深き夜に識る - 9 -
◇
月明かりの眩しい、王都の全てを見渡せるほどの明るい夜だった。
俺は王城を取り囲む石壁の外側にある家の上に佇んでいる。
視線を落として、手に持っていた便箋に、取り出していた手紙をゆっくりと収めた。
(あの墓で手に入れた便箋の中身を読んでみなさい。あの子の真実を識りたいならね)
魔女の領域を後にしようとした俺の背中に浴びせられた言葉。
魔女はそのまま沈黙し、安楽椅子の肘掛けに手を置いて不敵に微笑んでいた。
夕闇に紛れる手紙の文面を一通り読み終えて、俺はため息をつきそうになる。
「これがお前の背負っているものか、ミリア……」
ただの王女ではないとは思っていた。
王族という最上位の身分にいながらも、自由人で、何事にも興味を持って、悲しければ泣き、楽しければ笑う。
普通のように見えていても、あの少女が抱えていた闇は、俺が理解し得ない程に大きい。
便箋を懐にしまい込んで、自分の足元に五つのナイフを配置していく。
一通りの準備を終えて、俺は首筋に刻まれている刻印に手を這わせた。
(その印はね、吸血鬼が、最も信頼する人間に与える印。血の従者に与える印なの)
魔女が言っていた言葉に潜む意味に、俺は歯噛みしそうになる。
俺のような盗賊が、たった数日だけしか会っていなかった俺のような存在が、アイツにとっての『最も信頼する人間』だという意味に。
多くの富を抱えていても、貧民街の逆の位置にいるアイツが、貧民街にいる人間よりも絶望しているのだ。
(一生を捧げて、罪を償おうと、いつも微笑んでいるんだ)
アインが言っていた意味に気付くのも、遅すぎたのかもしれない。
ミリアは、本当に死ぬつもりなのだろう。
自分に降りかかった出来事全てを、意味のある『罰』として受け入れているのだから。
「……何が義賊だ」
ポツリと零れ出た悪態。
俺が抱えていたものなど、アイツに比べたら大したものじゃない。
子供のように我儘で、納得のいかないことに難癖をつける愚かな人間だ。
……だが。
必要悪として、俺はこれからもずっと義賊を続けていく。
魔女と覚悟を持たずに取引をしたつもりはない。
俺は目を瞑って、深呼吸を繰り返す。
王都で、最後の仕事だ。
「いま助けるぞ……待ってろよ」
―――『罰』という結末をミリアが望んでいたとしても、必ずこの仕事を成功させる。
体内魔力の回復は、まだ十分ではない。
魔法を発動しようとすると、指先に痙攣が走り、魔力の操作がおぼつかなくなる。
できるだけ魔力の消費を減らし、ミリアの元までいかなくてはならないだろう。
足元の置いた五つのナイフに、魔力を集中させる。
「『訊け、四大の四に連なる蒼き翼の追跡者よ』」
魔法の詠唱も、短縮させるわけにはいかない、魔力による筋力強化などももってのほかだ。
また魔力を枯渇させ、体が動かせなくなれば全てが終わりだ。
「『その叡智を以って、静寂に潜む忘失の箱を示し顕せ』」
風系統に依存する定式の魔法に、『探索』と『探知』を意味する魔法が存在する。
すなわち『鷹の目』と称される魔法だ。
俺がいつも使用する魔法のほとんどは自己流に組んだ魔法、すなわち固有魔法で魔法名などは存在しない。
だが、定式魔法は広域に知れ渡る魔法のため、魔法名、魔力消費量全てが魔術師の間で知られている。
定式魔法は詠唱文も決まっており、魔力消費に関しても固有魔法に比べれば少なくて済む。
「『我が従順なる追跡者よ、事象の蒼空を羽撃け』」
足元に置いた五つのナイフに、緑光が纏わり付く。すると、ナイフはひとりでに宙を浮き、俺の目の前で静止した。
俺は『鷹の目』の魔法に、違う魔法の重ねがけを行う。
「『風の導きよ。鋭き力の奔流を与え給え』」
刀身に纏わり付いていた緑光が更なる輝きへと昇華する。
魔法名は、『尖き風護』。俺はいつも無詠唱で使用する魔法だが、詠唱をしっかりと唱えただけあって、体の負荷は軽度だった。
俺は目の前に浮遊する五つのナイフに成すべき情報を付加した後、役割を命じる。
「『行けッ!!』」
瞬間、ナイフ達は、風を断ち切るような音を響かせて王都の至る所へ散らばり、翡翠の軌跡を残しながら飛び散った。
それを目で追い、一つ目のナイフが、ある地点へ降下したことを確認する。
刹那。
ドンッ!!と、数秒遅れて爆音がこちらに響いてきた。
見ると、建物から煙があがっているのが確認できる。
続いて、二つ目、三つ目のナイフが目的地へと到達。またもや王都を揺るがすような爆音が響き渡る。
四つ目、五つ目のナイフは、王都の外壁近くまで飛んでいき、
轟音と炎が夜闇を穿つ。
爆音が連続で響く中、俺はその様子を一人でじっと見つめた。
飛んでいったナイフは、魔女が提供した情報によって見出された、魔力の貯蓄箱だ。
魔女と結んだ契約によってクライスが秘匿していた研究所を訊き出し、それをミリア救出のために利用する。
(あの男から一本取るつもり?まあ、好きにやりなさい)
魔女のにやついた笑みが記憶の底から浮上して、舌打ちしそうになる。
―――全てを利用する。
あのクソ宰相に、このまま手のひらで踊らされる趣味はない。
しばらくすれば、この異常事態にリースが騎士たちを動かすだろう。
どこまでやってくれるかは分からないが、信じて計画を遂行するしかない。
火の手が上がる王都の五ヶ所を確認した後、屋根から飛び降りて目的地へと足を進める。
暗い路地の先にあったのは、黒ずんだ木々を立て掛けたような、崩れ落ちそうになっている木の家だ。
立て付けの悪い木の扉をゆっくりと開けて、中の様子を確認する。
中は物置のようで、使い古された農具が収まっている。
俺はその部屋の隅にあった大きな木の板をゆっくりと退かして、その下を確認した。
石の蓋の隙間から、風の音が聞こえている。
その石の蓋をなんとか手前に動かすと、そこには人一人分が入れそうな地下への階段が顔を覗かせていた。
ミリアが言っていた、秘密の通路。
騎士や衛兵にも見つからずに王城へ潜入するためには、どうしても、この情報が必要不可欠だった。
おそらくリースに確認しても、分からなかっただろう。
だが、あの時ちょうど、ミリアを監視していた男がディモンの店に現れてくれて好都合だった。
ミリアを監視していたなら、その秘密の通路らしき場所も分かるかもしれない、と。
(あ、ああ、そういえば、王都の外れにある汚い家にいつも出たり入ったりしてるところを見たな。……ほ、本当になんもしないんだよな?勘弁してくれよ……)
……リースに脅迫されたあの男には、悪いことをした。
あの後、俺たちのことは他言無用だと念を刺して仲間の元へ返してやったのだが、ずっと目を赤く晴らして鼻水を流していた。
……いや、もう考えるのはやめよう。
階段の先を降りてみると、狭い通路が王城の方角へと進んでいるのが分かる。
壁面は、なんと緑色に淡く光る苔が、俺の行く先を照らし出していた。
本来は王族の逃走通路のはずだろうが、平和なこの国に、この通路は不要か。
整備されている様子もなく、廃坑のような物寂しさが感じられる。
「通路の先がどうなってるか、確認する暇がなかったのがキツイな」
小さく呟いた声が、通路の先へと反響する。
―――今更、弱気なことを言ってどうする。
俺は、通路の先を睨みながら、砂の混じる石の通路に一歩踏み出した。
―――さあ、救出作戦開始だ。




