深き夜に識る - 13 -
『死霊術』。
魔法という概念の中でもっとも忌み嫌われるもの。
死者の復活と無尽蔵の生命力を求める魔術師が編み出した、禁術に等しい魔法系統だ。
基本はアンデッドの創造から始まり、大地に眠る死者から負のエネルギーを汲み取り、特殊な魔術薬を製造したりと、胸糞悪い魔法ばかりだ。
「私の《魔剣》の力を見ておいて、まだそんなことを言えるとは。いやはや、【漆黒の風】は恐ろしいね」
「下衆が……人の命を弄ぶのもいい加減にしろよ」
「クライス様……貴方は……お母様に一体なにをっ……!」
「ミリア、コイツは違う」
後ろで手を組んで俺たちを見下すように視線を送るこの男は―――。
「俺がこの大罪の塔に来る前の地下牢獄で、牢獄の一つに遺体が入ってた。目立つ黒の外套でその身を包んだ、白骨化した遺体がな」
「そ、それって……」
囚人たちのいる地下牢獄を進んでいる最中に、俺は見つけてしまった。
薄暗い牢獄内に、見覚えのある黒い高級そうな外套を羽織った白骨化した死体が壁に寄りかかった状態で遺っていたのだ。
牢獄内を巡回する兵士や衛兵がなぜ気づかずに放置していたのか不思議だったが、間違いなくその死体はクライス宰相のものだ。
死体の状態を調べようにも牢獄の鍵を空ける余裕もなくそのまま通り過ぎてしまったが、一つだけ分かるのは……
目の前に立つもう一人の存在に、俺は殺気を込める。
「あんた、何者だ?」
ミリアと同様の存在など、有り得ないはずだ。王城から【影写しの大鏡】を盗み出したのは確かにこの男で間違いないだろうが、そもそもクライスの姿に変装したのはその行動を起こすためだろう。
俺の言葉に、正体不明の男はやがて面白そうに高笑いを始める。
「ハハハッ!!……やれやれ、この姿を演じるのも悪くなかったんだけどな」
大人びた口調から、快活なはっきりとした口調へと変化した。見た目と声が合っていない、というべきだろうか。
俺は警戒心を解かないまま、ミリアの前に立ってその様子を注意深く見つめる。
「【朔夜の影絵】はね、他人の影を被ることができるんだよ。ただしその条件はかなり絞られる。三年前のあの日、あの男の姿になれたのは色々と運が良かっただけなんだ」
「無駄話はいい!何者なんだと聞いている!!」
……【朔夜の影絵】の力には、影そのものを操る能力があるということか。
異質と混沌の混じっているこの感覚。俺はこの感覚を、すでに何度も経験している。
内心ではその正体の真実に手が届いてはいた。この男は自分の正体を隠すわけではなく、ただ自分の手腕に酔っているだけのようだった。
「せっかちな奴だよ本当に。……まあ、私の名前は、ライツェと呼んでもらおうかな。アルトくん―――君も知っている、アインや深遠の魔女と同じような存在だよ。……ああそうそう、ミリア王女。さっきの答えだけど、母君には何もしていないよ。勝手に一人で部屋に籠もって、誰にも気づかれずに一人で勝手に死んだだけだ」
「……あの魔女と同じ、か。あんたも観測者っていう存在なのか」
「そう言われると少し癇に障るね。あんな閉鎖的な愚か者共と一緒にされたくはないんだけどな」
そう言うと、ライツェと名乗った男は指に嵌めていた【朔夜の影絵】を掲げた。
もぞり、と奇っ怪な音を立てながら影が地面から盛り上がり、それはまるで椅子のようにねじ曲がると、そこに実像を結ぶ。
出来上がった影の椅子に、ライツェは疲れたとでもいうように、足を組んで座った。
「お母様は……すでに死んでいたんですか…」
ミリアから呟かれた言葉に、ライツェは口元を歪ませる。
「人と会うことに極度の恐怖を感じる体質だったようだけど。君の監視のために死霊術で存在を固定して、『死霊の聲』で君を殺すために行動させていたんだが……その術式に打ち勝つとは驚いたよ」
『死霊の聲』とは、死霊術で蘇った存在に、一人で行動する意味を植え付ける魔法だ。
生前にやり残してしまったことを原動力とし、その願いが叶うと術式が解け、死者は地へと還る。
だが、それと同時に術式を行使した者への絶対服従の呪いが課せられる。
「……私への最期の言葉。それがお母様のやり残した願いだった、と……?」
悲しく視線を落とすミリア。
それを見たライツェと名乗った男は、黒の肘掛けに手を当ててこちらを嘲笑する。
その顔を見て、俺は確信する。
―――くだらない死に様だ、とでも思っているのだろう。
そんな俺の視線に気づいたライツェは、クスッと笑った。
「キミの言う通り、そろそろ無駄話はやめようか。さて、アルトくん、そしてミリア王女。話を変えるようだけど、君たちには選択をしてもらいたいんだ」
「……選択。またあの問答か」
「くだらない問答だけど、君たちにとっては有益なものだと思うよ。まずひとつの選択肢、私の協力者になること。その対価として、君たちが最も欲しいものを与えることを約束しよう」
机の上に置いている人差し指が、とん、と音を立てる。
ミリアも、きな臭い雰囲気に顔を強張らせている。
そしてまた、人差し指が机の縁に下ろされる。
「二つ目の選択肢は、聞かなくても分かるだろう。私に従わないのなら、今度こそ【砂上の傷跡】を奪い取り、君たちを殺す。どうやら、「君を見逃して監視する」という選択は間違っていなかったようだからね」
俺の片手に持っている【砂上の傷跡】が変異していた。
刀身は黒く染まり、ランタンから放たれた光を黒曜石のように反射させている。
それはもう、普通の骨董品、などと弁解するには不可能なほどに。
「ミリア王女を牢獄に幽閉したのも良い結果となった。そのおかげで君は【砂上の傷跡】を不完全にだが覚醒させたようだし」
俺はその言動に舌打ちする。
「結局、俺はお前の手のひらの上で踊っていた、ということか。だが、お前の研究施設は全部潰した。あんたが裏でやっていた目論見は―――」
「確かに。魔女の力を借りて私の研究施設全てを狙ったのは見事というべきだ。だけどね、その程度では、私の計画に揺らぎは生じないんだ」
「なんだとっ……!!」
「揺らぎ、というより、私が一番出し抜かれたのは君の『選択』だよ、アルトくん」
研究施設でさえも、こいつにとっては不要なものだったというのか。
『人造魔剣』という研究そのものが計画の中の底辺に位置するものであった?
そんなこと―――
と、そこまで考えて、次にこの男が言う台詞が分かって、ミリアへ僅かばかりに視線を向ける。
「まさか、魔女の駒になるとは思わなかったんだ。その左目も、魔女の契約で受けた『呪い』のせいかな?」
それを訊いたミリアの両目が、大きく見開かれた。
「アルト……?どういう意味ですか……?」
「……ッ!」
震える声に、俺は息が詰まったように口を開くことができない。
この男、わざわざミリアに聞かせるために……。
俺は何を言うべきか迷い、両目を一度閉じて、見開く。
「―――!!」
俺の左目の変化に気がついたのだろう。俺の顔を覗き込むミリアの表情が大きく変化する。
「……あんたも魔女たちの仲間っていうんなら、全部解りきってることだろうな。ミリアを助け出すために背負った対価だ」
「私の力の片鱗……ですね」
ミリアの弱く透き通る声。
俺の左目から零れ出す『青』が、暗い部屋の中で淡く光る。
「魔眼の一種かと思ったけど、むしろ『呪い』に近いものだね。あの怠惰な魔女が、よくも大盤振る舞いをしたものだ」
「……あんたの体内魔力も、周辺に漂う魔力も、全部認知できる。他に妙な仕掛けでもしているんじゃないかと思ったが、その余裕の立ち振舞いはその《魔剣》があるからか」
ミリアが持っていた、魔力感知能力。俺はそれを、魔女から『呪い』として受け取った。
あの魔女が何を思って、『呪い』という形で俺にこの力を譲渡したかは分からない。
面白半分、興味半分といったところかもしれないが、ミリアを助けるためなら、この『力』も利用する。それだけのことだ。
空間内に漂う魔力が、薄紫色の霧となって視界を覆っていた。
モノに存在する僅かばかりの魔力は星の光のように白に瞬いている。
だが、他者の中に存在する体内魔力は、琥珀のように輝く力の流れが全身を巡る血液のように、体内を巡り巡っているのが確認できた。
そして、その目を持ってして気付く異質。
『魔力』を視る力が映す《魔剣》には、魔力そのものが感知できない。
ただなにもない。空っぽだ。
いうなれば、その《魔剣》の形に暗黒がこちらを覗き込んでいるように、黒い。
「アルトくん、君は私の《魔剣》の力をその身をもって体験しているだろう?私の《魔剣》はこの世に存在する人々の渇望 を具現化する能力だ。人の深層に眠る悪を、《影》という形で具現化する。そしてその影には一切の物理攻撃、魔法攻撃は通用しない。更にその発動条件は、実に簡潔。『夜』であることだけだ。あらゆる《魔剣》の頂点に立つ、最強の《魔剣》なんだよ」
くつくつと嗤うライツェは、こう続けた。
「だからこそ、夜という領域の支配者はこの私だ。誰も私を殺すことなど出来はしないし、私に抗うこともまた無意味」
馬鹿げた発言に、俺は唾を吐き捨てる。
「大した高慢だな。自分が神にでもなったつもりか。絶対的な力を持つ武器なんてこの世に存在しない」
「それは、この世界の法則に則るならばの話だよ。矛盾によってあらゆる不条理を否定する《魔剣》に常識は通じない。君はその力を識る同志だ。私と共に、新たな世界を見出すのも悪くはないと思うんだけどな」
俺はそれを聞いて、口元に笑いを押さえることができなかった。
「《魔剣》を盾にして偉そうなことばかり言ってくる奴に、おいそれと従うわけないだろ。あんたの持つカリスマ性は、それこそあんたの言う『人の悪』を具現化したハリボテだ。《魔剣》を捨てて出直してくるんだな」
《魔剣》、《魔剣》、《魔剣》と煩わしい。
この男の計画がどんな大層なものかは知らないが、連なる言葉の中に『別の意味』が隠れている予感がした。
ミリアも意を決したのか、俺の横に立ってライツェへ鋭い視線を向けていた。
「貴方に潜む言葉全てに、悪意を感じます。それは、私が常日頃から感じていた視線と同じものです。……侮蔑と軽視。そんな方に、私は従うつもりはありません。それに、貴方は私の大切な人たちを奪いました。絶対に、許すわけにはいきません」
極めて鋭く、強い口調だった。その言葉がミリアの口から出たとはとても思えなかったが、この少女も、現実から目を背けずに抗おうとしているのだと気付く。
顔を見合わせて、頷きあう。
「……全く、魔女も君たちも、どうして解かろうとしてくれないのか」
「貴方が他人を理解しようとしないからです。自分の意見を押し付ける人に、他者はついてきてはくれませんよ」
ミリアだからこそ言える言葉だ。
その言葉を聞いてなお、ライツェは影の椅子に座ったまま、やれやれと嘆息している。
「……まあ仕方ない。魔女を炙り出すために君たちを泳がせていたんだが……あの魔女の怠惰ぶりも変わらないようだ。私の計画もそろそろ達成できそうだし。……今度こそ君たちには消えてもらうとしようか」
その言葉に、俺は【砂上の傷跡】を片手に迎撃態勢に入る。
ニヤリと厭らしく笑ったライツェは、手に嵌めた【朔夜の影絵】を再び掲げると、足元から湯が沸騰するように、黒の奔流が迸った。
影が、狭い部屋を侵食していく。
「アルトくん、そしてミリア王女。私の計画の礎になれることを感謝するといい」
「ちっ……!!!」
肥大する影を見て、エトワール大森林で経験した出来事を振り返る。
あの影に物理攻撃も、魔法攻撃も効かない。
唯一、あの影に対抗できそうなものといえば、手に握っている【砂上の傷跡】ぐらいだろう。
とはいっても、【砂上の傷跡】の力はまだ完全に引き出されていない。
真の矛盾を、俺はまだ『理解』できていないからだ。
風切り音。
目の前の影から突出した黒の棘が、俺の頭蓋を砕こうと伸びてくる。
眼前に迫る黒の影に、俺は咄嗟に首を傾けた。それと同時に、ミリアの腕を掴んで引き寄せる。
真横を通過する黒の刃が白銀鋼を含んだ壁を容易く貫通し、爆砕音を響かせた。
恐ろしい破壊力に、俺は目を見張る。
大罪の塔の壁が剥がれ落ち、吹き込む風と、月の光が部屋の中を映し出す。
「素晴らしい反射神経だね。流石は『幻狼』の息子だ」
「抜かせ……っ!」
こんな狭い部屋の中で戦うことなど不可能だ。第一、部屋の中を侵食する影の肥大化は止まることを知らない。
俺たちのいる空間を覆い尽くすまで、それほど時間はかからないだろう。
「アルト……」
不安そうに俺を見るミリア。
俺は視線を動かし、利用できそうなものを確認する。
影の椅子に座りながら、俺たちの状況を面白そうに観察するライツェ。
部屋の侵食し続ける影。
―――そして。
「ミリア、悪い、少し乱暴な手になるけど我慢してくれ」
「え……きゃっ!!」
ミリアを抱えて、ライツェが次の行動に移る前に、大穴の空いた壁へと走り出す。
俺が何をしようとしているのか気づいたライツェは、信じられないように微かに目を見開くと、影でできた椅子から立ち上がる。
「【朔夜の影絵】!!奴らを逃がすな!!」
「あんたが有利な場所で戦うなんて馬鹿なことするかよっ!!」
ライツェが影の攻撃によって開けた、大風を通す穴の先に、俺は全力をかけて跳躍する。
目が眩むような、恐ろしいほどの高さだ。重力によって降下していく体に、詠唱を短縮して魔法を発動する。
「『青海を凪ぐ、南風の加護をッ!!』」
体の内側からひねり出された魔力の奔流が、足元へと収束する。
それは上昇気流を伴って、俺の両足に飛行の力を与えた。
「―――くっ!!」
後ろを振り向いた瞬間に、無数の黒の大棘が俺の背後を急襲してきた。
体をひねりながら、咄嗟に防御のために掲げた【砂上の傷跡】が、胸へと伸びてきた影の棘を弾き返す。
―――やはり、【砂上の傷跡】なら……っ!
穴の先から伸びてくる棘を【砂上の傷跡】でいなしながら、俺は王城の外を囲う石壁の上になんとか着地する。
「ミリアっ!大丈夫か!」
「も、問題ありませんっ!あれが《魔剣》の力、なんですね……」
大罪の塔の屋上に目を向けると、肥大化した影が穴の開いた壁から漏出してくるのが分かった。
まるで粘性のある液体がでろりと流れ出るような、気持ちの悪い光景だ。
手に持った【砂上の傷跡】の状態を確認したが、刃が欠け落ちている様子もない。
「……《魔剣》には《魔剣》を、ってか」
物理攻撃、魔法攻撃の通じないあの【朔夜の影絵】に対抗するためには、矛盾を内包する《魔剣》でしか、対抗する手段がないということか。
「王都内に一旦逃げるぞ!もう一度飛ぶからしっかり掴まってろ!」
「は、はいっ!!」
発動し続ける飛行の魔法をなんとか制御しながら、俺は王都の外れの路地裏へと身を隠す。
あの【朔夜の影絵】は、エトワール大森林を逃げ回る俺をしつこく追跡してきた。
ということは、どんなに遠くへ逃げようとも追いつかれてしまうのは確実だ。できるだけ、自分たちにとって利のある場所で迎え撃つ。
もう一度後ろへと振り返り、影が溢れかえる穴へと視線を向ける。
その穴の先で、ニヤリと微笑んで俺を睥睨するライツェの姿を確認して、歯噛みしそうになった。
―――追いつかれる前に、なんとか対策を練らなければ。




