じゃなくてお兄さんね、お兄さん」
「……もうヴェイルとしか呼ばないです」
「えー。お兄さんって。ほら、お姫さん、オレのことお兄さんって呼んでみ?ね?」
「………」
ぐったりとしたまま、ヴェイルにそのまま運ばれることしかできなかった。
少し短いでしょうか……
やっぱり一万文字目標かな……
明日も更新予定ですm(_ _)m