深き夜に識る - 16 -
「うちの団長がご迷惑をおかけしているようで、本当に申し訳ありません」
と、俺の後ろから声がかかる。振り向くと、無表情にレイピアを提げた少女が佇んでいた。
「ご無事でなによりです。ミリア様は……」
「ああ、そこにいる」
さも当然というように、俺にたずねてくる。
横にいたヘリクは、俺たちが親しげに話しているのを見て、ただ驚いていることしかできないようだ。
丁度、ミリアが俺の方へ走ってきたところだ。ミリアはリースの姿を確認すると、申し訳なさそうに視線を下に向けた。
「あ、あの……」
「……ミリア様。ご無事なのですね?お怪我などはされてはいませんか?」
「は、はいっ、アルトのおかげで……。あの、私……」
視線を下に向け続けるミリアに、リースが小さく息を吐いたのが聞こえた。
「ミリア様。私は貴女のお気持ちを理解することができませんでした。近衛兵として……騎士として失格です。ですが、貴女を心配する気持ちは嘘ではないのです。ですから……私からどうか目を背けないでください」
「リースさん……」
「貴女のお心を知ろうとさえすれば……こんなことは起こらなかったのですから」
リースはそう言うと、俺へと向き直る。
「ミリア様を助けてくださり感謝します。すべて、貴方のおかげです」
「……本当に律儀な奴だな。感謝の言葉は後で聞く。今は、この状況を打開しないとな」
「……そうですね。その通りです」
短く切った言葉の後、リースは腰に提げたレイピアを持って、ミリアの後方へ刃を突き出した。
沸き立つように生成される化け物たちが、俺たちを殺そうと蠢いている。
「おい、リース。お前、【漆黒の風】と知り合い―――」
「こんな状況で馬鹿なことを確認しないで頂けますか?煩わしい」
「お、お前……盗賊と通じていたなど……それも牢獄に捕まっていた吸血鬼とも……」
騎士団長であるヘリクの口から漏れた失言。詰め寄ろうとした俺の前に、一人の少女が背中を向けて仁王立ちする。
瞬間、レイピアの剣閃が中空を蛇のようにのたうちながら、団長の首元へと移動した。
「いい加減にしてください……この分からず屋が!!!どの口でミリア様を侮辱するのですか!!貴方が多くのことから目を逸したせいで、人生を狂わされた人もいるんですよっ!!!」
それは、リースのからは滅多に出ない怒号だった。鋭い眼光をヘリクに向けて、猛獣が牙を剥いているようにも見えた。普段の無表情のリースからは想像しえない程の怒りだった。
「これ以上、失望させないで下さい。私が憧れた貴方は、そんなものではなかったはずです」
「―――!!」
怒りを突きつけられたヘリクは、驚愕に表情を歪めたまま硬直する。
荒れた息を整えて、リースは団長の首元からレイピアを放した後、俺に視線を向けてくる。
「……失礼しました。とにかく、この状況をどうにかしなければいけませんね」
「……ああ」
……本当に、律儀な奴だ。まさか、ミリアだけでなく俺のことで怒るとは思っていなかった。
リースに心の中で感謝を述べつつ、俺は視線を上に動かした。
王都の上空に輝く、暗黒の光。
「一体、王都で何が起こっていると?」
リースの問いに、俺はある種の確信を持ってその答えを提示する。
「……『矛盾汚染』だ」
「『矛盾汚染』?『魔力汚染』なら聞いたことがありますが……」
「この王都には、無数の《魔剣》が存在してるんだよ。人が造った贋作の《魔剣》だけどな。それでも、矛盾という力を持っているのは本当の《魔剣》と変わらない。その数多の『矛盾』が、一箇所に集中してるんだ」
「《魔剣》に宿る『矛盾』の力……それが暴走している?」
「ああ。一箇所に集中した『矛盾』は、空間に大きな歪みを作ってこの王都全体を覆っている可能性が―――」
そこまで言って、周辺に鳴り響く妙な高い音に、俺は顔をしかめた。
空中に浮かんでいる黒の輝きが肥大化するのが見える。
そして、絶望を告げる音。
ピシリ、と氷の薄板にヒビが入るような音が次に聞こえた。
王都の上空を見続けていた俺は、引き起こされた特大の異変に唖然とする。
空が割れている。
そのヒビは空を覆い尽くし、そして砕けた。
砕けた空の破片が、まるで雪のように俺たちに降り注いでくる。やがてその破片は光となり、空間の中を漂った後消失した。
そして、割れた空の先に見える、暗黒を内包した謎の空間。
その空間から、誰かがこちらを視ていた。
暗黒の中に輝く無数の赤い眼光。それが、こちらをじっと凝視しているのだ。
「なにが起こっているんですっ!?」
「分からない。分からない、が……」
とにかく、危機的な状況だということだけは、この場にいる全員が分かっていることだろう。
それを皮切りに、地面から泥人形たちが無尽蔵に湧き出し始めた。
後ろにいたミリアも、不安そうな表情を覗かせている。いくら【砂上の傷跡】による転移ができるといっても、この転移能力の適性者は俺とミリアだけだ。
ヘリクとリースに転移能力を使えば、おそらく『矛盾』の力に体が耐えられないだろう。
視界を蹂躙する泥人形たちに、リースはレイピアを向けて今にも飛びかかりそうな勢いだった。
―――雷光が跳ねた。
泥人形たちの合間を縫うように走る、無数の雷電。それが、蛇のようにうねり続けている。
次に起こる、聴覚を突く爆砕音。
泥人形の合間を縫っていた雷光たちは、衝撃波と雷の灼熱に変換され、敵対者たちを薙ぎ払った。
その後に残る焼け焦げた嫌な匂いと、無数の煤。
何が起こったのか分からずに、俺たちは呆然とする。リースも、そしてミリアも、一瞬で掻き消えた泥人形に言葉が出せずにいるようだった。
「お、ここにいたか。ったく、作戦が失敗したんじゃねえかと思って心配したんだぞ?」
そんな、軽い調子の声。
俺はその声の正体に、驚きを隠せない。
王都の入り口近くで待っているはずの悪友がそこに佇んでいたのだから。
「ディモン……!?これをお前が……やったのか?」
「ん、まぁ、ちょっとマジックアイテムを使ってな。久々だから体がなまっちまってるんだよなぁ」
そう受け答えしたディモンの肩に、巨大な大鎚が抱えられている。元々大柄なディモンの二倍はあるかと思うほどの鎚だった。
「……ディモン?『豪腕』ディモンか?」
俺たちの後ろで呟かれたヘリクの言葉。
その言葉に、ディモンはくだらない、とでもいうようにため息を一回吐いて気怠そうにしていた。
「ったく、やめてくれよな。昔の二つ名とか恥ずかしすぎて死ぬぞ」
「お、お前……有名な冒険者だったのか」
「あぁ?十年前までは現役の冒険者だったってだけよ。……お、嬢ちゃんいるじゃねえか」
ディモンは大槌を軽々と持ち上げたまま、ミリアへと近づいていく。
呆然としているミリアに、ディモンは大きな手のひらをその頭に置いた。
「無事で何よりだ。嬢ちゃんが生きてないと、このバカも寂しがるからな」
「はいっ、あ、ありがとうございます」
「おう。まあ、嬢ちゃんもコイツと同じで色々と抱え込む性格してるからなぁ。適度にガス抜きしないと押しつぶされんぞ?」
よしよし、とディモンはミリアの頭を撫でた後、リースに顔を向ける。
「騎士の嬢ちゃんも、お疲れさん」
「……失礼、少々意識が飛んでいました。危機的状況への助太刀、感謝致します」
「固いんだよなぁ。ちょっとは肩の力抜けって、な?」
ガハハ、と大声を上げて高らかに笑った後、ヘリクへと視線を向ける。
「で?団長様は、なんでこんなとこにいんだ?」
「私は……!」
「俺たちのことバレちまったのか?……まあいいや、ガキたちが頑張ってんのに、そうやって自分の立ち位置しか守れねえんなら、大したことねぇな」
「ッ!!?」
意表をついた言葉に、ヘリクはただ絶句して立ち竦んだまま動けないようだ。
ディモンはそう吐き捨てると、王都の上空を睨みつける。
「で、ア……【漆黒の風】。あれどうすんだよ」
「どうするもなにも……」
俺は、上空に浮かび続ける禍々しい光を凝視する。
「異変を起こしてるあの『核』を壊すしかないだろ?」
「……飛行の魔法はどうだ?」
現魔力では、おそらく飛行の魔法を行使することなど不可能だ。ミリアから魔力の譲渡をしてもらったが、体が正常に動かせる程度のもので、高位の魔法を使用できるほどの魔力は使用できない。
「これ以上、高位の魔法を使ったら体が動かなくなるだろうな」
「まあ、そうなるよな。俺の『雷霆の鎚』の雷撃で攻撃しようにも、ちょっと遠すぎて無理っぽいわ」
『雷霆の鎚』というのが、今ディモンが持っている大鎚だろう。マジックアイテムと言っていたから、雷特性の魔法でも付与されているのか。
しかし、おそらくマジックアイテムではあの核を壊すことは出来ない。
《魔剣》は並大抵の攻撃では砕けないように、あの『核』もまた、《魔剣》と同義のものであることは確実だ。
つまり、《魔剣》を使うことができる俺でしか、あの『核』を壊すことができない。
なんとかしてあの『核』まで近づき、この異常を沈静化させなければいけない。
そのことをディモンたちに言うと、リースが、それならば、と提案した。
それは―――
「……おい、団長さんよ」
リースの提案を聞いて、後ろにいるはずのヘリクに言葉を投げかける。
「あんたの水精、水の触手をどこまで伸ばすことができる?」
俺のその言葉の意味を、ヘリクは感づいたようだ。
「……確かに、私の力ならば、あの距離まで届く水柱を生成することができるだろう。だが……周囲に水がない。これでは、魔法を使うことはできないぞ」
「なんだよ、それなら問題ねぇよ」
ディモンは短くそう言うと、周囲をキョロキョロを見渡している。
ヘリクはその様子を怪訝そうに見つめていたが……
「えーと、この辺でいいか」
ディモンは足元をトントンと叩くと、巨大な大槌を振りかぶる。
「いえ、ちょっと待ってくださ―――」
「おっらぁ!!!喰らえッ!!」
ばちり、と紫電が爆ぜる。大鎚が雷光を発現させ、莫大なエネルギーを周囲に発散し始めた。
俺は咄嗟に、後ろに控えていたミリアを庇ってディモンから離れさせる。
リースの静止も聞かずに、大鎚が地面に炸裂する。
瞬間に巻き起こる雷光の嵐と、巨大なエネルギーの奔流。
ミシリ、と巨大な質量に耐えきれずに、地面が崩壊を開始する。
砕け散る地面が隆起、その範囲はおよそ三十メートルに及んだ。
そのひび割れた地面から、轟音を立てて巨大な水柱が現れた。地下水脈やらなんやらを無理やり引き当てたのか、それとも王都に引かれている水路の一部を砕いたのか、ディモンは誇らしげに俺たちに振り返った。
「ほれ、これでどう―――」
「俺たちを殺す気かッ!ふざけるな!」
「ミリア様に何かあったらどうするんですかッ!」
「お、おう……そりゃすまねえな」
大の大人が盗賊と騎士に叱責されるという状況。俺達の批難の言葉にしゅんと小さくなったディモンを見て、ミリアが後ろで小さく笑ったのが聞こえた。
「……流石は『豪腕』だな。冒険者としての腕は落ちていないということか」
「おい、その二つ名痒くなるんだよ。言うのやめてくれ」
降りかかる水の雨が俺たちを濡らしていく。俺は舌打ちを一回して、ヘリクへと近づいた。
「さっさとしろ。あんたしか、この仕事はできないんだ」
「……分かっている」
降りかかる水が、その瞬間静止した。地面から沸き立つ水柱が魔力の励起によって自在にねじ曲がり、巨大な水の塊へと変化する。
「水精は使わない。私自身の力で、お前をあそこまで送り届けてやる」
◇
高々と伸びる水柱を見ながら、ミリアは上空に存在する黒の輝きを見つめ続ける。
水柱の上に、両足に付加した風の魔法によって水の間に抵抗を生み、アルトがその『核』に近づいているところだった。
「……まったく、リースに諭され、かつて『豪腕』と呼ばれた冒険者に叱責されるとは思っていなかったよ」
水柱を操作しながら、騎士団長のヘリクはため息混じりにそう言った。
リースはその言葉にピクリと顔を動かしたが、そのまま上空を見据えていた。
しばしの沈黙の後、ヘリクがまた口を開く。
「……君たちのせいで、昔を思い出したよ。私に向かって剣術の文句を言う、貧民街の少年を」
今度こそリースは顔を動かし、ヘリクの姿を見た。
たった今、目の前にいた少年がその少年なのだと、リースは言うことはできなかった。
その約束を覚えていたのか、と。
「その少年に、王都を守るために騎士団長になってやると約束したんだが……現実はどうにも上手くいかないものだな」
「なぜですか。騎士団長になって、その少年との約束は果たしたのでしょう」
「……果たしていないさ。王都の皆を……貧民街の皆を、少年を救うと約束したのに、私は騎士団内の腐敗を知ってしまったんだからな」
「……」
リースも、その腐敗は知っていた。
貴族たちの横暴、実力の伴わない階級。当然のごとく行われる不正。
「騎士団自体が腐敗している現状で、王都を救うことなど不可能だった。……あの少年に、顔向けできなかった」
ふぅ、と息を吐いてヘリクは小さく続けた。
「あの少年はまだ、貧民街にいるのだろうか」
「……顔向けできるかどうかの話じゃねえだろ」
ずっと沈黙していたディモンが、ヘリクの言葉を牽制する。
「あんたはそのガキにまた会うべきだったんだよ。約束を守れるかどうかなんて分からねぇよな。当たり前だ。けど、全力で頑張るから待ってろって、一言言うべきだったんじゃねえか」
「そんな無責任なこと……」
「無責任ではありません」
力強く、リースは真っ直ぐにヘリクを見つめていた。
「その少年が望んでいたのは、約束そのものではなかったのではないですか。ただ、貴方という目標と共に、その夢を叶えたかった。団長の誠意を、その少年は待っていたのではないのですか」
「私と、共に……?」
その約束は、少なくとも少年にとっての生きるための原動力だったに違いない。
憧れた存在との約束。
約束は、守らなければいけない。約束とはそうあるべきだ。
そう思っていたヘリクにとって、リースの言葉は深く胸に突き刺さった。
「あの……私もそう思います」
「……ミリア、様」
「誰かとの約束は、とても大切なものです。それは、『希望』という道標になりますから。でも、約束を破ってしまうと思ったのなら、その人に会って告げるべきなんです。多分、許してくれないかもしれません。……でも、それ以上に、その繋がりを切ってしまうのは最も許されないことだと思います」
ミリアにとって、その少年の正体がアルトだとは知らない。
しかし、『ミリア』との約束をした彼女にとって、その意味の深層を深く理解していた。
「……愚かだな、私は」
「ええ、本当に愚かですよ。すでに取り返しのつかない状況なのですから」
「確かに……騎士団の正常化、貧民街の救済は難しいだろうな」
そうではない、とリースは言いたくなったが、言葉を飲み込んだ。
もう取り返しのつかない状況だ。ヘリクに絶望し、義賊として活動を始めてしまった彼の運命は。
この男に、自分が『何もしなかった』結果どうなったのか、現実を突きつけたかった。
だが、アルトはそれを承知しないだろう。
落ち込んでいるヘリクに、リースは小さく呟いた。
「……ですから、私も手伝います。その少年に顔向けできるように、私も騎士団の正常化と、貧民街の救済を」
そう聞いたヘリクは、ぽかんとした表情でリースを凝視した。
「……そうか、有り難いな」
「頭でっかちの大人ってのは、本当に見ちゃいられねえよなぁ。ガキ達が成長していくのに、一人置いてけぼりにされるんだからよ」
「……まるで、自らもそんな大人だと言っているような物言いですね」
「そりゃあそうだ。俺もそういうクソったれた大人の一人なんだよ。分かるだろ?」
ディモンはそう言って、上空に立ち上る水柱を見据える。
「……あのクソガキ、やっと解ってくれたようで安心したぜ」
ディモンがそう呟いたすぐ後だ。
パキン!と耳に刺さるガラスが割れるような音。上空に浮かんでいた漆黒の輝きが、徐々に消失していく。
割れた空が、まるで時間が巻き戻るように復元していく。
散ったはずの空の破片が空へと舞い上がり、暗黒を埋めていく。
暗黒の空が閉じ、夜の静穏と、空を支配する無数の星々が、『矛盾汚染』の収束を告げていた。




