深き夜に識る - 3 -
全員から注がれる視線が、驚きか。それとも非難か。……その全てか。
「……エルク、お前は俺を憧れの存在だと言った。だが、現実は簡単にそれを揺らがせる。俺はな、尊敬されるべき人間じゃないんだ」
驚きと、困惑。
その両方が入り混じった表情で、エルクは硬直している。
「……なんで」
聞こえたのは、少女、リオの方からだった。
「……なんで、そんなこと言うの?アル兄は、ずっと私たちを助けてくれてたんでしょ?衛兵に追われて、もしかしたら死んじゃうかもしれないのに。だったら私はアル兄を―――」
泣き出しそうになっている少女に、胸がずきりと軋む。
助けていたという事実は、確かに変わらないだろう。
しかし、
「軽蔑しない、か?……リオ、俺はな、貧民街を助けるために義賊になったわけじゃなかったんだ。俺が望んでいたのは、『復讐』。あの時、俺が見出した希望を簡単に裏切った男に、復讐するために」
「ふく……しゅう?」
そう、復讐だ。
あのとき誓った約束を、簡単に裏切った『あの男』を見返すために、俺は義賊になった。
「俺は、ガキの頃その男と約束をした。王都の皆を、貧民街の皆も全員が笑顔でいられるような王都にするってな。その未来を信じて……俺はそれを拠り所にして生きていくことにした。いつか、その男の隣に立って、その理想を叶えるために手伝えることはなんでもしたいと」
そう、あのとき見出した希望は、俺が辿るべき道標を鮮明に染め上げた。
「だが、現実は非情すぎた。王都内に広がる闇は、簡単に拭い去ることなんてできなかった。それから二年程経った後、その男が自分の『第一の夢』を叶えたことを知った。とても嬉しかったさ。自分のことのように喜んだ。だが、その後半年経って、俺は城下町でその男を偶然見かけて―――目を疑った」
「……なにがあったんだよ」
ベルガーは、俺の言葉を静かに聞いていた。
俺が言葉を切って沈黙していたためか、話の続きを促そうと俺に語りかける。
「……まるで、別人だった。俺との約束を忘れてしまったんじゃないかってぐらいに。体に宿る熱の全てを奪われたように、ただ空虚だった。自分に任せられた仕事だけを行うような、ただの人形になっていた」
「……」
「バカな、とは思ったんだ。自分の理想を俺のような子供相手に、熱心に語っていたのに。だから俺はそいつの肩を掴んで引き止めた。話しかけたら、なんて言ったと思う?」
「アルお兄さん……もういいよ、やめて……」
「『どこかで会っただろうか?』って言ったんだ。……俺の顔なんて覚えていなかった。そのとき分かったんだ。俺との約束なんて、ただの子供の戯れ言だと思っていたってことが」
「アルお兄さん……ッ!」
「だから、俺はアイツに知らしめるために義賊になった。あの男に……『正義』を語り、騎士団のあり方を遂行する……あの騎士団長に、そんな『正義』では誰も救えないことを知らしめるためにッ!」
心臓が張り裂けそうに鼓動を打つ。
耳のすぐ横に心臓があるかのように、血液の巡る音と脈動がこびり付いている。
右頬に感じる熱の線。すかさずそれを拭う。
必死の形相で俺に手を伸ばそうとしているエルクから、俺は一歩遠ざかる。
「だから……皆、俺を恨め。子供の我儘で義賊になった俺を罵倒してくれ。……エルクも俺を追うな。俺を自分の影として取り込むな。お前はただ前を見て、自分の成すべきことを見出してくれ」
それが、俺に向けられるただ一つの、貧民街からの『感謝』だった。
エルクは拳を握りしめて、俺にじっと視線を向けていた。
「できるわけないですッ!なんで……なんでそこまで自分を貶めるんですか!ボクが憧れたのは、義賊であるお兄さんじゃないッ!ボクは……ッ!」
「……話は終わりだ」
沈黙が、嗚咽が入り交じる聖堂内。
もう、十分だろう。
俺は聖堂の入り口へと歩き出す。
「俺を受け入れてくれたことは感謝してる。でももう、俺はここの『家族』ではいられない。……皆を騙していたことも、貧民街の名を使って義賊を続けていたことも許されない」
「……アル坊、お前は……」
「婆さん、長い間世話になった。……じゃあな」
皆が声を出せないでいた。聖堂内に満ちた重苦しい空気が、俺の体中を蝕み続ける。
聖堂の扉に手をかけようとして、俺はその場で硬直する。
入り口の扉が―――僅かに開いている。
「……誰だッ!」
扉の向こうに感じる気配に、俺は腰に隠し持った短剣を掴んで扉を蹴破った。
飛び出した先にいた小柄な人影は、俺の急襲に即座に対応して、腰から提げたレイピアを最小限の動作で抜き放つ。
朝霧を裂くように伸びてくるレイピアの一閃をいなして、俺はその懐に飛び込んだ。
その人物は、無表情のまますぐに体を捻って俺と距離を取る。と思ったら、地面を蹴って俺との距離をまた詰めてきた。
交差する鉄同士の高い音。
再び接近した俺はその喉元に短剣を突きつけると同時に、そのレイピアが俺の首元に突きつけられる。
動から静に転じた両者の動きは、そのまま膠着状態へと変化した。
「まさか……貴方が【漆黒の風】とは思いもよりませんでした」
「盗み聞きなんて騎士のすることじゃないな。どうやって貧民街に入ってきた」
「正面から、私一人でですよ。貴方がヘリク団長を嫌っていた本当の理由を聞くことができて、正直嬉しく思います。武器を下ろしては頂けませんか。私がここへ来たのは、貴方と争うためではありません」
「ほう……だったらどんな理由でここにきた」
「以前話した銀髪の少女のことで、お話があるのです。貴方が【漆黒の風】であることは誰にも言いません。むしろ、【漆黒の風】だというならば貴方には協力して頂きたい」
「……ミリアのことで、協力だと?」
そう漏らした俺の言葉に、彼女の眉が微かにピクリと動いた。
「……なぜ、貴方がその名前を知っているのですか」
相手がどう動くか睨み合っていたが、そこに敵意が無いことは殺気で分かる。俺はともかく、副団長リースはこの場を血で汚そうとはしていない。
俺は喉元に突きつけた短剣を下ろして、懐にしまい込む。
それを見たリースもまた、レイピアを下ろして息を小さく吐き出した。
目の前で起こった一瞬の攻防に、聖堂内にいる者たちは唖然としたまま硬直している。
踵を返して、俺はリースを睨みつける。
「話は別の場所でする。俺の店まで来い」
「いえ、それはやめておいた方が良いと思います」
「……なぜだ?」
「騎士たちが、貴方の家の前で警戒しているからです。現在、貴方は騎士たちに指名手配されているようなものなので」
「何っ……!!どういうことだ!?」
「それもまたお話します。ですから、この場をお借りしたい。貧民街の調査は私一人で行うことにしているので、他の騎士が来ることはありません」
無表情で紡がれる言葉に、嘘がないとは言い切れない。
だが、ミリアのことで話があるとは、何かが起きている証拠だろう。
「詳しく話してくれ。一体、何が起こってる?」
俺の問いに、リースは深く頷いた。




