渇望の対価 - 6 -
◇
王都中央通りの、本当の中心。そこが、王都中央広場だ。
東西南北四つに別れた大通りの中心に円形の巨大な花壇が立ち並び、目に眩しいほどの色が咲き誇る。石畳の上に置かれた花壇には様々な花が植えられており、多くの民衆がその花壇の縁に座って話込んでいた。
通常なら世間話程度なのだろうが、今回ばかりは、話のネタが目の前にある。
円形の花壇の中心、そこは大道芸などを行うための大きな広場となっている。
俺もまた、その広場から少し遠くの場所で、その中央広場に目を向けた。
本来なら千人以上が立つことができる大広場は、煤けた骨董品に埋め尽くされていた。
あの屋敷にこんなにあったのか、と俺も驚かざるを得ない。
骨董品の間には人が通れるほどの道が出来ており、その間で軽鎧を着た騎士たちが奔走していた。
見ると、羊皮紙の上に何かを書き込んでいるようだ。おそらく、存在している骨董品の種類や数量などをまとめている最中なのだろう。
王都にいる全員に返すにも、これでは不可能に近いのではないだろうか。
そもそも、嘘をついて価値のありそうな骨董品を回収する輩もいるかもしれない。
骨董品を見渡して、ふと、視線が止まった。
右往左往する騎士の中で、一人騎士たちに指示を出している女性の騎士を発見したからだ。
ショートカットの濃紺の髪に、どこか大人びて見える立ち姿。表情を変えることなく注がれる視線。
副団長、リース・フェンデ。確か、ディモンの店に訪ねてきたときそう名乗っていた。
騎士の立場からして、こんな作業を行うとは、彼女も思わなかったのではないだろうか。
それでも、生真面目な性格なのか、騎士たちからの報告に頷きながら羊皮紙に熱心に書き込んでいる。
騎士団長であるヘリクの姿はなかった。おそらく爆発事件で生まれた瓦礫の対応に追われているのか、もしくは騎士たちに指示を出しているのだろうか。
……宰相は《人造魔剣》の製造とは言っていたが、あの骨董品が《魔剣》という道具に昇華したところで、どうなるのか。
《人造魔剣》もおそらく《魔剣》と同様にそれを《理解》しなければ使うことなどできないはずだ。
魔力の残滓などが残っていれば、ミリアにでも頼んで異常な道具を抽出することも可能だが……。
俺だけでは、どうしようもない。
気持ちだけが先走る、とはこのことだ。どうにもならない事象に、わざわざ首を突っ込んでどうなるというのだ。
ため息を一回吐いて、俺は家に戻ろうと後ろを振り向こうとして―――。
副団長である少女と、目が合った。
二、三秒ほど目線が合い、しかし副団長の少女は羊皮紙に再び目を落とした。
……何か妙な視線を感じたが、気のせいか?
俺の懸念はすぐに結果へ変化する。
少女は近くにいた騎士に話しかけると、手に持っていた羊皮紙を渡して、こちらに振り向いた。
しかもこっちに歩み寄ってくる。
まずい、と脳内で逃走の信号が点滅するが、時すでに遅く。
深い青色の髪が風に揺れる。少女は俺の目の前に立つと、ゆっくりとお辞儀をした。
「こんにちは。先日はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「あ、ああ……こちらこそどうも」
深々とお辞儀をする少女に、俺は驚きを隠せなかった。一週間前、たった一瞬だけ会った俺のことを覚えているとは思ってもみなかった。
「盗まれた骨董品がありましたか?現在、種別に分けて修復可能な骨董品とそうでない骨董品の仕分けをしているところでして。物品の整理が終わってから、申告のあった物品を返還予定なのですが」
すらすらと、文字を読むような口調で、途切れず言の葉を連ねる少女はまっすぐ俺を見つめて表情一つ揺らがない。
「そういうわけじゃない、ただ物珍しさでね。こんなに大量の骨董品が並んでると壮観だな」
「なるほど。確かに庶民の方々も多く見学にいらっしゃいます。ここで骨董品の展示会のようなものを開けば、億万長者になれそうですね」
「……それ、冗談か?」
「ええ、冗談です。つまらない冗談はつまらない冗談で終わらせましょう」
表情一つ変えない。
こういうタイプの人間と会話するのは初めてだ。
俺は一瞬沈黙して、何か話題になりそうな話を引っ張りだそうとする、が、この少女にどんな話を振っても大真面目に答えそうで怖い。
「それにしても、よく俺の顔を覚えてたな。他の店にも例の少女のことを訊き回ってたんだろ?」
「はい、数十軒ほど。貴方の顔はよく覚えています」
「……は?な、なんでだ」
「一目惚れです」
「……」
「冗談です」
―――なんだ、この副団長様は。
掴みどころがない。団長のヘリクも、この少女に色々振り回されているところが思い浮かぶ。
副団長―――リースは、何かを考えこむように、顎に手を置いている。その仕草が人形のように正確すぎる動きで、恐ろしく様になっている。
「ところで、お時間よろしいでしょうか?少々お話したいことがあるのですが」
「え?い、いや……これから少し用事が―――」
「それは良かった。花壇にでも座って雑談でも。ああ、三十分ほどお時間を頂くだけですので」
「おい、ちょっと待―――」
「そうですね、あの辺りでいいでしょう」
馬の耳に念仏か………。
リースは俺の話に耳を傾けず、俺の袖をがっしりと握ってそのままホールドする。
「お、おい!なんなんだ!アンタと話すことなんて……」
「いえ、嫌っているものが同じもの同士、仲良くできればと思ったんです」
「き、嫌いなものが同じ……?アンタ一体何を……」
「ヘリク団長ですよ。貴方も、団長のことがお嫌いでしょう?」
心の中が、一瞬凍りついた。
動揺を隠せず、俺の腕を引きながら前を歩く少女へ顔を向ける。
リースの顔は、海の底のように深い静穏を保っていた。
結局、為す術もなく花壇の前へ連れて行かれた俺は、そのまま腰を下ろすしかなかった。
リースは、少々お待ちを、と言って五分ほど場を離れた後、どこから買ってきたのか、羊肉の刺さった串焼きを俺に渡してきた。
俺はそれを恐る恐る受け取り、リースもまた隣に腰を下ろす。
沈黙している俺を気にしてもいないのか、無表情で串焼きを頬張るリースに、なんと声をかけるべきか分からない。
「正直、驚きました。私以外にあれほどヘリク団長を嫌っている者がいるとは思わなかったので」
「……なんでそう思ったんだ。俺はそんなこと一言も言ってないぞ」
「目は口ほどに物を言う、ということわざがあります。あれほど敵愾心剥き出しの視線は、見たことがありませんてした」
「………」
そんなバカな、とは思うが、リースの表情は全く揺らぎを見せない。
「なぜそこまで嫌っているのですか。……まあ、単純な疑問です。答えづらいのであれば無視して頂いて構いません」
あっけらかんとした口調だ。興味、という言葉がこの少女にはなさそうに見えるが……。
「……あの男は、正義を示せなかったからだ」
真実と嘘の混じった理由を、吐き出した。
串焼きを食べ続けるリースは、視線を俺に向けることはなかった。
「なるほど。先日のあれを見たのですか。確かに、ヘリク団長は滑稽でした。【漆黒の風】に敗れただけでなく、正しさを主張しなければいけない騎士が、盗賊に正しさを示されるという、まるで喜劇のような瞬間でしたね」
「アンタはなにも思わなかったのか。あのバカげた見世物は、騎士団のあり方を貶めたんだぞ」
義賊に正義を突きつけられ、その義賊に騎士団長は敗北した。しかも、召喚士であることを秘匿しながら、最終的に負け犬の遠吠えだ。
あれを見て、騎士団に失望した民衆は、何人いたのだろうか。
「率直に申し上げると、くだらないと思っています」
が、リースから漏れた本音の言葉は、実に平坦な声音だった。
「騎士団が示す正義など、矮小な『一』に過ぎません。ましてや、私たちは正義の執行者や、いわゆる『民衆にかっこいいところを見せつける人間の集まり』でもありません」
リースの返答は、真理の一つだった。
「私たちはただ、『悪』を牽制する組織に過ぎません。私はむしろ、【漆黒の風】の言った言葉に大変な感銘を受けましたよ」
「……正義はない、か?」
「ええ、それも真理ですので。【漆黒の風】たる所以、というものでしょうか。ヘリク団長よりは、よっぽど覚悟のある良い言葉だと思います」
おいおい、騎士の立場なのに【漆黒の風】の肩を持つのか。
「騎士団の連中がその発言を聞いたら、怒り狂うんじゃないか?」
「お気遣いなく。あんな低俗な連中の怒りなど、ネズミの鳴き声と同じです」
……この少女は相当な胆力の持ち主だ。
まさか、騎士である本人から、騎士の悪口を聞くことになろうとは。
「アンタ、騎士でありながら騎士を嫌ってるのか。なんで副騎士団長なんかやってるんだ」
「仕方なく、ですよ。騎士団には老齢の騎士もいらっしゃいますが、腐りきってます。自分の息子を金の力で騎士団に所属させたり、親のコネをいいことに横暴な態度を取る騎士も存在します。そんな連中に制裁を与えるべき人材が、私の他にいないのですよ」
「それはつまり……力でねじ伏せているってことか?」
「腐った連中の首筋にレイピアを突きつけて、身の程というものを教えているんです。私は元々没落貴族の末っ子で両親も亡くなっています。嫌がらせをする対象は私のみに限られるので有り難い限りです」
何か、聞いてはいけないことをこれでもかと言うぐらい聞いた気がするのだが。
「……なんで、あの団長の元にいるんだ?アンタだってアイツのことが嫌いなんだろ?」
これ以上ペラペラ喋られては心労が絶えない。俺は別の方向に話を持っていくことにした。
「私の恩人だからです。身寄りの無い私を騎士団に迎え入れてくれました」
「い、いやそれなら感謝するのが普通じゃないのか?」
「感謝はしていますよ。しかし、あの人は肝心なところでドジをする。この前も、新人の騎士の指導で大変なことをして―――」
と、この方向もどうやら地雷だったようだ。さっきまで、文字を読むように喋っていたのが、だんだんと感情を込めたものに変わってきている。
「―――だいたい、あんな場所で剣を抜くなんて、実に愚かです。あれでは新人が―――」
「わ、分かった分かった!あの男のことが嫌いなのはよく分かった!」
「はい。とても頭にきます。もう少し立ち振舞いというものを考えてほしいものです」
串焼きに刺さっている最後の肉を、はむっと頬張った。と、横に置いていた袋から串焼きをまた一本取り出す。
……騎士団に所属する故に、様々なストレスが溜まっているのだろう。
俺だって、さっきディモンとエルナから多量のストレスを貰ってきたばかりだ。
苦労、の意味を分かっている者同士、という意味では俺と彼女は同じか。
と、何かを忘れていた、とでもいうように、
「ああ、そういえば、簡易なお礼のままでしたね。貴方を含め、多くの方々の協力で少女を発見することができました。ご協力感謝致します」
「ぎ、銀髪の少女のことか?俺は何もしてないぞ」
「それでも、私たちの質問に答えてくれました。訊ねても返答してくれない方もいらっしゃったので」
はむ、と串焼きを一口。
片手に持っている串焼きが冷め始めているのに気づいて、俺もそれに齧りつく。
この際だから、少し踏み込んだ質問をしてもいいか。
「例の少女は無事だったのか?騎士団長自らが捜索に乗り出すなんて、大した大物だな」
本当は、その少女の正体は重々承知の上で、だ。
すると、二本目の串焼きを食べるリースの表情が、何か気難しい表情に変わった気がした。
「ええ、無事に保護できました。発見場所はエトワール大森林の街道です」
「よく発見できたな。王都から相当離れてるじゃないか」
「本当に、よく無事だったと思います。まったく……あの方はいつも私たちを困らせる」
ブツブツと小さく文句の言葉を言っているのか、無表情でも愚痴の奔流が漏れてきている。
「もう少し愚痴を聞いてもらってよろしいですか。あまりにも想定外の動きをする方々が周りに多すぎて、頭痛の原因になっていまして」
「……アンタ、苦労人だな」
その返答をOKという意味に捉えたのか、リースは串焼きを片手にペコリと頭を下げる。
「親切心痛み入ります。あの少女のことなのですが、簡単に言いますと、大貴族の娘なのです。王城で暮らしていまして、私はその監視役兼近衛兵みたいなもので」
「ほう……」
あいつにも近衛兵がいたのか、と純粋な驚きだ。
「お淑やかな淑女、というのは間違いないのですが、夜になると私たちの目を盗んで部屋から抜け出すことが多々あるのです。一ヶ月前も真夜中に突然部屋からいなくなり、私の大捜索が始まるという大事件がありまして」
「大事件……ね……」
ミリアに相当振り回されているようだ。
隠れるのが上手い、と豪語していたミリアはどうやって監視をくぐり抜けて城下町に降りてきているのか興味を持ってしまった。
「王城を探しまわって、どこにいたと思いますか?王城の厨房ですよ。暗い厨房に一人で料理を行っていたみたいで、侍女から拝借したレシピ本を片手に鍋とにらめっこです。流石に頭痛が増しました」
「お淑やかな淑女、とはかけ離れてるな」
「……ええ、先程の説明に誤りがありました。お転婆な自由人です。私が来たことに驚いて鍋を溢しそうになったのも胃痛の原因になりそうでした」
鍋を隠そうとあわあわと慌てながら右往左往しているミリアを想像して、思わず笑ってしまうところだった。
口元を押さえた俺の顔をまじまじと見つめた後、すぐに前に向き直ってリースは二本目の串焼きを食べきった。
「それに、私が話しかけると俯いて謝罪の言葉を繰り返すだけなのです。責めているわけではないのですが、私に一言でも何か言ってくれれば善処するのですが……」
「そりゃああれだろ、アンタの表情が変わらないから、怒ってるもんだと勘違いしてるんだ」
初めて接した人間でも分かる、その表情の動きにくさ。
おそらく自分でも無表情で話をしていることを気づいていないのではないだろうか。
「……確かに、感情の変化が分かりにくいと団長に良く言われますが、生まれつきではどうしようもないので」
むー、と気落ちするような雰囲気に、俺は苦笑するしかない。
「それなら、その少女と話しあえばいいんじゃないか?アンタの言いたいことを素直に話せばいい」
「言いたいこと、ですか?あの方に対する愚痴しか出てこないと思うのですが……」
「愚痴だけなんだろ?その少女のことを怒ってるわけじゃないんなら、どうとでもなるさ」
ミリアと違う、正反対の人間性だからだろう。ミリアは表情が良くころころと変わるし、何に落ち込み、何に喜ぶのか、周りの人間もそれに気づきやすい。
それ故に、話をしなければ分からないことはたくさんある。
と、そこまで言って、自分も「そういう立場」だったことに気付く。
他人に偉そうなことを言える立場じゃない。アドバイスなど尚更だ。
きまずくなる空気。そのまま沈黙し、考えこむ動作をした副騎士団長は、しかし花壇の縁から勢い良く立ち上がった。
突然の行動に驚いて、片手に持った串焼きを落としそうになる。
「お、おい、どうした?」
「いえ、良い時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございます」
こちらに向き直り、またもや恭しく礼をする。と、花壇に置いていた袋を俺に渡してきた。
「差し上げます。本日、お時間を取らせてしまったお礼ということで」
「え……いや、おい……」
「私はこれで失礼します。良ければまたお会いしましょう」
くるりと体を翻し、立ち去って―――いこうとして途中で止まった。
「失礼しました、まだお名前を伺っていませんでした」
……この少女も、ミリアに負けないほど自由人だと思うんだが。
「……アルト・ゼノヴェルトだ」
「しかと心に留めました。では、これで」
スタスタと、凛と背筋を伸ばして、骨董品の海へと戻っていった。
しばし呆然としながら、俺は手渡された袋の中身を見る。
中には、濃いタレが塗られた串焼きが五つほど温かいまま入っている。片手に持った串焼きに目をやり、なんとか一本目を食い切る。
……一体どれだけ食うつもりだったんだよ。