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義賊のマテリア  作者: 夕日
深き夜に識る
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深き夜に識る - 1 -


ある憧れがあった。

あまりにも眩しく、あまりにも遠く、そして近い。それでも、俺はその憧れに近づきたいと思っていた。

最初の憧れは、親父の背中だった。

いつも笑って俺をからかいながら、戦となると表情を変え、その最前線に立って、多くの兵たちに希望を与えていた。

なぜ、彼は傭兵なのか。あれほどの力があれば、王からの信頼をもらい、将軍という地位にも登り詰めることができるはずなのに、と戦の兵たちからは不思議がられていた。

そしてその時、思ったのだ。


親父がそうした地位につかないのは、もしかしたら俺のせいではないのか。


いつも親父は言っていた。

お前には、色んな景色を見せてやりたい。異郷の地の景色も、そこに住まう人々も、お前に見せてやりたいんだ、と、


親父の本心は、おそらくそれだけではなかったとは思う。傭兵として活動する他に、親父にはやらなければならないことがあったからだ。

―――それは、誰にも言っていない、親父と俺だけの秘密だった。


だが、それでも、ガキだった俺は、自分のせいで親父に自由なことをさせてやれないと、大人びた子供の感情を持ちあわせてしまっていた。


だから俺は、努力した。


親父の仕事を手伝えるように。戦いの大地へと歩を進める親父の背中だけを見てはいられない。

その時から俺は、親父に戦いについて多く教えてもらったのだ。


剣の使い方について。槍の使い方について。魔法について。親父の補助ができる、風系統の魔法について。

どんなにつらくても、どんなに泣きたくなっても、親父の傍にいたかった。親父に認められる存在になりたかった。


だが。


親父は、死んだ。

大量の血を腹から流し、何度も吐血する親父の姿に、俺はただ呆然とするしかなかった。

徐々に失われる瞳の光を見ながら、親父は何度も、「ごめんな」と、俺に謝っていた。


―――どうして、謝った。

どうして、親父は俺に謝ったのだ。

全て、俺のせいじゃないか。

俺がもっと強ければ、親父を助けられたかもしれない。盗賊たちの奇襲に気づけたかもしれない。

それなのに、なぜ謝る。

謝るべきは、俺だ。俺だったのだ。


後悔と共に、俺の中にあった親父の面影が消えていく。

そして、喪われたものを認識したとき、俺の『憧れ』もまた、死んだ。


これまで受け継いでいたもの全てが、虚無という闇の中に引きずり込まれて消失する。そんな感覚を、親父の死体に寄り添いながら味わうことしかできなかった。

無力と、達観と、失意と、絶念。


しかし。


王都へ貧民街へと流れ着いた後、俺はまた、憧れを抱ける者を見出した。

けれども、それも一瞬だけだった。

見出した希望に、簡単に裏切られたのだから。


もはや、希望という言葉は、世界に存在しないと諦めていた。

故に俺は、それに抗うために―――裏切られた復讐のために、義賊となった。

誰も希望を与えてくれないのならば、誰もそれから目を逸らそうとするなら、俺がその泥を被ってやる、と。


俺が希望を見つけるための『旗』となって、それを成し得たとき、その泥の奥底へと沈み、消える。

そう、覚悟した。


―――俺は、その希望を見つけることが……できたのか?



考え込んでいた意識が浮上し、夢と現実の狭間で、俺はゆっくりと目を開いた。

真っ暗な裏通り、そこにある木箱に寄りかかりながら、俺は覚醒した意識を確認するように目を二度瞬かせる。


体内魔力の急激な低下によって起こる、体の異変。宰相の屋敷に忍び込んだ時と同じように、俺の体は全く動かなくなっていた。

裏通りの狭い隙間から覗く淡い月光が、俺の半身を照らし出す。

冷や汗に濡れた前髪が額に張り付き、体を伝う汗もひどく不快だった。


背を振るわせるミリアの映像が、脳裏から離れない。

王妃が、なぜあんなところにいたのか。そもそも俺は、王妃はすでに死んでいるものだと思っていた。

しかし、今思ってみれば、ミリアがどこまで本当のことを話したのかも不明だった。王族の墓、エトワール大森林の奥。

どこまでが正しい情報で、どこまでが間違いなのか。

ミリアには……もう会うことは出来ないだろう。下僕は吸血鬼の命令に背くことはできない。どんなに抗っても、その絶対命令は俺の体を文字通り呪縛しているのだから。


「お……お兄さん?」


ふと、小さな声が聞こえた気がした。

声がした方向へと、視線だけを動かした。


俺よりも、頭二つ分ほど小さい体、黒の混じる青髪。こちらを見据える瞳もまた、深い青。

ミリアが貧民街で治療した、あの少女の兄だ。

両手で、紙袋に包まれた何かを持っている。よく見てみると、その袋からパンの切れ端が飛び出していた。

もしかしたら、エルナの店から拝借してきたものか。


幼い双眸が、驚きに見開かれている。


「ああ……元気にしてたか?」


脱力感が拭えず、頭に思い浮かんだ言葉をただ口に出すことしか出来ない。


「げ、元気にって……!!どうしたんですか!?どこか具合が……」


「心配するな……ちょっと頑張りすぎただけだ……」


「頑張りすぎたって……ッ!?血……血がッ!!」


「いや……これも問題ない。もう傷は塞がってる。服を洗うのが面倒だな……」


「なんでそんなに呑気なんですか!と、とりあえずここで待ってて下さい!すぐにみんなを呼んできますっ!」


手に紙袋を持ちながら、路地裏へと消えていった。

と、そこで服そのものが後ろからばっさりと斬られて使い物にならなくなっていることに気づく。

俺はたまらず小さく笑う。


この脱力感は、きっと、魔力の過剰使用によるものだけではないだろう。

ミリアをもう救うことができない、自分の力不足を嘆く、絶望の鎖のせいだ。


数十分ほどすると、路地裏の奥から複数人の足音が聞こえてきた。

そちらへ視線を向けると、老朽化した聖堂で婆さんたちと話し合いをしているいつもの奴らが俺に駆け寄ってくる。

俺はそいつらに肩を貸してもらいながら、大聖堂へと歩を進めた。


「アルト……お前、一体何があったんだ?」


そう聞いてきたのは、子供たちの面倒を見ている二十代の男だ。


「少しヘマをしたんだ」


「ヘマっていうレベルじゃないだろ……とにかく、婆さんに治癒魔法かけてもらうぞ」


「………」


小さく嘆息する。

こんな言い訳でこいつらが納得しないだろうが、全てを話すつもりなどない。

俺自身の問題だ。


「アル兄……」


「……そんな心配そうな顔をするなよ」


「でも……血がいっぱい……」


「見せかけだけだ。そんなに血なんて出ていないしな」


……背中の傷は塞がっているとはいえ、服にこびりついている血は、どんなものになっているのか。

とりあえず、リーザ婆さんと会った時の言い訳も、考えておかなくては。

見えてきたボロボロ聖堂の中に入ると、険しい顔をしたリーザ婆さんが出迎えてくれた。

俺の様子を見て、眉間に皺を寄せている。


「奥の部屋に運ぶんだ、いいね」


短くそう言うと、リーザ婆さんは保管庫に向かっていく。

俺はそのまま皆に支えられて、奥の部屋のベッドにうつ伏せに寝かされた。


と、すぐにリーザ婆さんがドアを開いて部屋に入ってくる。手に薬草や治癒に使う薬品を持っている。

その場にいた全員に部屋から退室するように言い渡して、ベッドの脇にある椅子に腰掛けた。

若干渋々といった感じだったが、俺を支えてくれていた二人が部屋から退室する。

静かになった室内が、逆に煩わしい。あいつらのぎゃあぎゃあと騒ぐ声でもあれば、この重苦しい空気も振り払えるのだが……。

近くあった棚の上に薬草と薬品を置いて、一拍間を置いた後、リーザ婆さんは口を開く。


「ひどい血だ。この血で傷一つないってのは、どういうことなんだい」


人の健康状態に詳しいリーザ婆さんには、隠し通すことはできないだろう。


「……知り合った奴に、治癒魔法をかけてもらったんだ。それで傷はもう塞がってる」


「治癒魔法で、ね。こんなに出血がひどい傷を、治癒魔法一つで治せるなんてどんな高名な魔術師だ」


「……」


「いいかい、こんな大出血、普通なら死んでるよ。なのに、アンタはぴんぴんしてる。それに、体が動かないところを見ると、体内の魔力を使い切ったのかい。えらく満身創痍じゃないか、アル坊」


リーザ婆さんの言葉に、俺はただ壁を見続けることしかできなかった。

俺の様子に、リーザ婆さんは嘆息する。


「……一体何を隠しているか分からないけどね、子供はそんな思いつめた顔するもんじゃないよ。お前も、あのお嬢ちゃんも」


「……ミリアが?どういう意味だ?」


「お前さん、あのお嬢ちゃんに何か聞いてないのかい」


リーザ婆さんは、両手を俺の背中に掲げて、ゆっくりと瞑想を始める。

背中に感じる柔らかな温もり。治癒の魔法が、俺の体の異常を緩和しようと発動していた。


「やっぱり他人を気遣うってことを覚えたほうが良いね」


「こんなときに説教はやめてくれ……」


「こんなときだから言ってるのさ」


瞑想を続けながら、リーザ婆さんは俺を横目でちらりと見た。


「原因不明の病を患っていた女の子を、あのお嬢ちゃんが治療した後、少し話をしてね。まあ、些細な世間話さ」


「話って……」


リーザ婆さんが、回復した少女の様子を見に行った時か。


「他愛もない話だよ。お嬢ちゃんのことについて色々聞いてね。その時に、聞いてきたのさ、あの子が」


「……何を」


「……貧民街の救世主、【漆黒の風】を、どう思っているか、ってね」


体が一瞬強張った。

俺が聖堂の長椅子の上で寛いでいたときに、アイツはなんてことを聞いていたんだ。

意を決して、俺はリーザ婆さんに尋ねる。


「……なんて、答えたんだ?」


薄く目を開けながら、リーザ婆さんは無表情だった。


「許せない、と答えたよ」


心臓が、脈打った。

口が一瞬にして干上がる。なんとか唾液を飲み込もうと、小さく喉を鳴らした。


「許せない?なんでそんな……」


治癒の魔法が徐々に消失し、次にまた温もりが広がる。今度は別の魔法を行使しているようだ。


「……貧民街を助ける救世主、民衆の声を示す者。大層な存在だね。素晴らしいとは思うさ。私たちもあの義賊のおかげでこうして生きているんだろう。でもね……」


言葉を一回切った後、リーザ婆さんは言葉を続けた。


「あの義賊は、私たち貧民街の皆を助けた後、誰にも知られず死ぬつもりだ。その確信が、私にはあった」


声が、詰まりそうになった。

双眸を見開き、なんとかリーザ婆さんに見透かされないように無言を貫く。


「一度だけ、あの義賊の背中を見たことがある。夜闇の中を逃げる、あの義賊のね。そうしたらどうだ、あの義賊は、いつも泣いているじゃないか」


俺は、嗤った。


「泣いている?婆さん……いくらなんでも妄想が過ぎるだろ」


「妄想じゃないさ。どうにもならない現実に、押しつぶされそうになっている背中だったよ。……私が戦争に赴く兵たちの背中を、どれだけ見てきたと思ってるんだ」


「………」


婆さんの目は、慈愛と、悲しみの表情に満ちていた。


「……許せないさ。許せるはずがないよ。あの義賊も……何も出来ない―――あの義賊に頼るしかできない、私たち貧民街の連中もね」


小さい囁きに、俺は沈黙することしかできなかった。

衛生兵として活動していた頃のリーザ婆さんの姿は知らない。それでも、戦争に立ち向かう兵たちの背中と、【漆黒の風】の背中が重なったのは、違いないだろう。

リーザ婆さんは、ふぅ、と息を吐き出した。


「……まぁ、あのお嬢ちゃんにそう言ったんだよ、そうしたら、それはもう驚いた表情をして俯いてしまってね。【漆黒の風】は、民衆の希望だ。だから、返ってきた言葉が予想外だったんだろうね。……少し、申し訳ないことをしたとは思ってるよ」


ミリアは、それを聞いて何を思ったのだろうか。

そういえば、あの貧民街の帰り道も、ずっと俯いていた記憶がある。

あの時ミリアはなぜ、エトワール大森林への護衛の約束を破棄したのか。


……リーザ婆さんから聞かされた【漆黒の風】の話に、何か思うことがあったのだろうか。


と、魔法による温もりが消失した。治療が終わったのか。

すると、先程まで動かなかった体が、なんとか動かせるようになっていた。まだ、全身に重りをつけられたような感覚が残っているが、動かないよりはよっぽどマシだ。


「お前さんの体内魔力の流れを活性化させておいたよ。安静にしていれば、明日には良くなるだろう」


「……悪い、迷惑をかけた」


「アル坊、アンタが何をしているかは分からないけれど、無茶はやめるんだね。昔からやんちゃが過ぎるのは分かってはいるけどね、心配する者もいるんだ」


リーザ婆さんが目線を違う方向へ動かした。

扉から覗く、多くの目が。


「あ、アル兄、大丈夫なの!?死なないの!?」


「死にはしないよ。ほら、早く食べ物を持ってくるんだ」


「うん!待っててね、アル兄!パンがいいかな……それとも果物……」


「お兄さん、元気になったんですね!良かった!」


「心配かけさせるなよ……ったく。ガキの頃から妙に行動力良いのは分かってんだけどな、面倒事に巻き込まれる体質もどうにかしてくれねぇかなあ」


「アル兄ちゃん……無事……無事なんだよな……良かった……良かったぁぁぁあぁぁ………」


扉の隙間から覗いていたいつものメンバーが、俺の無事に胸を撫で下ろしている。


「さっさと寝て、体力を回復するんだよ。あいつらはお前さんのことが大切なのさ」


リーザ婆さんの言葉に、俺はただ小さく頷いた。

パンとうさぎの形に切られたリンゴを一欠片食べた後、俺は薄暗い室内で、ただ天井を見つめていた。

傍らにあるロウソクだけが、部屋の中を薄く照らしている。

結局あの後、婆さんは皆に部屋に立ち入らないように言って、聖堂にある奥の部屋に戻っていった。

俺の体調を気遣ってのことだろう。あの後二時間ぐらい経っただろうか。聖堂内から、物音一つ聞こえてこない。

すでに時は深夜だ。もうあいつらも寝てしまっているだろう。

あらゆる疑問が、次から次へと浮上し、消えることがない。

なぜ、ミリアは義賊である俺に協力していたのか。

ミリアが望んでいたのは、エトワール大森林に住むと言われる、あの魔女を訪ねることだった。

それが、目的だったはずだ。

だが、なぜ宰相の悪事を暴き、城下町を回る必要があったのか。


王族の義務、と言っていたあの言葉も、全て嘘だったのか?


見出した希望が遠くへ逃げていく。『あの失望』がまた後ろから手を伸ばしてきそうだった。

ネガティブになっていく思考に、俺は首を振った。


「……少し、外の空気を吸ってくるか」


安静に、とはいわれたが、今はもう四肢は十分に動かせる。

……もしかして、これも吸血鬼の下僕としての力か?

そう思ったが、体が動かせなくなる症状は全く改善してなかった。治癒能力は、肉体的なものだけのようだ。

俺はベッドから起き上がり、聖堂の扉へと歩みを進めた。

ゆっくりと聖堂の大広間を覗き込んでみると、長椅子に横たわったまま眠っている者たちの姿が見えた。体が上下に動いているところを見て、頬が緩む。

足音を立てないようにしながら、俺は聖堂の外へ抜けだした。


大聖堂の外にあった瓦礫に、俺は腰掛けた。

辺りを見回してみると、月光が静まり返った貧民街を映し出している。雑多に置かれた木箱や、ボロ布と木の板で仕切った『家』が、薄く照らしだされていた。

表通りとは比べ物にならないほど、不衛生な環境だ。

だがそれでも、ここに生きるものたちは、この場所で必死に生きようとしている。

この不条理を受け止めながら、もがいている。


「……許せない、ね」


リーザ婆さんの言った言葉が、ひどく心を揺さぶっていた。


―――全部、真実だ。


リーザ婆さんの言ったことは、全て真実だった。

貧民街が救われ、不条理の全てが改善したとき、俺はもう用済みになるのだ。


(……その全てが解決したら、その後は……?)


エトワール大森林で問われた、あの言葉。

ミリアのあの問いに、俺は嘘をついた。

義賊の役目を終えたら、皆の前から姿を消す予定だった。

不完全な正義に歪んだ俺のような存在が、のうのうと彼らの前に立つことなど、有り得ない。


そう覚悟し、義賊を続けていたのだから。


空を見上げると、満点の星空が目に飛び込んだ。

数多の星の輝きが、夜の空を彩っている。


許されなくてもいい。

俺はもう、人の苦しむ姿を見たくなかった。

死の間際に見せる、人の苦しむ顔も。

不条理に絶望する者の姿も。

俺を頼り、信頼してくれる人たちの悲しむ顔も。


首を下に向けて、地面に視線を向けて、ただ願った。


―――と、どこからか、空気を切り裂く音が聞こえた気がした。

僅かな音だったが、気になって、その方向へ近づいてみる。


貧民街の外れにある、小さな広場だ。壊れた噴水の瓦礫が積み重なり、女性を象った石像が二つに割れて放置されている。

雑草と、瓦礫が放置されたその広場に、音の発生源はあった。

あの少年だった。

木の枝を握りしめて、広場の端でずっとそれを振り続けている。

必死に目の前に視線を向けて右に左に振り回される木の棒は剣術には程遠いものだったが、その少年の必死さはひしひしと伝わってくる。

このまま気配を消して観察するのも悪いだろうと思い、俺は口を開く。


「子供は寝る時間だろ。なにをやってるんだ、こんなところで」


「!!えっ……!お、お兄さんっ!?」


俺の存在に気づいた少年は、あたふたとしながら頭を掻いた。


「魔物にでも挑むつもりなのか?そんな木の棒じゃ、あいつらは倒せないぞ」


「あ、いやその……って、お兄さんこそなんでこんな時間にここに!?ちゃんと安静にしてないと……」


「もう体は十分動かせる。心配するな」


「し、心配するなって……」


少年は納得のいかなそうな顔をしたが、俺はそれを無視して手に持った木の棒に視線を向ける。


「片手剣の練習か。俺も昔はよくやったな……」


「む、昔?お兄さんって今何歳……」


「……十七だ。十歳ぐらいから、ずっと親父に剣術の稽古をしてもらってたんだよ」


「そうなんですか!?」


信じられない、といったように、少年は目を瞬かせている。


「それよりもだ、なんでこんなことしてるんだ。しかもこんな深夜に……」


「あ、えっと……ボク、冒険者ギルドへの加入を目指そうと思って」


「……お前、今何歳だ?」


「十二です。将来、ギルドに所属してお金を稼ごうと思っていて……それで剣術の勉強をしようと思ってて」


ギルド加入条件は、一五歳以上で、武器の扱いを心得ていること、が条件となる。

まあ、新規に与えられる依頼など、人探しやペットの世話など簡単な依頼しか舞い込んでこないが。


「お前、冒険者ギルドがどんなところか分かってるのか?全ての依頼は自己責任だ。魔物の討伐や賊の殲滅の依頼で命を落としても、何も返ってこないんだぞ」


「……はい、分かってます。でも、ボクは妹の分まで頑張らないといけないですから。あ、でも今は靴磨きとかの仕事をやってるんです!給料はその……少ないですけど」


しょんぼりと肩を落とした少年に、俺は頭を掻いた。


「わざわざ、命を天秤にかけるような仕事をする必要がないって言ってるんだ。もっと別の仕事を見つけて、安全に暮らしていくのが一番賢い選択だろ?」


「……あの、でも、お兄さんは十歳の頃から、剣術を教わっていたんですよね?ボクよりもずっと前に。なんで、剣術を教わっていたんですか?」


言葉に詰まった。

俺の境遇を話すなど、馬鹿げたことをする必要はない、と思ったのだが。


「そ、そういえば、お兄さんのことで、聞きたいことがたくさんあったんです!是非、ボクにお兄さんのこと教えて下さい!」


キラキラとした瞳を向けてくる。

その表情が、俺に話しかけてくるミリアの表情と被り、一瞬怯んでしまった。

その瞳の中に、羨望と興味が混じっている。

俺はたまらずため息を吐いた。


「……そうだな、いいか、他の貧民街の奴らには絶対に言うなよ」


なぜ俺は、誰にも話したことのなかったことを、この少年に話そうとしたのか、自分でも理解不能だった。

親父は傭兵だったこと。

俺は親父を手伝うために、剣術と魔法を学んだこと。

親父を喪った後、この貧民街に流れ着いたこと。

一通り話し終えると、少年は複雑そうに俯いた。


「お兄さんは……ボクなんかよりもずっとつらいことを体験してきたんですね」


「いいや、そんなことはない。……不幸に、大きいも小さいもないんだ。あるのは……後悔だけだ」


そう、後悔だけだ。

やれたことが出来なかった、後悔。

それだけが、今も心に大きな穴を開けている。


「……お兄さん、ボクももう後悔したくないんです」


小さく呟かれた言葉。

その言葉に、覚悟を感じて、俺は少年に顔を向けた。


「お父さんとお母さんが殺されたあのとき、ボクはただ隠れることしかできなかったんです。……もしかしたら、ボクにできたことがあったかもしれない。そんな後悔を、ボクはもうしたくないんです」


強い、光だった。

深い青に染まる瞳の奥に宿る覚悟のようなものが、少年に力を注いでいるようだった。


「妹も、まだ寝たきりなんです。体力もまだ完全に戻っていません。妹を守るためにも……ボクを助けてくれた貧民街の人たちを守るためにも、強くなりたいんです」


「お前……」


この少年は、自分の力で見出そうとしているのだ。

逆境を覆すための、希望を。

すると、少年は何を思ったのか、ポケットに手を突っ込んだ。

なんだと思って見ていると、少年は俺に向かって拳を突き出した。


「お兄さんから貰った金貨、まだ使ってないんです」


手の中にあったのは、あの時俺が与えた、一枚の金貨だった。


「お兄さんはきっと、ボクたちを助けようと思って渡してくれたんですよね。ボクたちが餓死しないように、このお金で生き延びるために」


この少年は、貧民街に来た僅かな期間で、変わった。

俺が見出そうとした希望を、その内に宿そうとしている。


「この状況で、この金貨はまだお兄さんに返すことはできません。大金すぎて、何に使って良いのかも分からない。……だから、お兄さん」


ぐっと俺を射抜く瞳に、俺の心の奥が揺れた気がした。


「ボクがお兄さんみたいに、誰かを救えるような人間になったら、この金貨をあなたに返します。この金貨は、誓いの証にしたいんです」


「誓いの……証?」


「お兄さんは、ボクの憧れなんです。あなたに認められるような人間になったとき、この金貨を受け取って欲しいんです」


―――ああ、この少年は。


―――とても、強くなった。


偽りではない、空元気でもない、絶対的な覚悟だ。

俺のような人間を、『憧れ』と、言ってくれるのか。

中途半端な『矛盾』を孕んだ、義賊という『盗賊』に、誓いを立ててくれるのか。


「……ははは」


「お、お兄さん?」


「はははははははっ!!」


笑い声しか出なかった。そして、頬に感じる熱に、俺はすぐにそれを拭った。


「お、お兄さん……泣いて……どうして……」


「いいや……悪い。泣くつもりはなかったんだ……そうか……誓いの証か……」


止めどなく内側から溢れる謎の熱に困惑しながら、俺は頬を伝う涙を拭い続けた。


「……ああ、分かった。その誓い、受け入れるよ。お前が立派な大人になったら、その金貨、受け取ってやる」


「は、はい……っ!!」


「その前に、その剣術をもっとまともにしないとな」


「う……下手な剣術ですよね……」


「だから俺が教えてやるよ。一回しか教えてやらないから、覚悟しろよ」


「ほ、本当ですか!?お願いしますっ!」


「それとな、俺のことはアルでいい。貧民街の皆はそう俺を呼んでる。アルト、って言うのが面倒くさいらしくてな」


そう言うと、少年の顔がぱあっと明るくなった。


「はいっ!アルお兄さん!……あっ、ボクのことはエルクって呼んで下さい!エルク・ヘルメスっていいます」


俺は深く頷いて、転がっていた木の棒を掴んだ。こちらへ駆けて来る少年――エルクに、剣術の指南を開始する。

―――この少年に、エルクに、どこまで出来るだろうか。

自分を取り巻く全てを守ることはできないかもしれない。

……でも、俺は信じたい。

この少年の覚悟を。瞳に宿る希望の炎を。


だから俺も、この少年の『憧れ』の存在であり続けるために、


『義賊』として、相応の覚悟を示さなくては。


次回、土曜更新予定です。

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