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義賊のマテリア  作者: 夕日
深き夜に識る
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深き夜に識る - 8 -


剣の軌跡が空を裂く。

鋭さを秘めた切っ先が縦に振り切られたところで、ゼエゼエ、と荒い息を吐きながら、その男はゆっくりと剣を下げた。


「……これで、素振り終わり。あとは筋トレと腕立て伏せと……なんだっけかな」


王都の外れにある、草木の刈られていない空き地だ。日当たりが悪く、この土地に住もうとする人間がいないため、ここを訪れる者はほとんどいない。


「ああ、あとはランニングか。午後から模擬訓練があるし……あと三時間でどのくらいできるかだな」


額から流れ出す汗を拭いながら、男はどさりと力が抜けるように地面に腰を下ろす。

午前中は座学があるらしいが、知ったことではない。あんなことを学ぶなんてバカのすることだ。実戦経験の少ない現状で、外に出る狼の討伐すらまともに出来る予感がしない。

そう思いながら、男は腰に下げていた水筒袋に手をのばそうとして、気配を感じる物陰に視線を移す。


「あのさ、わざわざ隠れてみるよりも、こっちに来て見てた方がいいんじゃないか?」


陰の差す路地の壁際から、人影がもぞ、と動く。こちらを注視する目が不機嫌そうに吊り上がった。

そこから出てきたのは、十代前半の少年だった。東洋人特有の黒い髪に、紫がかった瞳。頬の線は細くなり始めており、まだ成長途中の片鱗が垣間見える。

だが、その目も、口元も、こちらをずっと見つめ続けながら、ムスッとした表情を崩さない。


「ほら、挨拶は」


「……どうも、おじさん」


「おじさんじゃなくて、お兄さんな。俺だってまだ二十三……」


「あと数年も経てばもっとおじさんになる」


「……お前さ、もうちょっと年上に敬意払ってくれてもいいんじゃないかな」


はぁ、と息を吐いて男は立ち上がり、頭をガシガシと掻く。


「敬意もなにも、おじさん、おれよりも弱いし」


「ほう……そりゃあまた舐められたものだなぁおい……」


……どうしてこう、この少年といい、あの少女といい、俺のことを舐め腐っているのだろうか。

納得のいかない現状に、男は頭を押さえ続ける。


「おじさん、素振りよりも踏み込みの方練習したほうがいいんじゃないの。素振りしてるだけなら重心ずれてないけど、体動かすと気持ち悪いぐらいなってないし」


「お前は俺に説教するだけにきたのか、おい。俺だって分かってんだよ。だから体幹と筋力の増強をだな……」


「見た感じ筋力は足りてるでしょ。足りてないのは技術とか?おじさん物覚え悪いね」


「お前本当に一言多いな」


くそ……なんで俺が年端もいかない子どもにネチネチと説教されないといけないんだ。

舐められている。絶対に舐められている。

黒髪の少年はそういうと、空き地に無造作に放置されている大きめの岩に腰を下ろした。


「素振りは終わったから、あとは突きの練習と足の動かし方。ほら、早くやって」


「上から目線のお師匠様は、随分楽しそうなことで……」


筋トレと腕立て伏せは出来なさそうか……。

水を一口飲んで、男は突きの練習を開始する。

この少年と初めて会ったのは、二週間程前だっただろうか。

剣術の練習をしていたら、ずっと路地の物陰に隠れながらこちらの様子を伺っているのだ。

気になりすぎて声をかけてみたら、鍛錬についてこれでもかというぐらいのダメ出しをされてしまった。


一、二、三、と剣の重みを感じながら、虚空の先にいる敵を見据えるように、突きを繰り返す。

二十を超えたところで、男は不思議に思っていたことを、後ろにいる少年に確認する。


「お前さ、なんでいつも俺の鍛錬見に来てるんだ?親御さんとか心配しないのか」


三十、三十一……と声を出して突きを繰り返していると、その質問の答えが返ってくる。


「別に。暇だし。両親もいないし」


それを聞いて、男はしまったなぁと頭を悩ませる。

身なりからして、予感はしていたのだ。薄汚れた服に、質素な靴。頭髪もほとんど風呂に入っていないのか、ひどくくすんでいた。

……貧民街の住人だったか。


「……そりゃ、すまん」


「なんでおじさんが謝るのか分からないけど。余計なこと考えてないでちゃんと練習しなよ。重心がまたずれてる。気持ち悪いからちゃんとしてよ」


「えらいスパルタだな……」


話のネタを振りたいが、あんまり深掘りしていい話でもない。

小さな子どもが、まともに生きられない現実だ。王都の表と裏で、こんなにも格差は広がっている。


しばしの沈黙が流れ、突きの回数が七十を超えたあたりで、後ろから小さく声がした。


「……おじさんさ、騎士なんだよね」


不機嫌そうな口調だった。

男はその返答にYESを返す。


「まだまだ若輩者、だけどな。王都って平和すぎるだろ?できれば魔物とかと戦ってみたいんだけどな」


「いや、今のおじさんの実力じゃ大怪我するから。バカなの?」


「辛辣な返答、有り難いね。くそっ……」


ああ、後ろにいる少年の頭に拳骨の一発でもお見舞いしていいだろうか。


「……なんでおじさんは騎士になったのか聞きたいんだ」


「はあ、騎士になった理由ね……」


突きの回数が百を超える。

男は体の体勢を維持しながら、その理由について返答する。


「いやさ、ちょっと前に、お前と同じくらいの少女を引き取ったんだ」


「引き取った?なに、おじさんそういう趣味なんだ」


「ぶっ飛ばすぞ」


拳骨二発で許すから、その頭を差し出してくれないか。


「……ったく。元は貴族の末っ子だったらしいんだけどな。没落して捨てられて……そうしたら、その貴族と親密だった俺の家が、その少女を引き取ったってわけだ」


「へぇ、物好きな話だ」


「お前みたいな子どもが俺の説明で理解したことが衝撃だよ」


「よくある話でしょ。怪談話とかでもネタにされたりする内容だし」


「……お前、妙に大人びてるよなぁ」


なんというか、子どもと話しているというか、達観した価値観を持ち合わせた嫌な大人と話してるような感覚だ。


「まあいいや……そうしたら、親父たちがしきりにちゃんとした騎士になれ、ってうるさくなったんだよな」


「なんだそういうことか……つまらない」


そこで、少年は騎士になった理由について、全て察したようだった。


「おいおい、親から言われたからとか、そういうんじゃなくてな……なんつーか、そういう理不尽な出来事って、バカみたいじゃないか」


「……」


「……俺はさ、そういう辛いことってあんまり体験したことないから分からないけど、少なくともそんなの許されないって思うんだ」


「綺麗事だ。苦しい人の悲しみなんて、その人にならなきゃ分からないよ」


「まあそうだな」


当たり前だ。そんなもの、同情にしかならない。


「同情って言葉で汚したくないんだよ。俺はその悲しみを一緒に背負って、一緒に辛いって思って、笑顔になるにはどうすればいいか、考えたいんだ」


「……だから、騎士になるって?」


「騎士って仕事はさ、人を守る仕事だろ。冒険者とかは、どちらかって言うと自分のために戦う仕事じゃないか。だから、騎士になれば困ってる人たちの辛さを共有して、解決の道を探せるんじゃないかって思ったんだ」


俺はそう、つまるところ……


「つまるところ、俺は人が泣いてる姿を見たくないんだよ。笑顔であって欲しいんだ。不幸と理不尽に押し潰される姿を見たくない。それだけなんだ」


誰でもそうではないとは思っている。

辛いことを素直に辛いと言う人と、言えない人。

泣きたくても泣けない人は、たくさんいる。


「綺麗事だ……ただの綺麗事だよ」


少年が、小さく呟いた。

二百回を到達して、男は突きの練習をやめ、少年へと振り返る。


「だから、ずっと気になってたんだ。どうしてお前は、そんなに空っぽなんだ?」


「……関係ないよ、おじさんには」


「関係なくても、誰かに話せば楽になることだってあるんじゃないか?ほら」


俯きながら小さく呟くように声を発した少年に、男は手を差し伸べた。

だが、少年はその手を取ろうとせずに、男の横を通り過ぎる。


「……どうにもならなかったんだ。あの時に何をすれば、助けることができたんだろうって、いつも思ってる」


背を向けた少年は、微かに肩を震わせている。

先程までの棘のある雰囲気から、本来の子どもの背中に変わっていた。


「夢で何度もあの時のことが出てきて、頭がおかしくなりそうで……でも、これは罰なのかもしれない」


「………」


「……なんでもない。ごめん、おじさん。おれ、もう帰るよ」


地を踏む音が弱々しい。

路地へ立ち去ろうとする少年の背中に、男は力強く叫んだ。


「俺さ、騎士団長を目指してるんだ!騎士たちの一番上に立って、人を助け、王都の笑顔を守る組織にしていきたいんだ!」


少年の足が、止まった。


「だから、約束する!俺は騎士団長になって、王都の皆を、貧民街の皆も全員が笑顔でいられるような王都にしてやる!だから……!!」


大きく息を吸い込んで、男は絶対的な覚悟で告げた。


「そんなに悲しむな!俺が絶対に助けてやるからな!」



響き渡った声。

反響する音。


少年はそれを訊いた後、急ぎ足で路地へと消えていく。


過去の残影と、覚悟の残滓。







それは、叶うはずだった願い。


今を否定する、過去と現在の乖離。



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