それでも彼は - 3 -
月が城下町を見下ろしている。少し雲が多いが、むしろ有り難いぐらいだ。暗い方が見つかりにくい。
自室で黒装束に着替える俺を見て、その出発を見届ける為に来たディモンが顔をしかめている。
「はたから見れば、魔物みたいだぞお前」
「うるさい。誰の為にこんなことを続けてると思ってんだ」
「ボロボロの家で生活してる子供やら、爺さん婆さんの為、だろ?……なんだかんだ言ってお人良しだよなぁ、本当に」
ディモンは肩をすくめた。
「気をつけろよ。城の警備は厳重だ。見つかれば生きて帰ってこれねぇかもしれねぇ」
「俺を誰だと思ってるんだよ。あの、【漆黒の風】だぞ?」
「本当は、そんな二つ名くだらねぇと思ってるクセによ。ったく、ちゃんと帰って来いよ?」
最後に黒頭巾で口を覆い、装備の確認をする。
「捕まったらお前も同罪、って王の前でバラしてやるから安心しろよ」
「へいへい、頑張ってこい」
悪友にニヤリと微笑みながら、俺は家の裏口から外に出た。路地裏の闇にまぎれながら、俺は屋根の上を伝って王城へと近づいていた。
心臓の音が、頭の中に響いてくる。なにしろ王城だ。生半可な覚悟で攻略できる場所ではない。王城が自らの眼前に迫って行くうちに、緊張感が俺の体を支配していく。
この王都では、城下町を警備する衛兵と、王城を警備する兵士がそれぞれ警備に当たっている。さらに王城はクライスラ騎士団の連中が鎮座している。生半可な警備ではない。
王城の門の前、俺はその陰に隠れながら、視覚鋭敏化の魔法を使い、兵士の数を観察する。
門の前に二人。庭には十人ほどの兵士が巡回しているのが確認できた。
「――――『青海を凪ぐ、南風の加護を』」
静かに唱えられた魔法によって、両足に気流が発生する。それは大きな上への圧力を持って、俺を王城の東にあった塔の最上階へと突き上げた。
周りからすれば、弱い風が吹いてきたようにしか感じないだろう。下にいる兵士達を見れば、俺に気づくようなこともなく、庭と城門の見回りを続けている。
ふぅ、と一回息を吐き、腰に下げた鉤爪ロープをレンガの縁に引っ掛ける。ぐい、と三回ほど引っ張り、しっかり引っ掛かったことを確認した後、俺は二階の窓へとロープを伝う。
おなじみの手法で、ナイフに武器強化の魔法をかけ、窓ガラスを内側から開けた。
入りこんだ2階王城の通路には、兵士一人いない。真っ暗なその通路には、ただ赤い絨毯と高級そうな骨董品が並べられているだけだった。
「……なんだ?一体どういうことだ?」
宝物庫に続く扉の前にも、兵士は見当たらない。ラッキー!と大声で叫びたくなる…訳がない。明らかに不自然だ。城内には有り余るほどの兵士がいるはずだ。それなのに、宝物庫前に兵士がいないというのは状況的におかしい。
……しかし、ここで引き返すわけにもいかない。
俺は怪訝に思いながらも、宝物庫に続く扉を開け放つ。その先には、幾多に配置された鉄格子が行く手を遮っている。
鍵穴がないのを見ると、特殊な方法で開けなければならない鉄格子か。
後ろの扉をゆっくりと閉めた俺は、鉄格子の解除…もとい破壊を試みる。
「『風の導きよ』」
手に持ったナイフに、武器強化の魔法を具現する。息を落ちつかせ、腰を落とす。後方に構えたナイフを、体重移動と共に、鉄格子へと振りかざす―――
「待って下さい!!」
いきなり後ろから、制止を求める大きな声が聞こえた。あまりの大声にぎょっとした俺は、ナイフの勢いが収まらず、前方へと転がった。
頭をさすった後にハッとして、ナイフを片手に後ろへと振り返る。最初に目に入ったのは、暗闇にも負けない銀色の髪だった。手に持ったロウソクの光が、その美しい顔を露わにしていた。切れ長の目に、整った顔立ち。鼻筋はすっと通っており、薄いピンク色の唇。しかし、どこか幼さの残る顔立ちだった。歳は俺と同じくらいだろうか。豪華な白のドレスを身に纏い、こちらを見て―――目を輝かせている。
「まさか本当にお会いできるなんて思ってもみませんでした!兵達を引かせていた甲斐があったというものです!さぁ、こちらへ!一緒にお茶でも致しましょう?」
「は、はぁ!?」
どういうことだろうか。俺の持っているナイフにも気にも留めず、両手で俺の手を掴み、引っ張って行こうとするのだ。それも、かなりの力で。
「ちょっと待てちょっと待て!離せ…ッ!このッ…!」
「いいえ、離しません!一年以上待って、やっといらっしゃって下さったのですから!色々な話を聞きたいんです!昨日忍び込んだ屋敷のこととか、三ヶ月前の大豪邸での脱出劇とか!」
「何言ってんだ!離せって…言ってるだろっ…!」
「むッ…。そんなに暴れるのでしたら、兵士を呼びますよ。アナタのお話を聞くまで、私、意地でもこの手を離しませんッ!」
兵士を呼ばれるのは厄介だ。……というか、待てよ?一年以上待った……?
ということは、この女は、この俺が――【漆黒の風】が王城へと盗みに入るまで、二階の兵士全員を追っ払っていたということか?
あまりの出来事で思考が回らない俺は、目の前の人物がその豪華なドレスを翻すその動作を見て、やっとこの女の正体が分かったのだ。
「お、お前……まさかこの城の……ッ!?」
こちらを見てニッコリと微笑むと、
「ええ、私の名前はミリア・K・クライスラ。この国の第三王女です」