2-005
◇
小高い丘から見えるクロスリードの景観は、美しいほどに整えられた円形の都市だった。
都市のそれぞれが区分けされているのだろうか。大通りらしき道が円を割るように走っていて、それぞれの区でギルドが分けられているのかもしれない。
都市の中心には巨大な建造物が建てられており、その建物の上に二つの針と円盤が埋め込まれているのが遠くからでも分かる。巨大な建造物の正体が、時計塔だということをひと目で理解できた。
クロスリードへとなだらかに続く道が、その都市の入り口へと這うように伸びていた。
「おい、ミリア。クロスリードに―――」
荷馬車の後ろにいるミリアに振り向いて、うっ、と声を出しそうになった。
荷物の陰に隠れるように、ミリアがこちらにじとっとした視線を送っていたからだ。
(……まいったな)
先程のアレを気にしているらしい。
決して、レルクレイン、という名が馬鹿にしたような意味を持っているわけではない。むしろ、かなり気を使った意味なのだ。
……だからといって、その意味をミリアに説明するのも気恥ずかしかった。
「い、いい加減機嫌を直してくれよ……。俺が悪かったから」
「……それなら、先程の名前の意味を教えて貰えるんですか?」
「……くっ」
逃げ場がない。
「ほら、あれだ。花を意味する単語っていうか、な?」
「なんでそんなに歯切れが悪いんですか……?」
「いや、だからそんな大した意味じゃ―――」
「……怪しい」
「……」
むー、とこちらに疑いの視線を向けるミリアに、目を泳がせる。
……恥ずかしくて言えるわけがない。
「もうっ……分かりました。レルクレインの意味はあとでしっかり教えてもらいます」
「お、おう……」
一旦は落ち着いたか……。
助かった、とは言い難いが、これで追及を先延ばしにすることができたのだから、ひとまず安心といったところだろう。
荷物の陰に隠れていたミリアが、俺の横に座ってくる。丘の上から見えるクロスリードに、表情を緩ませた。
「とっても綺麗な都市ですね。王都は遠くから見ると複雑に入り組んでいましたが、クロスリードは道が整えられていて、美しいです」
「それぞれ分かれた区域別からいって、商人ギルド、冒険者ギルド、傭兵ギルド、魔術師ギルドっていったところか」
「商人ギルドは分かるんですが、冒険者ギルドや傭兵ギルドの違いってあるんですか?」
「まあ、雑用専門か、戦闘専門か、みたいな違いはあるな。冒険者ギルドは一般の依頼も入ってくる。比べて傭兵ギルドは貴族とかお偉いさんの依頼が多いって聞くけど……まあ、そこら辺は俺も詳しいことは分からないんだ」
「魔術師ギルドはどうなんでしょう?他ギルドのお手伝いをするんですか?」
「魔術師ギルドはあんまり表に出てこないからな……。魔法薬研究とか、定式魔法の開発とかをしてるんじゃないか?」
なるほど、とミリアは目を輝かせている。
「もしかしたら、ローガンさんもどこかのギルドに所属してるかもしれませんね」
「そうだな。それぞれのギルドを訪ねれば、分かるかもしれないな」
複数のギルドによって形成された都市、クロスリードは、いわば莫大な情報を溜め込んだ巨大掲示板だ。
ローガン・ランドウォートという人物がどこかのギルドに所属しているなら、それぞれのギルドを訪ねて回れば案外早く見つかるかもしれない。
……労力は、かなり使うが。
(というか、あの時魔女に訊いておくべきだったな……)
吸血行為が頭の大半を占めていて、ローガンという人物の情報を訊くことを忘れていた。
ちらり、とミリアを横目で見てみると、都市の景観を凝視しながら、わくわくと体を揺らしている。
……できれば、クロスリードの用事を早く済ませたい。
《血の衝動》が起こるまで三日。路地裏で頑張れ、などとあの魔女に言われたが、そんなことをしてバレたらどうなるか……想像したくなかった。
あのクソ魔女が、と毒を吐きそうになったが必死に堪える。
近づいてきたクロスリードの入り口には、多くの人だかりができていた。見れば、荷馬車を引く商人らしき者や、武器を持って立っている冒険者たちが、話に花を咲かせている。
遥かに続く大行列に、俺は首をかしげた。
「何かあったんでしょうか?」
「……なんだろうな」
嫌な予感がした。
と、最後尾についた俺たちに、二十代前半の衛兵らしき男が近づいてくる。
「君たち旅人かい?」
「ああ。クロスリードに入りたいんだが、何かあったのか?」
「いやね、この王国に吸血鬼が出現したらしくて、警備を強化しているんだ。クロスリードに入ってきた人たちの名簿を作っているから、時間がかかるけど少し待っていてくれ」
衛兵の言葉に、俺は微かに眉を動かす。
人の良さそうな衛兵の男は、そう俺たちに言うとクロスリードの門へと戻っていった。
「……アルト」
「少し……まずいかもな」
王都に出現した吸血鬼の話は、すでにこの王国内に広まっているようだ。ミリアが捕まった後に情報が王国内に拡散しているとなると、クロスリードのような大きな町に入る場合は、かなり警戒しなくてはいけないだろう。
それに、こういうことを予期して、あらかじめミリアの偽名を考えておいたのだ。
「いいか、お前の名前はミリア・レルクレイン。間違ってもクライスラの名を出すなよ」
「その意味をそろそろ教えてもらっても……」
「よし、それじゃあ待機だ」
「だ、だからなんで無視するんですかっ!」
むぅーと頬を膨らませるミリアを一瞥し、前方へと視線を向ける。
クロスリードの入り口の門の前でペンを走らせている傭兵の姿に、俺の身が強張っていく。
吸血鬼が現れたという情報は王国内に拡散しているが、その吸血鬼の容姿は広まってはいないようだ。
もしかしたら、王国の王女がその吸血鬼の正体であるということを広めたくなかったのかもしれないし、ミリアという存在が秘匿されていたために、その情報を深掘りできなかった可能性がある。
……とはいえ、だ。
ミリアのことはいい。問題は、俺自身にある。
徐々に前に進み始める行列。数十分ほどして、やっと俺たちの番が回ってきたようだ。
「待たせて申し訳ないね。君たちの名前と年齢を訊いてもいいかな?」
先程、俺たちに話しかけてきた衛兵の男だった。羽ペンと紙を片手に持って、こちらに優しく微笑んでくる。
「ミリア・レルクレインといいます。今年で十七になります」
「はい、ミリアさん、ね。夫婦の旅人なんて珍しいなぁ」
「いえ、夫婦じゃないんですよ?」
「おや、そうなのか。君みたいな美人が妻なんて羨ましいと思ったんだけどな」
ニコニコと話しかけてくる衛兵の男に嫌味は感じない。どちらかと言うと、人と関わることが多いために、社交辞令程度に言っているのかもしれない。
「だそうですよ?アルト」
どや、とこちらに視線を送るミリアに、ため息をつきそうになった。
……さっきの仕返しか。
「じゃあ、君の名前も教えてくれるかい?」
唾を飲み込みそうになった。唾液の出ない口をゆっくりと開いて、俺は言った。
「……アルト。アルト・ゼノヴェルト。同じく十七だ」
一瞬、自分の中で時間が止まった気がした。目の前の時間がゆっくりと動き、衛兵の男の表情を警戒しながら伺う。
「はいはい、アルトさん、と。クロスリードに来た理由を教えてもらってもいいかい?」
男はそう言うと、手の内にあった紙に名前を書いていく。
俺は心の中でほっ、と息を吐いた。どうやら、この男は知らなかったらしい。
「ローガン・ランドウォートっていう人物に会いに来たんだが……居場所が分からないんだ」
と、衛兵の男はきょとんとした目で俺を凝視する。
「あれ、なんだ。ローガンさんの知り合いだったのか」
「知ってるのか?」
「ん、知り合いじゃないのか。ローガンさんは冒険者ギルド長をやってる人だよ。クロスリードの北西にある冒険者ギルド本部にいるから、会いに行ってみればいい」
俺はミリアと顔を見合わせる。
ディモンがかつて有名な冒険者であったというから、ローガンという人物もそれなりに凄い人物だとは思ったが……まさか、クロスリードに居を構える冒険者ギルドの長だとは。
「そうか。悪い、助かった」
「いいや、お礼なんていいさ。ローガンさんは忙しい人だから、もしかしたら時間はかかっちゃうかもしれないけどね」
「時間って……どれくらいかかるんだ?」
「そうだなぁ……アポイントを取ってる人たちがどれぐらいいるか分からないけど、短くて一週間ぐらいはかかるんじゃないかな」
「い、一週間!?」
驚きの声をあげた俺に、衛兵の男は苦笑する。
「まあ、どうか分からないよ。運が良ければ、それより早く会えるかもしれないし」
一週間でいい、と思うべきなのか。一週間もかかると思うべきなのか。
俺にとっては、後者だが。
横に座るミリアの表情が、ぐっと強張っているのが分かった。《血の衝動》が活性化するまで三日。それまでにこの都市から離れるつもりだったのに、完全に計画が潰れてしまった。
「いや……そうか、悪い。冒険者ギルドに行ってみるよ」
「ああ、気をつけて。それと、荷馬車を置ける宿なら、クロスリードの中央区域にある『白鷹の止まり木亭』がいいよ。あそこは安いし、旅人たちに人気の宿だ」
まさか宿まで紹介してくれるとは思わなかった。
ミリアは衛兵の男にお辞儀をして、俺に小さく話しかけてくる。
「一週間ってかなりつらいですよね……?」
「……とりあえず、一度その宿に寄ってから冒険者ギルドに行くぞ」
つらい。極めてまずい状況だ。
からからと回る荷馬車の車輪の音を聞きながら、俺は重い気持ちで『白鷹の止まり木亭』を目指す。
……下手をすれば、一週間以上、この都市に留まり続けなければいけないという不安を抱いて。
―――――
数十分後。
クロスリードに入ってくる冒険者や商人、旅人の情報を紙に書き写していた衛兵の男の肩に手が置かれた。
「あ、お疲れ様です」
「おう、お疲れ。お前は休め。後は俺がやる」
自分の先輩である、三十代前半の衛兵だった。顔に刻まれた剣の傷が、男の精悍さを際立たせている。
「いやあ、ありがとうございます。昼食まだ食べてないんですよね」
「こんだけの人数捌ける後輩の有能さに涙が出そうだよ」
「何言ってるんですか。冒険者ギルド所属の人たちなんて、こんなこと簡単にやってのけますよ」
後輩の衛兵は、その手に持った羽ペンと紙を預けた。
それを受け取った男は、やれやれとでもいうように、重ねられた紙をペラペラとめくっていく。
「にしても、一日にこんだけクロスリードに入ってくる奴らがいるって思うとぞっとするな。王都はともかく、クロスリードはギルドだけしかないつまらない場所なんだぜ?」
「それはクロスリードに住んでる人から見ればそうかもしれないですよ。でも、王都に次ぐ、第二の物流と人の流れの中心じゃないですか。色んな依頼も集まってくるから、困った人たちは迷わずクロスリードを目指すって言いますし」
「そりゃあ依頼者から見ればすげぇ都市なんだってのは分かるんだけどな。裏で働いてる奴らの苦労も少しは知ってほしいよ。……ったく」
紙をペラペラとめくりながら呆れ顔の男に、後輩の衛兵は苦笑するだけだった。
と、ペラペラと紙をめくっていた男の手がピタリと止まる。
「……おい、お前」
「え、あ、はい?なんですか?」
目を見開いたまま、紙をじっと見つめている自分の先輩に、首をかしげる。
名簿の中に書かれた一つの名前を、眉間に皺を寄せながら指差した。
「このアルトってやつ、いつ頃入ってきやがった」
「え?えーと……」
男が見ている紙を真横から見て、その人物の名を確認する。
「ああ、アルト・ゼノヴェルトさんですね。三十分ぐらい前に来た旅人ですよ」
「そいつ、何処にいったか分かるか?」
「はぁ、それなら、ローガンさんに会うとかなんとか言ってましたけど……」
「ローガンにか……なんで今になって現れやがった……」
男は苦渋に満ちた顔で、手をぶるぶると震わせている。
「あの……その旅人が何か……」
先輩の男がなぜ怖い顔をしているのか、理解不能だった。それを聞いた男は、ただ静かに口を開く。
「いいか、覚えておけ。ゼノヴェルトっつー名前はな……この都市にとって――――」
男の口から紡がれた言葉に、後輩の衛兵は驚きに目を見開いた。
かつて存在していたその者の名。
頬に走る剣の傷を撫でながら、男はクロスリードの大通りを睨みつけた。
大体5000字ぐらいで一話書くようにしていますが、もう少し長い方がいいでしょうか……
次回は金曜更新予定です。