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義賊のマテリア  作者: 夕日
継ぐ者の名
67/102

2-002

短いですが更新です。

次回、少し早く更新する予定です。

狼を引き連れて荷馬車の前に戻り、焚き火を囲んで座る。驚くことに、荷馬車に繋がれた馬たちは、自らの天敵が現れたのにもかかわらず怯えだすことはなかった。

もしかしたら、この二週間吸血鬼であるミリアと共にいたせいかもしれない。

焚き火の明かりによって照らされた狼の傷は、ひどい有様だった。他の狼と争ったためか、爪か牙によって引き裂かれた後ろ足の皮膚がめくれあがり、そこからじくじくと血が溢れ出している。

こんな大怪我をしながらも毅然とした振る舞いを崩さない灰色の狼に感心する。


「薬草だけじゃ傷が膿むかもな……治癒魔法の一つでもかけられればいいんだが」


魔獣の生命力は底なしとは訊くが、薬草だけではこの傷を治すことは難しいだろう。

そこで、ミリアはおずおずと口を開く。


「あの……それなら私の血を……」


「確かに、吸血鬼の血なら再生力を活性化させることはできるかもしれないけどな……」


吸血鬼の力の一片、それは、不老不死という力だ。

血中に流れる魔力が躰の老化を停止させ、半永久的に生きることが可能だという。


「私もこのオオカミさんと同じような存在ですから、たぶん大丈夫だと思うんです」


「……分かった」


その場を退いて、ミリアと入れ替わる。

ミリアは俺から短剣を受け取ると、その白磁のように白い片腕を露出させて皮膚を薄く斬りつけた。

斬りつけた箇所からじわりと血が滲み出し、その血が狼の傷へと流れていく。

ぽとり、と落ちた吸血鬼の血液が、熱した鉄に水を落とした時のような音を立てて傷口を覆っていった。

ぴくり、と狼の表情が苦悶の表情に変わった気がしたが、それでも狼は吠えることもなくじっと座ったままだった。

傷口が、その傷跡だけを残して修復されてしまった。


ミリアが斬りつけた腕の傷もやがて塞がり、何事もなかったかのように消え失せている。


「良かった……なんとかなりました」


「お前こそ大丈夫か?あまり無理を……」


「私なら大丈夫です。後はお願いできますか?」


「ああ、少し休んでろ。後は俺がやるから」


念のためではあるが、後ろ足に包帯を巻きつけて、傷口が開かないようにする。

処置を終えると、狼はその場からすくっと立って、俺たちをじっと見つめてきた。

その頭に、俺はもう一度手を置いた。


「あんまり走り回るなよ?傷口が開くかもしれないからな」


と、狼は俺を一瞥すると焚き火の前にかがみ込み、じっと目を瞑った。

そんな様子に俺とミリアは顔を見合わせる。どうやら、相当無理をしていたようだ。

ほんの数秒で体を上下に動かし始めた狼の姿を見て、俺たちは微笑んだ。


数十分後。俺たちは焚き火の上でコトコトと煮込まれるスープを自分の皿に盛り付ける。

王城で料理を隠れて行っていたミリアの腕前は、予想以上だった。

……とはいえ、作れるものがスープのみというのもどうかとは思うが。


「クロスリードに行ったらどうするんですか?」


「ああ、それなら……」


俺は横に置いていた荷袋のなかから、ディモンに渡された便箋を取り出した。

飾り気のない、真っ白な便箋だ。その便箋に、人の名前が書かれている。


『ローガン・ランドウォート』


「一応、この人物を探そうと思ってる。……あの馬鹿、俺たちに説明なしにこんなもの渡してきやがって……」


「あんな状況で、詳しい説明をする暇もなかったでしょうし……仕方ないですよ」


スープの皿を持ちながら苦笑するミリアに、俺は口を尖らせた。

ディモンの知り合いであることは間違いないだろうが、それでもクロスリードのどこにその人物がいるのかを説明してくれても良かったんじゃないかと思う。


「でもその人、どこかで聞いたような気がするんです。王城にいらっしゃった誰かがその人について話していたような……」


「結構有名人なのか?……まあ、クロスリードで聞き込みをすれば、早く見つかるか」


なにしろ、ディモンがかつて有名な冒険者であったというのだから。

確か、二つ名は『豪腕』だったか。大鎚を片手で軽々と振るうアイツにぴったり過ぎる二つ名だった。

……俺の【漆黒の風】と同じように、かなり嫌そうな顔をしていたのは、有名税みたいなものか。


「クロスリードの事を良く知らなくて……アルトは行ったことがあるんですか?」


「親父がやたら行くのを嫌がって、一回だけだったからあんまり覚えていないんだ。多くのギルドが混成してる巨大な都市で、王都並に大きい」


「そうなんですか!?それなら、骨董品も沢山見れますね!」


「……ショーケースの前でじっと骨董品を見つめるのだけはやめてくれよ」


この少女の骨董品好きは、その限度を知らない。

俺が無理やり引き離さないと、半日はずっと骨董品を眺めていることもあるんじゃないか?


「骨董品は素晴らしいんですよ!キラキラ光って、独特の形の中に洗練された人の技が見えるんですっ!それも本当に―――」


「わ、分かった。分かったから骨董品の話はなしだ」


「アルトも骨董品を丸一日眺めることができれば、その素晴らしさが分かると思います」


なんだその地獄は。

人の好みや趣味を否定するつもりはないが、いくらなんでもミリアの骨董品好きは他の人と比べて飛び抜けている。天高く。


やれやれと肩をすくめて、俺は気付く。


「骨董品よりも、もっといいものがあるだろ……ほら」


「?」


俺は人差し指を上に向ける。ミリアのその意味に気付いたのか、大空へ顔を向けた。

スープを飲んでいたミリアの手が止まる。


「……すごい」


そう言って、ミリアは宵闇に瞬く星を仰ぎ見た。俺も習って、天空へと目を凝らす。

雲一つない空に、無数の輝きが暗闇を覆い尽くしていた。

風の鳴る音と、木々の葉が擦れる僅かな雑音。焚き火の弾ける音。森の中から聞こえる、羽を震わせる虫の音色。


「こんなに美しいものが、世界にはあったんですね。夜の中から聞こえる音も、景色も……王都の景色とは全く別のものみたいです」


「……確かにそうだな」


おそらく、俺一人だけでは、そういうものを美しいと捉えることはできないだろうが……元々、ミリアは周囲の変化を敏感に感じ取れる才能を持っているのだ。

『ミリア』が託した願いを、この少女はいつも大切にしている。


と、ミリアはスープの皿を持ちながら、俺の傍らに座ってくる。

そして、申し訳なさそうに口を開いた。


「その……ごめんなさい。私、アルトに頼ってばかりで何をできなくて……」


「何言ってるんだよ。あの狼を助けたのはお前だ」


「私一人では、おそらく助けられなかったと思うんです。いつも突然の出来事になると体が硬直してしまって……」


それは、『ミリア』を助けられなかったトラウマからだろうか。

目の前で発生した出来事が、死に繋がることなら尚更だ。ミリアが『魔剣』から生まれたとき、『ミリア』の年齢は十歳にもなっていなかったそうだ。

影写しの大鏡(ミラージュ)】は、『その時点のミリア』を生み出した。つまり、その時に生じたミリアもまた、同じ存在だった。

容姿も、記憶も。

ただ、【影写しの大鏡】の矛盾を識っているかどうか以外は全て。


そして、『ミリア』の死を間近で見ている。

幼かった心に付けられた傷は、簡単に治せるものではない。


「ディモンも言ってたけどな、お前は気負いすぎなんだよ。お前が俺を頼るときもあれば、俺もお前を頼るときだってある。ギブアンドテイクの考えはいらないんだ。俺はもう商人じゃなくて、ただの旅人だしな」


何かをされたなら、何かを返さなくてはいけない、なんて考えは自分自身をいつも苦しめる。


「……でも、その……」


もごもごと、ミリアは何か言いたそうに口を開きかけている。


「なんだよ?」


「いえ……だから……その……」


徐々に紅潮していく頬に、俺はミリアが何を言いたいのか気が付いた。


「アルトの血も……いつも貰っていますし……」


そう俺の目線から逃れるように目を逸したミリアに、俺は気恥ずかしくなって首に手を置く。

あの魔女の言う通り、ミリアに定期的に血を与えなくてはいけない状態になっているが、その方法が辛くて適わない。

要するに、俺の首筋に牙を突きつけて血を啜るのだ。いつも、いつも。


「……まぁ、それは仕方ないだろ。血を呑まないと《血の衝動》が起こるし……」


「た、確かにそうなんですけど……アルトにいつも噛み付いて血を呑むのは……」


……誰かに見られれば一発でアウトだろうな。

魔女に他の血の供給方法がないか確認したいとは思っているが、その魔女にもう一度会う方法が分からないのだから為す術がない。

そこで俺は、ミリアが先程あの狼に自分の血を与えていたことを思い浮かべる。

なぜ突然ミリアがそんなことを言ってきたのか、大体の予想がついた。


「……呑みたいのか?」


「―――!!!」


俺の言葉は当たりだったらしい。顔を真っ赤にさせて、俺を見ながらわなわなと震えている。


「いえっ!!別にそういうわけではなくて……あ、違うんですっ!!アルトの血が嫌というわけじゃないんですっ!血を呑むのは吸血鬼だから仕方なくであって……えっとだから……そのぅ……」


視線を彷徨わせて必死に弁解するミリアの姿に、俺は頭をおさえそうになる。


――――俺だって気が気じゃないんだよ。


恐ろしいまでに美しい少女に寄り添われ、あんなことを毎度されては。


はぁ、と息を吐いて、俺は上着の第一ボタンを外して首筋を露出させる。それをじっと見つめてくるミリアの喉が、こくりと鳴ったのが聞こえた。


「……ほら、早く吸ってくれ。クロスリードに入れば吸血も難しくなる」


クロスリードに入ってしまえば、ミリアに血を与えることも大変になる。一応長期滞在は考えていない。ディモンの便箋にある人物を探しだしたら、次の町や村へ移動するつもりだ。

クロスリードにいる間だけは、ミリアの《血の衝動》を抑える必要がある。


―――狼狽えるミリアの銀の瞳が、真紅へと変化していく。

震える手をこちらに伸ばして、俺の首筋を撫でてきた。明らかに、いつものミリアの様子ではない。

ぐっとこちらに近づいて、俺の首筋を凝視している。荒くなった呼吸が俺の顔を撫で、ミリアは俺の首元に顔を埋めた。


ブツッ、と皮膚の裂ける音。


「……く……っ!!」


この瞬間に慣れる日は絶対に来ることはないだろう。初めて血を吸われたときはあまりの激痛に動くことが出来なかったが、二度目以降の吸血は、むしろ違う感覚が俺の体を突き抜けている。

痛みや苦痛を消し去り、吸血対象に快楽を与える吸血行為は、吸血鬼に備わる力の一つだ。

痛みも何もないのは有り難いが、この感覚もあまり良いものではない。


数十秒後、首筋を舌が這う感覚が消えて、吸血行為が終わったことを確認する。


ミリアは口元から垂れていた俺の血を手で拭いながら、うっとりとした表情で俺を見つめている。

―――と、真紅に輝いていた瞳が、銀色に戻った。

その瞬間、ミリアが纏っていた蠱惑的な雰囲気が一気に消え去る。


「……あれ?私一体なにを……」


「血の供給は終わりだ。……さっさと飯を食って寝てくれ」


「わ、私また気付かないうちに……!?ご、ごめんなさいっ……!」


「……ほら、スープが冷めるから早く食べろ」


「は、はい……」


涙目になってスープを飲むミリアを横目でチラリと見て、冷や汗が拭えない。

血を啜る瞬間、ミリアの雰囲気がガラリと変わる。……それも、目の毒という意味でだ。

俺はミリアから顔を逸しながら、身なりを正して焚き火に座り直す。

地面に置いていたスープを手にとって、脳裏に刻まれた先程のミリアの姿を掻き消すために、一気に飲み干した。


……生き地獄か。


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