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義賊のマテリア  作者: 夕日
渇望の対価
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渇望の対価 - 8 -

―――夢を見た。

薄暗がりの部屋だ。

窓の外から溢れる月光が、部屋の中を薄く照らし出している。

目を凝らすと、だんだんと部屋の内装が見えてきた。

綺麗な曲線を描く背もたれを持つソファー、丁寧に樹を彫って作り上げたであろう、宝石で装飾された机。

高級そうなクローゼットと、天蓋付きのベッド。

床には複雑な紋様が刺繍されている絨毯が敷かれており、妙にリアルな質感を俺の足に伝えてくる。


部屋を見渡していた俺は、バルコニーから差し込んでいる月光が、何者かによって遮られたのに気づいて顔をそちらに向ける。


バルコニー前の窓。その窓の外を見渡すように、一人の少女が佇んでいる。

透き通るような白い肌。柔らかな銀色の髪が月の光で光り輝いている。身にまとっているのは金の刺繍の入ったドレスだ。


「……ミリア?」


ポツリと、呟いた俺の声に気づいたのか、こちらへと振り返る。

そして息を呑んだ。


ミリアは泣いていた。


無表情に、美しい顔を歪めず、ただ泣いていた。

それでも、月の光に照らされたミリアの姿はこの世のものとは思えないほどに美しかった。


「お前……なんで……」


「許されないのは分かっていたんです」


ポツリと、弱々しい声音だった。

目の端を伝う涙が、光となって消えていく。

ミリアは一体、何を言っているんだ?

許されない?誰に?

夢だと分かっていても、俺は、目の前の少女の涙を止めることはできない。


「ありがとう、アルト。もう思い残すことはありません」


揺らぐ。

人物を認識するための目の焦点がぶれるように、ミリアの姿が霞んでいく。


「あなたに出会えて、良かった……」


涙を流しながら微笑むミリアに、心の奥底がズキリと痛む。

何を言っている。

お前は、俺に何を伝えたいんだ―――!


「ミリア……ッ!!」


伸ばした手を見て、背筋が凍りつく。

自分が伸ばした手が、真紅の液体で汚れていた。

纏わり付く誰かの血液が両手から滴り落ちて、絨毯を濡らしていく。


―――義賊?笑わせるな。


後ろから聞こえた声に、振り向くことができない。


―――結局、お前は他者の不幸を利用して、自らの生きがいを見出しただけだ。


「……違う!」


―――その少女を目の敵にしたのは、その領域を犯されることに脅威を感じたからだろう?


そうではない、俺は……!


―――それならば、その手に持っているものはなんだ。


後ろから聞こえる囁くような声に集中していた俺は、自分の片手に握られているものを見て目を見開く。

心臓の音が、耳の中に響き渡る。

全身から嫌な汗が吹き出し、足元がぐらつく。


俺の片手には、《魔剣(マテリア)》があった。親父の形見である【砂上の傷跡】。

その刀身が……鮮血に染まっていた。ふと顔をあげた先に見たのは、清楚なドレスを赤に染め上げ、口元から鮮血を流しているミリアの姿だった。


息が、詰まる。


―――その《魔剣》は父の誇りではなく、お前にとってはただの凶器だ。お前の手は殺戮者の手。正義を見出そうとするお前ほど、矛盾を孕んでいる存在はいないだろうよ。


そう言われた途端、部屋の中が変化した。

無機質な瓦礫と、砂礫の覆う無の世界。


「やめろ……」


―――故に、脆い。


「黙れ……」


―――そして……実に幼稚で、愚かだ。


何かが、ぷつりと切れた。


「黙れッッッ!!!俺は……!俺は……!!!」


空虚な空間に、虚しい大声が木霊する。

次に出すべき言葉が出なかった。ただ、否定することしかできない自分。

あまりにも、無力で矮小。


―――せいぜい、矛盾の中を生きるがいいさ。その道の先に見るのは、お前が望んだ絞首台だ。













―――だろう?意味を見出せず正と負の狭間を生き続ける俺自身よ。



体が引き上げられるような嫌な感覚を味わって、俺は飛び起きた。


「……っ!!く……」


息が荒いのは、カウンターに肘を乗せて眠ってしまったからでない。

嫌な夢だ。俺の中に眠る本心が、慈悲もなく現実を突きつけてくる。


……夢だったのか?


妙な現実感があった。闇夜の中に差し込む月の光も、窓の前で佇むミリアも、それが夢であることを知りながら、胸騒ぎが止まらない。

額に滲んだ汗を拭って、立ち上がる。

店の窓からオレンジ色の斜光が入り込み、夕刻を告げる光が眩しかった。

もしや、店を開けたまま眠ってしまったか。

入り口に目をやったが、どうやら表の札をCLOSEにしたままだったからか、誰かが出入りした様子はなかった。

だが、何か妙な違和感を覚えて、もう一度入り口の扉に目を凝らす。

小さな窓付きの扉。その窓の下に、誰かの頭が見えている。


「……?」


恐る恐る近づき、外を見ると―――。


「!!」


外にいたのは、俺の店の扉に寄りかかったまま座り込んでいる少女だった。見知った銀の髪に、俺の心臓

が鷲掴みにされたように痛む。


「おい、ミリア!どうした!」


ドアを叩いて問いかけてみると、少女はゆっくりとこちらへ振り返った。

そして、にこりと微笑む。

あの夢のように目の前から消えそうな、優しすぎる笑顔。

急いで扉を開けて、ミリアに歩み寄る。


「お前、どうしてこんなところに……ッ!!!」


その服装を見て驚愕した。ミリアが着ている服は城下町を回った時のワンピース姿ではなく、通常のドレス姿だった。


「な、なんて恰好してるんだよ!早く中に入れ!」


いや、どうやって俺の店までやってきたんだ?ドレス姿でここまで来たとなると、中央通りではなく入り組んだ路地裏を通りながらここまでやってきたのか。


「とりあえず服を―――」


誰かに見られてはまずい。

ミリアの腕を引っ張って店の中に入る。

だが、それを振り払って後ろから手が伸びてきた。突然の出来事に対応できず、そのまま床に倒れこむ。

びたん!と盛大な音。危うく頭を打ちそうになったが、なんとか受け身をとって耐えた。

体に感じる、柔らかい感触と温もり。

恐る恐るミリアに顔を向けると、俺の体に腕を絡めたまま、顔を胸板にうずめていた。

なんだ?何が起きてる?


「お、おい……?」


ミリアに体を拘束されて、脱出しようにも出来そうにない。


「アルトの匂いがします……」


顔を埋めてくんくんと鼻を鳴らすミリアに、悪寒が走る。


「な、なにをやって……!いいから離れろ……ッ!!」


「んっ……いやです……ッ……アルトのそばにいるんです…ッ……」


混乱という文字が頭の中を支配する。

ミリアの様子は、一言でいうととんでもなくおかしかった。

頬を朱に紅潮させて、息遣いも荒い。


「あるとぉ……」


妙に艶めかしい声で、俺の名前を呼んでくる。こちらを見つめる瞳は潤んでいて、切なそうな表情を俺に見せつけてきた。

目の毒すぎて一瞬心臓が飛び跳ねたが、なんとか横を向いてその視線を回避する。


「こっちをみてくださいっ……どうして目を逸らすんですかぁ……はぁっ……んっ……」


「へ、変な声を出すな!体をまさぐるな!やめ……ッ!!」


荒く息を吐きながら、俺に擦り寄ってくるミリアに気が気でない。甘い匂いが鼻孔をくすぐり、とろんとした表情で俺を見つめてくる。


「お、お前どこかおかしいぞ!?熱でも有るんじゃ―――」


「熱なんてありません……わたしはただ……」


拘束されていた体が自由になった、と思ったのもつかの間、今度は俺の両腕を押さえつけて、馬乗りになってきた。


「―――!!」


尋常ではない力だ。こんな細腕にこんな力があるなど信じられない。魔力で筋力を強化しようとしたが、ぐっと俺に顔を近づけてくる。


「い、いいですよねっ……?ずっと、ずっと我慢しきたんです……はぁっ……もう……我慢できないんですっ……!!」


「ま、待て!やめろ!なにをする気だ……ッ!!お、おいッ……!!」


徐々に近づいてくる美しい顔に、俺は生唾を飲んだ。

艶のある声で、顔と顔がふれあいそうな距離まで近づいて―――

その横を通りすぎて、俺の首元にミリアが顔を近づく。

そして、ブツッ、と皮膚を突き破る嫌な音。


「!!!!」


首筋に走った激痛に、俺は顔をしかめた。

ミリアがなにをしているのかを確かめようと、目線だけを横に向ける。

夢中で俺の生き血を啜る、ミリアの姿。

恍惚の表情で、首筋から溢れ出す鮮血を無我夢中で飲んでいる。


「あぁ……もったないですっ……んっ……」


ザラザラとした舌の感触が首筋を這って、身震いした。

呆然と、ただミリアにされるがまま、俺はその行為が終わるまで横たわっていることしかできなかった。


数分後。

満足したのか、俺に覆い被さるようにミリアは眠りについてしまったようだ。


「ミ、ミリア……?」


口元に残る血の跡。


俺はいま、ミリアに何をされた?

噛まれた首筋に手を当てるが、痛みはない。近くにあった窓に近づいて、首筋の傷を確認する。


「……なんだよ……これ……」


そこには傷は存在しなかった。噛まれたはずの首筋に、突き刺さった歯の痕跡も確認できない。

だが、妙なものがそこにはあった。

黒い、花弁を象ったような複雑な紋様。それが、先程噛まれただろう箇所に浮かび上がっている。

一見するとアザのようだが、小さい幾何学模様は、間違いなく魔法的な効果持った印だということが分かる。


静かに寝息を立てるミリア。

人の生き血を啜る化物。俺のみならず、人はその正体を知っている。

……しかし、そんなことあるはずがない。

ミリアは人間だ。このような妙な素振りを見せることは今までなかった。王族である自分が何が出来るのか。多くのことを悩む、ただの優しい人間だった。

少なくとも、俺はミリアと行動を共にして、そういう印象を抱いていた。


「ヴァンパイア……?」


吸血鬼は存在する。この国では目撃情報は少ないが、他の国では吸血鬼の被害を受けているところもあるらしい。

どの吸血鬼においても日の光が弱点であり、日中に外にでると体が焼かれてしまうのだ。

だからこそ、真昼に俺と共に城下町を回ったミリアが、吸血鬼であるはずがない。


「……」


何かが、おかしい。


一体、ミリアの身に何が起きた?


そこまで考えて、俺は昼にエルナたちと話し合ったあのうわさ話が脳裏をよぎった。


―――そんな馬鹿な。ありえない。


魔女など、有り得る話ではない。

あのうわさ話に信憑性など皆無だ。

手がかりはない。だが、ミリアの乳母がこの異変について知っている可能性もある。

外はすでに夕暮れ時だ。

今からエトワール大森林に行くとなると、到着時には日が落ちてしまっているだろう。


―――ミリアを、このままにしておくべきではない。


ミリアがこのまま他者の生き血を啜るようなことがあったら、王族として生きてはいけなくなる。

……行かなければ。

先程見た夢を思い出して、思考が停止しそうになる。

鈍い思考の奥で、なぜ王族を助ける必要がある、と誰かが囁く。

頭を振り払って、ミリアを抱えて二階にあるベッドへと横たえた。

眠っていても、その美しさは変わらない。まるで精巧な人形―――完成された一つの美術品のようだった。


「……待ってろよ。すぐに戻るからな」


ミリアに起きた異変。たとえその答えが得られなくとも、貧民街を救ってくれた恩人に、背を向けることはできない。


―――裏切ることなど、絶対に。



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