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義賊のマテリア  作者: 夕日
渇望の対価
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渇望の対価 - 11 -

遠のいた意識が覚醒するように、俺は切り替わった景色にハッとする。

辺りに生い茂る草木。暗闇。


「―――!!」


深遠の魔女を名乗る女性と会話した記憶は、ある。異質な空間で、あらゆることを知り尽くす女性と俺は対峙し、そして『負けた』。

ミリアを元に戻すための対価を求められ、何も持たない俺はそれに答えることができなかった。


「っくそっ!!」


後ろを振り返ったが、あるはずの小屋は幻だったかのように消え失せていた。開けた空間には草が生い茂り、人の気配も何も感じられない。

もう一度あの女に会うことは、叶わないという現実。


―――どうすればミリアを助けられる?


至った思考に、俺は舌打ちする。

助ける、というのは間違いだ。あの女が言うには、ミリアが、自身の存在を歪めることを許容したというのだから。

俺がしようとしたことは、『余計なこと』だ。

無力な自分に、拳を深く握りしめた。


―――無力な、自分?


力を込めた拳を、ゆっくりと解く。

何を、自惚れている。

俺はあの魔女の言おうとした言葉を、遮った。


俺が義賊を始めた理由。

それは、誰かを助けたい、誰かを救いたいと思ったから始めたわけではない。

結局、最終的に『貧民街の皆を救いたい』という気持ちに落ち着いたのは、それから後のことだったのだから。

俺も同じく、ミリアに嘘をついている。


全てが自己満足だ。


「………」


……心を入れ替えよう。今はすぐにミリアの元に戻り、容体を確認しなくてはいけない。


何も無くなった森の広場を一瞥し、エトワール大森林から去るべく両足に脚力強化の魔法を施したと同時だった。

何か、妙な音色が、俺の耳に小さく響いている。


「……なんだ?この音……」


優しく小さく響く音色は、森の奥から聞こえてくる。

そちらに顔を向けて、俺はその音のする方向へ近づいた。


木々を伝い、音の大きくなる方向へ。


その先にあったのは、また大きく開けた広場だった。

間違いない、この前ミリアと一緒に来た王族の墓だ。

中央に鎮座する墓。その墓の前に、音色の正体はあった。


「オルゴール……か?」


そばに置かれた透き通るような白い花。あれから一週間経ったというのに、その花の生気は失われていなかった。

そしてその横には、黒い小さな箱が置かれている。

その箱が、開いていた。


「壊れていたんじゃなかったのか。音の音階も乱れていないみたいだが……」


ミリアはオルゴールが壊れてしまったと言っていたが、そこからこぼれ出す優しいメロディーは一つも乱れることなく紡がれている。

子守唄のような、心に染みる、儚さのこもったメロディー。動力もないのに、シリンダーがゆっくりと動いている。


動力が、ない。


……いや、まさか、このオルゴールは。


「……マジックアイテムってわけか」


合点がいった。壊れていたのではない、魔力が補充されずに動かなかっただけだ。

おそらく、このオルゴールが置かれていたのは、ミリアのあの部屋だろう。

あの部屋には、空間に存在する魔力を無効化する魔法石―――魔錬晶石が配置されていた。

あの石のせいで、魔力の充填がされずに動かなかったというわけだ。

勝手に箱が開いたということは、ミリアが所持していた時には開けることができなかったということだろうか。


と、その小さなオルゴールと箱の間に、小さな便箋が挟まっていることに気がつく。

引っ張って取ってみると、ピンクの花の模様が書かれた、綺麗な便箋だ。後ろに封はされておらず、中に手紙が入っている。


手紙を見ようとして、躊躇った。

死んだ者の形見。ミリアは、このオルゴールを返しに来たと言っていた。その中に入っていたものを、俺が読んで良いのだろうか。


躊躇いと、罪悪感。


だが、その手紙を読むことは出来なかった。


キィィィン、と、頭の奥に刺さるような高い音が、俺の耳を貫いた。

今度はオルゴールの音色ではない。


「っ……!!今度は何だ……っ!」


便箋を懐にしまって、不快な音の発生源を確認する。

遥か遠く、木々の間の先。そこから、薄紫色の淡い光が天を貫いて立ち込めている。


ィィィィイィイ………ン


耳鳴りのような高い音。それが周期性を持って何度も響いている。


「くっ……!!」


あの光の柱が発生源か。森の闇の中に、何か嫌な気配が混じっている。

脚力強化の魔法は続いていた。再び木々を伝いながら、光の柱に近づいていく。


近づくにつれ、大気中の魔力が濃くなっているのが分かった。だが、王都の汚染された屋敷ほどではない。

息苦しさはあるが、まだ我慢できるほうだ。

先に見えた光景と、その先に佇んでいた人影に、俺は咄嗟に身を隠した。


『星の樹』。


空を貫くのではないかと思うほどの大樹が、他の木々を押しのけ、まるで山のように鎮座している。

他の木々が小さすぎるように錯覚してしまうほどの大きさだ。幹の間から流動する白光がこぼれ、樹の全体を淡く照らしている。

『星の樹』の噂は聞いていたが、直接見たことはなかった。なるほど、ここまで美しいと、観光客も増えるわけだ。

その美しさに見とれていたが、俺のその木の前で立つ二つの人影に、顔をしかめた。


俺に背を向け、大樹を見守るように見つめる、黒と金の外套を羽織った男。

そしてもう一人は、全身黒装束で身を包んだ、正体不明の人物。

その人物は、『星の樹』の近くに立って、なにやら手を動かしている。よく見ると、ナイフで樹の幹を削っているようだった。


片方はともかく、もう一人の後ろ姿は、間違いない。

あの後ろ姿を忘れるものか。あの屋敷から立ち去る姿を、忘れることなど。


俺は腰に隠し持っていたナイフに手をかける。距離は大体五十メートルぐらいか。

共にこちらに後ろを向いているため、気づかれることなく近づけるか。

手とナイフに魔力による強化をしようとしたが、周辺に漂う魔力に違和感が拭えない。

自分の中にある魔力が侵食されるような、嫌な感覚だ。

屋敷に蔓延した汚染は、俺に肉体的に侵食するものだったが、これはまるで、自分の精神面に直接侵食してくる。


―――脚力に付加した魔法は、まだ消え去ってはいない。


五十メートル。そんな距離など、この脚力ならば、三秒ほどで近づける。

『星の樹』の異常か。もしくはあの男が妙なことをしたのか。

腕の一本でも切断した後に、この異変と王都内の実験場について問い詰めてやる。


気付かれないように、浅く息をはく。


右手に持つナイフに力を込め、


耳に風を切る音を感じながら、駆け出した。


――― 一秒。


『星の樹』を見つめ、まだ俺には気づいていない。


――― 二秒。


俺が地面を蹴る音が聞こえたのか、その人物は後ろを振り向いて、俺の姿を視認する。

驚きに転じた表情。


――― 三秒。


防御する姿勢もとらず、後ろを振り向いた体勢で、手を後ろに組んだまま俺を見て硬直している。

ナイフを構え、その腕を切り落とそうと振りかぶる―――


が。


刹那の、たった一秒にも満たない時間で、俺の視界に変化が起きた。

ギィィン!と高い音。俺の刃は、クライスと俺の間に割り込んだ影に阻まれた。


「!!!!」


驚きに転じたのは、今度は俺だった。

割り込んだ影。それは文字通り『影』だったからだ。

人型に似た黒い影が、クライスの前でぐにゃりぐにゃりと四肢を蠢かしながら、俺の刃をその黒一色の影の腕で防いでいる。


「これはまた、予想外だ。こんな時間に人が―――それも【漆黒の風】の君がいるとは思わなかった」


「クソ宰相……!!これはなんだッ……!!」


「なんだ、と言われてもね。私の忠実な下僕のようなものだ」


影が蠢く。俺はすぐに距離をとり、ナイフを構えて目の前に現れた異形に意識を向ける。


「それにしても、ゴーレムと戦いながら生きているとは。まぁ……君があの大爆発を引き起こしたのは分かってはいたが、まさか屋敷内の全魔力を暴発させるとは思ってもみなかったよ」


「アンタはなぜここにいる!?この魔力汚染はなんだ?『星の樹』に何をした…ッ!」


「何もしておらんよ。幹の採取のみだ。本来なら一週間前に済ませる予定だったが、森に放った魔物がすぐに処理されてしまってね。混乱に乗じて採取するつもりだったのに、余計な手間を取らせてくれたものだ。なぁ?【漆黒の風】」


「!!!!」


あの魔物を森に放ったのは、コイツだったのか―――!!!


「クライス様。サンプルの回収が完了致しました」


「サンプルを持って撤収しろ。私はこの少年と少し話がある」


「承知致しました」


クライスの後ろで『星の樹』の幹を削っていた黒装束の人物が、クライスに話しかける。

透明な瓶の中に入れられた幹を持って、颯爽と姿を消してしまった。

そしてクライスは俺を見据え、何か納得したように首を縦に振る。


「しかし……なるほど、君がここにいたのは、あの魔女に会っていたのかね?」


「お前……あの魔女を知ってるのか!?」


「君よりは、だがね。君があの魔女と会ったとなると、王女の異変にも納得がいったよ」


「!!!」


ミリアの異変にも気がついている?この男にも、あの魔女に似た嫌な違和感が纏わり付いている。


「君も、あの王女も、つくづく余計なことをする。治癒能力も、魔力感知能力も全てがなくなってしまうとはね」


「なんで知ってる!!ミリアの異変も!!魔女のこともだ!!アンタ一体何者なんだ!!」


そう聞いた俺に、クライスはフッと笑った。


「さあ、何者だろうね?私には多くの協力者がいる。情報など勝手に集まってくるのだよ」


「協力者だと……ッ!!」


「ああ、協力者だ。思想を共にする大切な、ね。……では、アルト・ゼノヴェルト、もう一度訊くとしよう」


うねうねと蠢く影が地面へと消えていき、クライスは俺に歩み寄る。


「私の協力者となれ。そうすれば、貧民街の全ての人々に富と自由を約束しよう。君の望むものならばなんだって用意する」


「ゴーレムで殺せなかったから今度はまた仲間になってくれ、か?どうしてそこまで俺を必要とする。お前からみたら、俺はただの盗賊のはずだ」


「君は、君自身の名の重さを分かっていないな。【砂上の傷跡(エンプティ)】に適性を持つ者を見過ごすわけにはいかん」


「【砂上の傷跡】に適性を持つ者……?どういう意味だ!」


「なんの捻くれた意味もないさ。文字通りの意味だ。それに、なぜそこまで私の誘いを拒むのか理解に苦しむね。君が望むのは貧民街の人々の救済だろう?私に協力すれば全てが解決するのだ。素直に首を縦に振るべきだと思うが?」


確かに、そうだ。俺は、貧民街に住む人々を救うために存在している。

そのために悪に手を染めた。


だが。


だが、違うのだ。

俺は、一つの願い―――『貧民街の人々を救って欲しい』ために、盗賊になったのではない。


無言を突き通す俺に、説得はやはり無理だと感じたのか、クライスは肩をすくめた。


「何を強情になっているのか甚だ理解不能だよ」


「……信用できないのは当たり前だ。貧民街を救うなどと戯れたことばかり、お前の口から出るのは、嘘ばかりだ」


「そうかね?私はいたって真面目に、君に考えてもらいたいのだがね」


と、何か気づいてクライスは一瞬目を見開いた。そして、くつくつと笑い出す。


「なんだ……一体どうした……?」


「いや、この場に君が来たのは、私にとって最高の幸運だったかもしれないな」


と、クライスは後ろを向いて、『星の樹』を仰ぎ見る。

俺に背を向けるあたり、絶対に殺されないという自信があるのだろう。

面白そうに笑い続け、クライスは俺の表情を伺うように言葉を紡ぐ。


「君には教えておくが、あの王女についても同様に、私の協力者になってもらいたかった。しかし、もう不要になってしまったのだ」


「ミリアを……不要だと……!?」


「あんな希少な力を持つ彼女を、放っておくわけがないだろう?協力者になってくれれば、と思っていたのだが……その力を失ってしまってはね。私の『真実』を知っていることになるのだから、放置するわけにはいかぬだろう?盗賊の君になら、分かるとは思うが」


それは。


それは、つまり。


頭の中にある何かのリミッターが、ブチリ、と音を立ててちぎれ飛んだ。


「アイツに何かするんなら殺すぞッッッ!!!!!!」


「ほう、それは恐ろしいな。……ああ、そして、もう一つ教えておこう。この『星の樹』の正体はね、『矛盾』を浄化する世界の自浄作用にて生じたものだ。すなわち、この場にある全ての『矛盾』あるものは―――」


涼しい顔をしながら不敵に笑うクライスに、手に持ったナイフが震える。

足を千切り、両腕を切断し、その首を野ざらしにしてやる。

そんな思考が駆け巡り、息が乱れ、目線が揺れる。

だが、クライスの目線が、俺の目線より下を向いているのが分かった。

俺は咄嗟にそこへ視線を落とす。


腰に差した【砂上の傷跡】が、淡く光り輝いている。


怒りと驚愕。俺は一瞬、何が起きているのかが分からずに呆然としてしまった。


「その『矛盾』を浄化されまいと抵抗するのだ。私に協力する気がないのなら、その《魔剣(マテリア)》……いや、【砂上の傷跡】を頂こう。今度こそ君との取引は終了だよ、安心したまえ」


クライスはゆっくりと右手をあげる。


その中指に嵌めた深銀の指輪が、俺の【砂上の傷跡】と同様に淡く光り輝いている。


ずぞ……っ、と何かが擦れるような音。

地面から、人影に似た立体の影達が、液体がうねるような嫌な音を立てて生成されていく。


影で出来た人間たち。


異形が、世界の裏から漏出する。


「……ふむ、《魔剣》の力を見るのは初めてかね?【朔夜の影絵(ドッペルゲンガー)】と呼ばれる《魔剣》でね。その力は、君自身の体で体験してもらうとしよう」


次々の生まれる影の人間たちは、計七人。人、という数え方であっているのかも不明だが、ゆらゆらと揺れる影たちは両手を鋭利な槍のように変形させ、俺へと襲い掛かってくる。


「全ての布石はすでに打ってある。あの王女についても、今後の計画も、全てね。君に私の成すことを見せられないのが残念だよ」


と、クライスの足元に、巨大な影が広がり出す。

それは夜に紛れることのない、深い闇だ。


それに飲み込まれるように、クライスの存在が侵食されていく。


「クライス……ッ!!貴様ッ……!!」


「【砂上の傷跡】の適正者は、また後で見つけることにするよ。さらばだ、愚かな義賊」


影達が、攻撃を開始した。


接近する一つの影が、影の剣と化した腕を振り下ろしてくる。


「ちっ……ッ!」


迫り来る漆黒の武器をナイフで防御する―――


「!!」


ことはできなかった。影の剣はそのナイフを通りぬけ、俺に凶刃を突きつける。

咄嗟に一歩後ろに引いたが、その切っ先が俺の胸を掠めた。


「化物が……!!!」


そのまま後ろに下がりながら、腰に隠し持ったナイフに鋭刃化の魔法を施す。

影の人間の額目掛けて、投げ打った。

が、やはり、そのナイフは黒に染まる額を通りぬけ、後ろにあった『星の樹』の幹に突き刺さった。


―――魔法効果を持った武器でさえも効かないのか……!!


魔物の中では、魔法効果でしかダメージを与えられないモノも存在する。が、こいつらは《矛盾》の力―――《魔剣》の力による理解不能の存在だ。そんな相手に、どうやって戦えばいい。


どぷん、と水に潜る音。

ただその場で立ち尽くしていた影の人間たちが、本当の影になってこちらへ蠢く。


「くそっ……!!」


クライスは影の中に呑まれ、消えた。もはや、この場に残っていても意味がない。

ならば、この影の人間共とは、距離を取って戦うしかないか。


すぐに背を向けて、森のなかに逃げ込む。


ずぞ……ずぞぞ……と耳障りな音が四方八方から聞こえてくる。有り得ない速さで、こちらを包囲しようとしているのか。


魔力付加や、ただの魔法では太刀打ちなどできない。


それならば。


木々に飛び移りながら、自分が使える最上の魔法詠唱を開始する。


「『真北の風神に願う。起風より、神刀の加護を以て結す』」


指先に収束した緑光をなぞり、木々に光の線をつなぎあわせていく。緑光を伝える光の帯は、明滅を激しく繰り返す。


「《風天昇華、悪辣の象徴を滅せよ……ッ!!》」


ロープのように長く伸びた光の線は、次の瞬間肥大化する。人の目の形に変化した極光は、その内側と外側で暴風を巻き起こし、真空と共に無尽蔵の鎌鼬を生成する。

木々に、無数の傷跡を刻み込んだ。


「《―――悉く断ち斬れッ!!》」


周辺に撒き散らされる無差別攻撃は、その領域にいるもの全てを蹂躙する。

人差し指と中指を立てて、展開した鎌鼬の領域を維持する。影達はその領域の中で、蠢き、風の刃で切り裂かれていた。


詠唱を短縮したために、体に軽い重りをつけられたような脱力感を感じた。

疲労感はあるが、こんなもの、親父と旅をしてきた時に何度も経験している。


俺は踵を返して、森の出口へと駆け抜ける。


だが、その先の光景に目を見張った。先に見える風景が、黒一色に塗りつぶされている。

そして、それが何か―――脳内に走る危険信号が、俺に理解を促す。


咄嗟に後ろに飛んだと同時だ、前方にあった黒の空間が、ハリネズミのように棘を無数に生み出した。


大棘が、木々を突き刺し、なぎ倒す。


「こ……のッ……!!」


木の倒れる大きな音が、静寂の森へと響き渡る。

俺は仕方なく、影の棘を迂回して、別のルートから森の出口へと走り出す。


―――人型の影ではなく、あんな巨大な影を生み出すことも出来るのか。


流石は《魔剣》。一体どのような理屈でこちらへ攻撃しているのか、理解することが出来ない。

『矛盾』の具現化とはよく言ったものだ。物理的、魔法的な攻撃を無効化されては打つ手が無い。


降り立った木の幹に手をかけて、更なる魔法を詠唱する。


「『青海を凪ぐ、南風の加護を』」


足首に、足輪のように宿る風の螺旋は、俺は遥か上空へと打ち上げる。地に潜り俺を追跡するならば、空からの攻撃に切り替える。

しかし。

鎌鼬の領域が展開するその森の中から、鞭のようにしなる黒影が俺の右足に絡みついた。


「!!!」


ぐい、と引っ張られ、上空へと押し上げる風の魔法の力と拮抗する。


「ちぃ……ッ!!」


腰のナイフを取り出して伸びる影へと突きつけるが、やはりその影を通り過ぎるだけだ。どうやっても、物理的な攻撃は受け付けないようだ。


ア……アァア……


誰かが、息をゆっくりと吐き出すような音が聞こえた。

後ろを振り返り、戦慄する。

数多の人型の影―――その数は十を超えている。それが空中に浮かびながら、俺に殺到しようとしていた。


「『風陣展開ッ!!』」


ほぼ、条件反射だった。迸った暴風は、一瞬だけだが影たちをひるませる。

それに乗じて足に絡みついた影から抜け出すことに成功したが、両足に付加した魔法が消え、そのまま真下に落下する。

落下と同時に、後ろからの殺気。

ズバァ!!と、肉の抉れる嫌な音。


「いっ……!!ぐっ……!!」


激痛と、鉄の匂い。


「『聖風は我が身を護るッッッ!!』」


俺の周辺に、風の鎧が展開する。一歩後ろの下がった人影を見て安心するが、次の魔法を詠唱できない。

風の鎧を纏ったまま、俺は、真下の木々に落下した。

枝の折れる音、葉の擦れる音が耳を突く。落下のスピードが収まったところで、体勢を立てなおして地面に着地した。

もし、風の鎧がなければ、即死していた高さだ。咄嗟に唱えた魔法だったが、なんとかなったか。


ズグン、と心臓の脈動と同時に走る、背中の痛み。

俺からではどれほど斬られたかは分からないが、やはり分が悪い。

足に極限まで強靭化の魔法を注ぎこみ、上空から見えた森の出口へと再度走りだす。


あの影の人間たちは、どれほどいるのだろうか。

最初見た時は七人。空中で確認した時には十以上の数がこちらを睨んでいた。

これではまるで、オオカミの群れの中で一人で戦っているのようなものではないか。

背中に走る激痛。だが、あいつらに追いつかれれば、俺は間違いなく殺される。

今は、逃げなければ。

それに、ミリアの身も危ない。早く王都に戻り、彼女の無事を確認しなくてはいけない。


……だが、俺を逃がす気はないようだ。


四方から聞こえる、俺の靴音以外の、耳障りな音。

こんなに早く走っているというのに、それでもあいつらの速さには勝てないようだ。


ズグン、とひときわ強い背中の痛みが俺を突き刺した。


「がっ……ッ!!!」


その痛みに足がもつれ、無様に地面に転がった。

走る土埃と、視界のぶれ。目を開けて真横を見ると、もう森の出口はすぐそこだ。

上空を、仰ぎ見る。

森の上空を支配する黒の群れが、俺を捉えている。


「くそ……やろう……ッ!!」


体が動かない。背中の傷は予想以上に深いか……ッ!

上空から飛来する影の人間たちが、その槍と化した両腕を、俺に向かって突き出した。


もうダメか、と死を覚悟した瞬間だ。


俺の顔の横に光が差した。

顔をそちらに向けると、朝を知らせる太陽の光が森の静寂を覆い出す。


グギャアアアアアアアァア……アァァアァアアァァ……!!!


周辺から聞こえる苦悶の声が、俺の聴覚を突き刺した。

うねうねと蠢いていた影の人間たちが、光に体を焼かれて全身から煙を出している。

そして、断末魔の声とともに跡形もなく消え去った。


そして、訪れる再びの静寂。


「助かった……のか……?」


力のでない体。俺はなんとかゆっくりと上体を起こながらも、背中の激痛に顔をしかめる。

《魔剣》の力には、制限があるとは聞いたことがあった。

ある条件の元にあらねば、その力を引き出すことができないというものだ。

親父の受け売りだが、あの【朔夜の影絵】という《魔剣》の力は、夜にしか使用できないのかもしれない。


「駄目だ……すぐに……王都へ……」


ミリアが心配だった。あの男は、全ての布石は打ってあると言っていた。それはつまり、これから起こる何かと、ミリアの処分全てが計画の内に入っているということだ。

背中の強烈な激痛に歯を食いしばりながら、俺はなんとか立ち上がった。

魔力はまだ、使用できる。

強靭化の魔法を使って、王都へどれくらいかかる?

そこまで考えて、俺は自分の考えを鼻で笑った。


「どれくらいかかるか、じゃないだろ……ッ!!」


できるだけ早く。

俺の部屋でまだ寝ているならば、すぐに安全を確かめて、ディモンの家にでも保護しなければいけない。

王族だろうが知ったことではない。

王城に戻れなくても、知ったことではない。


アイツの身を守る。


再び強靭化の魔法を施し、俺は全速力で走り出す。

ただ願う。


「無事でいてくれ……!!ミリア……ッ!!」


アイツは。


アイツだけは、絶対に守らなくてはいけない。


絶対に。


―――絶対にだ。



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