深き夜に識る - 4 -
◇
「ここは良いところですね」
聖堂内の一室で、リースは辺りを見回して、無表情にそう言った。
部屋の中を見渡しても、あるのはボロボロの固いベッドと、古びた木の椅子と机だけだ。無機質な部屋の中に、生活感など感じられない。
……聖堂内にいた者たちは、今何をやっているのか。リースが聖堂の一室を借りたいと申し出た後、彼らは聖堂に立ち竦んだままだった。
騎士が貧民街に来ているという異質さも相まって、彼らは見守ることしかできなかった。
「素晴らしい嫌味、痛み入るよ」
「嫌味などではなく本心です。騎士の宿舎は周りの視線が煩わしくていけません。一昨日は宿舎の自室に帰ってみたら机がバラバラに解体されていましたよ」
「……アンタ、副団長として信頼されていないんだな」
「信頼など、ありえませんね。命令は聞いてくれますがその報復は決まって発生するので、こればかりはどうしようもありません」
あっけらかんと答えるリースに、頭痛を催しそうになる。
どれだけ騎士たちのストレスに悩まされているのか、想像に難くない。
……貧民街の問題と対して変わらないんじゃないかそれ。
「……どうしてそこまで腐りきってるのに、騎士を続けていられるんだ。うんざりしないのか?」
騎士という存在意義も、確実に薄れている。他国からの侵略、戦争のない国の運命とでもいうべきか。
絶対的な死という場面を経験していない彼らにとって、騎士はただの「仕事」なのだろう。
ヘリク団長が恩人であったとしても、限度というものがある。
俺はリースの向かいに座って腕を組む。視線を合わせるも、リースの表情はまったく揺らぎを見せなかった。
「では逆にお訊きしますが、貴方はなぜ義賊を続けていたのですか?」
返ってきた言葉に、眉間に皺を寄せる。
「聞いてたはずだ。あの騎士団長に復讐するために、義賊になったってな」
「それは、すでに達成されたはずでしょう。クライス様の屋敷で、ヘリク団長を下したあの瞬間に」
「たしかにアイツに勝ったことは事実だ。だが、あの男は未だに解っていない」
「貴方が伝えようとした意味が、あの方に伝わったかどうかではありません。復讐と称するならば、ヘリク団長に屈辱を与えることが、貴方の目的のはずです」
そう言われた瞬間、俺は言葉に詰まる。
リースは俺と交わす視線を逸らすように、僅かに顔を下に向けた。
「……ヘリク団長を嫌っていた理由は分かります。私も、あの人があんなことになっているのは不思議に思っています。まるで以前の面影がありません」
ヘリクを自身の恩人と称したリースもまた、その異変に気づいている。
それでも、自分ではどうにもならないことを、嘆いているようだった。
「貴方が義賊として成そうとしたのは、復讐ではない。以前のヘリク団長に戻って欲しかった。ただそれだけではないのですか?」
そう言い放ったリースに、俺はたまらず舌打ちした。
「有り得ないな。つまらない考察だ」
「そうでしょうか。自身の感情の変化に鈍くとも、他人の感情の変化については鋭いという自覚があるのですが」
リースは机に置かれていた薄い紅茶を手にとって、一口飲んだ。
「それに、貴方が【漆黒の風】であることを彼らに暴露したのも、何か理由があるのではと思ってしまうのです」
「………」
この少女は、本当に鋭い。
俺の動揺を、その両目で見極めている。
「エルク、と言いましたか。貴方を信頼している、あの少年」
「エルクが……なんだ」
「【漆黒の風】であることを暴露し、あの少年の憧れと夢を砕こうとした。その行いは、貴方がかつて経験したものをあの少年にも突きつける行為です。なぜ、そのようなことをしたのですか」
「……やたらと【漆黒の風】の話を訊きたがるな。意味なら聞いていただろう。この貧民街と決別するためだ。それ以上の理由なんて有り得ない。エルクを突き放したのも、『俺』という存在に押しつぶされないようにするためだ」
「……嘘がお上手で、感心しますね」
そこで、俺への追求が止まる。
ふぅ、と息を吐き出したリースに、俺はすかさず確認する。
こんな無駄な問答に熱中するほど、暇ではない。
「【漆黒の風】について話にきたわけじゃないだろ。さっさと話してくれ」
「……まあ、確かに時間もありません。貴方の『矛盾』を解くよりは、そちらの方がいいですね」
その前に、とリースは言葉を切る。
「まず初めに教えて頂きたい。なぜ貴方が、あの方の名を知っているのか」
……普段なら、このようなミスは犯さない。
下手なことを言うよりも、寡黙に生きることを信条としていた。
……が、妙な胸騒ぎは、ずっと続いているのだ。
心の奥がざわつく、嫌な感覚がずっと。
俺は順を追って、リースに事の次第を教えた。
ミリアといつ会ったか。
ミリアと協力し、何をしたか。
そして、ミリアが魔女と取引をして自身の存在を改変し、吸血鬼になったことを。
俺がその全てを話すまで、リースは無表情のままじっと話を聞いていた。
一通り話した俺に、リースは深くため息を吐いた。
「……まったく……本当にあの方は無茶をする」
その両目に、微かに揺らぎが生じた気がした。だが、すぐになんの感情も表さない表情に戻ると、リースはその場から立ち上がった。
「本来なら、ミリア様は罰せられなければなりませんね」
「……ああ、王族が盗賊の支援なんて、バカげた話はないけどな」
「その通りです。そして魔女、吸血鬼への変貌、ですか……」
「信じられないのは分かる。だが、アイツに噛みつかれたときに首にできた魔法陣のせいで、吸血鬼の力の片鱗を受け取っている。信じられないような治癒能力と……ミリアからの絶対的な命令に従わなければいけない誓約だな」
俺は首筋にあるだろう魔法陣に触れる。
吸血鬼によって授けられる下僕の証は、俺に高い治癒能力を与えていた。
「なるほど。ですが……それならばミリア様の異変にも納得がいきます」
森に住む魔女なんて話を素直に信じて貰えるとも思ってもみなかった。
だが、ミリアの護衛である彼女も、その変化を感じ取っているのか。
「……単刀直入に言いましょう。昨日の朝、ミリア様の自室で大量の血痕が見つかったのです」
「血痕?ミリアの自室でか?」
「ええ。私はもちろん、王や侍女の方々はそれがミリア様の血だと思い、慌てて彼女の安全を確かめようとしました。しかし、その後、ミリア様が自室に戻ってきたのです」
昨日の朝、というと俺がエトワール大森林でクライスと戦った後ぐらいか。
ミリアはあの後目覚めて、王城に戻ったことになる。となれば、それはミリアの血痕であるはずがない。ミリアの自室に残っているのは、かなり不自然だ。
「普通ならば安心するところですが……問題がありました」
「問題?」
リースは一瞬迷うように口を閉ざしたが、すぐに言葉を続けた。
「ミリア様の瞳が、真紅に染まっていたのです」
真紅に輝く、瞳。
それは、ミリアがある存在であることを示唆している。本来ミリアの瞳の色は白銀だった。すなわちそれは……
「ミリア様の自室に現れた『彼女』は、吸血鬼だった。……いえ、吸血鬼が『ミリア様を殺害し、その姿を模倣した』ということを意味していたのです」
―――何を言っている?
リースの言葉に、俺は戦慄した。大量の血痕、真紅の瞳。その全てがミリアの正体が何者なのかを意味している。
だが、それがまさか「ミリアの姿に形を変えた吸血鬼」であると結論付けるなんて。
「待て……そんなバカみたいな結論をお前は認めたのか?」
「認められるはずないでしょう。ですが、そこに王妃であるメルディア様が現れて、ミリア様が吸血鬼に殺されるのを見たと仰られたのです。結果、吸血鬼である『ミリア様』は逃亡、騎士たちがその後を追って彼女を捕縛したのです」
王妃が、全てを証言した、と?
ありえない。ありえるはずがない。
話が、噛み合わない。
「ふざけるなよ……!王妃はミリアを連れ戻しに来たと言っていた!吸血鬼であることを知っていて、なんで王妃は……」
「……貴方はミリア様が捕縛されるところを見ていた。私に回ってきた情報は、『吸血鬼を捕まえた』というものだけでしたから。……それに、今理解しました。なぜ黒髪の少年を捕まえてくるように命令されたのか」
なんだ。
話がおかしい。話が見えない。
頭の中を駆け巡る情報を、なんとか整理しようと試みる。
吸血鬼がミリアを殺害したと王妃は証言した?それならば、あのとき王妃がミリアに言っていた言葉は……?
「メルディア様は、吸血鬼を投獄した後に、もう一人、ミリア様の殺害に加担した人物がいると仰られました。貧民街出身の黒髪の少年……おそらく貴方のことでしょう」
「―――!!」
あらゆる情報に、何かの綻びを感じる。
俺は頭を押さえながら、その混沌とした状況に頭痛を覚えていた。
だが一つ、その矛盾を解決する光景が脳裏をよぎる。
―――王妃に怯えるように肩を震わせていたミリアの姿。
それが意味する本当の解が得られる予感がした。
「……そのせいで、騎士たちが俺を捕まえることに躍起になっているってことか?」
「はい。貴方を捕縛した暁には、メルディア様から褒賞が与えられるそうですよ」
「それを聞いて……おかしいと思わなかったか」
リースの表情に陰が差す。俺の言葉に、首を横に振った。
「先程から言っていますが、思わないはずがありません。そこで私は、その黒髪の少年について心当たりがあることを思いつきました。貴方と接触できるかどうかは賭けでしたが、なんとかなりました」
「……」
やはり、この少女は普通の騎士たちとは違う。自分の意思を持って行動している。
それは当たり前のことだが、騎士という立場で命令に背く覚悟をしているあたり、本当に騎士団という組織を嫌っているようだ。
「……それで、協力してほしいことってのはなんだ?」
そう聞いた俺に、リースは目つきを鋭くする。
「冗談はやめていただきたいですね。ミリア様の救出に決まっています」
「……まあ、だろうな」
お前の冗談も全く笑えたものじゃなかったろうが、と口走りそうになったが、こんな場面で雑談に戻るほどバカではない。
「お前から言ってみたらどうだ。ミリアは吸血鬼になった。牢獄に入っているのは、正真正銘お前の娘だ、ってな」
「笑えない冗談が多いですね。そんな話を、彼らが信じてくれるとでも思っているのですか」
「なら、なんでお前は信じたんだ。【漆黒の風】という絶対に信じられない存在から言われた話を、純粋に信じた理由はなんだ?」
「一番身近な存在であった者に、裏切られたと思われたくないからです」
きっぱりと、言い切った。
俺はその返答に、しばし唖然とする。見た目は無表情で感情を表に出さず、冷徹な印象を受けるが、しっかりと『自己』を確立しているのだ。
「ミリア様のお気持ちを理解できなかったのは私の責任でもあります。私は『ただの護衛』ではいけなかった。『理解者』であるべきだった。……過ちを犯した後に、更なる後悔を生むわけにはいきませんから」
「……」
後悔、か。
「……ミリアは牢獄に閉じ込められているんだよな?その場所は分かってるのか?」
「その返答は、承諾していただいたと思っても?」
「正直、協力者がいないとどうにもならない状況だったのは俺も同じだからな。利害は一致してる」
それを聞いたリースは、微かに目を見開く。
「……ミリア様のために、貧民街と決別することを覚悟していた、と?」
俺がなぜ、貧民街の皆に【漆黒の風】であることを打ち明けたのか。
リースはたった今、それに気づいたようだった。
「……いいか、リース。よく聞け」
俺は無言で佇むリースに、殺気を込めてこういった。
「アイツのために、俺はもう『義賊』であることはできない。だから俺はガキの頃に戻る。ミリア救出の妨げになる奴ら全員血祭りにあげてでも、アイツを助ける覚悟はできてる」
リースが息を呑んでいるのが分かった。
『義賊』という枷で見せることはなかった全力の殺気を、俺はリースに叩きつける。
「……その目。今接していた貴方という人物が、別の人物に置き換わったかのようですね」
リースは一度目を瞑り、覚悟を決めたように俺に呟いた。
「ミリア様のことを大切に思っているのは、貴方だけではありません。……私はまだ、あの方に文句の一つも言っていないのですから」
リースの瞳に宿る灯火もまた、絶対に揺らがないものだった。
俺はリースに向けていた殺気を消し、椅子の上で腕組みをする。
「……王女の次は、騎士と共闘か。笑い話にもならないな」
「笑い話になるように、全力を尽くさなければいけません。……それでは、救出方法の話し合いといきましょうか」
「ちょっと待て、その救出方法ってのは考えてなかったのか?」
今から会議を、とでもいうようにまた椅子に座り直すリース。
コイツ、結局何も考えてないんじゃないか?
「貴方を騎士に変装させて王城に忍び込ませることも考えましたが、あまり現実的ではないですね」
ミリアが提案した内容もまったく現実的な計画ではなかったが、お前もか。
「……はぁ。それなら、協力してくれそうな奴に頼みに行くか」
「他に協力者がいるのですか?」
「ああ……騎士たちに会わずに大通りまでいけるか不安だけどな」
もしかしたら、協力を拒否するかもしれないが。
少しでも、救出の可能性を見いだせるように、使えるものは全て使わなければいけないのだ。
……『義賊』という仮面を剥ぐ以上、アイツとの契約も終わりだな。