深き夜に識る - 7 -
何もなかった空間から実体を持つように、白い机の上に紅茶とシフォンケーキが現れる。
俺はそれを見ずに、目の前に座る魔女を注意深く見つめる。
「そんな警戒しなくても大丈夫よ。悪いようにはしないわ」
「一つ確認したい」
「あら、なにかしら」
シフォンケーキにフォークを突き刺した魔女は、こちらを興味深そうに見つめ続けている。
「もし俺が、お前に『ミリアを助けだしてくれ』と願えば、その願いを叶えてくれるのか」
「分かっているのに、そんな質問をするのね。答えはNOよ」
「だろうな」
その返答は識っていた。
「なぜ、と聞き返さないのね」
「お前は『観測者』なんだろ。情報を溜め込むために存在してるっていうんなら、結果そのものに関わるような願いを聞かないと思ったんだ」
観測者故に、進んだ干渉はしない。ミリアの願いを叶えたのは、その存在そのものがイリーガルだったから。
ミリアを助け出すという願いは、明らかに過干渉なのだろう。
「アインから推察したのね。その通りよ。世界の事象そのものに干渉するような願いは聞き入れられないの。彼女が幽閉されたという事象を私の力で変化させると、他の事象に揺らぎを与えてしまう可能性があるわ」
にこりと微笑んで、一口大に切ったシフォンケーキを頬張った。
この魔女は、現状況を総て理解しているのだ。
「だがアインも……アンタも、俺に干渉し続けている。それは問題ないのか」
そんなこと、とでもいうように魔女は机に肘を置いた。
「私は少しも干渉してないわよ。干渉が好きなのはあの子、アインだけ。貴方の行動を強制化するなら『事象の揺らぎ』は発生してしまうだろうけど、私もアインも、貴方にただ助言をしているだけ」
「物は言いよう、だな。アインが『内』と『外』の観測者なんて言ってたな。どういう意味なんだ」
「ご想像にお任せするわ。私たちの仕事について知りたいようだけど、アナタが望むのはそうではないでしょう?」
魔女は長い足を組み直して、俺ににやりと笑った。
「約束してしまったものね。貴方の願いを叶えるって。一度交わした約束は忘れない主義なの。さあ、アナタの願い―――『ミリアを元に戻す』ための対価を見せてちょうだい」
やれやれと思う。
どこまでも、人を小馬鹿にするような態度を崩さない。
俺は無表情に、腰に提げていた《魔剣》を机の上に置いた。
「【砂上の傷跡】はどうだ。これ以上、俺が大切にしているものを差し出すことは出来ない」
「父親の形見ね。確かに、差し出せるものはそれぐらいよね」
面白おかしそうに笑う魔女。
俺はその様子を、ただただ無表情に見つめていた。
「でも残念。私はその《魔剣》の『矛盾』をすでに識っているの。だからこれは対価にならないわ」
「……」
「言ったはずよ。彼女が払った対価と、同等の対価を貰わなければその願いは叶えられないって」
ミリアが払った対価。それは『ありえない力そのもの』だ。
おそらく、矛盾の力を内包する《魔剣》を差し出しても、ミリアの対価には遠く及ばないということは、分かっていた。
そのまま面白そうに笑っていた魔女は、俺に【砂上の傷跡】を突き返した。
「これが現実。貴方が持っていたものは、何もない。空虚な存在。虚実の正義。それが、アナタの正体」
嗤い続けた魔女は、椅子から立ち上がった。
「交渉は決裂よ。せっかくの茶会も、また無駄なものになってしまったわね。さて―――」
「随分と喋るじゃないか、深遠の魔女。全てを識っているっていうのは、嘘なんだな」
俺は魔女の言葉を牽制し、魔女の姿をその目で見つめ貫く。
「……なんですって?」
「アンタが知ることが出来るのは、『世界の事象』と、『人間の情報』だけ。人間の感情と気持ちは理解できていないってことだよ」
顔をしかめた魔女は、その場でただ立ち尽くしていた。
そして、高らかに笑う。
「面白いわね!見抜かれる立場である者が、私を見抜こうというのね!いいわ!面白いじゃない!」
そういうと、魔女はまた席に座って、俺に顔を近づけてくる。
「アナタが言いたいこと、聞いてあげるわ」
さぞ、面白いおもちゃを見つけたとでも言うように、興味という輝きを秘めた顔で俺の言葉を待っている。
「俺がここに来たのは、『ミリアを元に戻す』という願いを叶えるためじゃない」
「へぇ、そういうこと。なら、なぜここに来たの?」
一呼吸置く。
ミリアを救うために、俺は全てを利用する。利用できるものは全てだ。
「アンタには、俺の情報屋になってもらう」
空間に木霊した俺の声は、ゆっくりと静寂に呑まれていった。
続いて聞こえてきたのは、魔女の押し殺すような笑い声だった。
「アハハハッ!いいわね!深遠の魔女である私を―――『世界の観測者』である私を、顎で使おうというのね!」
「ミリアを救うために、そしてミリアを元に戻すために、その情報を俺に伝達する存在になってもらう。それが俺の願いだ」
「彼女を自分の力だけで戻す。私の力で戻すことは諦めたの」
不敵に笑う魔女に、俺は憎しみを込めていった。
「確かに、俺は最初、可能だと思っていた。確信があった。アンタに、異質を含んだ吸血鬼であるミリアをそのまま元に戻してもらえば、全てがなかったことになるってな。だが、それは不可能なことだと、今分かった」
「……へぇ、なぜ?」
「ミリアをこの世界に許容させるために、本を編纂したって言ってただろ。つまり、あの本はミリアの命そのものだ。もし、ミリアをまた元の存在に戻すとなれば、あの本は破棄しなくちゃいけない。だが、その本を破棄した瞬間に、ミリアという存在は消える。違うか?」
『本』という命。それを、この魔女はこの空間で管理している。
もしその『本』が消えるとき、どうなるのか。
俺は、その結果を確信を持って答える。
魔女はそのまま押し黙る。
そしてまた、高らかに嗤った。
「まさか、見抜かれるなんて思わなかったわ!私の『虚実』を見破るなんて、やるじゃない!」
堤防が決壊したかのように笑い続ける魔女。
俺はその姿を、ただ見つめていた。
やがて収まってきた笑い声は、静寂の空間に飲み込まれた。
そして、魔女の口から、言葉が小さく漏れだした。
「……分かったわ。私を見抜いたことに免じて、その願いを許容しましょう」
そういうと、魔女は人差し指を突き出す。
そこから迸った極光が、俺に纏わり付いた。
「でも良いのね?それはつまり、私の『下僕』になるという意味よ。他の対価も必要になるわ」
「対価の内容を教えろ。お前の下僕になることは覚悟してきた、対価についても全部払ってやる」
指先から迸る光は、そのまま俺の周囲を回り続けていた。
「対価は三つよ。一つは私の下僕になるということ。そして二つ目は、『呪い』ね」
「呪いだと……?」
「ええ、『貴方にとって呪いになるべきモノ』を与えるの。そして、三つ目は……」
光が増大していく。
その瞬間、やけどのような痛みが、首筋に走る。
熱が、全身を覆い尽くしていく。
「貴方が、永久の『必要悪』であり続けることよ」