それでも彼は - 6 -
◇
ぼんやりと霞む目を、ゆっくりと開く。
窓から差し込む朝日が眩しかった。
俺はゆっくりとベッドから起き上がり、しばしの沈黙。
頭を抱えた。
早朝ということだけあって王都の表通りは露店の準備にとりかかる商人のみで、昼とは違って小鳥のさえずりが聞こえてくる。
俺は店の近くにある井戸から水を汲んで、顔を洗う。春が過ぎて初夏の季節になろうとしているが、井戸の水はかなり冷たく、微睡みの残った意識がまたたく間に覚醒した。前髪から水が滴り落ちる。
ふぅ、と息を吐いて、俺は後ろから近づいてくる気配を感じてそちらへと顔を向けた。
「よぉ!アルト!」
「………」
陰鬱な気分を紛らわそうとしていた矢先、ディモンがこちらへと陽気に挨拶してきた。
俺は顔をしかめながら、店にある水瓶に水を溜めるため、井戸水をまた汲み出す。
「おいおい、愛想よくねぇなぁ。せっかく宝の換金に来たってぇのによ」
言いたくはなかったが、仕方なく俺は重い口を開く。
「悪いけど、それはまた今度になりそうだ」
「は?」
井戸の底にいれた桶を引っ張り出しながら、俺は昨日の夜にあったことをディモンに説明した。
それを聞いたディモンは目を丸くしたかと思うと、豪快に笑い出す。
俺はムスッとした顔を崩さずに、桶の水を店へと持ち帰った。それに続いてディモンも俺の後ろについてくる。
「いや悪い悪い!あまりにも突拍子のない内容だったもんだからつい、な!まぁそんな落ち込むなよ。王城から生きて出られただけでも運が良かったってもんだ」
「あのな…」
いや、確かにそうなのだが、結局、貧民街へと流す金貨が無くなってしまったことには違いはない。先日奪った宝石や金貨だけでは、彼らの生活は全く変わらない。これではまた餓死者がでてきてしまうだろう。
俺はいそいそと水瓶に水を移す。汲んだ水に映しだされた自分の顔が、ひどく疲れていることに気づいた。
はぁ、とディモンがため息を吐く声が聞こえた。
「……アルトよぉ、貧民街のために、お前がそこまで責任を持つことはないんだぜ?」
後ろから聞こえてくるディモンの悲しそうな声音。俺は水瓶に手をかけたまま硬直する。
「今日はゆっくり休めよ。じゃあな」
◇
「はい、毎度あり!」
王都中央通り。いつにも増して多くの民が雑多している中、俺はその中央通りの一角にあるパン屋で、食料の買い出しをしていた。手に持った紙袋の中にあるクルミパンから、なんとも香ばしい匂いが漂ってくる。
外の様子が気になり、赤のチェック柄のエプロンを身につけ、ニコニコと微笑む目の前の少女に尋ねてみた。
「今日、なにかあるのか?」
「あれ?アル兄は知らないの?王女様の馬車がこの前を通りかかるのよ」
アル兄、と呼ぶこの少女―――エルナとは、昔、貧民街で共に暮らしていた。貧民街では立場も何もなかったし、今でも兄妹のような仲で接してくれている少女だった。今ではこのパン屋の主人と結婚して、幸せな日々を過ごしているようだ。
それはそれでこちらとしても嬉しいのだが、主人と事あるごとに、俺に惚気話と愚痴を零してくるのは、本当にやめて欲しいと思う。
ここの主人も主人で、俺がエルナと話をしていると妙に不機嫌そうな目でこちらを見てくる。今日はいないようだから良いものの、こちらとしては迷惑極まりない。
俺はエルナの話を聞いて、なるほどと呟く。昨日見た掲示板に、そんなことが書いてあった気がする。
「ねぇねぇ、アル兄?」
と、思案に耽っていた俺の肩を、エルナがちょんちょんとつついてきた。
「アル兄さ、そろそろ好きな人とかできた?」
「はぁ?」
唐突に何を言うのかと思えば、くだらないことを…。エルナはこちらを見ながらニヤニヤ笑っている。
「だってさ、アル兄ももうすぐ十八でしょ?そろそろ結婚相手見つけてもいい頃じゃない!」
こいつは、本当に色恋沙汰となると頭の中がピンク色になるな、と俺は目を細める。
「結婚なんて先の話だろ」
「なに言ってるのよ!アル兄だって立派な商人なんだから、色んな子が寄ってくるでしょ!」
「あんな寂れた骨董品店に来る客なんて、たかが知れてるって。商人なんて肩書きみたいなものだ」
「でもさでもさ、やっぱり好きな人の一人や二人―――」
「それはない」
むー、と口を膨らませるエルナを一瞥して、俺は早くこの話から逃れたくて、店の外へと再度顔を映した。
と、遠くから太鼓とトロンボーンの音が聞こえてきた。どうやら、本格的なパレードが始まったようだ。王女の城下町視察と擲っておきながら、本当は城下町全体のカーニバルに移すつもりなのではないだろうか。
そして俺はそのせいで帰り道が混雑することに、今更ながら気がついた。
「悪いけど、そろそろ帰るぞ。遠回りして帰るハメになりそうだしな」
「あ!じゃあじゃあ!もし好きな人出来たら教えてよ!私、応援しちゃうんだから!」
「……分かった分かった」
手をぶんぶんと振りながら「またのご来店を!」と笑顔いっぱいで言ってきたエルナに呆れながら手をあげつつ、扉を開けて来た道へと歩き出した。